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だれがどう見ても、嫉妬でしょうに。男としての。


 優しくて残酷な彼にはちょうどいい仕返しだと、ステラは苦笑に変わる。


「当時、十代半ばの小娘ながら、両家に立った良くない噂も耳にし、いかにご迷惑をお掛けしたかも存じておりました。アストラ様が魔術騎士団の司令官の任を拝命し、この居をかまえた時も愛人を囲うには丁度いいなどと、品のない噂が社交界の話の種にされていたことも」

「それは――俺の力不足が主な原因だ。ステラの名にも傷をつけ申し訳ない」

「私はもう誰にも嫁がないと決めております。お気になさらず」


 世間はいくらでも人を貶めるネタを見つける。

 特にアストラは年若くして王命を受け、その直轄である新設の魔術騎士団の長の位を賜った。侯爵家の末子ながら、貴族として自身も伯爵の地位にある。今後、魔術騎士団の存在が認められ総司令官の役職が設けられれば、いずれ侯爵にもなるだろう。


「ましてや、貴族の男性が愛人を持つことは、さして珍しくはありません」

「俺は愛人を作るつもりなどない」

「存じております。申し上げたいのは、一般的には珍しいことではありませんが、現在のアストラ様のお立場としては、決して利となる状況ではないという意味です」


 アストラはさらに首を傾げるしかない。自分は愛人を持たないと断言しているのにと。

 ステラは、起きている事象について厳しく説教をすることはあっても、想定の話に必要以上に踏み込んで時間を割くことはない。


「それが移民の少女となれば、殊更です。言語道断と言い切れます」


 アストラの瞳がみるみる間に大きくなっていく。彼にとったら予想外も良い人物をあげられて、呆気に取られるしかないのだ。

 ステラとて、個人的には吐き捨てるように語りたい相手ではない。けれど、ここまで言わなければ主は聞き入れてはくれないと知っている。


「一部の者は、貴方がヴィッテ様の身元証明者になられている事情――個人的な理由以外に、王命があるのは存じております。ですが、それは必要以上には公開されない情報。端から見れば、移民の少女を過剰なほど目にかけ、保護していると映っているでしょう」


 ステラの主張は至極まっとうなものだ。アストラも理解はしている。この数カ月、幾度となく受けてきた忠告でもある。

 だが、アストラは無論のこと、魔術騎士団やヴィッテを知る者なら誰しもが否定するであろう根も葉もない噂と聞き流すことを、彼は確信している。


「ステラ、お前が案じてくれるのは有難い」


 嬉しいはずの感謝の言葉に、ステラは珍しく瞳を湿らせた。きつく、ベッドのシーツを握るステラの指。


「なら……」

「お前は理解してくれていると思っていたが、俺の態度が余計な危惧を抱かせていたなら謝る」


 違う。謝罪が欲しい訳ではないと、ステラは下唇を噛んだ。ヴィッテへの想いの自覚のない彼の否定は、むしろ肯定となるから。主であるはずのアストラは、顔を伏せたステラの前に膝をついた。

 自分を見上げてくるアストラの視線と己の感情の違いに、ステラはヴィッテを見る振りをして視線を逸らしてしまう。


「俺は戦いから戻った後、悲劇に浸っていた。その間も、たくさんの人に見守られてきた。煩わしいと無視していた感情が、何よりも感謝すべきものだったのを今の俺ならわかる。それを教えてくれたのが、ヴィッテなんだ」


 アストラの迷いのない声色に、ステラの胸が締め付けられた。

 アストラは自由なようでいて、その実、彼が我儘を投げつける人間は限られている。出会ってたった数カ月の少女は、間違いなくそこに含まれている。……おそらく、どんな女性(・・・)よりも深い部分に。


「彼女を見つけた時、貴方が望む言葉を発したから? 身をもって証明したから?」


 ステラは思わず尋ねてしまった。本来の性別そのままの感情をのせて。

 それでも、アストラはいつもと変らない様子でしっかりと頷く。


「きっかけとして言うならば、頷くしかない。だが、違うんだ。日常が積み重なって、また明日も会いたくなる。ヴィッテが傍にいてくれるだけで、明日がやってくるのが楽しみでしょうがない」


 真っ白な顔色でベッドに横たわっている少女の頭を、ステラの指が撫でた。見ていたくなかった。アストラが無意識の感情と思い出を纏い、瞳を蕩けさせる姿を。

 ステラの罪悪感に満ちた触れ合いを受けつつ、深い夢の中にいる少女は「かあさま」と呟いた。それがまた、ステラの心を痛める。彼女の心内を表すようで。


「ヴィッテ……」


 めざとく声を拾ったアストラは手を伸ばしかけたが、体温がヴィッテに触れることはなかった。アストラの引っ込められた手は、硬く拳を握っている。


「確かに俺はヴィッテを好いているが、お前が言う感情とは色が違う」

「どう違うとおっしゃるのです」


 そんな顔して、どの口が言うのか。どうして、そんな色を宿して残酷な否定が出来るのか。ステラは叫びたい衝動を必死に抑え、己の腕を握りしめる。


「アストラ様は、わかっていらっしゃいません。貴方自身のお気持ちも、ヴィッテ様の心も」


 ステラはあからさまに頭を振った。ここまできて自覚がないのは異常だと。

 まるでアストラが恋という特別な感情を抱くことを恐れているようだと感じられた。

 いや。以前の彼の状態を思い出せば可笑しいことではない。大切な人を、人たちをなくす絶望を知っている彼だから、恋人という特別な存在を作るのを恐れているのだろう。だが――。


「ヴィッテは何事にも一生懸命で、いつも感謝を忘れない。食べ物をすごく美味しく食べるのも飲むのも可愛いのだ。しっかりしていそうで抜けているから、つい手を伸ばしたくなって。妹みたいに――そう、保護者として成長を見守りたい存在なのだ」


 ここにきても認めないのかと、ステラは内心で頭を抱えた。

 だが、先ほどの異様な気配も気になる。ステラは、これ以上言い合いを続けるのは得策ではないと考えた。


「なら、話は早いかと。ヴィッテ様自身がこの男性に守られたいと、守りたいと思う存在が現れたら、個人的な立場としてのアストラ様はお役御免。幸せになりなさいと、手を離せる。そういうことですね?」


 敢えて、事実を突きつけてから、確認するような言い方をしたステラ。

 いささか見え透いた手法だったかと考えたのは一瞬、言葉を詰まらせたアストラを見れば効果てきめんだったのは一目瞭然だった。

 後、もう一押し。


「主がそうお考えなら、ようございました。状況も状況でございますので、お話をすること自体躊躇しておりましたが、旧知の身元も人格も確かな知り合いの貴族から、ヴィッテ様を紹介して欲しいと――」


 ステラの言葉は最後まで続かなかった。いな、続けられなかった。

 薄暗い中でも身の毛がよだつ、鋭い視線。魔力でも発動しようとしているのか。平素は蒼より少し薄い天色の瞳が、不気味に光っている。

 しかし、恐怖よりも、保護者なんてどの口がきくのかと、ステラの腹に怒りが込み上げてくる。


「今のが、保護者の顔ですって? 私を、恋も男も知らない子どもとでも思っているのかしら」


 アストラには届かない音量の呟き。けれど、ステラから溢れる激憤は感じたのだろう。アストラはすっかりいつもの様子で「すっステラ?」とたじろいだ。


(ここまでくれば、鈍感を通り越して病気と言えるレベルだわ。でも、アストラは決して自己評価が低いわけでも、好意に鈍いわけでもない。むしろ、昔から様々な好意を寄せられることが多く、きちんと己の中に生まれている感情の正体を把握して動いてきたのに。だから、生まれた絶望の深みにはまっていったのに)


 ざわめきが、ステラの眉間に皺を寄せる。


「保護者ですって? それは、私に対してと同じなのかしら。単なる同情?」

「違う。そもそも、俺はステラに同情したんじゃない。お前が必要だと思ったんだ。男とか女とか、身分とか関係なく」


 アストラの真摯な言葉が、ステラの胸を根こそぎ抉る。欣快(きんかい)と絶望をいっぺんに味合わせてくる、ひどい人。

 間違いなく、当時のステラにとっては嬉しい言葉だった。性別など関係ない友人関係が構築出来ているとさえ、歓喜したものだ。

 ヴィッテに対してだって、王命がなくとも純粋な保護欲や好奇心から関りを持っただろう。そして、確かに最初はただただ見守りたい存在だったのだろう。


(けれど、私は知っている)


 ステラは身をもって知っている。それが、恋というやるせない感情に姿を変えていくことを。


「スウィンやリベラ、お前の兄姉は俺の大事な友人だ。幼い俺はお前たちにとって、最善の手を差し伸べられなかったかもしれないが……」


 いつものアストラなら、唐突に不自然なタイミングで切り出した話題を、その前の会話と結びつけて本質的な話をするはずだ。


「アストラ様。いい加減、観念なさいませ。自覚して、ヴィッテ様から一線をひいてください」

「一線を引く必要がどこにある。ヴィッテは王命により保護されている存在だぞ」

「なら、申し上げますが。監視はいくらでもつけることが可能です。実際、ヴィッテ様のアパートメントの大家は私の姉であるスウィン。それに、毎日ではございませんが階下には先生の奥様のエンテラ様がいらっしゃいます。臨職の契約を更新しなければ、毎日顔を合わせることはなくなりますが、アクティ様のお店をお手伝いされていらっしゃるとのことですし、就職先もアストラ様のお力が及ぶ範囲内です。何の問題が?」


 きっぱりと言い切ったステラに迷いはなかった。

 むろん、アストラにはアストラの意見があるのだろう。それをぐっと飲み込んで言葉にしないのは、ステラの意見を覆せるほど強い主張ではないと自覚しているからだ。


「ヴィッテ様が運ばれてくる直前の状況は、フォルマ様に伺いました。ヴィッテ様を勝手に許嫁にしていたスチュアートとやらが押しかけてきて、ヴィッテ様がアストラ様の手をすり抜けて飛びかかっていったこと。あまつさえ、ヴィッテ様を婚約者として、故郷に連れて帰ると寝言をおっしゃったとか。良いではありませんか。彼と添い遂げるかは別として、有力者の弁解があるならば、故郷に大手おおでを振って帰れるのですから」


 アストラの俯きかけていた顔があがる。どの言葉が彼の琴線に触れたかは、考えるだけ無駄だ。恐らくもなにも、全部だからと容易に想像がつく。

 ステラの大きなため息を耳にしても、アストラの表情は動かない。


「アストラ様、そのまま鏡をご覧なさいませ。私は、先ほどすでに拝んでおりますが」


 ステラは、ベッドのサイドテーブルから小さな手鏡を手に取り、アストラへ向けた。

 アストラは、鏡に映る自身に瞳を見開いた。目玉がぽろりと落ちそうなほど。


「俺、は……」

「ご自分が浮かべていた表情の意味、自覚いただけましたか?」


 開きかけたアストラの口を塞ぐように、ステラの両手が彼の頬を軽く叩いた。ぺちんと、可愛い音が鳴る。

 あっけにとられたアストラに、ステラに泣き笑いが浮かんだ。


「ヴィッテ様をとられたくないと思ったのでしょう? 男として。だれのモノにもなって欲しくなくって、さっきも私を凄んできたんでしょう? ヴィッテ様を、女性として独占したいという欲を抱いているのでしょう?」


 アストラはステラから目を逸らし、唇を噛んだ。


「だから、医院には連れず、ご自分の領域である屋敷へ運んだ」


 日ごろのアストラであれば、屋敷へ連れてから医者を呼ぶよりも、直接医院へ駆け込むに違いない。オクリースにしたって同じだ。彼はいつだって効率の良い道を選択する。が、彼は承知していたのだろう。アストラの心内を。

 幼馴染として、ずっと傍で見て来たからわかってしまう。


「だれがどう見ても、嫉妬でしょうに。男としての」


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