ヴィッテは最重要参考人だから、監視されているということですの?
オクリースは傍らにあるワインボトルを傾ける。ステラが用意していたものだ。
まるで今から話す内容が素面で語れるものでないと知っていたのかと、オクリースに苦笑が浮かぶ。
フルボディのそれをアストラと自分にはグラスの半分、フォルマには四分の一程度注ぎ手渡す。アストラは早々に口をつけて、熱い息を吐いた。オクリースは軽く煽り、手元のグラスを揺らした。
「そもそも、アストラがヴィッテの身元保証人となった第一の理由ですが……。港からフィオーレに向かう山道に出没する山賊退治が、魔術騎士団へ下ったことから始まります」
「あぁ。姪をなくし、自暴自棄になっていた自分を思い出すよ。っと、オクリース?」
自分の言葉の途中で眉間に皺を寄せたオクリースに、アストラは首を傾げた。神経を研ぎ澄ますが、怪しい魔力も人も気配は感じなかった。
自分たちをおもしろく思っていない騎士団の影でも、得体の知れない魔術師団の魔術もない。
「……なんでもありません。だからこそ、アストラは生きようとしていたヴィッテを見捨てずに拾ったのですが、それはいったん置いておきましょう。問題は、その時の状況です」
そうは言いつつも、視線をさまよわせ顎を撫でたオクリース。どう見てもなんでもなくはないと、アストラは首を傾げる。
アストラが口を開こうとした直前、心配そうな表情のフォルマが静かに「確か」と呟いた。
「ヴィッテは山賊に襲撃された方々の中で唯一の生存者、ということでしたわね。その……他の方は?」
遠慮がちに、けれど、しっかりとした口調で尋ねたフォルマ。
アストラとオクリースは顔を見合わせ、無言でフォルマを見つめた。目の前の令嬢は賢い。そして、強く、何より世間を知ろうとしているのを承知しているが、正直率直に伝えるには酷烈な状況過ぎるのだ。
「ひどい有様、だったよ」
それでもと、アストラは少しばかり目を伏せて唇を動かす。手元のグラスが所在なさげにゆらりと踊る。
それでも、視線をあげた先にいるフォルマは唇を噛んで、真っすぐアストラを見つめている。だから、アストラも口を開く。
「俺たちが着いた襲撃の現場には、すでに馬車と死体しかなかった。男はむろん、赤子も幼児も無慈悲な傷を負っていたよ。戦場を経験した騎士の俺たちでも、目を背けたくなるほどの光景だった。戦はある意味で命を奪うという行為が重要だ。しかし、あぁいう輩は生きている人をどうするかに意味を持つことが多い」
「女性は――。ヴィッテもですが、女性は」
賢いフォルマは、敢えてアストラが強調した言葉の裏に踏み込んできた。
「随分とはっきり尋ねるのだな」
「アストラ。そこはフォルマに聞かせる必要は――」
「いいえ、オクリース兄様。ヴィッテに纏わる事情に踏み込むならば、知っておきたいのです。それが、いつかの判断に繋がるかもしれません。わたくしは、自分にとって都合が良い情報だけを得たいから、この場にいる訳ではありません」
フォルマは震える手をきつく握りしめ、声を絞りだした。頭では理解していても、音にするのは違う。がたがたと震えるフォルマの手に、オクリースは己のものを重ねた。片手でも容易に包み込めてしまうそれを、きつく握る。
アストラは腹の前で組んだ指に、力を籠める。いや、自然と硬くなった。
「俺たちは馬車を見つけてすぐに、馬の足跡を追った。山賊は獲物を持ち帰る際、足がつかないように細心の注意を払う。が、その時は急いているのか、痕跡が全く消えていなかったのだ」
「私たちは、絶好の機会と後を追いましたが――そう考えたのは慙愧に堪えないことだと知ったのです。そう。なぜ、もっと早く辿り着けなかったのかと」
オクリースは、言葉を切った。あまり感情を表に出さない彼が、喉を詰まらせる。
アストラとオクリースの瞼の裏には、今も生々しく思い出される光景が写っている。光景だけではない。おびただしい血に多量の吐物、それに色んな分泌物の匂いが混ざった現場。
居合わせた団員のほとんどが、胃液を吐ききるまで胃をひっくり返した。
「行き着いた洞窟にあったのは」
続けたのは、アストラとオクリースどちらだったか。どちらにしろ、考えは同じだ。
地獄そのものだった。
それを飲み込めただけでも、十分だった。今でも心臓が激しく跳ねる。
「むごい姿で横たわる女性たち、だったのですか? いえ、女性だけではないかも」
男性二人に言わせまいとフォルマが呟いた。普通の令嬢では想像すらつかない状況だろう。
フォルマとて、正直言って現実味がないし情景を想像することも難しい話だ。それでも、彼女は世を知ろうと努力している。特に幼い頃から自分を可愛がってくれたオクリースとアストラが戦場に出てからは、殊更出来るだけ現地の事情を知る努力をした。だから、字面上だけでも理解はできるのだ。
少女に言わせてしまったことに、男二人は胸を抉られた。
「えぇ。そこは、本当に、狂気が溢れているだけの場所でした」
「そうだ。それもあった。血が沸きあがるような場面だった。だが――」
平素、冷静なオクリースさえも掌で顔を覆った。アストラは山賊に縋られた腕をつかみ、全身を震わせた。
思い出しても身の毛がよだつ感情が渦巻いていた。
「あそこにいた者は全員、気が触れていたのだ。囚われた者はむろん、数十人の山賊全員も」
フォルマはアストラが絞り出した言葉を、すぐには受け止められなかった。
フォルマにとって、残酷な現実は理解しうる範囲だ。けれど、気が触れるということに関しては全く未知の世界なのだ。戦争で心を病む者がいるのも、政や社交界で気を病む人間も少なくはない。けれど――、アストラが怯える程のそれは違うとわかった。
「そして、全員が口にしました。悪魔が守護する者に手を出した、己が悪いのだと。部下たちにその場を任せて、俺とオクリースは魔力の尾を追った。その先に倒れていたのが――彼女だったのだ」
アストラは堪らず言葉を切った。顔を覆って、背を丸める。
それが、ヴィッテが国王命で直下の魔術騎士団の保護下にある最たる理由だ。
今、アストラやオクリースにとって、ヴィッテがどんな人物かではない。フォルマにとっては、その時の状況がどうかだ。
男性二人はフォルマがどう捉えるかを承知で伝え、言葉を待つしかない。
「つまり――ヴィッテは最重要参考人だから、監視されているということですの? 異常な現場を生み出した危険人物として、アストラ様に保護され、魔術騎士団で雇われていると」
フォルマの問いに、誰も応えない。
「なぜ、反論してくださらないのです。いつもみたいに、ヴィッテが大事だからとおっしゃってくださいまし」
フォルマは頭を振ることしかできない。それでも、アストラたちは否定しない。
ヴィッテ本人さえ身にあまる待遇だと、しきりに恐縮して、だからこそ魔術騎士団の役に立ちたいと努力を惜しまない。フォルマはそんな友人に刺激を受けて、オクリースの役に立てるようにと色んな勉強を始めた。
(確かに、ヴィッテは何かしらの理由があると思わないのが自然なくらい、保護を受けているわ。わたくしだって、何かの理由があって彼女が採用試験で最有力候補としてあげられているのは理解していた。でも。けれど、ヴィッテと接していたら、すぐわかるもの。魔術騎士団の――オクリース兄様とアストラ様のために一生懸命だって)
フォルマの大きな真紅の瞳から大粒の涙が落ちていく。
なのに喉が詰まって言葉が出ない。喉を抑えても、溢れてくるのは悔しさと嗚咽。どうしてと繰り返すフォルマの体を、オクリースが抱きかかえる。嬉しいはずの抱擁も、今は誤魔化しとしか思えず、フォルマは身を捩る。
「フォルマ、誤解しないで欲しい! 俺たちとヴィッテの始まりは王命だったかもしれないが、すぐに個人としてあの子を守りたいと思ったのだ。初めて食事の場を共にした夜に」
アストラの言葉に嘘はない。それはフォルマにも理解出来た。だから、『なら、ヴィッテが契約期限切れだからと魔術騎士団を辞めることを許容されるのですか』と尋ねかけて、やめた。
フォルマにとって、ヴィッテは出会って数ヶ月とは思えない程の友人だ。不思議と昔から知っているような。それこそ、兄と慕う人たちに隠し事を出来ても良い程に。
「わたくし、時々思うのです。もしかしたら、ヴィッテとは昔からの友人なのではと思うほど、彼女が大事だと」
「それは俺たちも同じ――」
――やめてっ!! 思い出さないで!!――
頭に直接響いた音に、オクリースとアストラが立ち上がる。『言葉』とまでは認識出来なかったが、明確な敵意がぶつけられたのはわかった。




