私、本当に災いの魔女だった―魔女の回想―
三人称です。
あぁ、とヴィッテは呟いていた。
思い出したのだ。自分に瓜二つの幽霊こそ、ヴィッテの一番最初の友人だったと。それこそ、この世に生れ落ちる前からの友だちだったのだと。
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気が付いた時、彼女は既にソコにいた。
彼女は石の上に腰かけ、ただただ、ぼんやりと世界を眺め続けていた。理由は単純。奇妙な長方形の石から離れられないからだ。
おまけに、自分が『死んだ人間のなれの果て』という存在であるという事実はわかるのに、生前に纏わる記憶が一切ないのだから、どこかに行きたいという衝動もない。
どれくらいの年月が経った頃だろうか。
「私はまだ私なんだ」
ぽつりと、声が零れた。
音を認識した直後、靄がかかっていた視界が晴れていった。それでも、目の前にあるのは枯れ木と萎びた草。
それと同時に、彼女が最期に見たものとは真逆の光景だと思いだした。
首が落ちる前に見たのは、咲き乱れる色鮮やかな花びらの舞だった。街中に降り注ぐ花の魔法。自分の死を祝う花。
「自分の首が落ちた瞬間なんて、鮮やかな赤が混じったって暢気に考えたなぁ。やっぱり私は傾国の魔女だったのかなぁ。いや、単にのんきなだけか」
断頭台の下から投げつけられた言葉だ。ただ、それ以上は言葉が持つ意味はわからない。
しばらく、殺風景な鉄格子と呪術に囲まれた石の上で風を受けていると、彼女はぼんやりと自分という存在を思い出してきた。そう言えば、自分は大国に捕らわれた亡国の姫君だったと。
生まれてから成人までは軟禁、そして死ぬ前は幽閉されていた、悲しい人生を送った姫だった。
「私は死を与えられたはずなのに、どうして、まだ私でいるんだろう」
不思議と涙は零れなかった。その代わり、人というのは死んでもなお、『冷たい』という感覚はだけは健在なのかと笑いが込み上げてきた。ずっと腰かけている石は冷たい。
いくら自分が、古くは妖精族に繋がる血の末裔とは言え、死霊となってなお生前の死因――異種族の能力が付きまとってくるとは呆れてしまう。妖精族は肉体を失っても、強い願いがあれば精神体として現世に留まることが可能だと聞いたことがある、と。
「あははっ! おかしいの! 私、本当に災いの魔女だったのよ! 最後まであの人は庇ってくれていたのに! あの人が大切なモノを犠牲にしてまで、最後まで守ってくれたのに!」
彼女はひとしきり笑い、頭を振った。どれだけ気が触れたように笑っても、泣いても、嗄れることがない喉に虚しくなった。
そうして、両手に顔を沈めた。冷たさだけ感じる手は、流れ落ちる涙の熱を伝えてはくれない。生前の記憶が涙は熱いものだと教えてくれるのに、今は無機質なものが肌を滑っているのだとしか認識できない。
「これは罰なんだわ。当然だわ。だって、私は魔女だから。人を不幸にする、魔女。生まれてきてはいけなかった存在」
膝を抱えると、また涙が込み上げてきた。けれど、灰色のワンピースにシミは広がらない。なかったもののように消えていく。ただ、空気に溶けていく。
「魔女でもいいや。あの人さえ、幸せになってくれたなら。きっと彼は立派な王になった。民を思い、平穏を願い、けれど平和主義ではない賢い人だった」
大好きだった人の顔も声も、仕草もぼんやりとしか思い出せない。大好きだった人がいたのはわかるのに、声にするのが愛しくてしかたがなかった名前さえ思い出せない。
いや、と少女は笑う。それで良いと。何もかも思い出してしまったら、きっと彼の人生を、その終着点を知りたくなってしまうから。
「でも、どうして私はここにいるんだろう。何か理由があるはずだわ」
考えたところで答えを得るはずもない。それでも、時間だけはたっぷりとあるのだ。
「それにしても、女神様も少しは恩寵をくださってもいいのに。せめて、色が欲しいわ。生前はたくさんの色に囲まれて生きていた覚えがあるもの。荒野の中にだって、微妙な色の違いを見つけて楽しめる自信はあるのに」
肌に張り付く髪も、雨を落とす空の色も、大地を枯らす晴れも。何もかもが灰色に見えている。彼女にとって、それは何よりも退屈なことだった。
「これも、分不相応に彼を愛した罪だというなら、生前に全部ぶつけて欲しかったわ。むしろ、亡国からついてきたみんなが阻んでくれたら良かったのに」
呟いた後、彼女はひどく後悔した。彼らに押し付けていいものではないと、わかっているから。
今は顔さえ思い出せない家族たち。
囚われの身とはいえ元王族が家来を『家族』なんて呼ぶものじゃないと、よく諫められたものだ。彼女はその度にべそを掻いて、彼らを困らせた。『彼』が訪れない日、吐くまで泣いて、終いには「今日だけですからね」と抱きしめてもらった。
「それでも、私にとっては確かに家族だったのよ。大国に戦利品として持ち帰られた私は赤子だったんだから、なかったものとして見捨てて良かったのに。私が素直に王の妾になればよかった。それなのに、私は王の末子に恋落ちてしまった」
妾の子として王の末子に生まれた『彼』。通常なら認知すらされないが、王がひどく妾を愛しており、なおかつ『彼』が兄弟の中で一番容姿が王に似ていたことから溺愛されていたのだ。しかも、聡明ときたものだ。
王宮の離れ、彼女がひっそりと過ごしていた区域の隣に彼ら親子は居をあてがわれた。
「王は私を母様の代わりに娶るつもりだったんだっけか。その割に、彼の母様に夢中になっていて、彼らをできるだけ面倒な奴らから避けたくて、あそこにやったのよね。王都でありながら王都でないような場所に。きっと、みんな私の存在など忘れていたのでしょうね」
『彼』が彼女を見つけてくれた日から、彼女の世界のすべてになった。しゃべりだす前から出会った彼らは兄妹のように過ごした。ただ、彼女にとって彼が恋の対象となるのに大して時間はかからなかった。
それでも、生後間もなく捕虜となり妃教育を受けてきた彼女は、恋の成就など願わない。期限付きだと理解していても、十分に幸せだった。恋を知ったことに感謝さえした。
なにより、わかっていた。彼女が気の迷いを起こせば、自分が大切に想う者のすべては不幸になると。
「私は幸せだった。恋も知らずに政略結婚する貴族が多い中、人を愛する気持ちを知って王に嫁げるのだから。でも、違った。突如、王が崩御して、革命が起こった。彼が王になるべき存在だと祭り上げられた。それでも、良かった。邪魔なんてする気、なかった。彼が、革命の首謀者の娘を娶っても、私は――」
だからこそ、最終的に彼女は己が殺されることにも躊躇しなかった。
前王の悪行として見せしめるには絶好の道具だ。近年の王の悪政は、亡国の魔女のせいだと罪を擦り付けられても想定内だった。反旗を翻す側にも愛国心はある。他国の因子のせいに出来るなら、未来のためにも良い。
「良かったのに。彼に生かされていた命だから、悪役として華々しく散らしてくれたら良かったのに」
疎まれてきた彼が、やっと国民に愛される王になれる機会が訪れたのだ。
なのに、どうして自分は現世に縛られているのだろうかと嗚咽が零れる。あの時の気持ちは本当だったのに。
「これが罰だというの? 見知らぬ一族よりも、自分の一族を滅ぼした国の人を愛した私への。赤ん坊の頃に滅びたとはいえ、復讐心を抱かなかった私に科せられた。ただ、貴方が好きだったの。私の身の上を知っても、傍にいてくれた貴方が」
現在いるのが、生前いた場所の隣国の片隅であることを知ったのは、彼女が石に居続けてから随分たった頃だった。隣国とは言っても、大きな海原を渡った先だが。
物好きな人間が、彼女がいる石を訪れたのだ。
「大国を惑わせた魔女として殺された後も、隣国とはいえ手厚く葬られるなんて。どうか、その気概を私にちょうだいね。きっと、この人は呪術を身に着けていたからに違いないわ。おじん侯爵が私をないがしろにしたら、呪ってやるし。そん時は助けてね」
少女が随分となまりのある口調で石を磨き出した。
いやいや、自分はここから離れられないのは何度も試したし、そもそも呪術など使えない。生前でさえ簡単な遊びのような魔術が使えた位だと、彼女は愚痴ったものだ。
それを生前に口にできていたら、あるいは状況は変わっていたかもしれないと、心を曇らせながら。
「呪わずにおられたら、それが一番やけどね」
全くだと、彼女は小石を蹴った。
また、それからかなりの月日が流れ、やせ細った大きな荷物を背負った商人らしき男は、にやついた顔で石を見下ろした。
「ここが歴史からも消された姫の墓ってか? 骨くらい残ってりゃ、金になるだろうが。ともかく古けりゃいいか。魔法の鑑定されても、セイレーンだのなんだの言い換えればいい」
そこで、彼女は自分がいる場所がいわゆる墓石なのだと、初めて理解した。
なので、男がシャベルで土を突き刺した瞬間、雷を落としておいた。というか、「やめて!」と思った瞬間、目の前には腰を抜かした男がいたのだ。
「やっやっぱり呪われてやがる!! 人を不幸にする石ってのはまじだった!」
地面をはいずりながら、男は逃げていった。勝手なものだ。
それからも、様々な人が石の前を訪れた。最初は単純に人に会えることを楽しんでいた彼女も、徐々に感情を失い始めた頃。
「あら。こんなところに、墓石があったなんて」
眠るように息を殺していた彼女の耳を撫でたのは、驚きに満ちた声だった。驚きと言っても、それまで多かった恐れの色ではない。純粋な発見への驚き。
それが、あの人との出会いを思い出させた。
「墓石、よね? あらあら。あの人が教えてくれなかったということは、あの人も知らないのかしら。教えてあげなきゃ!」
鉄柵など当の昔に朽ち果てた場所で、濃い紫の髪をふんわりと耳下で結った女性が頬を押さえ、なにやら考え込んでいた。シャープな顔つきに似合わない、ややふっくらとした腹をしきりに撫でていた。
その隣で、顎髭をたくわえた初老の男性が、ひどくオロオロとしていたのを覚えている。
「よし! どっちにしろだわ!」
彼女が石から腰をあげるより早く。紫色の髪の女性はスカートの両端を掴みあげ、走り出していた。
「奥様、お待ちくださいませ! 身重のお体で走るなど――」
「ノウム、そう思うならしっかりついてきてね!」
今まであった誰とも違う反応に、彼女は口を開いて見送るしかなかった。
そのうち、くつくつと喉の奥から笑いが込み上げてきて、しまいには腹を抱えて、大きな笑い声をあげていた。
「おっ思い出したわ! あの子、まるで、生前の私みたい!」
好奇心旺盛に離宮や街を走り回る自分の後を、息を切らしながら追いかけてくれたメイド頭がいたっけ。
彼女は久しぶりに暖かいという気持ちを抱いた。あたたかい、という言葉を思い出した。
それでも。この人里離れた危険な場所を、良いとこ育ちに見えた『奥様』が二度と訪れることはないだろう。
「孤独を救われたって感謝しなきゃ」
呟きはやけに嘘っぽく響いた。膝を抱えても、感覚なんてありゃしない。
言葉を落として、改めて彼女は思った。いつまで、こうして一人でいればいいのだろうと。どうして消えられないのだろうと。
誰でもいいから、私を助けてと願ってしまう。そんな無責任な願いを投げていいはずがないと自分を納得させつつも、心の底ではいつでもこの墓石を蹴って去ってやりたかった。
「走れば、案外と屋敷から近いのね」
俯いた顔先に触れたのは、乱れた息だった。確かに感じたのだ。生暖かいものを。
ぼけっとした先にいるのは、荒い呼吸のまま腕まくりをした女性だった。
付き従う男性は若いメイドに手渡された水を飲みほしているところだ。三人のメイドが表情それぞれな様子で立っている。
一人はきゃらきゃらと笑いながら男性に水を渡している。赤髪の少女だ。銀髪の妙齢のメイドは我関せずとピクニックシートを敷いている。
「さっ。今、綺麗にしちゃうからねー!」
最後の一人は、淡々とした表情で奥様と呼ばれる女性のすぐ傍に控えていた。お腹をさすりながらしゃがむ彼女の背を、さりげなく支えている。
「奥様、ただ擦るだけでは。こちらの洗剤をお使いくだいませ」
どこから取り出したのか。メイドが差し出したボトルに、奥様は目を輝かせた。
「まぁ、ティーありがとう。ティーだけじゃなくて、皆ありがとう。私の我儘につきあってくれて」
「いえ」
静かな空間を震わせた声は、さらに小さな声だった。
声の主はそれ以上口を開かず、黙々と石を磨き続けた。従者は顔を見合わせた後、それぞれの様子で頬を緩めている。
生前の自分の境遇と重なって、ないはずの彼女の心臓が鳴った気になった。
――ねぇ、あのね――
どくんと。全身の血が沸きあがる。熱が全身に――爪先にまで灯った気がした。
ここにいると自覚して以来、冷たさしか感じなかった全身を熱が巡っていく。あまりの熱さにいく百年ぶりかに吐き気を覚えた。胃の全部がひっくり返ったみたいに、気持ち悪くなった。ないはずの体が蘇ったようだった。
えずいても、全身の躍動はとまらない。
――おねえさん、びっくりさせてごめんね――
確かに自分に呼びかけられた甘い声に、彼女は恐怖を抱いた。




