そうやって生きて、君はいつ幸せになるんだい?
「ひとまず、私と似た名前を持つ泉を訪れたいと思っているのですが、いかんせん、場所があいまいで」
私も大人しく回答するしかなかった。
流すための話題かと思いきや、思いのほかテンプスさんは真剣な面持ちで頷いた。
「アクア・ヴィッテの泉だね。アストラ君と行きたいのかい?」
予想外の言葉に拍子抜けして瞬きを繰り返してしまう。
テンプスさんは私と鏡合わせの表情になった。いつも感情豊かに見せて、実はお腹の中は見せない彼にしては珍しい。
「アストラ様ですか? いえ、特に。自分の名前が入っているので、個人的に気になっているだけです。上司と円滑にいくようにってジンクスでもあるんですか?」
「そう発想するのか。それって、あんまりにもロマンがないよね」
なぜここでアストラ様の名前がでるのだろうか。
私とアクアの名前が入っているので何かしか繋がりがあるのかなと思ったのもある。それに、フィオーレにきて最初にステラさんに教えてもらっていたのになかなか足を運べていなかったから、落ち着いたいまになって訪れてみたい思ったのだ。
「ロマンとかはちょっと良くわかりません。いえ、シチュエーション的には想像できますが、それがなぜアストラ様に繋がるのかが」
「そうかい。なら、殊更お嬢さんには面白くないと思うよ?」
テンプスさんが魔術映像で古いフィオーレの地図を展開する。魔術上級者でも難しい映像化魔術だ。思わず「おぉ!」と声があがってしまう。
縦横無尽に魔術映像を観察する私を、テンプスさんは
「あははー、そこまで感動してもらえると光栄だなぁ」
なんて軽く笑う。
ふんわりとした微笑みが羞恥を誘って、こほんなんてわざとらしく咳ばらいをしてしまった。それがまたテンプスさんの笑いを誘ってしまったようだ。テンプスさんは相変わらずによによとしながら魔術映像を突っついた。
「ヴィッテ君が行くと色々誤解を受けそうだと思ってねぇ。君に恋愛をするなって言ってるわけじゃないからね。そもそも、そんなことを言う権利は誰にもないわけだし」
テンプスさんが私の交友関係に口を出したのは初めてだ。
前ならひたらすら恐縮しただろう。でも、不思議と今は気遣ってくださっているのがわかる。
「この花祭りの功績次第で、アストラ様は『司令官』から『団長』になれるから」
魔術騎士団は大戦直後に新王であるシレオ様直下として設立された。本来であればアストラ様は団長として任命されるべき立場だった。
歴史が長い大国の中では新しい組織を立ち上げるには反発が伴う。だから団長より格下の司令官として着任せざるを得なかった。それゆえに、騎士団や魔術師団とは格下に見られがちなのだ。
「事務員としてですが、携わっています。だから、感じています。魔術騎士団のみなさんが何がなんでもこの任務を成功したいって。アストラ様のためにって。オクリース様のためにって」
「そうだねぇ」
「私も……私も同じです。司令官殿も参謀長殿も、もちろん団のみなさんが思うように動ける権利を得て欲しい」
私は故郷の全てを捨ててきた。身一つでフィオーレに渡ってきた。あげく、港から街への馬車に乗っている際に野党に襲われた。
そんな私を拾ってくださったアストラ様。彼を支えるオクリース様やアクティさん。友だちになってくれたフォルマとトルテ。魔術騎士団の一員として迎え入れてくださったみんな。
私が優先すべきは自分の感情よりも、大事な人を守ること。
「アクア・ヴィッテは私が立ち寄ってはいけないと思われる意味を持つ場所なのですね」
首を傾げた私を捉えたテンプスさんは、至極申し訳なさそう目を逸らした後で頭部をかいた。
だから彼が『アストラ様』と尋ねたのだと理解した。ステラさんが教えてくださったのは私が拾われた直後だったから、意味深に捉えられる仲――後見人と上司になるとは想像で出来なかったのだろうだし。
「いや、君がそこいらにいるお嬢さんとは違うのはアストラ君たちへの接し方から違うのはわかっていたのに、ごめんね」
テンプスさんに謝られて、どうしようもなく申し訳なくなる。
「いいえ。どんな場所なんですか?」
だって。私はテンプスさんが嫌う女性の筆頭だ。
アストラ様に恋する愚かな女性の一人でしかない。アストラ様を男性として見てしまう、普通の女だ。与えられる環境におどおどしていたくせに、蓋を開ければ優しくしてくれる人に好意を寄せる、ただの女。庇護欲をそそられる異国少女でいられればどんなに良かったか。保護者として慕えたなら。
私の立場上、アストラ様を想うということは個人の問題じゃないのは重々承知している。彼や周りから求められている私とは違う感情を抱いている、私。
周囲の期待を裏切っても、私はアストラ様を好きでいることをやめられない。消えてしまいたくなる。逃げたいのに、この場にとどまってしまう。
「伝承によると、その名のとおり花が舞い、水が溢れる場所だったらしいねぇ。昔は恋愛成就の泉なんて呼ばれていたらしいよ? 僕の記憶にある頃からは、花枯れて魔物が出る恐ろしい廃墟同然の場所になっているにも関わらず、盲目な恋愛をしている子は祈願に訪れて、危ない目にあっているって時々聞くねぇ。今は立ち入り禁止区域に指定されているよ」
――あの、花畑が? あり得ないわ。だって、あそこはヴィッテが……――
アクアが反応した瞬間、テンプスさんのマントに掴みかかっていた。頭の隅ではテンプスさんが私に謝った理由に色んな意味でショックを受けていたが、それよりも悲壮感溢れるアクアのほうが心配だ。
「どこにあるんですか⁉ っていうか、なんでそんなに慕われそうな泉が廃墟みたいになってるんですか!」
見上げた先にいたテンプスさんはひどく驚いた色を浮かべている。
なおも縋って見上げ続ける私から、ついっと視線を逸らした。飄々とした彼にしては珍しく、わざとらしい咳払いを繰り返す。
「廃れた理由は不明だけれど」
さりげなく手を外される。ひんやりとして、ミントの薫りが鼻先をくすぐった。
いつもなら謝罪をするところだが、棒立ちでテンプスさんから目を離せない。テンプスさんはもう一度こほんと喉を鳴らして肩を竦めた。
「本当に、枯れ地になっていて誰も近寄らない場所だよぉ? 僕も何年か前に調査で行ったことあるし。泉なんていっても、その痕跡があるだけだよ」
「それでも良いので教えてください!」
「……おじさん、君がまぶしすぎて辛いよ。なんだって、そんなに知りたいのー? 理由を教えてくれないと、簡単には言えないなぁ」
テンプスさんに問われて、返答をためらったのは一瞬だった。
ノートをぎゅっと抱きしめ、隣に腰かけるテンプスさんをまっすぐ見上げる。見上げることができた。ずるいけれど、自分のことじゃないから。きっとアストラ様の絡みなら、彼を想う後ろめたさできっぱりとは口を開けなかった。
「私の大事な人たちに、幸せになって欲しいんです」
それでも出た声は紅茶の出がらしみたいなものだった。
テンプスさんは特に眉をしかめたりもせず、うーんと唸った。
「よくわからないけれど……君の行動が、その人たちを幸せにするっていう思い上がりだとしても?」
「私の行動が自己満足なのは重々承知です。それでも――私の無駄な動きさえ、大好きな人が幸せになるきっかけになれば儲けものくらいになれば、本望だから。迷惑にさえならなければ、できることはしたいんです」
私は今、とても愚かな言葉を発している自覚はある。だって、その人が幸せだって思える瞬間は、私が勝手にあがいてどうにかなるものじゃないのは頭では理解している。なのに、心は身勝手に動いてしまう。
「そうやって生きて、君はいつ幸せになるんだい? いつだって君は他人のことばかりだ」
静かな口調は、まるで父様が私に言い聞かせる姿に重なった。思いがけない問いに、頭が真っ白になる。
私がいつ幸せになるってどういうこと? じゃあ、今、私は幸せじゃないってこと?
私には理解できない。テンプスさんの真意が。だって、私は十分すぎるほどに人生をやり直させてもらったから。カチリと、頭の隅で何かのスイッチが入った。
「私は、十分すぎるほどに幸せです。テンプスさんがおっしゃる意味が良くわかりません」
睨むように答えた。これ以上望むのは違う。
口を開きかけたテンプスさんに、鞄から取り出した硬い表紙の本を押し付けた。少々ほこり臭かったのか、テンプスさんはちょっとだけむせる。
「それ、一般図書コーナーで借りたフィオーレの歴史名所案内です。街の南側にアクア・ヴィッテを模した泉まで作って未だに残しているのに、肝心の遺跡は目ぼしい場所すら隠匿されているんですね?」
私の頬はくいっとあがったまま。
笑みを浮かべたままの私を前に、テンプスさんの表情は陰っていく。
「ヴィッテ君。君、最近おかし――」
「だから、テンプスさん‼ アクア・ヴィッテっていったいぜんたい、どこにあるんですか⁉」
しどろもどろになるテンプスさんに間髪入れずに詰め寄れば
「絶対に一人では行かないって約束してくれるかなぁ?」
とぼやきつつも、階段に座り込む。口頭で説明してくれるのかと思いきや、制服ポケットからメモを取り出し、ものすごく丁寧な地図を描いてくださった。
「もちろんです!ありがとうございます!」
大丈夫です! 一人じゃないですもん、アクアがいるからね!
おぉぉと、地図を掲げて目を輝かせる私を笑ったテンプスさん。
「お礼をしてもらいたいなぁー。僕、今日はよく冷えた白いヴィヌムにあう料理が食べたいんだよねぇ。アクティのお店に付き合ってくれるかい?」
「喜んで! ちょうどお給料が入ったところなので奢らせてください!」
「えぇ? 本当にいいのー? 今日の僕、お腹が空いているから覚悟しておいてねぇ」
テンプスさんの声が少し高くて安心した。
「その分、私も飲むので大丈夫です!」
「それ支払いが高くなるだけだよねぇ。僕は全然いいんだけどねぇ」
――そこは自分が負担するって言わないのね、この三十路男は。だから離縁される甲斐性なしって噂されるのではないのかしら――
アクアの意見の賛否はさておきたい。そもそも私が奢るって言ったのだし、テンプスさんはむちゃ食いするタイプどころか、周囲の男性の中では食が細い部類に入る方だ。
たしなめる視線をアクアに投げつけると、ぷいっとソッポを向かれてしまった。貴女だって随分と年上なはずなのに、とっても愛らし――じゃなくって子どもっぽいぞ。
「今は山菜がプッシュされているんだっけ? 白ヴィヌムと一緒に堪能しようか」
地上フロアへ向かう途中、テンプスさんはずっと夕飯のメニューを口にしていた。
ちょっとずれた眼鏡もそのままに、軽くスキップまでしているテンプスさんが妙に可愛くて笑い声が漏れてしまった。
――この男、やっぱりうさんくさいわね――
図書館を出た瞬間、アクアが失礼なことを言い出した。確かに、そんな雰囲気はある人だけど。それにしたって、いきなりどうしたのだろう。
私の横にぴったりとすり寄ったまま、アクアは独り言のように続ける。
――だって、あれは音魔術。言葉自体には意味なく、詠唱の音が魔術を発動する術。この男、メニューを並べているふりをして、地下フロアを出る直前からずっと自分の魔力痕跡を消しながら戻っていたもの――
アクアの言葉の意味を考え始めるより早く、夕焼けを背に微笑むテンプスさんに手を引っ張られてしまった。




