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うそっこじゃ、ない、もん。半分は、うそっこじゃない、もん。―魔女の回想―

 お腹にいたアクア・ヴィッテと、かつてのアクア・ヴィッテ。二人は魂の双子となった。

 アクアは、いつも柔らかい風が吹く花畑で過ごすことになった。時折、風に乗ってくるヴィッテの母の歌にあわせて過ごす日々は、今まで経験した中で最も穏やかで不安のない時間だった。

 ヴィッテの小さな命の姿がぼんやりと見え始めると、アクアが知る歌を彼女と一緒に口ずさみもした。ぼんやりとした赤子の姿が、アクアの隣に座り込みはしゃぐのだ。


 枯れた大地に花を咲かせた命の歌、侍女が歌ってくれた見知らぬ故郷の歌、フィオーレで流行っていた楽しい恋や切ない恋の歌。

 それらを、アクアの人生をなぞるように紡いだ。


 特に、ヴィッテは花たちがいきいきとする歌が大好きで、咲き乱れ舞う花びらを追ったものだ。花びらが小さな手に包まれる度、ヴィッテの中に魔力が吸い込まれていった。アクアの欠片が、ヴィッテの精神に溶け込んでいった。


――はなびらさん、おいしい! あっ、この薄桃のはさっきの黄色いはなびらより、あまいね!――


 ヴィッテの中にアクアの想いの欠片が入る。そのことに多少の懸念をいだくアクアだったが、ヴィッテの愛らしい声にいつも「食いしん坊さん」と笑ってしまい、それ以上考えることはなかった。

 けれど、そんな幸せに気を抜くと、サスラが激しく睨んでいるのを感じた。空の上から、とんでもない敵意を感じた。


「妹を奪うなとでも言いたいのかしら」


 吐き捨てる度、アクアは暗い感情を抱いた。この子は貴女だけのものではないと。


**************


 ヴィッテが臨月ほどの存在になると、アクアは再び現世に出られるようになっていた。それはとても不思議な感覚だった。まるで、ヴィッテが育つのと同時に、アクアも生まれ変わっているようだった。

 とはいえ、幽霊状態は墓場にいた時と同じ状況ではある。違うのは、動ける自由度だった。ある程度ヴィッテ(母)から離れなければ、屋敷の外に出ることも出来た。直線的で重厚な傾向が強い建物も、薔薇をはじめとした様々な花を咲かす庭園も、アクアにとっては新鮮で楽しかった。

 ただ――。


「母様、サスラはね、絶対、何があっても、ヴィッテを守るわ」

「まぁ、ありがとう。サスラがお姉ちゃんでヴィッテも幸せね。でもね。我慢する必要はないのよ? 姉妹喧嘩だっていっぱいして欲しいし、ヴィッテが間違ったなら怒っても良いの」

「うん。大丈夫。ちゃんとわかってる」


 アクアがヴィッテから離れる度、遠くにそんな会話が聞こえるのは毎度のことで、それだけが彼女の瞳を陰らせた。

 アクアにとってこの上なく幸せな空間で、サスラだけが忌々しくて仕方がなかった。幼子の戯言と流すことが出来ればよかったのだが、彼女の視線を受けるとどうしようもなく苛ついてしまった。


「貴女のその執着心と敵意は、たまらなく不快だわ。貴女のアイデンティティって、ヴィッテの姉っていうことだけなのかしら?」


 ある日、母親が腹のヴィッテに歌を聞かせている時、あまりにも生意気な視線にアクアが放った言葉。苛ついてしょうがないと、感情を抑えられなかった。


「執着じゃないもん。母様のお腹がおっきくなればなるほど、わかるもん。貴女みたいな人を『魔女』っていうんでしょ! 魔法を悪いことに使う人! だいっきらい!」


 サスラもまた、ヴィッテと同様、不思議な力を持っていたのだろう。彼女が実体化し、ヴィッテの母に寄り添うようになると、さらにきつい視線を投げつけてきた。代わりに、母の腹――ヴィッテには、しがみつくようになっていた。


「あなたなんて大っ嫌い! うそっこなくせに! ヴィッテをだますうそっこ魔女なくせに!」


 『魔女』という単語に過剰反応してしまったのかもしれない。アクアは、かっと頭に血がのぼるのがわかった。

 これまでだって単純な言い合いはしてきた。睨み合ってもきた。けれど、肝心な言葉をぶつけたことはなかった。それなのに――。


「貴女こそ偽物の姉のくせに! ヴィッテの本当の家族じゃないくせに!」


 売り言葉に買い言葉。つい飛び出してしまった言葉は、思いのほか、アクアの胸に刺さった。いや、痛みが倍になって返ってきてしまった。

 はっとした数秒後、崩れていったサスラの幼い頬。みるみる間に、瞳いっぱいに涙が溢れていった。それでも泣くのを踏みとどまろうとする姿に、アクアの胸は後悔でいっぱいになった。


「さっサスラ、うそっこじゃ、ない、もん。半分は、うそっこじゃない、もん。だから、わたし、ヴィッテのおねえちゃんになって、ちゃんとなって、家族になって――」


 その時のサスラの表情は、アクアの心の片隅にずっと残り続けている。

 切れ長な目いっぱいにたまっていった涙。唇を震わせながらも堪える姿は、だれでもなくいつかの自分に重なったから。


――ねぇ、アクアおねえさん。ヴィッテ、サスラねえさまも大好きだよ?――

「うん、ヴィッテ、わかってる」


 アクアは、どうしようもなく苦しくなった。

 ヴィッテが、生まれてもいない自分を慈しんでくれている姉を慕っていることも。自分がその姉に目の敵にされていることも。どちらも知れば知るほどに、努力でどうにか出来ることではないと諦めるしかなかった。


◇◆◇◆◇


 しばらくして元気な産声をあげて生まれたヴィッテは、言葉こそ交わせなくなったものの、相変わらず無邪気な笑顔をアクアに向けてくれた。

 むしろ、より愛らしい仕草で幽体の自分と遊んでくれるヴィッテは、アクアに新鮮な日々をくれた。


「あー!」


 ヴィッテがモコモコの長い耳がついたフードを揺らす。それだけでも愛らしいのに、垂れた耳の猫のぬいぐるみを大事そうに抱く。

 可愛い服装と同様の私室。赤子のヴィッテのために用意された部屋は、随分と広かった。


「何度見ても、素敵な部屋ね。だだっ広いのではなく、両親がヴィッテの成長した姿を想像して用意したのがわかるもの。親心っていうのかしら」


 淡い色の壁に施されたモールディングの装飾は、女の子らしさを含みながらも存在を主張していないので、大きくなってもインテリアで印象が変わるだろう。

 部屋の中央にある暖炉の上には、大きな鏡がはめ込まれている。部屋の所々に置いてあるランプは形状が様々だが、どれも花を模しているのがわかった。


「まるで私が育ったフィオーレの文化みたい」


 柱の小さな装飾や棚の取っ手など、小さな部分に共通点を見出す度、子どものようにはしゃいでしまったものだ。

 そんな空間でヴィッテが座り込んでいるのは、一見すると浮いている木製の揺りかごだ。しかも、重厚な木造ではなく、藤という異国の植物がしっかりとかつ通気性よく編まれたものだ。


「さすが、ヴィッテのご両親ね。目利きの商人だわ」

「うっう、あー!」


 ふくふくと笑ったヴィッテの頬に、アクアの指は埋まらない。けれど、藍色とも紫色とも言えない不思議な目は、とろんと蕩けてくれる。だから、寂しさなんて吹き飛んでしまう。

 それでも、ヴィッテはアクアの瞳の陰りに気が付いたのかもしれない。抱きしめていたぬいぐるみを掴んで、妙に神妙な顔つきで「うっ」と差し出してきた。


「まぁ、ヴィッテ。お気に入りのお人形をかしてくれるの?」


 桃色のリボンを巻いた真っ白な猫のぬいぐるみを撫でても、ヴィッテは両腕をばたつかせて、大きな目でアクアを見つめ続ける。

 アクアの反応がまだ不満だと言わんばかりの行動に、当のアクアは困ったように笑うしかなかった。それに、またヴィッテは唇を尖らせた。


「うっ。あー、うっー!」

「ヴィッテったら。ねこさんが飛んで行っちゃったわよ?」


 くすりと笑いを零したアクアが、ふわりとヴィッテの傍を離れた瞬間。白を基調とした木製のドアがけたたましく音を立てて開いた。大きい音にもかかわらず、ヴィッテは泣き出さなかった。

 むしろ、嬉しそうに手足をばたつかせて、こてんと後ろに倒れてしまった。倒れてなお、楽し気にきゃっきゃと笑っている。

 慌てたアクアが近づくよりも早く、ドアを開けた少女が靴音を響かせた。


「ヴィッテったら、またひとりで遊んだりして! ねぇさまとティーでお人形劇をしてあげるから、おいで?」


 ヴィッテの丸っとした目と似ていない、切れ長の瞳。それをさらに吊り上がらせたサスラが、ベビーベッドの柵をいじる。かちゃりと音をたてて扉が開くと、ヴィッテは「うー」と唇を尖らせてサスラに手を伸ばした。

 さらりとした腰までの青みがかった黒髪を乱し、サスラはヴィッテを抱きしめる。


「あー!」


 力の限り抱きしめられたのが痛かったのか。ヴィッテは目を湿らせ、終いには大きな声で泣き始めてしまった。四肢をばたつかせ泣き叫ぶヴィッテを前に、サスラは懸命に鈴を鳴らしたり、揺りかごを揺らしたりする。

 そんな彼女を微笑ましく眺め、睨まれてしまうのは毎度のことだった。ヴィッテが生まれてからは、必死に妹に構う彼女の姿が案外可愛くて、前よりも敵意は薄らいでいた。


「少しは私に助けを求めればいいのに。いじっぱりな子」


 どうしたものかとアクアがぷかぷか浮いているうちに、こちらもお決まりの人物が姿を現すのだ。


「あらあら、サスラ。ヴィッテと喧嘩でもしたの?」


 母親とは本当に不思議だ。どんなに離れた場所にいても、子どもの様子を察したように姿を現す。くせのある長い藍色の髪を三つ編みに結った女性が、白いドアを鳴らした。

 一瞬だけびくりと肩を跳ねさせたサスラだが、女性の姿を確認するとほっと眉を垂らした。が、すぐさま大きく両腕を大きく振った。


「母様、違います! ほら、そこにいる幽霊のせいで、ヴィッテは泣くの!」


 声を張り上げたサスラ。

 母とメイドが瞬きを繰り返すと、サスラは宙を指さしたまま固まってしまった。


「……なんでもないです。ごめんなさい。わたしが、ヴィッテを強く抱きしめたから、泣いちゃったの」


 誰に咎められたのでもないのに、サスラは小さく小さくなって謝った。

 母はメイドと顔を見合わせ「もう、仕方ないわね」と笑った。それが彼女の口癖だった。


「ねぇ、サスラ。その幽霊さんはまだここにいるの? 母様ってば、その幽霊さんに、いつも夜にしか会えなくて、おやすみしか言ってないの」


 母が悪戯めいた調子で片目を瞑った。サスラは抱き上げられた状態で、目をぱちくりとさせる。

 いつの間にか、ヴィッテは一人きゃっきゃと笑っている。アクアがあやしているから。


「え? うん。いるよ、ずっとヴィッテをねらってる」

「ヴィッテのことを狙っているってどういう意味かしら。幽霊さんはヴィッテを傷つけようとしているの? 母様ってば、幽霊さんともお友だちになるのは得意だから、挑戦してみようと思うのだけれど」


 母が問えば、何故かサスラは頬を染めた。


「ちが、くて。わたし……」


 サスラはしばらく涙目で挙動不審に周囲を見渡していた。が、ゆっくりと髪を撫でる母のぬくもりに溶け、ぎゅっと首にしがみついた。

 そんな幼子を、母はより強い力で抱きかかえた。


「幽霊さんもサスラと同じように、ヴィッテが大好きだから、サスラはだめーって妬いちゃったのかな。大丈夫、サスラは世界でたった一人のヴィッテのおねえちゃんよ?」


 母の言葉に、サスラはむぅっと口を尖らせて黙ってしまった。

 その表情は子どものようで、そうでなかった。椅子に腰かけた母の膝に乗る娘は、なにかを飲み込むように俯いてしまった。

 母は静かな笑みを浮かべたまま、サスラの言葉を待つ。さらさらな髪に手を滑らせながら。

 ややあって、サスラは母にきつく抱き付いた。


「あの幽霊はずっとさき、ヴィッテをヴィッテじゃなくしちゃう悪霊なの」


 アクアの喉が、ひゅっと鳴った。それは心当たりがあるからに違いなかった。


「だから、ヴィッテはわたしが守るの。幽霊もヴィッテが大好きなのは、しってる。でも。だめなの、だめ。わたしはヴィッテのおねえちゃんだもん。おねえちゃんだから、守らなきゃ」


 サスラは縋るように母を掴んだ。藍色の髪を、薄緑色のワンピースを。小さなちいさな手は――孤独を知っている仕草だ。


 アクアの記憶がはじけ、意識が現代へと戻る。


 幽体の彼女は、アクティの店の三階にいる。目の前にはヴィッテがいる。そして、震えるヴィッテに抱きついているのは、彼女を思う友人達だ。アストラとオクリースもいる。

 そして――アクアの目が細められる。ベッドに腰掛けているスチュアートを捉えて。


回想編、これにて終了。次回から現代軸に戻ります。

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