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あたしが心配してんのは、ヴィッテのことだよ!

 早朝訓練にもだいぶ慣れてきた朝、ちょっとした変化があった。


「ここにくると不思議な安らぎを感じるようになったなぁ」


 だだっぴろい訓練場。なけなしの魔力が高まっている今の私には、ここには最上位の防御魔術が欠けられているのがわかるようになった。

 薄いガラスで仕切られているスペースは、地火風水空草血等々の魔術陣が整然と敷かれている。魔術の種類によって分けられているのだ。


「最初の頃こそ、ちょっとそわそわしたんだけど。魔力がすごく弱いが故の違和感だったのかな」

―ヴィッテの魔力が微弱なんてあり得ないわよ。まぁ、抑え込まれているから外からは見たら、そう感知されるのかもね―


 アクアは口の中だけで呟いたつもりだったのだろう。でも、早朝の静かな空間ではハッキリと耳に届いた。

 どういう意味だろう。問いかけようとしたところで、


「いやはや、オクリース様ってばどんぴしゃじゃん! ってか、当たり前か。ヴィッテってば、いつも指定時間の三十分には来てるらしいからさぁ」


急にかけられた声にびくりと体が跳ねた。

 心臓を押え振り返った先にいたのは、大きなあくびをしているトルテだった。トルテは魔術騎士団の食堂で働く女の子で、入団してからフォルマと一緒に仲良くしてくれている。

 戸惑う私をよそに、どしどしと訓練所に踏み込んできた。


「はーいはい、ここいらのベンチでいいかな。ヴィッテ、ほらこれ並べてよ」

「トルテ、こんな時間にどうしたの?」

「話ながらでも良いけど、広げて広げて」


 半目のトルテに手渡されたのは、ずしりとしたお弁当箱だった。蓋を開けると、ふわりと香った卵の甘い香り。ほわっと癒されていると、トルテに「はい、手を動かす」とせっつかれてしまった。

 とろっと半熟スクランブルエッグとハムチーズのホットサンドに、赤々としたいちごを包んだ生クリームを惜しみなくはみ出しているサンドイッチ。一口サイズのそれらを紙皿の上に並べる。青みはオリーブ。

 「じゃあ次」と押し付けられたあたたかい水筒には、キノコのスープが入っていた。コップに注ぐと、シイタケの優しい香りが広がっていった。寒い空気に白い湯気が立ち昇る。


「トルテってば、急にどうしたの? 差し入れは大歓迎だけど」


 優しい香りに詰まる喉をなんとか動かして問えば、トルテは不機嫌な顔で私の眉間を突いた。

 なおも私が戸惑っていると、ほんの少し表情を和らげたトルテ。


「どうして、じゃないでしょうに」

「もしかして……。さっきも名前が出てたけど、オクリース様が心配してくださったの? 遅刻ギリギリでお腹を盛大に鳴らしたのはおとといの一回だけで、それ以外はちゃんと三十分前到着で朝食もばっちり食べてるのに。うぅ、忘れて欲しい」


 遅刻しそうだと慌てたあの日に、訓練場で響き渡った盛大な腹音。もはや爆音と称しても良いだろう。どちらにしろ、思い出しても恥ずかしさ満載だ。

 しかも他の騎士様も私の訓練の噂を聞いて覗きに来ていたものだから、昼食の時に食堂でしこたまお裾分けを頂いてしまった次第で……。


 言い訳をすると。その日の日替わりメニューが、よりによって大好物のコーンクリームコロッケと赤肉のステーキ丼だったものから、私もお断りを一瞬躊躇ちゅうちょしてしまったのが良くなかった……。『このは決して卑しさからのモノではなく、純粋な職への探求によるものでして! 今日の私はキノコ尽くしグラタンを選んだので!』と必死で言い訳したものの、隣席のフォルマまで女神の微笑みでお裾分けウェルカムまでする始末だった。


 翌日の休日、バイト先のアクティさんにまで噂が広まっていたようで『うちの給与上げられたら良いんだけどねぇ。居酒屋の方にも入るかい? アストラには絶対ばれないように』などと、生活苦というか食いしん坊食費足りない説で心配されてしまった。


「ヴィッテが食いしん坊なんて、もう周知の事実なんだから今更でしょ」

「おっしゃるとおりで。だけども、食費が足りてないほどと思われているなんて、もう自分で狩りでもして自活必須レベルだよね」


 がくんと項垂れるくらいは許して欲しい。


「あははっ! 確かにっ! 良いじゃん、今度オクリース様とフォルマに連れて行ってもらえば? アストラ様は貴族にしては珍しく狩りをしないし」


 トルテは爆笑しながら、ホットサンドを二つ口に突っ込んできた。

 おぉ! 「ぶふぉっ」とか声が出ちゃったけど、感動に打ち震える! 見た目通り、半熟な卵とかりっとしたハム、それに香ばしいチーズが織りなすハーモニーときたらっ!

 感動に打ち震えて、甘いクリームの誘惑をしてくるフルーツサンドにも手が伸びる。甘さ控え目の生クリームにちょっと酸っぱめの苺がまた良い相棒って感じ!


「ヴィッテさぁ」


 冷えた身体をちょっと熱い位のスープが喉元を過ぎ、胃からあたためてくれた。そんなタイミングでトルテが息を吐いた。

 声色が硬かったので、私も居住まいを正す。ホットサンドは持ったまま。


「司令官室で倒れた時、フィオーレ人と違って無意識で魔力が制御できていない影響だって言われたんでしょ? それ以来、ちゃんと仕事はしたいってからっていつもと変わらない仕事量をこなして、なおかつ魔力制御のためにオクリース様に魔術訓練前に稽古受けてるじゃん?」

「うっうん。あ、そうか。それが、オクリース様に負担をかけているのはわかっているつもりだったけど、当然、みんなもオクリース様のこと心配だよね」


 うかつだった。仕事中に倒れないのを条件に魔術指南を引き受けて下さったオクリース様。彼だけに負担をかけることになるとは思ってはいないけれど。想像以上に、周りに気を遣わせてしまっていたのか。

 トルテがオクリース様を心配して、朝食を準備するのも当然だ。


「訓練場でないと魔術は使えないけど、水晶を使った制御訓練は家でも出来るだろうから。早く来るのは止めるようにする」


 というのも、私が早く来て自主練をしているところを、オクリース様も影から見ているのには薄々と気が付いていた。なのに、自分を優先して見てみぬ振りをしてきたから。


「あぁーもう‼ 違うっしょ! あたしが心配してんのは、ヴィッテのことだよ!」

「へっ? 私? なんで?」


 本気できょとんと瞬いてしまう。

 ってっ! 思いっきり頭を叩かれた! いいっ痛い!! 先日のネムス様の鉄拳と比較にならないくらい痛いよ!


「ヴィッテってば、例の腹鳴り事件以外の日は、お昼も夜も食堂に来なかったでしょーに!」

「それは花祭りの準備で忙しくって。食べるってのは、ちゃんとしてたよ?」

「そのちゃんとって食事が、執務室で一個のパン飲み込んでいるって話なの知ってるっての。パーネさんのパンがいくら美味しいっていっても、朝もろくに食べず昼もろくにとらないなんて、食いしん坊の名が廃れるでしょーに」


 言い訳するより早く、口に苦っってか辛っってか! なんかすごいものを突っ込まれた! これ! パーネさんの新作の没薬草パンっ――‼ 

 白目をむきながらも吐き出すわけにもいかないので、なんとか咀嚼する。でも、すごい、渋みと絡みの二刀流が喉どころか胃を切り裂きにかかる。


「うっ、げほっ、ほうほう」

「ほうほうじゃないっての」


 トルテの心配はありがたい。

 でも、腹鳴り事件以外は割と食欲は落ち着いているのだ。アクアが実体化した頃からだろうか。相変わらず食べることも飲むのも大好きだが、以前ほどの食欲はなくなっている。アクアいわく、実体化出来ている彼女が空気中に漂う魔力を吸い込んでいるかららしい。つまりは、これまでの私は二人分の栄養を摂取していたわけだ。


「こっこれは、これで、健康に良さそうで、苦く辛くも最後は甘さがきて美味しいかも?」

「美味しいかも、じゃないよ! 近頃、ヴィッテってば様子が変だよ」


 トルテの言葉で、折角口直しに頬ぼったフルーツサンドが喉を滑ってしまった。

 盛大にむせる背中をさすってくれるトルテを見上げれば……やけに潤っていた。

 私には理由がわかる。というか、アクアが教えてくれる。


――ヴィッテに足りないのは自己肯定感よ。それが失せてしまっている理由も、私は知っているからバカな子ねと怒れないのだけれど――


 けれど、その言葉の奥と向き合うことは出来ない。無意識でしたくない。そうした時に傷つくのは、私じゃなくてアクアの方だと、なぜか思うから。

 小さく笑い返せば、トルテは耳まで真っ赤に染めた。


「ほら! なんか変に悟っているっていうか、色んな事に前向きっていうか! 別にヴィッテに後ろ向きでいて欲しいわけじゃないけど、違和感があるんだよ。前よりも距離を感じるっていうか」


 きっぱりと言ってくれる友人に、やっぱり私は笑ってしまう。嬉しくて、悲しくて、それでも幸せで。


「最近、小さい頃の夢を見るせいかもしれない。私が一番素直でいられた時期の夢。あったのかもなかったかも不明な、幸せな夢なんだ」


 小さく呟けば、興奮していたトルテも腰を下ろしてくれた。冷たい空気の中、私とトルテの息遣いだけがやけに大きく響いている気がした。いや、訓練場の入り口の向こうで姿を隠している存在も感じる。

 魔力が高まっている私には、その人たちの気配がわかってしまった。


「夢?」

「うん、夢。だから、いいの。今の私は、今が大事だから。変わっていってるって不安に思わせているなら、ごめんね。私、ちゃんと前向きになりたいって思ったのだけど、それがトルテ――たちに心配をかけていたなら、本末転倒だったね」


 投げやりに聞こえただろうかと、少し不安にはなった。

 それでも、自分としては『皆が望むヴィッテでいる』なんて嫌味も良いところな言葉は呑み込めたのだ。


――変わるなんて言葉は間違っているわ。だって、本当のヴィッテに『戻っている』のだから――


 私が知らない私と過ごしたというアクア。

 アクアが知っているなら、当然家族や故郷の人とも接しているはずだ。それでも、昔の私なんて証明しようがない。なら、当の本人である私が『このままでいよう』と決めた判断が誤っているなんて言えない。


「大丈夫だよ。私は私でいるから」

「何をあほうなことを言っているのです」


 振り返った先にあるお姿に背筋が凍った。自分が間違ってないと思ったすぐ傍から、思考回路ごと後悔するような圧っ!


「もう一度、音にしておきましょうか。何を、あほうなことを言っているのです」

「オクリース兄様のおっしゃる通りね。ヴィッテは察しが良いのに、自分に関しては愚鈍ですわ」

「ひぇっ」


 オクリース様とフォルマのここまで苛ついた声色を聞いたのは初めてだ!

 さらに、私に一直線に向かってくる二人の姿はさらに予想外だった。隠れていらっしゃるのはアクアが耳打ちしてきていたから気が付いていたけれど、なっなんで怒っていらっしゃるのかな?

 そうなのだ。明らかに怒っていらっしゃる。フォルマはともかく、ここまであからさまに怒っていらっしゃるオクリース様を見たことがあるだろうか。


「トルテ、朝食の準備まで頼んでしまいすみませんでした。あとは、私たちが対応します」

「問題ありません。天下の魔術騎士団の参謀長に貸し一つですから、むしろ役得! 聞いて言い限りの報告はそっちのフォルマから聞くので!」


 トルテは相変わらず軽い口調で去っていった。

 私が出来たことと言えば、最後の一切れのフルーツサンドを口に含むことだけだった。


 もちろん、突っ込み体質のオクリース様に、


「この状況でも完食するのはさすがですね。幸福度もあがったところで、真面目な話をしましょうか」


と微笑まれて冷や汗を掻くのまでがセットだ。フォルマに至っては無言のお嬢様スマイルで青筋を立てている。国宝級の美貌からかけられる圧で、この二人が血縁なのを実感した。

 どうやら、人払いの魔術結界が発動している本日は訓練どころではないらしい。


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