ヴィッテ様は本当に興味深い方ですわ。
ステラ寄りの三人称です。
発した本人もだが、アストラにも同様の色が浮かんでいく。それは、純粋な驚き。
違うのは、アストラは無意識の反応だということだろうか。
ステラは、己の発言にしっくりときていた。胸にすとんと落ちてきたが故の驚嘆。
「駄目ですよ」
理解して、念を押す。
ステラは目の前に立つ男性の様子に、泣きたくなった。けれど、実際の彼女の瞳はひどく乾いている。
「あっ、あぁ。触れすぎると、ヴィッテを起こしてしまうな。起きてから存分に甘やかしてやるぞ!」
眠る少女に触れた指先を咎められたと思ったのだろう。アストラは屈めていた腰を伸ばした。ステラには、ソレも形だけだと容易にわかった。
アストラが自分の手元を見つめる視線も、手つきも、言葉とは反対の様子で名残惜しさしかない。にも関わらず、このアストラの反応は――あまりにも滑稽だと、ステラは思った。
「はっ!」
「なっなんだよ。いや、昔は良く見た反応だな。学院仲間の時は、オクリースやシレオを巻き込んで騒ぎを起こす俺に呆れては、鼻先で笑われていた。剣稽古付きで」
ステラが鼻先で笑ったことも、アストラは受け止める。あまつさえ、懐かしいと微笑むのだ。逆に、ステラは苛立ってしょうがない。アストラがいう昔の自分なら、鼻先に指を突きつけて、「君は本当に自分というモノが見えていないな」と男勝りに言い放っただろう。
けれど、今は違う。アストラがどんなに昨日のことのように懐かしもうとも、対等だったあの日とは全く違う。
「話を逸らさないでください。言葉の意味が理解できないほど、貴方は子どもではないでしょう?」
「ステラ?」
アストラには答えず、そっとベッドに腰かけたステラ。
ベッド横の淡い紫色のスツールにアストラが座ったのを確認し、傍らで汗を浮かべ寝ている少女に手を伸ばした。
頬を滑って、喉元で指先が止まる。綺麗に切り揃えられた爪先に、わずかに力がこもる。空気がぴりっと張り詰める。
「ヴィッテ様は本当に興味深い方ですわ。異国からきた好奇心旺盛で行動的な子。なのに、それに似合わない低い自己評価と卑屈な言動。なんて不均等なのでしょうね。本当に不自然な存在ですわ。不自然でいらっとするのです。彼女自身が不均等さを自覚していないから、余計に」
「ステラ。何が言いたい」
アストラの声に怒気が混じる。ベッド脇に立ちあがった彼の拳がぎりっと鳴った。
ステラの胸に異様な高揚感が生まれる。久方ぶりに向けられた負の感情。それは、偽りでもなければ誤魔化しもない。ただ真っ直ぐに、生まれた気持ちをぶつけられている。これを喜ばずにいられるだろうか。
「異国の地で最初に保護された人達に騙されたにも関わらず、それを許した心の広さ。むしろ、その人達の評価に応えたいと健気に努力さえする。まるで物語の主人公のような方ですわね」
ステラは指先から肩まで走った痺れで、体を離す。
――それはヴィッテのせいではない。好奇心旺盛な姿が本来のヴィッテの姿。違和感を抱いていないのは、優しいあの子が忘れている私のことさえなくさないようにと、自分の一部だと思ってくれているから。あの時にしばられ続けているから――
いや、電流が肩まで上がってきたところで、ようやく離せたのだ。右肩を掴んでも、どこからともなく向けられる殺気は緩まない。
ぞくりと背筋が凍り、周囲を見渡す。剣士に戻り、気配を探る。いくら見渡しても、殺気の出所は掴めない。
――それを、やすっぽい物語の登場人物と評するな! 己の道を自ら諦めた小娘が!! 運命に抗い、人生を歪ませる存在さえ愛する子を、お前が!!――
正面からぶつけられられた魔力に、ステラは床に座り込んでしまう。へたり込んだ体は、全く力が入らない。神経全部がおかしくなってしまったように、体を起こしているのがやっとだ。
「おい、ステラ。威勢良く刃向かってきたのに、なぜお前がへたりこむ」
アストラが訝しげに右手を伸ばしてくる。本来なら主の手を掴むべきではない。だが、ステラはすがってしまった。ほとんど無意識で、掌を重ねていた。
それにしても、アストラが異質な魔力を感じて動じた様子がない。おかしい。これほどの魔力と殺気がある空間で、アストラが反応しないなど。ステラは息を飲んだ。
「絶望の淵にいたアストラ様が出会ってから入れ込むのも無理ないと思います。まるで……『すりこみ』みたいですわね。そうなることが、必然だったみたい」
言い終えるのと同時、ぐいっと力強く体を引き上げられた。同等だった少年時代とは違う、男性の力を全身に感じてステラは柄にもなく、頬に熱を感じた。指が軽く添えられた腰さえも焼けるほどだ。
だが、浸る間もなくアストラは離れていく。近くのソファーにどかりと腰を落として、深く息を吐いた。
「刷り込みか。言い得て妙だな。俺が刷り込まれているのか、ヴィッテがそうなのか」
アストラに自虐的な笑みが浮かぶ。腕と足を組んでいる姿は、戦場での彼を彷彿とさせた。
ステラは内心、おやっと思った。毎晩、親ばかのごとく家人にヴィッテの様子を語るアストラの面影はない。
「俺はどちらでも良いと思うのだ。考えることも多いし、課せられた任務もある。だがな、ヴィッテと出会ってから不思議と負担はないのだよ。むろん、今となってはヴィッテに正直に話したいとさえ思う」
「かといって、無理に伝えなくても良い事実です。ヴィッテ様なら、戸惑っても拒絶はしないとお考えですか?」
「ううっ。多少怒られるのは覚悟している。が、確かにヴィッテに拒否されるのは想像ができない、というのは俺の甘えなのだろうか」
アストラは気まずそうに頬を掻いた。染まった部分をやたら痒そうに。
そうして、ステラの腹はまた煮える。アストラは全くわかっていないと。
(ヴィッテ様が本気で怒らないのは線引きをしているからです。嫌われるのを恐れているからです。でも、あのタイプの子が本気になったら、何も言わずに去って行くでしょうね)
もはや、ステラはどちら側に立てばいいのかわからくて、苛立ちめいいっぱいに息を吐いた。意見を聞く気がないのにやたらびくつくアストラも、この会話が聞こえていない眠りについた当事者の少女も。本当に、腹が立つ。
ステラはもう一度ヴィッテに触れた。今後は、若干荒々しく。
「どう、して」
そして、アストラが触れた時と同じように、目尻に涙を浮かべた少女。
ステラは堪らなくなった。いっそのこと、彼女があからさまにアストラを利用するような少女だったら良かったと幾度となく考えただろうか。ならば、ステラとて容赦なく突っぱねることが出来た。
「アストラ様に仕える者としても、幼馴染としても、これ以上ご自分を不利な状況に追い込まないで欲しいのです。そして、これまで苦労なさってきたヴィッテ様にも、穏やかに過ごして頂きたいのです」
真剣な眼差しでアストラを射抜くステラ。
であるのに、当のアストラは不可解だと眉をしかめた。ステラは目の前にかかった髪を耳にかける。十代半ばまでは男勝りに短かった髪が、随分と女性的に伸びた。自然と編み込まれ、纏めている後ろ髪に掌が触れる。
「私たち兄妹は、もともとウィオラケウス家にも懇意にして頂いていた貴族の身分にありました」
「ステラ。なぜ今そんな話を――」
突然、何年も前のことを語り始めたステラに、アストラは問いかけに少しの怒りを混ぜた。けれど、ステラの冷静な眼差しに語尾を飲み込んでしまう。
数秒だけ、ランプだけが頼りの薄暗い空間に沈黙が流れる。
「ですが、あの事件に巻き込まれ、財産の大部分を没収されてしまいました。貴族の地位を返上した私たちに手を差し伸べてくださったのは、ウィオラケウス家と漆黒の君のお父君である宰相様だけでした。さすがに先生は動けなかったようですから」
当時を思い出し、ステラの長い睫毛が伏せられた。
両親ともに社交界での立ち回りが得意でなかったのもあるが、掌を返されたようにぶつけられた様々な感情や待遇は、生涯忘れることはないだろう。
ステラとヴィッテは身分の違いはあれど、ひどく似た境遇を経験している。だからこそ、ステラは自分とは違い頼れる身内もなく単身フィオーレに移住してきたヴィッテの身の上と心情を聞き、純粋に尊敬した。手助けをしたいと思った。
しかし、主が絡むとなれば話は別だ。それだけ、ステラにとってアストラの存在は大きすぎる。守りたいと願う深さは、比較対象にすらならない。
「残り少ない財産をいかし、もともと商業に興味のあった姉スウィンに不動産の生業のノウハウを教えて下さり、兄には地方の任とは言え、騎士の道を残してくださいました。それに、剣の道のみを目指しており家事もろくに出来ない私を、侍女として雇ってくださった。そのうえ、ご自身が独立される際にも、残った私の肩身が狭くないよう、ご自分について来いと引っ張ってくださいましたね」
何度か口を動かしたアストラは、結局、言葉を発することなく絨毯に視線を落とした。何かをこらえるかのように、開いた足に両手をつき、肩に力を入れている。
(馬鹿な人。私は先の戦争で重症を負い、剣士として使い物にならなくなっていた。だから、アストラは魔術騎士団にではなく、家人として雇ってくれたのだ)
反して、ステラの唇には微笑が浮かんでいる。いささか意地悪が過ぎたようだと反省しつつも、己のために感情を動かす彼に胸がざわめいてしょうがない。きっかけが他の少女だとしても。




