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アクアが生きていた時代があいまいなんだもんなぁ。

「うーん、全然見つからないなぁ。ねぇアク――」


 声に出しかけた名前。慌てて口を覆い周囲を窺う。静寂の中では、吐息ほどのひとりごとも反響してしまう。

 幸い、地下の歴史書コーナーには相変わらず()()()しかいないようだ。


「最近トルテにもひとりごとが増えたって言われるしなぁ。注意しないと」


 手に取った本を顔に寄せると、古書独特の匂いがした。ちょっとかび臭い、でも深い紙の薫り。実家の書庫を思い出す。

 いやいや。ほわっとなっている場合じゃない。これ結構、危ないのだ。


――そんなに気を張らなくても、わたしがちゃんと警告してあげるわよ――


 とはアクアだ。

 しかし、ここしばらくで私は充分経験してしまっている。彼女が警告を発するのはあくまでも内容にであり、私がアクアに話しかける不審具合じゃないと。

 まだ自宅や魔術騎士団内なら良い。まぁ後者はあまりよろしくないが、ヴィッテ花祭り準備で疲れている説やもとから変人説があるので誤魔化しようがあるのだ。


「はいはい、お気遣いは痛み入ります。でも自立のために私自身が気をつけなきゃなの」


 物は言いようだ。それでもアクアが納得するには十分だったようだ。


――まぁね。わたしがいつでも覚醒できているって確証も怪しいから、そーいう心持ちも大事よね――


 腕を組んでふんと鼻を鳴らしたアクアは、故郷でのメミニ姉弟のやり取りを思い出す。長女の謎の自信ってやつだと、メミニと弟君がぼやいていた。

 そもそも、私がここに通っている理由はアクアにある。


 アクアが実体化してから色々話した。

 生前の記憶が曖昧なアクアにも、幾分か明確な部分があるらしい。その中のひとつは、アクアはどこかの国のお姫様だったとのこと。大戦の戦利品として赤ん坊の頃にフィオーレに連れ帰られ、王の将来の妾として生きていたらしい。そして、大好きな人――飴色の王子様ことシレオ様の前世というか以前の魂を好きになったが、悲恋の運命をたどり、私の少し上くらいの歳に亡くなった。

 そんな大枠は覚えているみたいだけど、自分自身を含め詳細はもやがかかったままだと零した。


 という訳で、アクアが亡くなった後に、彼女が大好きだった彼がたどった道とアクア自身について調べてくれとお願いされて図書館通いをしているのだ。


――初めてここに入った瞬間、ぴんと来たのよね! これでも生前は魔力が高くて連れ帰られたっていうのもあるのだから!――

「でも、飴色の王子様が()()()()()()だったかは不明なんだよね? だったら歴史書をいくら探してもわからない可能性もあるし、王子じゃなかったらもっと難しいよ」


 思わず机に突っ伏してしまう。あぁひんやりとして気持ちがいい。疲れがとれる、気がするよ。眼精疲労とは他になんだか気になることもあるし。

 アクアは私にしか見えないはずなのに、アストラ様とオクリース様に王立図書館の立ち入り制限区域への許可証発行をおねだりした際、お二人がしきりに私の後ろを気にしていたのだ。

 その場では、可愛らしく両手を握っておねだりポーズをしているアクアの気配を感じたのかもしれない、と言い聞かせ。

 まぁね! 正直言って、自分と同じ顔をしているので可愛いとか表現するのも憚られるが、そもそも纏う雰囲気が違うので許して欲しい。私としてはあくまでも双子もしくは瓜二つの親戚の認識だ。


「そもそもさぁ。アクアが生きていた時代があいまいなんだもんなぁ。フィオーレって大国かつ歴史が長くてめげそうだよ」


 立ち上がってもなお高くて高い視線の先にある本たち。窓もない円形の部屋で本棚に囲まれていると、ちょっと気がめいってしまう。

 ためいき交じりに棚から抜き出した本の束を机に下ろす。多少、音が鳴ってしまったのは許して欲しい。なんせ一冊が分厚くて重いのだ。


――うーん。わたしが生きていた時代背景について覚えてることって言ったら、身の回りについてくらいだものねぇ――


 苦戦している要因のひとつはそれなのだ。

 アクアの記憶自体がぼんやりしているとはいえ、ある程度は家具や建築様式、それに食文化を頼りに、図鑑などを参考にして絞れた。

 が、大変なのはそこからだ。なんせフィオーレの歴史の中でもかなり長く栄えた文化時代だったのだ。よりにもよって、などと落胆してはアクアに失礼なのだろうな。


「めったに人が入ってこない区域だから、じっくり調べられるのはありがたいけれど。アクアがフィオーレにいた頃から、歴史スペースって閑散としていたの? っていうか、ここってあったの?」


 見上げた先にいるのは、真剣な顔で本棚に整然と並べられている背表紙を眺めているアクアだった。

 物質を手には取れなくても、所狭しと並んでいる本の背表紙を熱心に眺める横顔は綺麗だ。


「ねぇ、アクアってば」

――んー、どうかしら。少なくとも、図書館はあった気がするし、ここのひとつ前の近代史のフロアよりは魔力の出入りも少ない感じがするわね。貴重な資料はさらに奥深くにあるのかも――

「確かに魔力っていうか人の出入りが少ないのは気になるね。フィオーレほど大国なら歴史も研究しがいがありそうなのに」

――えぇ、本当に。王立図書館のこの空間にあえて近づかないように、嫌な魔力が仕掛けられている気配は感じるわ。変な隠し方ね――


 すとんと落ちた低い声がやけに響いた。ついでを言うと、鋭く光った彼女の瞳の色も冷や汗を誘った。

 ある程度の身分があれば出入りできる部屋にわざわざ? ここでしか得られない情報を避けるように仕組まれているということだろうか。『木を隠すなら森の中』なんて言葉がある通り、いかにも重要ですという保管庫より誰かからの目を欺いてるってこと?


「なーんて考えすぎか」


 同意を求めるようにアクアを見上げるものの、目があった彼女に「敏いヴィッテは嫌いじゃないわ」と微笑まれた。

 こっこれはオクリース様の微笑みと一緒で、突っ込んで聞いちゃいけないやつだ!


――その一角を読み解ければいいのだけれど。ダミーの魔力も多くてどうにも解読できないの。あそこ、どうにも気になるのだけども、術式に新旧が混ざりあってて気持ち悪いのよ。長くは視ていられない――


 アクアが興味を持っているということは、彼女が生きていた時代の一角なのだろうか。

 ということはつまり、アクアが知りたい情報を保存する必要はあっても、限られた人間とはいえ公開どころかできるだけ自然に隠蔽したいもの?


「大人の事情ってやつかな。いや、いくらなんでも私の考えすぎだろう」


 大きく頭を振る。視界の端に、卓上にある懐中時計が入り込んできた。


「今日は随分と長い間、閉じこもっちゃってたみたいだね。」


 地下なので外の様子はわからないが、机に置いたピンクゴールドの懐中時計は夕方過ぎを示している。時計版はアストラ様の髪と同じ薄紫色をしている。


――……ヴィッテ、随分とだらしない顔をしているわ。大型犬団長を思い出して浸っているのかしら? えぇっと、お日様笑顔だったかしら?――

「へっ⁉ はっ鼻の下はいつも通りの長さだもん! それにアストラ様の笑顔が素敵なのは周知の事実なんだからっ。アクアだって、シレオ様を飴色の王子様って呼んだりしてさ! 私のお日様笑顔と同じじゃん!」


 つい大声が出てしまった。それに羞恥と呆れを浮かべたのは他のだれでもなく私だった。

 わっ私、ムキになり過ぎだろっ!

 蹲って唸っても、突っ込む人は皆無。耳から煙が出そう。


――はぁ。あんな愉快なヘタレ坊ちゃんのどこが良いのだか。落ち着きがあるっていう以前に、少年のままみたい。せめてオクリース少年にしておきなさいよ――

「アストラ様は――たっ確かに愉快でよくオクリース様に駄目だしされているけど。落ち着きも――ある時はあるんだから! 緩急がついてるの! あと、オクリース様にはフォルマがお似合いなんだから、変なこと言わないで」

――ヴィッテって、大型犬団長に限ってフォローが下手よね。気に食わない。いつも、いつも――


 うぐっ。それはいくぶんか自覚がある。フォルマからは『それだけアストラ様をよくみているのね』と微笑まれ、トルテには『なんかいうのは野暮だよねぇ』と微妙な視線を向けられる始末。

 駄目だ。両側に親友二人の幻覚が見えてくるよ。


「ともかく。利用時間は終わりだから、帰らなきゃ」


 懐中時計を手に取る。見た目より軽量で私の掌にフィットする大きさ。

 フィオーレ滞在一ヶ月記念にアストラ様がくださったものだ。なんでもウィオラケウス家御用達の宝飾店で見繕ってくださったらしい。アストラ様の気持ちはとても嬉しかったし、後見人としての立場からの行動なのも理解している。

 それでも正直言って恐れ多すぎるので、もちろん一度は辞退した。

 でも――でもっ! アストラ様があんまりにも大型犬さながらにしょんぼりするものだから……‼ 『オクリースとフォルマも一緒に選んでくれたのだが』と、見えない耳と尻尾が垂れるから!! っていうか、自覚してしまうとアストラ様と同じ髪色っていうところに色々妄想が膨らんでしまって!


「落ち着け、私。妄想は家でだけにしましょう」


 ぱちんと音を立てて蓋がしまる。同様に、私の瞼も光を遮るように閉じられた。あたたかい気持ちはじんわりと残ったまま。


「みんなの気持ちがすごく幸せだ。こんなに幸せで良いのかなぁ。花祭りが終わったら、魔術騎士団を辞めようとしているのに」

――罪悪感というやつかしら? まぁわたしはヴィッテが幸せならいいの。むしろ、飴色の王子様の件は……わたしからは止めてと言えない。契られてしまったから、止められない。だから、せめてもの……――


 アクアは珍しく儚げに笑った。すごく奇妙だ。自分と同じ顔が、自分を見つめて泣きそうになっているなんて。

 契り、という単語が脳内で反芻される。いつかの夢でも同じような音を聞いた気がする。


「ちゃんと調べるって。だから、いつもみたいに笑ってよ。私って好奇心は旺盛だから、最後まで付き合うから」


 アクアの手が、額をぽんぽんと撫でてくる。体温は感じないけれど、魔力の粒子が額で跳ねているような不思議な感覚だ。オクリース様の訓練を受けている時と同じ。

 それに、母様と思い出した。なぜか――サスラ姉様のことも。


――ヴィッテが私のために動いてくれるのは嬉しいけれど、あんまり根を詰めないようにね?――


 そうは言いつつ、アクアはにこにことしたままだ。あまりに可愛い笑顔だったので、妙に照れくさくなって無意味に手元のノートにペンを走らせてしまう。ポンとペン先を叩きつけて、本日の記録は完了。

 肩掛け鞄に文具を詰め込む。


「もとはといえば、アクアが一刻も早く自分の記録を知りたいって言ったんだからね」

――前にフィオーレに来た時はヴィッテってば子どもだったから、お願いしても一人で王立図書館には来れなかったし。少年たちにお願いする手もあったけれど、ヴィッテの口から頼んだら変に思われるだろうしって。今は逆に頼むのがしゃくなのよねぇ、どうしてか――


 どくんと心臓が跳ねった。

 それをずっと聞きたかったのだ。夢に見ただけでいまだに自分の記憶という実感は薄いのだ。アストラ様にオクリース様、それにシレオ様に幼い自分が出会っていたなんて。ご本人たちは忘れているみたいだし、忘れていることを直接聞くのはちょっとっていうかだいぶ傷つく。


「私、ずっと聞きたかったの。アス――」

――まさか、ここまで自分の記録が残っていないって考えてなかった――


 膝を抱えて浮かぶアクアから、ひどく寂しそうな音が落ちたものだから。自分のことを詰め寄ってまで聞けなくなってしまった。

 引きかけたドアノブの手が固まった。


――わたし、王の妾になるために戦利品で連れてこられて、割と重要なポジションにいた覚えがあるの。それはヴィッテにも話したわよね――


 あまりに静かに呟くものだから、私は言葉を発せずに頷いた。あまりに強張って、歯軋りが鳴る。

 アクアはぼんやりと宙を見たまま続ける。


――今日、少し思い出したの――


 詰まった声に堪らずアクアの手を握る。もちろん掴めはしないけど。

 それでも不思議と何かの感覚はある。冷たくも熱くもぬるくもない。ただ感じるだけの存在。やけに不安を誘うあいまいさ。


――死に際も、暗殺というよりそれこそ悪役として祭り上げられたみたいなの。それならそれでいいの。わたしも、わたしの背景も残るから――

「なら、この状況はあきらかにおかしい」

――そうなのよ。まるで私の存在自体がなかったみたいになっているって、わかる。早く確証を得る年代を特定したい! わたしは何故死んで、だれが……だれが得をしたのか!――


 アクアが叫ぶのと同時、部屋の照明が切り替わった。昼間の太陽から夕焼けの空に移り変わる。閉館を知らせるアナウンスも流れ始めた。

 ぐらりと空間が歪んだ、気がした。途端、吐き気とめまいが襲ってきた。立っていられずに、アクアの片手を握ったまま椅子をひく。


――わたしはもう死んでいるから良いの! それならわたしを疎んでいた人ならともかく、あの人やあの侍女たちだけはわたしについて弁解してくれたんじゃって……ううん、思ってくれていても、王どころか王族を呪い殺した魔女のことを記録残しているわけないもの! わたしは、わたしを大切に思ってくれる人たちをも不幸にしたんだ!! わたしが呪ったんだ!――


 アクアの絶叫が響く。私の手を振りほどいて頭を抱えるアクア。

 地震が起きているように、でも空間がぶれるだけで本は落ちても来ない。

 部屋中の本から魔力がほとばしっているのを感じる! どうしよう! 私は魔力を感知できるようになってばかりで、制御なんてできるはずもない!


「百歩ゆずってアクアが呪いを使えたとしても!」


 吐きそうになりながら、アクアにしがみついた。いつもはこんにゃくみたいな感覚なのに、やけに熱くて体っていう存在が伝わってくる。

 アクアの一部が流れ込んでくる。そう思った。まるで上書きされるみたいに。


「大切な人たちまで不幸にする呪いをかけたりしないでしょ? アクアにひどいことをした人たちは当然だとしても。アクアを庇う記述自体が残ってないにしても、それならそれなりの理由はあるはずだよ。だから、その根拠となる一文だけでも見つけようよ」


 私の言葉は何故か余計にアクアを傷つけてしまったようだ。宥めるつもりで口にした私の言葉にアクアはくしゃりと表情を崩した。泣きたいけど、何か言いたいけど、それをぐっと飲みこむ姿。

 そうして、アクアは顔を覆って「ごめんなさい、ごめんねヴィッテ」と泣いた。


「なんでアクアが謝るの? 魔力の暴走の割に、本も落ちなかったのに」

――ヴィッテにはわからないわ。わかりっこないの。わたしの罪悪感なんて。ごめんなさい――


 いつも感情の理由を口にするアクア。その彼女がただ否定して謝る。

 きっと私が自分よがりな人間だからなのだろう。

 今まで私は、きっとこうやってサスラ姉様や周囲を傷つけてきたのだろう。私は人として大事な何かをどこかに落としてきたのだろう。


「メミニみたいにはっきり言ってくれる子に頼ってるよね。私はこうやって見てみぬ振りをしてきた」


 故郷の親友が怒っているのに、泣いている姿が浮かんだ。

 私、やっぱりおかしい。自虐で後ろ向きなのが私だったのに、『変わりたい』じゃなく『戻ってる』って感じているところが、気持ち悪い。それでも、進む足は勢いをつけてしまい。だから、余計に矛盾に圧し潰されそうになる。


――ヴィッテ、違うの‼ なにを違うって言えないけれど、あぁ、あのね――

「大丈夫。アクアが言いたいこと、今の私ならちゃんと受け止められる」


 まるで自分に言い聞かせるように、囁いた。


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