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水色リボンとパステルカラーの花畑―夢回想―

 ふと瞼をあげると、私は小さな花畑の中にいた。何故かすぐに夢なのだとわかった。

 あたたかい風が髪を掬う。あまりに眩しい太陽に視界が細くなる。それでも、瞼越しに感じる強い光。

 地平線まで広がっている花畑は、やけに幻想的だ。七色の光が溢れているあたり、改めて夢なのだと実感した。

 なのに、甘い花の香りも日差しのぬくもりもやけにリアルなのだ。優しくて甘くて――どうしてか、泣きたくなる。


「えー!! ほんとのほんと?!」


 穏やかな空気に不似合いな声が聞こえ、俯きかけていた顔があがった。

 振り向くと、視線の先にいたのは少女だった。小さな体を包み込むような長くてふわりとした髪。幼い私だ。左の耳横で結ばれた水色のリボンが、ひらひらと風に踊っていて綺麗だ。パステルカラーの花びらが舞う花畑の中でも、はっきりとわかる水色。


「あっ! おねえさん、ちょっとまってね! おにいちゃんにもらったリボンが、ほどけちゃう!」


 幼い私は、大慌てで小さな手でリボンをおさえた。今の私からしたら、大げさだなんて呆れてしまうほどだ。いくらお気に入りでも、なんて苦笑がもれた。

 けれど、幼い私の傍でぷかぷかと浮いているお姉さんは、柔らかい笑みを浮かべた。そうして、そっと、小さな手に掌を重ねた。幼い私は照れくさそうに「へへっ」と笑いを零す。


「なにこれ、気持ち悪い。ずくんずくって、心臓からどろどろしたものが流れているみたい。いやだ。わからない」


 そう呟いたのは、今の私。目の前の光景が異常だと思えた。怖いと、鳥肌がたった。青い草の香りと甘い甘い花の香が絡む中、私の心だけがざわついている。


「そうだっ! お話のつづきだよね。えーと。ヴィッテがだれかを好きになっちゃだめって話だ。うそだよね?」


 がつんと頭横を殴られたような衝撃。

 どういうことだ? 確かに、少し前の私なら――全部大事なものを捨ててきた私なら、お姉さんが見えていてもおかしくはない。逆に、最近また大切な人たちが出来たタイミングでお姉さんが見えるようになったのだ。額面通り受け取るなら、幼い私が言う通り『嘘』としか思えない。


「あのね、ヴィッテ。嘘ではないの」

「どーしよう!! おねえさんは、ヴィッテがだれかを好きー! っておもったら、消えちゃうの? たいへん! ヴィッテ、とう様もかあ様も、ねぇ様も大好きだもん! あ、おねえさんも!」


 勢いよく立ち上がった幼い私。淡い色の花弁が舞う。光っているようにさえ思える花に混ざって動いたのは……花精霊だろうか。

 って、いや。私、花精霊なんてみたことない。なのに、どうして、今、はっきりと認識したのか。


「大丈夫よ。私が消えてしまうのは『特別な大好き』なの。例えば、ヴィッテのお母様がお父様を好きっていう特別」

「なーんだ、よかったぁ。あっ、ごめんねみんな! おどろかせちゃったね! でもでも、わたし、おねえさんがきえるのいやで、びっくりしちゃって!」


 花精霊に謝る幼い私と、その鼻先でむくれている少年のような精霊と、その彼をなだめる老人精霊。

 見慣れないはずの光景目の当たりにしても、もう違和感は抱かなかった。


「そうだ……そうだった。私はみえていた」


 幼い私は確かに花精霊の存在を認識していたのだ。

 少し離れた場所でぷかぷかと浮いているお姉さんは、至極おかしそうに鈴のような笑い声を零した。


「なんでわらうの?」


 幼い私がぷくりと頬を膨らませた。横にいる花精霊も真似ていて可愛い。お姉さんは浮いたまま、腹を抱えて笑い続ける。

 その声があまりにも楽しげだったから、幼い私と花精霊は顔を見合わせたあと、一緒に笑い始めてしまった。


「ごめんなさい。でも、嬉しくて」

「うれしいの?」


 笑い声を止め、思い切り首を傾げたのは幼い私。頭にのせていた花冠が、ぱさりと音をたてて落ちた。

 お姉さんがすっと地面に近づいて花冠に手を伸ばすけれど、半透 明な指先がそれを掴むことはなかった。

 一瞬だけ。ほんの一呼吸だけ、お姉さんの表情が前髪に隠れる。それでも、今の私が近づくために一歩踏み出した頃には、微笑みを浮かべていた。


「私は消されるために、フィオーレに来たから。会いたかった人にも会えず、もう大事なヴィッテとも一緒にいられない。あとちょっとでお別れだもの」


 全身が震えた。喉が詰まって、ひゅって呼吸が止まる。私はわかっているはずなのに、心臓がどくどくと気持ち悪く跳ねる。

 記憶の糸をたぐれば思い出せるって頭では理解しているのに、心が拒絶する。私は、思い出したくない。あの時を。


「えっえっ!? まって! ヴィッテはおねえさんとお別れするために、フィオーレにきちゃったの? とう様も、かあ様も、おじさまたちもみんな、どうしてヴィッテには内緒でおねえさんを消しちゃうの? おかしいよ。おねえさんは、大好きな人と会いたいだけなのに」


 淡い若草色のワンピースの裾を躍らせ、幼い私は立ち上がった。目にはいっぱいの涙を湛えている。

 昔の自分はこんなにも表情豊かだったのか。我ながら変に感心してしまった。今の私は大切な人の傍にいたいとも、大切だともいえない頑固な人間だから。


「ありがとう、ヴィッテ。でもね、私、会いたかった人を見つけることはできたの。会話はできないし触れられないけれど……大好きだったって伝えられないけれどね。会うことはできた」


 お姉さんが、ぎゅっと自分の胸元を掴んだ。涙目の彼女の頬はわずかに蒸気している。幼い私は、不可解だと眉間に皺を寄せた。

 でも、今の私にはわかる。お姉さんが恋している気持ちが。叶わない恋をしてしまった状況を。

 だからこそ、余計に胸が痛い。お姉さんは想いを叶えることができないとわかっていても、幸せな表情を浮かべていることが多かった、と思う。


「だめだよ! ヴィッテはわからないよ。なんでおねえさんが消えないといけないの? 悪い子じゃないのに。大好きな人を見つけられたのに、なんで、大好きって言えないの? ずっとヴィッテと一緒じゃだめなのはなんでさ!」

「私の魔力は強すぎるの。それより魔力が強いヴィッテとこれ以上一緒にいれば、魔力が混ざり合って、反発して、いつかあなたを壊してしまう。皆はソレを危惧しているの。特にあなたの姉は、ずっと前から私を憎んでさえいる」


 おかしい。魔力が強いどころか、今の私には魔力自体がまったくない。

 これが正しい記憶ならば、いつ消えてしまったのだろう。この話の流れでいうなら、お姉さんが消されてしまった際、一緒に消えてしまったのだろうか。

 広げてみた両掌が、じんじんと痛んで仕方がない。だれかに強く握られた時みたいに、痛いけど、安心する感覚。姉様? 直感的に思った。でも、どうして、姉様?


「それに、ヴィッテは純粋すぎる。あなたの道が見える前に、私と無意識にいろんな契約をしてしまう。いけないと理解していても、私には契約をとめられない」

「けいやくってなに? 約束のこと? なら、ヴィッテが特別を作らないことでおねえさんがおねえさんでいられるなら――」


 はっと息をのんだ瞬間。背後から聞こえてきた声に、涙が溢れてきた。とまらない。口を押えても、嗚咽がもれてくる。

 幼い私には知りえなかった感情。でも、今の私にはわかる。わかってしまった。理解などしたくなかったのに。

 お願い、この想いを消してください。私はあの人を好きだなんて思っちゃいけない。


「あっ! おにいちゃんたちだ!」


 目の前には、ぱっと花を咲かせた幼い私と、泣き出す寸前なお姉さん。視線を追って振り返った先にいたのは、例の少年三人だった。

 公爵邸で一人遊びをしていた私に話しかけてくれた少年たち。不可思議な発言をする私をおかしいと笑わなかった少年たち。私もよく知っている方々。


「こんなところにいたのか! 街外れにくるなんて、危な過ぎるぞ!」


 白い制服を身に着けているアストラ様は、薄紫色の髪を乱しながら息を切らしている。うっすら汗を浮かべている額。きりっとあがった眉と目尻。

 あぁ、わかる。私が知るより華奢で幼い顔立ちでも、貴方だって。


「変わらないんです、ね」


 出会っていた驚きよりも、変わらない彼に熱いものが込み上げてきた。嬉しかった。

 一目散で幼い私に向かってきた彼は、私を前にした途端深く息を吐き、くしゃりと髪を撫でた。そして、水色のリボンに気が付くと、へにゃりとした笑みを浮かべた。


「俺があげたリボンのおかげで、すぐ場所がわかったぞ! それにしても、女神が嫉妬するほど似合っている」

「わたしもおにいちゃんがくれたリボン、大好きだけど。おにいちゃんてば、おおげさだよ」

「おおげさなもんか! ただのリボンもヴィッテが身に着けてくれることによって、とても特別なものになっている」


 幼い私を撫でながら頬を緩めているアストラ様。花畑に膝をつき、幼い子どもを見下ろす彼はとてもかっこい。この上なく、かっこいい。何度も優しく髪を滑る手も見惚れてしまう。


「へへっ。ありがとう! 宝物だよ!」


 幼い私がアストラ様の裾を握れば、彼は照れくさそうに頬を掻いた。


「いつもふらふら歩きまわっている君に忠告されるヴィッテは、よっぽどおてんばですね。フォルマといい勝負です」


 かなり後ろから追ってきた濃い藍色の髪をした少年が、溜め息交じりに嫌味を口にした。オクリース様だ。うっとおしげに払った前髪の奥にある瞳は、いまも変わらない。冷静でいて、あたたかい。


「オクリースおにいちゃん、ごめんなさい」

「君を怒ったのではないよ。第一、先生の従者が一緒なのはわかりきっているのに、アストラが心配しすぎなんだから」


 彼が言う通り、離れた場所には腰に剣をさげた女性剣士が控えている。

 私は、この記憶をどう受け止めたらいいのだろう。得も言われぬ感情ばかりが浮かんできて、膝をついていた。口元を覆う手から零れる声も想いも、どうしようもない。


「へぇ。こんな綺麗な場所があったなんてね。ヴィッテはいいとこ探しの名人さんだ」

「シレオおにいちゃん! すてきだよね!」


 ゆっくりと近づいてきた少年を目にして、お姉さんの頬の色が一変した。

 金髪の飴色の王子様。彼におずおずと指先を伸ばすお姉さん。その指先が頬に触れなくとも、重なった瞬間に、お姉さんは――泣いた。はらはらと落ちる雫は、音もなく消えていく。


「お姉さんの大好きな人って、シレオ様だったんだね」


 零した言葉は、やけにしっくりときた。夢の中なのに、お姉さんが私を捉えて、泣き出した。白い両手で顔を覆って、声を押し殺して泣いている。


「こら、ヴィッテ。よそ見をしてないで、俺の方を見なさい! いくら付き人がいても、遠くにくるなら俺に声をかけてくれと言っただろう?」

「アストラおにいちゃんってば、心配しすぎ! ヴィッテはおうちでもいっつもいっぱい冒険してたよ!」


 えっへんと胸を張った幼い私。しかも、かなり得意げだ。


「むむっ。ヴィッテみたいな可愛い子が一人で出歩いて心配しない方がおかしいぞ!」

「アストラ、表情と言葉があっていませんよ」


 小さなオクリース様も今と変わらない。冷静な口振りと判断。

 彼の指摘通り、アストラ様は厳しい口ぶりと反して、彼からの贈物であるリボンを撫でてデレデレとしている。

 幼い私は私で、アストラ様の撫でる手つきにうっとりとなってご機嫌だ。


「いつもの時間に、あの場所にいないから心配したんだぞ。まぁ、俺が勝手に会えると思っていたのだから、ヴィッテのせいにするのは違うが」


 少年なアストラ様は、今よりも高い声で幼い私を叱る。叱りながらも、しょんぼりと肩を落としている。

 見た目も若くて、背だってとても小さい。でも、口振りは私が知る彼と変わらない。それが、どうしてか時間の隔たりをなくしているようで苦しい。小さな私はアストラ様の手をぎゅうっと握って、真剣に見上げた。


「アストラおにいちゃん、心配かけちゃってごめんなさい。でもね。ヴィッテ、どーしてもここにきたかったの。おじさまから、おにいちゃんたちはお勉強でいそがしいって聞いたから、一緒にきてってお願いするのは、だめだなぁって思ったの」


 あまりに真剣な私に驚いたのだろう。アストラ様はうっと喉を詰まらせて視線を逸らしてしまった。動揺しているのか、ほんのりと薄く染まった頬。可愛いなんて言ったら、私が知るアストラ様は怒るだろうか。

 くすりと笑った私を前に、幼い私はなおも彼に詰め寄った。


「ヴィッテね、ここが、おねえさんにとって、すごく大事な場所だっておしえてもらったの」


 ばっと両手を広げた幼い私。彼女を見守る私に、お姉さんが向きなおった。


 そうして、景色にもやがかかった。あぁ、現実に戻るのだとわかった。そうして、また、私はここを忘れのだろう。


 アストラ様に寄せた初恋も、オクリース様もシレオ様も。そして、お姉さんのことも。そして、サスラ姉様がお姉さんに抱いていた感情もすべて。

 幼い私が見えていた現実が、今の私には見えない。理解したくないことばかり。忘れてしまえと、理性が手を伸ばしてくる。


――ヴィッテ。もうすぐ、終わるから。終わってしまうから。彼らが施した封印が解けてしまうから――


 私にはどうしようもない。

 言葉の意味を理解したとしても、今更、私が私として生きたいなんて、願うことなんてできることなんてできないのだから。私は、静かに頷くことしかできない。


「うん、わかってる」


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