利用カードをご提示ください
「うーん、良い天気! 夜明け直後の空がきれい!」
――ふぁぁ。休日なのに仕事より早く起きるってどうかしているわ。普通は惰眠をむさぼる物なのでしょう?――
澄んだ空気の中、アクアの欠伸が盛大に響いた。聞こえるのは私だけなんだけど。
というか、幽霊状態なのに欠伸するんだと思ってしまった。幽霊も眠るのか?
「睡眠について突っ込みたいけど。そもそもアクアって世間離れしているところあるのに、変なところで庶民感覚だよね」
――高貴なオーラを纏っているのは否定しないわ。でも、ヴィッテとずっと一緒にいるからかしら。どうにも感覚が平民よりになってしまうのよね――
「私は根っからの庶民だからね。高貴オーラを凌駕するほどの庶民です」
あははっと乾いた笑いを、お向かいのパン屋のパーネさんに目撃されてしまった。
***
今日は休日を利用して、王立図書館へ足を運ぶことにした。
正直いうと、花祭り準備大詰めのタイミングでのんびり休暇をとっている場合ではない。期日に余裕がある書類だって、早めに処理できるなら心の平穏を保てる。
けれど、オクリース様直々の命令なので仕方がない。三日前の訓練場心配事件からやたらと休むように勧められて、どの部門とも打ち合わせがない隙間に入れ込んだのだ。
「休日の早朝って気持ちが良いよね! 魔術騎士団の仕事も好きだけど、大好きな本を読みふけられる時間って贅沢っ」
馬車を降りたのは私一人だったので、思いっきり伸びる。早朝で定例馬車の乗車が少なかったとはいえ、かなり揺れる。それから解放されたお尻が自由を叫ぶ。
とはいえ、お尻の解放感だけではなく、久しぶりの休暇に浮かれているのも本当だ。
「出かけても図書館ぐらいにしなさいって言われたってことは、図書館は良いってことだよね」
誰にする訳でもない言い訳が、早朝の空気に響いた。腹の音じゃなくて良かった。思わず腹を撫でる。うん、朝からきのこのリゾットを三杯食べたせいでかなり膨らんでいるな。減ったんじゃないの、私の食欲よ。
「この時間帯にくるのは初めてだけど、けっこう人がいるんだな」
薄紫色と橙色が入り混じった空の下、まばらながら人の出入りがある王立図書館。主に出入りしているのは、研究所のマントを羽織った研究者とか各団の制服を身に纏っている人だ。
さすがにこの時間には図書館友だちの姿は見えない。
――ヴィッテ、さっきから元気な独り言が怪しいわよ?――
「とか言いながら、アクアってば話しかけてくるし。元気な独り言より、アクアに反応する姿がやばいよね」
――あら。わたしは何度も心内というか思念で会話できるって言っているわよね? それを拒否するのはヴィッテだもの――
ふんと鼻を鳴らしたアクアに、唇を尖らせる。
だって、私しか認識できない存在と心の中でだけ会話したら、もうそれは最後だと思うのだ。言葉にして、音で返ってくるというのは割と大事な反応だと思う。
「ねぇ、本当に私にしか見えていないんだよね? アストラ様が時折アクアが浮いている空間を眺めていらっしゃる気がするのは、私の思い込みかなぁ」
魔術で言うならオクリース様の方が反応を見せそうなのだが、不思議とアストラ様がうっすらとアクアに反応しているっぽいのだ。オクリース様には『猫のように何もない空間を見つめないでください』って言われて、フォルマが吹いているけど。
――この建物、なにか感じるモノがあるのよねぇ。出来てから新しいから、わたしの年代と被っていないはずなのに。えっと、年代っていうのは記憶にないけど、記憶がない時にさかのぼってというか――
視線の先にいるアクアは、素知らぬ顔で建物をじっと眺めている。
王立図書館の外観は、まるでお城のように荘厳だ。石階段の手前には両側に二頭のグリュプスが凛と控えている。少し古さを感じる石造りとは異なり、内装はかなり綺麗なんだよね。
「うぅ。いつ来ても謎の圧迫感を感じる」
前よりも強くなっているあたり、圧迫感の正体は魔力なのだろう。オクリース様の訓練とアクアの実態化以来、私の魔力が強まっているせい。とは、アクア談だ。魔力がないと思っていたのになぁ。
「怯えていてもどうにもならないもんね。いざ!」
意を決し、床を鳴らす。床は白い大理石を基調としていて、黒い大理石が魔法陣の文様のようにはめ込まれている。
まだ本棚のあるフロアではないにも関わらず、漂う紙独特の香り。冷却魔法で最適な保存環境を整えているため長袖でも少し肌寒さを感じ、腕をさすってしまう。
「おはようございます。入館許可をください」
「では、利用カードをご提示ください」
正面入り口から入ってすぐにある濃い茶色の木造りの受付台。その前に立つと、座っている女性が淡々と口を開いた。
何度来てもこの徹底した事務的な態度には慣れない。必要以上にあたふたとして、カードを手渡してしまう。
「よろしくお願いいたします。今日の利用フロアは――」
「ただいま受付処理を行っております。しばらく、そのままでお待ちください」
「おっお邪魔しました!」
赤縁メガネをかけた切れ目の女性は感情を浮かべることはない。凛と伸びた姿勢のまま、手元の魔術板にカードを当てている。あの薄いカードの中に個人情報が入っているなんて、魔術最先端国の技術はすごい。魔術結晶石がなせる技らしい。
ややあって、女性――マースさんが伺うような目を向けてきたので、思わず一歩後ずさってしまった。
「認証が終わりました。本日は一般公開のフロアを利用されますか? それとも――」
アストラ様とオクリース様の学院時代の先輩だという彼女が見せた、初めての感情。お二人が私を案内してくださった際にも事務的な対応をしていた。
ちなみに、経緯を説明すると。アクアが実体化してから、生前の記憶がないアクアのために可能ならばフィオーレの古い資料を読みたいとアストラ様たちにお願いしたのだ。アクアいわく、フィオーレはどこか懐かしい感覚がするということだったので。
あの時のアストラ様の輝きっぷりったらなかった。一応、珍しくアストラ様やオクリース様のあがりと一緒になった時だったのだが。『ヴィッテからの滅多にないおねだりだから絶対に叶えてあげるぞ!』と、馬車に押し込まれて閉館間際の図書館におしかけたのだ。私、日ごろからご飯食べに来てくださいとか、仕事してくださいとか割とお願いごとは多いと思ったのだが、フォルマ情報によるとそれは我がままに入らないらしい。
ともあれ。同行してくれていたフォルマが、その時の私は一人だけ死んだ魚の目をしていたのが際立っていたと教えてくれた。マースさんが哀れみや軽蔑を含め、一切の感情を浮かべていなかったというのが唯一の救いだった。
そんな彼女から投げつけられた値踏みする視線に、動機が早まっていく。
頭上のシャンデリア調の魔法灯が、今だけは不気味な雰囲気を醸し出している気がした。
「はっはい。前回と同じく、地下の立ち入り限定フロアを利用できればと思います」
「そうですか……勉強熱心なのはよろしいかと思います。あのフロアはフィオーレの様々な視点からの歴史資料や他国の古文書などもありますから」
マースさんが珍しく話しかけてくださったので、大きく頷いていた。驚きで咄嗟に言葉は出なかったので。
家具オタクとしては単純にその資料を読みふけってしまった日もありました。物流書籍を読んでいる日に限って閉館時間の音楽に気が付かず、職員さんに肩を叩かれる日があるのは反省事項だ。
「一般フロア以外の利用履歴は、すべて魔術騎士団や王宮の監査部門に転送されているのをお忘れなく。特に歴史に関する書物に関してはタイトルまで」
厳しい口調でかけられた注意。
移民があんまり不審な動きをするんじゃないぞっていうのと、私みたいな一般人が閲覧を限定されているフロアに頻繁に出入りするなんて調子に乗るなよーという意味だろうか。
いや、さすがに私の被害妄想だろう。
「教えていただきありがとうございます。自戒いたします」
嫌味ではなく、的外れにも嬉しいと思って出た言葉だった。
――ここで被害妄想だと理解できるようになったのは良いことなのだけれど。彼女がアストラ少年たち側に立っての意見なのが気に食わないわね――
アクアってば、何を拗ねているんだか。そして、相変わらずアストラ様やオクリース様を少年呼ばわりって……。
呆れながらも、正直なところ自分でも驚いているので言葉には出来ない。マースさんがいらっしゃるのもあるけれど。
以前の私なら絶対に狭い視野で『私が移民のせいで』とか『魔術騎士団の威光を自分の物だと勘違いして調子に乗っていたのかな』と自分寄りの思い込みをしていただろう。後者は今でも勘違いするなとは言い聞かせているけど、なんというか、感情の主軸が変わったって言うか。
「心外です。わたくしはただ事実を述べただけですから」
心内でうんうん唸っていると、マースさんが利用カードを差し出していた。
「はい。勝手ながら、それが嬉しかったので。気に障ったのならすみません」
お偉い方から目をつけられる魔術騎士団だが、自分が大切に思う人を案じる人がいてくれるのは嬉しい。
深々と下げた頭をあげると、前には苦虫をつぶしたような顔をしたマースさんがいた。この方、案外わかりやすい方なのかもしれない。
「……ここは図書館。いくつもの事実が存在する場所ですから。どう受け取るかは読み手の自由ですわ」
マースさんは淡々と声を流した。
一番恐ろしいのは、表で良い顔をして裏で動く人だ。マースさんのように面と向かって注意してくれる人は、まだ怖くない。魔術騎士団で働くようになって、特にそう考えるようになった。
まぁ、それも程度の問題だから、もちろん、胸にぐさっとくるのには変わりないけれどね!
「はい。では、本日も利用させていただきます。いつも受付のご対応をいただき、ありがとうございます」
マースさんはふいと視線を逸らした。そして、再び私と目を合わせることはなかった。
高い天井めがけてそびえ立つ本棚の中、私は重々しい扉に手を添えた。




