思い描く光景は違えど、必ず辿り着く未来だと信じていた。
「で、オクリースが危惧したのはヴィッテ自身ではなく、ヴィッテにまつわる『何か』だろう?」
「当初の様子見に関しては、謝ります」
「いい、今更だ。俺も頭が冷えている」
あっけらかんと笑ったアストラに、オクリースはわずかに頬の緊張を崩した。が、すぐに口元を引締め、横たわるヴィッテを眺めた。
「先ほど申し上げたように。一連のことについては、すべてヴィッテ自身の魔力がなせる業。それが事実です」
「ここ最近、突然ぼうっとしていた際に魔力が高まっていたのも、ステフに飛びかかってできた傷がすぐに回復したのも。――山賊の事件から生き延びたのも、ヴィッテ自身が持つ魔力のおかげということだな」
確認するように、一言一言噛みしめて落とされた言葉。組んだ腕はきつく、向けられた視線は苦みを映している。
静寂に広がる沈黙は、ひどく重い。硝子の向こう、広がる満天の星空は別世界のようだ。
「でも、ヴィッテ自身だけの問題ならば、お二人ともここまで警戒しませんわよね? だって、ヴィッテに直接言って解決することなら、悩む必要がありませんもの」
きっぱりと言い放った少女に、二人は笑い声をあげた。腹を抱えて笑う二人に、フォルマは困惑の表情を浮かべる。
男性二人は、いやはやと、感心したのだ。この令嬢は本当に美しいだけではなく、物事の本質を見抜く。それは貴族特有の価値観からではないのが、また。
「なっなんですの?! わたくし、そこまで的外れな――」
「いや、悪い。フォルマはすごいと思ってな」
アストラは遠慮もなしにフォルマの頭を撫でる。
かぁっと頬の熱をあげるフォルマをよそに、隣のオクリースは咳払いをして背を正した。相変わらず、ヴィッテを真剣な眼差しで捉えつつ。
「今のところ、ヴィッテから怪しげな気配はしません。それを残念だと思いますが、話を続けるには好都合です」
「それが、オクリース兄様やアストラ様が緊張していた原因ですの?」
オクリースの言葉で、アストラはフォルマの頭を撫でる手を引っ込めた。
アストラの背後では、変わらず静かな寝息をたてるヴィッ テが横たわっている。わずかに睫毛が上下するくらいで。
「えぇ。ヴィッテの中に、本当に他の人格があるのならば、この話を聞いてどう出るかを知りたかったのです」
「とはいえ、正直、得体の知れない存在と接触しなかったことに安心しつつも、落胆もしてしまうな」
アストラは投げ出されているヴィッテの手を強く握った。心なしか、握り返された気がした。けれど、もう片方の手で頬を撫でてみたヴィッテは、無邪気に擦りよるだけ。意識のある彼女なら、絶対にしてこない行為だ。
妙な悲しさがアストラの胸に浮かぶ。
きっと、ヴィッテはこれからもずっとそうだから。自分も、そんな彼女だからこそ安心して接していられるのだから、憂うことなど何もないのに。
「詳細は報告書でまとめますが、簡潔に述べるならば、クーロー医師の診断はヴィッテの中には彼女以外の魔力が宿っているというものでした。今回の体調不良も、その魔力が体内で強く渦巻いている影響だと」
「自分のもの以外の魔力、ですの?」
フォルマが首を傾げた。それがあり得ないというのは、この世界の常識だから。魔力の強弱に関係なく、一人が持つ魔力の種類はひとつだ。その魔力がいくつもの特性を持っていても、本質はひとつ。
違う魔力がひとつの体の中で共存するなどあり得ない。下手をすれば、人格さえ崩壊する危険がある。
「ヴィッテの中に別人格がいる、とも言い換えられるかもしれません。いや、そうでないと説明がつきません。そうでないと、ヴィッテは人外――」
「ヴィッテはヴィッテです」
フォルマはきっぱりと言い切った。
彼女を騙した自分さえ、都合があったんだよねと笑って受け止めてくれた友人を見つめ、ぐっと唇を噛んだ。フォルマにとって、ヴィッテは初めて心から友だと想える人物だった。偽りの自分も、ありのままの自分も受け止めて笑ってくれた。
「そんなヴィッテが、例え普通の人とは違ったとしても……人の命を、残酷な方法で人の心まで奪うなんてことすると思えません」
両親を失ったヴィッテは人の命の重さを知っている。失った責任を背負っている。
「そもそも、オクリース兄様たちはヴィッテが何かしたと考えていらっしゃるのですか? 山賊だけではなく、自分が逃げたい一心で、自分と同じく山賊に連れられた人たちを殺めたとおっしゃりたいの? それをなかったように、振る舞える人間だと?」
ぼろぼろと。見たことがない様子で大粒の涙を零すフォルマ。
「だから、王命が下ったというのですね。恐ろしい存在を監視するため。そのために、あなた方は傍にいらっしゃると?」
アストラとオクリースの目の前には、ただの十七歳の少女がいた。
ヴィッテのまなじりから一雫の涙がこぼれたのには、だれも気が付かない。熱い息が夜風に混ざる。
「フォルマ。聞いてください。私もアストラも、決してヴィッテを悪い方へ持っていきたいのではありません」
「あぁ。起こった事実に対して可能性を否定することはできないが、少なくともヴィッテが己の意志で罪のない人まで傷つけたとは、微塵にも思ってはいない。それは本当だ。任務としては『監視』となるが、個人としてはいざという時にヴィッテの助けとなれるよう『守護』しているつもりだよ」
アストラの言葉は、フォルマの心にすとんと落ちてきた。あぁ、そうかと思えた。
幼子のようにしゃくりあげ始めた少女を包み込み、オクリースは静かに呟いた。フォルマは溢れてくる涙をぐっと飲み込む。頭を包み込むようにまわされた腕を掴み、大きく頭を振った。
「申し訳ございません。わたくし、アストラ様たちのお気持ちも考えず、こんなにも取り乱して恥ずかしい」
フォルマは頬が熱くなるのを感じた。それは決して淡い熱ではない。本気の羞恥だ。
オクリースの腕の隙間から覗き見たアストラ。目があった彼は、力なく笑った。あぁとフォルマは余計に切なくなった。だれよりも、彼が戸惑っているのがわかったから。
「ひとまずだ」
掠れた声が、落とされた。アストラは疲れた笑みを浮かべている。
「現状、わかっているのはヴィッテの中に得体の知れない魔力が宿っている。それを、俺たちは『監視』し続ける必要があるってことは確かな訳だ」
本来であれば、任務とはいえ辛い状況だ。自分たちを心から信頼している少女の状況を、上に報告しているのだから。しかも、ヴィッテ本人はアストラたちの傍に自分が長く居続けるのは良くないと考え、魔術騎士団との契約を更新してはいけないと葛藤しているのだ。それを引き留めているのは、決して個人としてでも上官としてだけでもない。
しかし。苦い笑みを浮かべているアストラは、どこか嬉しそうに見えた。オクリースとフォルマには。
「えぇ。ですから、私が先ほど申し上げた『正しい距離』というのは、離れろという意味ではありません。むしろ、今以上に近くにいて、ヴィッテを見張っていてください」
オクリースはフォルマから腕を離し、アストラを正面から見つめた。ベッドに腰かけたままのアストラは後ろに体重をかけ、口元を綻ばせた。月明かりを背負って。
その様は、オクリースさえ背中に冷や汗を流すものだった。
「是非もないな」
ヴィッテの濃紺の髪を掬いあげたアストラ。艶やかな毛先は、つっと彼の指先から滑り落ちる。それさえも許さないというように、彼の指先は彼女の髪に絡みつく。
(何らかの存在が俺の感情に干渉しているのに気が付いた今――ヴィッテの別人格だろうが、憑りついている悪霊の魔力だろうが。得体は知れぬが、俺とヴィッテを離そうとするなど許さない。受けて立とうじゃないか)
肌同士が触れているのでもないのに、フォルマは堪らず視線を逸らしてしまった。見てはいけない行為と言わんばかりに。
「ただし、これだけは忘れないでください」
オクリースは深く息を吐き、椅子に掛け直す。きしっと音を立てた椅子。
「私がヴィッテの異変を感じたきっかけは、今日シレオ――王との接触で意識が飛んだことです。ということはつまり」
「ヴィッテの中にある魔力。いや存在の狙いは、我らが王という可能性もあるということだろう?」
両手を絡ませ、両肘を己の大腿についているアストラの眼光は鋭い。
びくりと肩を震わせたフォルマに気づいたのだろう。アストラは少し困ったように表情を崩した。そして、いつもの彼らしく笑った。
「まぁ、ヴィッテのことだ。そもそも、王にまた会いたいかと尋ねれば、至極げっそりとして『アストラ様のご友人としてでも恐れ多いのに、王様としてなど二度とないことを願います』と言いそうだがな。俺だって、正直魔術騎士団の司令官として王としてのあいつに会うのは疲れる」
「私は利用できる立場が多いほど、選択肢も増えていると考えられて良い事だと思いますが」
「オクリースはそうだろうな。しかし、宰相である父君が耳にしたら『お前はそういうことを腹に留めろ』と釘を刺されるぞ」
アストラの下手な物まねがツボに入ったのだろう。フォルマから、らしからぬ笑いが飛び出た。小さな両手で口元を押える。それでも漏れる笑い声はまるで耳に心地よい鈴のようだ。
「たっ確かに、おじ様がおっしゃりそうですわ。それに、ヴィッテが、ぜひとも王に会わせてくださいとせがむ様子は想像できません。だって、ふふっ、羨ましがったわたくしに見せたあの顔をいったら。しかも、ヴィッテってば、次の機会があったら中身だけでも変わって欲しいなんて言って」
ふと、フォルマが言葉を切った。そしてベッドに駆け寄り、ぽすんと腰を下ろした。ヴィッテの手に自分のモノを重ねる。ヴィッテは深い眠りに入ったようで、ただ静かに寝息を立て続けるだけだ。
それでも、フォルマはやはり微笑みを浮かべた。そして、アストラを見上げた。
「思えば、わたくし理解がある大人のふりをして、ヴィッテの過去――いえ、昔の彼女について深く聞いたことがありませんでした。けれど、ヴィッテの大切な部分を知っているメミニさんが現れて、嫉妬したのです。それをメミニさんにばかりぶつけていました」
アストラにはわかった。フォルマが言わんとしていることが伝わってきた。
だから、アストラもフォルマに向き合う形でベッドに座る。
「そうだな。花祭りが終わったら話そう。警護に選ばれた魔術騎士団はどうせ翌日は全体的な休日となる。無礼講で色んな話をしようじゃないか。上手い料理と酒を用意して」
「それは、アストラのおごりと考えてよいのでしょうね?」
「うっうむ。いいぞ、許可する。思えば設立当時に少人数で決起会をやったっきりだ。魔術騎士団や有志でぱぁっとやろう!」
腕を組んで頷くアストラに、オクリースとフォルマは目を合わせて微笑みあった。
宴を思い浮かべ、誰もが疑わなかった。どんな形であれ、その時が訪れることを。思い描く光景は違えど、必ず辿り着く未来だと信じていた。
これにてアストラ邸編、終了です。次回からまた場面が動きます。




