お前、『あえて』俺は普通でないと悟っていて、試しただろ。
アストラとオクリース、二人は同時に魔力索敵の魔術を発動する。
「おい、オクリース! 今の殺気に気が付いているよな。出所まで掴めたか? 俺の間違いだとは思うのだが」
「えぇ。ですが、間違いだと否定する肯定ではありません」
オクリースの滅多にないほど動揺した様子に、思わずフォルマも腰をあげてしまう。
揺れる視線の先にいるのは、ヴィッテだ。当の本人は静かな寝息を立てている。
アストラとオクリースは目を合わせ、まさかと眉を顰めることしかできない。そうしているうちに、索敵魔術はすぅっと消えていく。
「空寝などではないですね」
オクリースがヴィッテの口上に掌を翳す。次に、瞼に触れる。眼球が動いていない。喉元も確認するが、唾を飲み込んでいる様子もない。
オクリースがヴィッテの脈をはかり始めたところで、一連の動作を呆然と眺めていたフォルマが我に返りオクリースの手を取った。
「オクリース兄様。話されたいこととは、クーロー医師とのお話合いのことですわよね? そこに繋がることだから、ヴィッテの体調不良の原因と山賊から生き延びた理由をお話なさっているのですわよね?」
賢明な彼女が話題をずらしたい程、今しがた起こった出来事は受け入れがたいものだ。
まさか、ヴィッテから敵意を向けられるなど、この場に居合わせる全員が想像つかないことだ。ましてや、オクリースがヴィッテを疑って動いているところなど、フォルマには見て耐えがたい光景だ。
「それが本題でしたね」
チェストに置かれた水を仰ぎ、オクリースは深呼吸をする。飲まれるなと、ひたすら自分に言い聞かせる。
フォルマはほっと息を吐き、椅子に戻った。
アストラも何も言わずに腕を組んで、腰を下ろした。
「先の診断である、魔術耐性のないヴィッテが魔術騎士団の魔術にあてられたというのは、本質ではありません」
「うむ。ヴィッテを幼い頃から知るメミニが、よくある発作だと言っていたからな。ステラには今オクリースが言った通りに説明したが、俺としては少々納得がいっていなかった」
「まず伝えておきます。スチュアートという幼馴染に飛びかかった際に、ヴィッテが負った怪我。それを治したのは、私の治癒魔術ではありません。加えて、この熱も。彼女の自己回復力によるものです」
アストラも何らかのカラクリがある予想はしていた。けれど、組んでいた腕がほどける。
あの怪我を短時間で自己回復できる者など、魔術大国フィオーレと言えども聞いたことがない。大国の首都でも、様々な人種が集まる戦場でも。特に戦場では、すぐさま耳に入りそうな能力だ。
「ただ」
オクリースは静かに続ける。
「ヴィッテの不調が魔力の排出不備によるものだったのは事実です。ここ最近、急激に高まった魔力を中和する能力がヴィッテにはなかった。つまりは、アンバランスの一言につきます」
オクリースから苦々しい呟きが落ちた。
一瞬だけ呼吸を乱したヴィッテを見つめるオクリース。彼に射抜かれたヴィッテは、ただ静かに胸を上下させている。まだ夢の世界にいるのは明らかだ。おまけに、何かを食むように口元を動かしている。
「一連のことすべてがヴィッテの持つ力のせいならば、何が問題なのです? いえ、山賊のことは――」
オクリースの隣、椅子に腰かけているフォルマが恐る恐るという調子で声を絞り出した。
けれど、そんなフォルマを捉えず、オクリースはアストラを睨む。
「私は魔術騎士団の参謀長であり、フィオーレ王国の五公爵のひとつウェルブム公爵家の長男です」
「今更、なにを」
アストラはヴィッテに伸ばしかけていた手を止め、振り返った。そうして、オクリースの気迫を前に、続く疑問の言葉を飲み込んでしまった。
「オクリース兄様?」
オクリースの言葉を不可解に思ったのは、フォルマも同じだった。フォルマの瞳がわずかに滲む。本人の意思の及ぶところではないのだろう。溢れる雫を自覚したフォルマは、ぐっと唇を噛んだ。
オクリースも今はフォルマに手を伸ばさない。じっとアストラを射抜く。
「だから、私は」
椅子に腰かけたまま、凛と背を伸ばしているオクリース。
窓からさしこんでくる月明かりが、ふいに弱くなる。薄い雲でもかかったのだろうか。薄暗くなった部屋に、オクリースの静かな息遣いが鳴った。
「私はヴィッテ個人よりも、現状の危険性を優先します。そして、貴方の参謀として進言します。アストラ、ヴィッテとの距離を正しく持ってください」
「オクリース、お前!」
かっと、アストラの血が沸騰する。自覚するより早く、アストラの手はオクリースの胸倉を掴みあげていた。
アストラの瞳は充血している。オクリースが口にする「正しい距離」が指す意味が、頭痛を誘う。
ヴィッテが魔術騎士団の司令官付となってからの数カ月、身を持って知ってきた。
どれだけ陰口を叩かれただろう。自分にもだが、どうしたって標的は弱い立場のヴィッテになる。自己評価が低いヴィッテだから、アストラもオクリースも随分と気をもんだ。けれど、仕事に対する彼女の努力と忍耐は相当なものだった。
ただでさえ、臨時職員とは言え異国の主要機関で働くのだ。話し言葉も文章も、そして状況判断も違和感など抱かせない。不思議なもので、ヴィッテは「自分に足りない部分を指摘されて、勉強になります! いえ、指摘される前に気が付くべきなのは重々承知ですが」と、前向きなのか後ろ向きなのか不明な反応をして努力をしてきた。
アストラたちは、よく語ったものだ。仕事をしている時の前向きさを、普段の自分にも向けて欲しいと。
「ヴィッテを――俺と共に、ずっとヴィッテを見てきたお前が、それを口にするのか!! お前まで、あの心無い噂で人を判断する奴らを優先するのか⁈」
そんなことあるはずないのに。頭に血が上ったアストラには冷静な判断など出来ない。
陰口の内容など、一辺倒でありふれたものだ。
将来のある者が異国の少女に惚れこむなとか、傾倒するなとか。取り入ろうとしているだけだと。
アストラにとってヴィッテはそんな軽い人ではない。また、ヴィッテが自分可愛さにゴマをするような人間でないのは、一度でも彼女と接したことがある人間ならわかることだ。
であるのに。いや、だからこそ、アストラはオクリースの言葉が許せなかった。真意がどうであれ、ヴィッテが聞いていたらと思うと、居ても立っても居られなかった。なぜか、ヴィッテの耳に届いていると思ったから。
「あれだけ、ヴィッテに慕われておきながら! ヴィッテが俺にお前に――周りに害を及ぼすような人間だと言いたいのか!」
静寂が満ちる夜を裂く、怒声。青より少しだけ薄い瞳に灯る燃えるような怒り。噛みしめた歯は、今にもオクリースの喉元に喰いつかんばかりに噛みしめられている。
初めて見るアストラの形相に、フォルマは全身を凍らせる。
「お前はっ!! ヴィッテの何を見てきた!!」
死神の眼。
今のアストラの瞳を、オクリースは嫌というほど戦場で見てきた。すべてを飲み込む色と気迫。絶望ばかりを貼り付けた表情を。
「アストラ、苦しいのですが」
「ふざけるなっ! 先ほどのお前の言葉。ヴィッテが耳にしていたら、彼女は契約更新どころか、即刻、身をくらませたぞ。お前は、お前の言葉の重みを理解しているのか!」
オクリースの胸元を捻りあげている、アストラの拳は激しく揺れている。
喉元を圧迫する力に反論するのではなく、オクリースはただただアストラを静かに見つめる。
「理解していないわけないでしょう。だからこそ、口にしたのです」
「おまえっ!」
「アストラ様! 落ち着いてくださいまし! らしくありません! オクリース兄様も、どうしてそんな意地の悪い言い方をするの!?」
熱い息と涙が散った。それと同時。ヴィッテから放たれていた殺気が、ふっと消えた。むしろ、ぼろぼろと涙を零し出したファルマの頬を撫でる空気に変わる。
腕にしがみついてきた体温に、アストラは鋭い目つきのまま視線を落とした。オクリースの胸倉を掴みあげる腕に、必死な面持ちでぶら下がっているのはフォルマだった。
「フォルマ……」
「アストラ様、ちょっとは冷静になりまして?」
表面上は冷静に話かけられたものの、フォルマは震えている。その少女の体温がアストラにも伝わってくる。
途端、アストラの眉が情けないほどに下がっていく。己は何をしているのだ、と。
すとんとベッド際に腰が落ちる。そうして、若干冷静さを取り戻し顔を覆った。
アストラは頭の中で繰り返す。それもこれも、ステラが恋などと世迷いごとを口にしたからだと、肺からめいいっぱいの息を吐き出した。。
「なぜ、みな俺とヴィッテを男女の仲で見ようとする。俺とヴィッテは家族のようなものなのに。出会った頃から、関係は変わっていないのに」
声に出すと、アストラの中からすっと苛立ちが消えていった。
そうだ、決して男女の仲でなどない。繰り返すと、嘘のように心が晴れていった。全身がいわれのない安堵で包まれていく。
と、アストラは、胸元を掴んだ。
(なんだ、これは。さすがに可笑しい)
確かに、アストラはヴィッテを大切に想っている。それは絶望の淵にいた自分を救ってくれたことが大きいし、彼女を人として尊敬しているからだ。何より、本人の自覚のないところで、というのが大きい。
その感情が、一過性の「恋」というものであるとは思いたくないし、どんな形でも続いていく「家族」の絆であればいいとは考えているのも確かだ。
(しかし、ステラにぶつけた感情も、オクリースに突っかかったのも――まるで、借り物のようなものだった。どちらかというと、うまく排出されない魔力が身体に滞っているような)
そういえば、己が怒りに任せステラを拒絶した際も、彼女は何かに気付いた様子で進言していなかっただろうか。あの時、きちんとステラの話を聞くべきだったのに。彼女の意見を受け入れるかは別にしても、耳を傾ける位はするべきだった。
(俺の身近な人間が、俺がヴィッテを女性と好いていると思うなら、それなりの理由があるはずだ。俺自身が気持ちを否定するならば、きちんと向き合ってから否定しなければ。いや、普段の俺なら――)
そして、再び湧き上がってくる苛立ち。アストラの額に汗が滲み出てくる。
気が付くなと心が騒ぐ。激しい衝動が頭痛と怒りを連れてくる。ふいに、裾を引かれた気がした。そういえば、裾の長ったらしい騎士服のままだったかと、アストラはベッドの上に視線を落とした。
「ヴィッテ……」
アストラの瞳がくしゃりと崩れた。理由は、本人にもわからない。
ただ、ベッドに投げ出された上着の端を、ヴィッテが握っていた。それだけの事実に、胸が熱くなっていく。
瞼を閉じたままのヴィッテの手に、そっと己のモノを重ねる。驚く位冷たい手だったけれど、離れるどころか強く握っていた。むしろ、自分の体温が流れ込んでくれればいいと。
「すまなかった、フォルマ。……オクリースも」
深呼吸をした後、アストラは二人に向きなおった。
オクリースの目線は相変わらずヴィッテに向いている。冷静になった今なら、理解できる。オクリースの行動には理由があるのだろうと。
そんな簡単な判断さえつかなくなっていた自分と、前置きもせずに語った親友の不器用さに、思わず苦笑が漏れた。
「いえ、わたくしは。アストラ様がいつものご様子に戻ってくださったなら」
「私は大変苦しかったですけれど。加えるなら、私は『恋』などと一言も申しておりません。勝手に解釈したのはアストラですよね? 自覚からかはともかく」
天使の微笑みを浮かべたフォルマとは正反対に、オクリースは吹雪を吹かせんばかりの空気を纏っている。しかも、あからさまな怒りの感情を浮かべていない、むしろ涼やかな表情が怖い。
アストラはぐっと身を引いてしまった。
「わっ悪かったとは思うが、お前も言い方が意地悪だったぞ! 大体、お前のことだから、正しい距離などと言わず、距離の正しさが示す意味を言葉にすればよかっただろうに」
そこなのだ。頭の冷えた今なら、あの時のオクリースの言葉裏を読むことができる。オクリースはステラのようにヴィッテとの直接的な関係に言及したのではない。
ならば、彼が示す「正しい距離」とは何なのか。今のアストラならば、考えることができる。
「平素の貴方ならば、当然察したでしょうから。あえて、補足をしなかっただけです」
「その言い方、ほんっとーに意地が悪いぞ! お前、『あえて』俺は普通でないと悟っていて、試しただろっ」
「よかった。いつものアストラですね」
にこりと音を立てて微笑まれて、アストラは喉を詰まらせるしかなかった。照れ隠しだけではない。オクリースがそれを想定していた事実にだ。
くしゃりと前髪をかき混ぜ、アストラは大きなため息をついた。部屋の隅々にまで響くような。




