優しさに、あふれた、ふれかたでしたので!
予想外のような、予想の範囲だったような目の前の光景。淡い照明の中、アイボリーの革製ソファーに深く腰掛けているのはアストラ様とオクリース様だった。
お二人とも襟元が緩い私服だ。私の家にいらっしゃる時よりは、若干フォーマル寄りの。
「やっぱり、アストラ君とオクリース君がいたねぇ」
私の後ろから、のんき声をかけたのはテンプスさん。私は彼の横で石像になっている。
私だって、状況から見てテンプスさんと私のふたりっきりと言うことはないとは考えていた。
アクティさんはアストラ様へのあたりが強いものの、何だかんだと戦友のアストラ様とオクリース様を大切に思っている。会話は当然のことながら、魔術具の仕入れもかなり融通をきかせている。
私に関して言えば、アストラ様が後見人なのでアクティさんってば面倒も良く見てくださっている。もちろん、それはご本人の性格もあるのは重々承知している。けれど、当然色んな思惑が絡んで紹介されたのは、私みたいな小娘でも理解はしている。
アクティさんの『ヴィッテを紹介してもらって、店が繁盛して助かったよ。あいつらに借りを作るのはげんなりするけど』という言葉を真っすぐに受け取れるようにはなったけれど。ここ最近。
そして、アクティさんはテンプスさんの人となりを深くは知らない。
もっと言えば、正直テンプスさんって得体が知れないのだ。そんな中、常連専用のしかも最上階の部屋に案内されたことを考えたら、誰かというかお二人がいて当然なのだ。
「私はやっぱり考えが浅い。勘違いするな。だって私は――」
私は、いらない存在。疎まれる存在。あの時、思い知ったじゃないか。
あの時に? 無意識に心臓と腹を掴んでいた。苦しくて、魔術力を流さないとと無意識で思った。私の力を流さないとって。
そう、あの時だ。魔法陣に囲まれて、私の大好きな人たちは誰もアクアを助けてくれなかった。むしろ消そうとしていた。だから、私はアクアにシンクロして、痛くて苦しくて、悲しかった。祓われそうになったアクアと全部が重なったから。
大好きなお兄ちゃんたちの記憶も全部――。
そこまで考えて、少しだけ唇を噛んで我に返った。アクアは黙ったままだ。
深呼吸をする。
当然のことだ。現状が。現状が、私の現実だ。今の私の全部が自然なことなのだ。違和感を訴えて震える全身をぎゅっと抱きしめる。
大丈夫、大丈夫。大丈夫だから。これが日常なんだ。私が私らしく感じる感覚を見失うな。
それが移民の自分にとって幸運どころか命の恩人なのだから、感謝こそすれ『寂しい』って感じるのは違う。どこか頭の隅で傷ついてなんて思った自分が贅沢だなって、頭を振る。
「アストラ様、申し訳――」
「アクティ、まず状況を説明してくれ」
腰を折りかけた私と目があって、頭を抱えたのはアストラ様だった。
オクリース様は冷静に私とテンプスさんと交互に眺めていらっしゃる。わずかに動いた視線でもわかる。
「何だい。隣のオクリースを無視してわたしに助けを求めるなんて面白いこった」
アクティさんの豪快な笑いが響き渡った。珍しく「おっと」なんて大げさに口を塞いで、私とテンプスさんを個室に押し込んだ。
たたらを踏みながらもアクティさんを見上げる。
「他の部屋の迷惑になるからね」
フィオーレに来たばかりの私だったら恐縮しまくって『おっしゃる通りです!』と流されていただろう。だが、しかし! 今の私にはわかる。アクティさんが私の逃げ道を絶つための一連の流れだったのだと!
あばばっと震える私に向けられたのは、物凄く艶っぽい「へぇ」なんて微笑みだった。
「私も先ほどまでのことで、いささか脳の糖分が不足しているようです。咄嗟に言葉が出ませんでした。デザートチョコレートでもいただきましょうか」
オクリース様の言葉で顔を上げたアストラ様。
「へぇ。オクリース君がそこまで披露する相手なんて――王様くらいかなぁ?」
テンプスさんが飄々と首を傾げた。
私はあば第二段を発動だ。だって、ここは密会の場。暗黙の了解とは言え、テンプスさんが把握していないはずがない。
「あの、テンプスさん!」
思わず彼に手が伸びる。小型犬さながらに震える私をよそに、テンプスさんはオクリース様の横に腰かけた。オクリース様も予備のグラスを差し出して、お酒を注がないでください。いや、これは私の役割だったのではと床に膝をつく。
「いくらオクリースとはいえ、シレオとの話し合い後だ。いい加減、脳が疲弊しているのは当然だ」
「花祭りも近いしねぇ。って、あれぇ? どうしたの、ヴィッテ君。花祭りの担当団が王様と施設外で団長・副団長とお酒を交えての場を設けるのは公然の秘密だから、問題ないよぉ?」
そうなんですか、知りませんでした。私は司令官付とは雖も所詮は臨時職員なので。と自分に言い訳しつつも脱力して床に手を突いてしまった。そして、安堵以外の理由だったのに、自分が嫌になった。
余計、ずぅんと沈む。
「僕だって、こーみえて結構上位の役職にいるしねぇ」
「存じ上げております」
とほほ感がとんでもない中、膝を伸ばす――より先に、ぐいっと手首と腰を引き上げられた。
急速に心音が激しくなっていく。触れられた部分が熱くて汗が出そうなくらいに。
「――っすまない。乱暴だったな」
私がよほど面白い表情をしていたのだろう。アストラ様が音を立てて離れてしまった。ホールドアップ状態だ。
「オレはどうにもヴィッテに対しては加減を誤るらしい。ほら、フォルマは妹分だしな! 女性との親交も社交界だけだし! とはいえ、ヴィッテを幼子同様と捉えていると言われると、違うわけで。確かに、フォルマやトルテには良く苦言を呈されているが」
私も諸々自覚があったので、後ろに二・三歩離れて何度も腰を折る。深く腰を折ったのは、真っ赤に染まっているであろう耳を見られたくなかったから。
「だっ大丈夫ですよ。フォルマもトルテも、魔術騎士団のみなさんも司令官殿が年下の部下を可愛がってくださっているっていうのは、共通認識ですからっ」
「うっうむ。うむ? うーん、それでいいはずなのだが、なんか引っ掛かってしまうんだぞ」
無責任に、無邪気に腕を組んで首を傾げるアストラ様。本当に、この人は人たらしだ。
「全然、まったく、問題、ありません!」
両手を掲げて思いっきり振る。
オクリース様とアクティさんなら、初心なのを勘違いさせるなって言わないのはわかっている。基本、傍観する方たちだ。
だから大げさなくらい言い訳をするのがちょうど良いのだと知っている。
「優しさに、あふれた、ふれかたでしたので! 私としては! アストラ様らしく!」
「すごい言い方だねぇ」
振り返ると、テンプスさんは相変わらずのほほんとした笑顔を浮かべていた。すごい言い方! 失礼だったか! それとも嘘っぽかったか⁉
風を切ってアストラ様に向き直る。
「疲労困憊な状態でヴィッテの素直過ぎる言い回しは、心臓に悪いな。ヴィッテに他意が皆無なのは理解しているのだが」
私、真っ青を通り越して透明人間になっているんじゃないかと思った。ひょっと魂が抜けかけた。
「すっすみません! その、またおかしな言い回しでしたか? 最近フィオーレ語が自然と身についてきたと思って、油断している節がありまして……貴族的にアウトな言い回しとか含まれていましたか⁉」
「ヴィッテ、落ち着きなさい。この場合、アストラに全面的な非があります」
「すみません、オクリース様! アストラ様は悪くないんです!」
ものすごく血の気が引いている自覚がある。加えるならめっちゃ寒い。体温が絶対零度だ。
亡霊のように手を彷徨わせるしかない。オクリース様と言えば、めちゃくちゃ呆れたように溜息を流した後、眉間を突っついてきた。
「悪いのですよ。はっきりしないくせに、暗に行動制限を強いるような発言や態度をとるアストラが」
「アストラ様がはっきりと諫めないということでしょうか! それならば、私も魔術騎士団の一人として、規程に則っているつもりでした。今日は、いちヴィッテとしてテンプスさんとお食事にきたので!」
そんな言い訳をしてしまうのは、魔術騎士団は新しい組織というのもあり割と自由な風紀だから。プライベートな付き合いを制限する条件はほとんど皆無だ。
一方で、騎士団ほどでもないにしても、魔術団にも快く思わない人がいるのは公然の事実というのもある。
「でも、申し訳ありません! 今回の根本的な問題に戻りましょう! まさかお二人がいらっしゃるとは!」
テンプスさんは魔術師団のお偉いさんだけど、私はただの臨時職員。そして、ここは密談会場の最上階であり角部屋。
我にかえれば、私が訪れて良い空間じゃない!
アストラ様が頭を抱えてしまうほど、やばいタイミングだったのだろう。さっきシレオ様とかも聞こえたし!
「……俺たちがいると問題だったのか?」
んんっ! アストラ様の声が心なしか低い!
慌てすぎて「もももっもんんだ、いって!」なんてみっともなくどもりながら手を動かしてしまう!
「いえいえ、存在に問題があるのは私だけです! すぐ消えます! 速攻でいなくなりますので!」
踵を返した瞬間、
「いたっ!」
ものすごい力に引き留められた。
堪らず痛みの先に視線が落ちる。そこにはきゅっと握りつぶされている手があった。引き留めている手は、とても冷たいのはアストラ様のもの。あまりにも血の気を感じられなかったので、自分の痛みも忘れて顔をあげて――。
びっくりした。アストラ様が初めて見せる顔つき。無表情。なのに瞳だけはやたらと熱を持っていて。
「あっアストラ様?」
「その言い方は、心臓に良くない。いますぐ否定してくれ」
泣き出しそうだと、思った。いつもお日様みたいに笑うか、ぐぬぬって面白い声をあげるアストラ様。その彼が表情と瞳をちぐはぐにしている。
驚きのあまり、目をあわせてしまう。視線が混ざりあって、それでもお互い離れている。
ちょっとだけ考えて、すぐに自分の頬を叩きたくなった。いや、実際に空いている片手でぶっ叩いた。ぶふぉっとか吐き出していた。




