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おねえさんが、またいらないって言われた『悲しいや痛い』は、わたしが代わりに持って、覚えて生きるから。

「アストラ様。ヴィッテに夜食を持って参りましたわ」


 アストラが振り返った先にいたのは、プラチナブロンドをふわりと揺らしているフォルマだった。湯気をあげている器を持って、小走りに近寄ってくる。儚げな容姿に似合わない組み合わせに、思わず笑みが零れた。

 その後ろに視線を流せば、扉の隙間からオクリースが見えた。だれかに小さく言葉を発しているようだ。目線の先にいる人物が容易に想像でき、アストラはつい目を逸らしてしまう。


(ステラの気持ちが見えなかったわけではない。それでも、俺は恐ろしいのだ。俺の目の前で消えていった命のように、想いが消えるのが。だって、あの時の俺も――いや、待て、あの時とは、いつだ)


 目の前のフォルマの姿がぶれる。アストラは視界がまわって瞼を閉じた。

 瞼の裏に映るのは、十にも満たない見知らぬ少女が、同じく幼いフォルマと手をとって、微笑ましく花畑を走っている姿。周囲には花妖精が躍って、少女たちを祝福している光景。


(そうだ。幼いフォルマは人の視線を恐れ、オクリースの後ろに隠れているような引っ込み思案な少女だった。その美貌と大人びた思考から、同年代の貴族の子女に嫌厭され、上位の男性からは『手に入れたい』対象とみられていた。彼女が今のように人の目を気にしなくなったのは――)


 思い出そうとして、アストラは頭が割れるような痛みに襲われた。内側から破裂しそうな痛み。吐き気が伴って眩暈に視界が揺れる。

 霞かける視界の奥に、長い藍髪の幼子が現れる。絶望的な状況で誰かの名を必死に叫んでいる。泣き叫んで、指先を血に染め、何かを乞っている。伸ばした腕に傷をいっぱいつけて、やめてと願う。やがて風が止む頃に、幼子はらしくない調子で笑った。なぜか、らしくないとわかった。


――もう、いいんだ。お兄ちゃんたちが、傷つくなら、いいよ。わたしたちのこと、忘れていいよ。だって、お兄ちゃんたちのこと大好きだから。****も忘れちゃうけど、忘れない。***おねえさんが消されても、****は悲しいを覚えてる。***おねえさんが、またいらないって言われた『悲しいや痛い』は、わたしが代わりに持って、覚えて生きるから――


 アストラにはわかった。その言葉が投げやりなものではなく、誰かを想っての決意だと。

 そして、もう少しで何か胸の奥に突っかかった棘が取れる気がした。押し込められた記憶を掴めると思った。なぜか、確信があった。


――お願いだから、思い出さないで。お願い。もうヴィッテは決めているから。自分の行く末を――


 耳を撫でた優しい声。辛いことがあると部屋の片隅で蹲っていたアストラ。そんな自分を見つけた乳母と姉が『大丈夫』と頭を何度も撫でてくれた。それにとても似ている。

 何度も柔らかく頭を撫でる感覚。うとりとなる。優しい夢が見れると思った。甘い夢を見て良いよと抱きしめられていると思えた。


(くそっ! やめろ!)


 それでも、アストラは目を逸らしてはいけないと膝を叩く。拳が太ももを腫らす。

 しっかりとした意識の中、顔を上げるとフォルマが枕横の棚に鍋を置いたところだった。


「アストラ様、大丈夫ですの?」

「あぁ。少し疲れが出たようだ。フォルマこそ、夜分遅くまですまないな」


 アストラは正面までやって来たフォルマに力ない笑みを向けた。


「アストラ様……」


 アストラの見慣れない部類の笑みに、フォルマは一瞬だけチェストに器を置く手を止めた。が、すぐさま器の蓋をとり、湯気を手で扇いだ。香りがヴィッテに届くようにと。


「わたくしが友人のためにと、希望したのです。そのため厨房を取り仕切るシーナ殿にご迷惑をかけてしまいましたが、その成果はきちんとお持ちしましたわ」


 自慢げに微笑んだフォルマに、アストラは全身の力が抜けていった。昔から彼女の言葉には裏がないのがわかる。他の女性と違い、真心だと信じられる。

 フォルマによってベッド脇のチェストに置かれたリゾットは、ふわりと湯気を立てている。食指を刺激され、アストラは腹をおさえた。不思議と、笑いさえこみあげてきた。


「とき卵ときのこが良い仕事をしているようだ。これなら、ヴィッテも早々に目を覚ますな。それに、シーナは喜んでいるに違いないよ。フォルマのような子に、一生懸命教えをこわれたなら」

「まぁ、アストラ様。わたくしもう十代前半の子どもじゃありませんのよ?」

「すっすまない。そんなつもりはなかったのだが……ほらな、他の令嬢は使用人に教えをこうことはないからな! いや、貴族としての良し悪しはともかく、ヴィッテは間違いなく喜ぶと」


 フォルマの思わぬ返答に、アストラは焦ってしまう。

 フォルマが料理人のシーナに頼み込んで一緒に作ったのを知れば、ヴィッテは間違いなく感動に打ち震えるだろう。それに増して、ヴィッテが目を輝かせるのは想像に難くない。つまり、言い訳ではなく本心だ。

 なのに、くすりと愛らしく笑った年下の少女に負けた気がした。アストラは降参と言わんばかりに肩を竦めた。


「ヴィッテだけじゃない。フォルマの微笑みと、しかも、手料理なんて最強の組合せだから。この国の男全員され魅了しそうだ」

「まぁ。アストラ様ってば。ヴィッテに聞かれて、勘違いされても知りませんことよ?」


 フォルマにしたら、いつも通りの返しだった。わざとらしく、ベッドに眠るヴィッテに耳打ちするような仕草をともに、フォルマは意地悪な視線をアストラに向けた。

 けれど。フォルマの瞳に映ったアストラの顔は、悲壮感溢れるもので……。つい、数歩離れたオクリースに後ろ向きのまま近づき、耳打ちをしてしまう。


「オクリース兄様。わたくし、てっきり『俺は女性をそんな意味で軽々しくほめたりなぞしないぞ!』と、ヴィッテに聞こえないにも関わらず弁解なさるのかと思っていました」


 フォルマが爪先を伸ばした分、オクリースは身を屈めた。そして、至極真面目な顔で心配している少女の頭を、軽く撫でる。


「全面的に同意してしまいますね。けれど、アストラとて、気分が沈む時もあるのでしょう」


 最後にくしゃりと軽くフォルマの髪をなぜ、オクリースはアストラの傍に椅子をひいた。

 撫でられた部分に触れ呆けていたフォルマは、椅子が鳴らした音で我に返った。そして、テラスのガラス扉へと足先を向けた。ほんのりと頬を染めて。


「お話をするには、少し暗すぎますわ。あんなに激しかった雨が嘘だったみたいに、晴れていますの。ヴィッテも、星明かりがあった方が目を覚ますかもしれません。ヴィッテは雨空も星空も大好きですもの」

「そうですね。それではカーテンをあけておきましょうか。今夜は空気も魔力も澄んでいて、星がいっそう煌めいています」


 ひかれた厚いカーテンから姿を現したのは、満天の星空だった。

 王宮や団の上空にある魔法陣の光を受け、オーロラのごとく美しい色を映している。オクリースが目を細める。


「フィオーレでも珍しい位、美しい星空ですね」

「えぇ。ヴィッテが目の当たりにしたら、星以上に瞳を輝かせて興奮しそうですわね」

「ははっ。間違いない。テラスでうまい酒とつまみを持ち出して、宴会をしようとか言い出しそうだな!」


 そこそこ広い部屋に、三人の大きな笑い声が響いた。

 居慣れた空気に気が緩んだのか。フォルマがいるにも関わらず、アストラは胸元を緩めた。おまけにと、後ろに手をつき天井を仰ぐ。ベッドが沈んだのに反応したのか。ヴィッテが熱い息を吐いた。


「君は拗ねるかな。それとも、こんなに素敵な夜だから当然です、なんて力説するのか?」


 アストラは恐る恐るといった手つきで、ヴィッテの藍髪を何度も撫ぜる。熱のせいだろう。やや湿った髪は、いつもよりさらに、アストラの肌を吸い寄せた。だから、つい何度も髪を掬いあげてしまう。毛先が完全に落ちる前に、また掬いあげる。

 アストラが得も言われぬ焦りがわきあがるのと反対、ヴィッテは安心したように眉を垂らす。その感情の差が、どうしてか切なかった。


「ヴィッテ――」

「さて、アストラ。ヴィッテの状態について、クーロー医師と話し合った結果を報告しにきました。このまま続けても問題ないでしょうか」

「問題ない」


 はっとして、アストラはベッド淵に腰かけ直した。

 今、ここで考えなければならないのは、自分とヴィッテの関係についてではない。オクリースが口にしたように、彼とクーロー医師に調べさせていた件である。


「ステラが意味のわからないことを言うものだから、少し考え事をしていただけだ」


 アストラの正面に置いた椅子に、オクリースとフォルマが並んで座る。

 ヴィッテが選んだ木の椅子は、動物性の皮が張られている。座面も背面も弾力性のある仕様となっており座り心地は抜群だ。女性らしい花柄の刺繍が施されているが、男性がかけてもゆったりとした大きさとなっている。


「ステラですか。先ほど部屋の外で顔を合わせましたが、少々疲労がたまっている様子でした。明日にでもねぎらって差し上げるべきでしょう」


 オクリースの静かな進言に、アストラは言葉を返さない。ただ、組んだ手をもどかし気に動かしているだけだ。

 アストラの仕草とステラの様子。それに、時折アストラがヴィッテに向ける眼差しから、オクリースはおおよその経緯が予想出来た。わかりきっているアストラの気持ちではない。それに気が付き、何かしらの行動に出たであろうステラの心情を。


「アストラ、聞いていましたか? ここしばらく、ステラも働きづめでしたから、姉――スウィンと会う機会を設けてはいかがでしょう」


 間違いなく、気の強い幼馴染には嫌味を言われるに違いない。オクリースは自分を睨みつけるステラの姿を容易に思い浮かべ、こっそりと苦笑した。


「そうだな。あいつはかなり疲れているようだ」


 ステラは、哀れみや同情でもするのかと、また綺麗な顔をゆがめていきり立つだろう。アストラは深いため息を吐く。スマートに動けない自分自身に。


(オクリースの元に仕えさせたなら、上手くいったのだろうか)


 アストラの様子に不安を覚えたのだろう。フォルマはオクリースの裾を軽く握った。その従妹の手を、オクリースは軽く叩く。すると、フォルマは下げていた愛らしい眉はそのままに、さっと指を離した。

 さてと。オクリースは気持ちを切替えて背を伸ばす。


「少々迷いましたが……ヴィッテ絡みの演習のことを知っているフォルマも、同席してもらうことにしました」


 オクリースの口調は硬い。

 アストラは、彼が魔術騎士団の参謀として、または、何らかの緊張を持って話をしようとしているのを察した。


「あぁ、むろんだ。フォルマが良ければ、だがな」

「同席は望むところではありますが……演習、ですの?」


 少しばかり不思議そうな色を含み、フォルマがオクリースを見上げた。オクリースは「えぇ」と小さく頷いてみせる。


「順を追って話しますが、クーロー医師を呼んだのは、何も彼がウィオラケウス家と懇意にしている信用できる医師だからだけではありません」

「彼は体内に存在する魔力に関連した治療の第一人者だ。俺も幼い頃、強すぎる魔力を体の外に排出できず苦しいんでいる時に世話になった」


 それが、ヴィッテとどのような関係があるのか。そう、フォルマの口が開きかけた。けれど、オクリースが順を追って話すと前置きをした。ならば、これ以上、余計な質問などせずともフォルマにも理解できる説明してくれるに違いないと思い直し、静かに唇を動かす。


「どうぞ本題に入ってくださいまし。わたくしも他言などいたしません」


 アストラとオクリースは顔を合わせ、お互い深く頷いた。

 フォルマは、ヴィッテが魔術騎士団に勤めることになった採用試験に関わっている。そして、フィオーレにおいてアストラがヴィッテの身元保証人になった理由も知っている。聡明でありヴィッテの近くにいる彼女には、事情を把握してもらうに越したことはない。


「では。少々、経緯を含めて、私自身も頭を整理したいですし、フォルマに説明しなければなりませんので、最初から話していきましょう」


 オクリースは一度、静かに眠るヴィッテに目を向け、深く息を吐いた。まるで了解を得るようだと、誰でもなく思った。

 そして、オクリースの重い呟きを合図に、三人は顔を合わせた。


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