席も空かないようだし、移動しませんか?
ここからは前になかった展開となります。楽しんでいただけますように!
図書館からお腹を空かしがてら歩いて辿り着いた、アクティさんの居酒屋『ホモー・エダークス』通称エダ。
大食漢という意味らしい店にふさわしく、ボリューム満点な飲食ができるのでガタイが良い男性が多い。
「いらっしゃいませー!」
「おーい、ねえちゃん! こっち、エール5杯追加なー!」
「はーい! ムール貝のヴィヌム煮込みと一緒にお持ちしますね!」
タバコの煙たさとむわっとした熱気に勝って、食指を刺激する香草の薫りが冷気に混ざった。
扉の先はいつも以上の賑わいで溢れていた。
「わぁ。予想通りの繁盛っぷりだねぇ」
「テンプスさん、ちょっと待ってくださいね。えーと」
バイト仲間のレイと目があうと、軽く手を振られるのと同時、口パクで『ゴメン、ちょい待って』と謝られた。
私も口と頭を大きく動かして『気にしないで』と返と、隣のテンプスさんが、
「君たち、器用なことするねぇ。古代魔術の思念みたいに会話しているよ」
としきりに感嘆の息を吐きだした。思念とはアクアとの会話のような、音にしない会話方法だ。
テンプスさんの発想がどこまでも魔術絡みなのは彼らしいと言うべきか。というか、そんな大げさなものだろうか。
「魔術なんて大層なもの使わずに、ジェスチャーや状況から通じ合うものですよ?」
「へぇ。女性ってすごいんだねぇ。そう言えば、僕の元奥さんも義妹や友人たちと言葉がなくってもなんか空気? ていうのかな、目で会話していたよ」
「性別というよりは、右脳と左脳の違いだって古代研究の文献は読んだことがあります。あっ、でも男女で発達の差があるようなので、性別も関係あるのかもですね」
何も考えずに返してしまった。あっと口を覆った時にはすでに後の祭り。
恐る恐る視線を上げた先にいたのは、ランランと目を輝かせたテンプスさんだ。両手を取られて、ぐっと距離が近くなる。
「ヴィッテ君は古代医学の知識もあるのだねぇ! 魔術が発展する前は魔術を使用しない医学やオーパーツな器具で診断をしていたっていう」
「いえ、何かの関連でちょっと目にしたことがあるという程度で――」
「生家はかなり大きな貿易商を営んでいたってスウィンに聞いていたから、本好きなヴィッテ君なら話があうとは思っていたんだよ! 絶対に引かれるから少なくとも1年はぐいぐい行くのは待てってスウィンに言われて、聞くのを我慢していたんだよぉ!」
テンプスさんの言い分はかなり飛んでいる。
実家は確かにかなり大きな貿易商だった。爵位がないながらにも貴族とほぼ同列の扱いを得ていた。夜会への招待も多かった。社交はサスラ姉様担当だった。
メミニ聞いた話では、実際に爵位を買う手筈が進められていたらしい。
それはさておき。これまでの付き合いから考えるに、テンプスさんの思考は
生家はかなり大きな貿易商を営んでいた。
→外国の製品や知識、それに歴史に抵抗がないはず。
本好きで全世界で公用語扱いのフィオーレ語もある程度話せる私。
→外国の本も手に入る環境で様々なジャンルの文献を幼い頃から読んでいるはず。
そんなぶっ飛び方程式が組み立てられたのだと予想できる。
ひとつ、確かに実家は貿易商で豊かだった。様々なジャンルを手掛けていたが、メインは家具だ。そして、私は家具オタク。もっと言うなら食事オタクの腹ペコ系女子である。
「なんせ、最近のヴィッテ君はだいぶ古めかしい言い回しや文法を使うことも増えていたしねぇ。主に詠唱に近いみたいだったから、賢智が深まってきたようだから頃合いだって思っていたんだよ!」
ふたつ、私は言語が得意というよりもフィオーレ語が馬にあったのだ。他に身に着けた外国語は、例の医学書を読むために単語程度理解できた古代語くらいだ。
古めかしい詠唱に近いのは、最近アクアと思念で会話しているから彼女の言い回しがうつっているのだろう。
「外国人だから、体験が直で表に出やすいだけですよ……。お恥ずかしい」
「そうかなぁ。本を読んだだけで会話にまで影響が出るものかな?」
ぎくっとしたのは内緒だ。うーんと首を傾げているテンプスさんは、裏の意図があるのかはかれないよ……。
みっつ、幼い頃から本は好きとは言え冒険譚や家具、それに浅く広くだからテンプスさんみたいに研究者肌の人と語り合える知識は皆無です。
結論。誤解は早々に解くべきだ。
「とにもかくにも! おっしゃる通り実家は裕福で学べる機会も多かったものの、肝心の私が凡人ですので」
「えぇー。ヴィッテ君が凡人なら僕の定義はくつがえされるなぁ」
ぶぅとか唇を尖らせないで欲しい。
騒がしい店の入り口。誰も気に留めないせいか、テンプスさんも公の場で会った時よりも子供みたいな反応を見せてくる。
「話を戻しますね」
鞄を抱きなおして、咳払いをする。そう言えば、さっきからアクアの姿が見えない。
「女性でなくとも、アストラ様とオクリース様もツーカーです」
「うん?」
私の言葉、訛っていたのかな。
テンプスさんが垂れ目にハテナをたくさん浮かべて、こてんと頭を倒した。前から思っているのだけど、この国の男性って可愛い仕草がデフォルトなんだろうか。国民性なのだろうか。
幾人もの男性に女子力が負けているのを実感して、ちょっと辛い。とほー。
「あっ、訛っていたんじゃなくて、母国語を使っていましたね。えぇっと。フィオーレ語だと、どうなるのかな」
一瞬だけ考えて、ぽんと手を打つ。
「そうですね。『つぅことだ』『そうかぁ』という掛け合いから、詳しい説明をしなくても内容が相手に伝わる、いわゆる気心が知れた仲をツーカーって言うんです」
「なるほど、面白いねぇ。最近、魔術研究の一環で言語の成り立ちの方も調べているのだけど、ぜひ異国のそんな知識をもっと教えて欲しいなぁ」
ここに話が戻るかー! と白目をむいてしまう。
大抵、アストラ様とオクリース様の話に持っていくと、みんなそっちに話題を移してくれるから、今回もいけると思ったのだ。
「ところでテンプスさん。席も空かないようだし、移動しませんか?」
「ヴィッテじゃないか」
口は動かしながら現実逃避しているところ、ハスキーボイスで声をかけられた。
顔をあげると、接客スタイルのアクティさんが立っていた。雑貨屋では下ろしたままの髪を、今はふわり、かつ艶やかに纏め上げている。雑貨屋でのパンツスタイルもかっこいいけど、居酒屋のスリットが深く入ったスカートな装いもアクティさんの魅力を引き出していて素敵。
「なんだ、時々いるバイトの嬢ちゃんか。いつもはテキパキ動いてんのに、客としてくるとまごまごって感じじゃねぇか」
「そのギャップ、面白みがあるだろう?」
「そんなものよ。ってか、逆に普段働いてる場所だからでしょうに」
アクティさんを挟んでじゃれだした男女のお客さん。
アクティさんの目が惚気はお断りと言っている。
「悪いね。ちょっと外すよ」
「おぅ!」と元気に応えた常連さんたちに手を振ったアクティさん。そのまま、人ごみをかいくぐって入口に寄ってきた。というか、アクティさんのために道が出来る。
おぉぉっと戦女神さながらの様子に感動してしまう。
「ソッチは魔術師団のテンプスだね。久しぶり。それにしたって、随分と珍しい組み合わせだ」
「アクティさん、こんばんは。満員御礼状態ですごい」
背の高いアクティさんの後ろを覗き込むと、バイト仲間たちがやはり駆け回っている。
私のメインバイトは魔法道具や小物を扱う『雑貨屋 アクティの店』の方だけど、フォルマと一緒に厨房を借りて以来、たまに人手不足の時に手伝いに入ったりしている。過保護なアストラ様には内緒で。一応、オクリース様には許可をいただいているから、職務的には大丈夫な範囲みたい。
「花祭りが近い。その影響で地方から業者やら旅芸人たちが続々集まってきてるからさね」
「そうみたいですね。今日はお客としてお邪魔しました。なのですが、逆にお手伝いした方が良いくらいの込み具合で……」
「ヴィッテは普段の会話は綺麗だけど、移民だけあって耳は柔軟だからね。いてくれると助かるが」
それは実家でフィオーレ語を習ったいた際に、母国語の人以外にも家庭教師をつけてもらっていたおかげだ。そして、ここも庶民派な居酒屋だけあってスラングや訛りが強い言葉を使う人も多いので、聞き取りの勉強にもなる。
なにより、まかないが美味いのだ! 拳を何回握っても足りないほどに! お給料も貰えて絶品のまかないも食べられるなんて天国だ!
「ここ最近、魔術騎士団の花祭りの準備が忙しくて、うちのまかないを食べ損ねているからかい?」
「そうなんですよ! 先月の子羊の玉ねぎ煮込みの味、いまだに記憶をもとに晩酌できるくらいには美味で――じゃなくてですね、こほん」
本当に零れそうになった涎をぐっと堪える。
まぁ、ここで我に返った私に浴びせられたのはアクティさんの豪快な笑いだ。これまた当然のことながら、周囲は非常にうるさいので誰も気にしていないのが幸いだ。
「どっちにしろ今日はダメだよぉー。ヴィッテ君は僕とディナーデートなんだからねぇ」
思い出の中の子羊にうっとりしていたのが、急速冷凍魔術にかかったように青ざめてしまう。
騒がしい店内とは言え、テンプスさん、その表現は止めていただきたい。私が刺されかねないので。変わり者とはいえ、テンプスさんも女性人気は絶大だ。
「テンプスさん、そこは正直に私のおごり目当てだって公言してください」
「えぇー。三十路のおじさん的には隠したいところだもん」
「だもんって」
笑顔で口元が引きつる。
「若輩者的にはデートって単語は不穏ワードで冷や汗ものですので、すみっこ暮らしの凡人が生きやすい表現にしていただきたいものです」
そして、言い切ったところで息を呑んだ。
私としては『恐縮で消えそうです』と言う場面だっただろうに。
恐る恐る顔をあげると、予想通り、おやっと言いたげなアクティさんとテンプスさんがいた。
「いえ、あの――」
「なんだい、まるで仕事モードのヴィッテだね!」
やっぱり豪快に笑うアクティさん。
思わず瞬きを繰り返してしまう。
仕事モード? 私らしくないんじゃなくって?
「なんだい。鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「いえ、あの、えっと。だって、私、変に思われたんじゃないかって」
しきりに腕を摩ってしまう。そして、またはっとする。後半を口にした自分に。
それなのにアクティさんは顔を覗き込んできて、にやりと笑った。女性同士なのに、どきっと心臓が跳ねる笑顔だった。そして、軽く鼻先を弾かれた。
「あと、テンプスは振られたなんて落ち込むんじゃないよ? なんせ司令官殿に対するのと同じ突っ込みなんだから、光栄に思いな」
げほっ! 俯きかけたところでアクティさんが思いっきり背中を叩いてきた。アクティさんにしては珍しくスキンシップが多い気がする。
むせながらも、なんとか光栄とか振られるとかテンプスさんにとっては不本意ですと言葉にしたいが、呼吸するのがやっとだ!
「それは特権だねぇ」
呑気に話をあわせてくれるテンプスさんに、両手をばたつかせたり頭を振ったりしてしまうよ。
「いやいや! やめましょう、この話題はっ!」
あははーと軽く笑うテンプスさんが、ふと二階に続く階段に視線をうつした。




