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だって、代わりにしちゃいけないんだもの

「どうして、わからないのだ」


 目を伏せかけた私の耳を鳴らしたのは、アストラ様の声だった。真摯(しんし)な声。

 二の腕からアストラ様の手は離れない。いや、一層力は強まっている。


「君がヴィッテの姉君と駆け落ちをした後、彼女の家族や大切に想う者たちがどうなったか把握しているのか?」

「もちろんだよ! だから、僕は故郷を追われ天涯孤独になったヴィッテの支えになりたくて、着の身着のままでフィオーレに来たんだ! 僕が連れて帰れば、また受け入れてくれるよ、故郷のみんなだって!」

「ふざけないでっ!!」


 スチュアートの戯言に間髪入れず響いた叫び。空気を裂くどころか、身を震わせる怒号だった。

 それは私のものではなかった。間違いなく、私から飛び出しかけていた感情だったのに、空気を揺らしたのは私の声ではなかった。


「えっ? フォルマ?」


 振り返った先にいた声の主を確認して、改めて驚いた。

 それは私だけじゃなかった。オクリース様もアストラ様も、アクティさんでさえ。

 一同の視線を集めているフォルマは全身を震えさせ、頬を上気させている。見た目だけなら、いつも通り愛らしいフォルマだ。


「貴方、ヴィッテの婚約者気取りどころか、友人としても失格ですわ」


 呆気にとられている彼の前に、靴音を立てて歩み寄ってくるフォルマ。平素の淑女の鏡たるフォルマを知る人なら、目を疑う光景だ。

 それでも、大股に歩み出てくるフォルマ。立ち止ったと思ったら、これまたらしくなく、がつっとヒールで床を鳴らした。


「ヴィッテの人となりを知っていたら、わからないはずがないわ。ヴィッテは自分に謝ってほしいんじゃない。ましてや、どんな覚悟で彼女が国を出たのか想像すらできないの? 貴方の謝罪ひとつで元の生活に戻れるなんて、よく言えたモノですわ」


 綺麗な真紅の瞳に涙をためたフォルマが、スチュアートの前で腕を組んだ。

 ベッドから立ちあがりかけたスチュアートは、目の前の令嬢の激昂に身じろいでいる。


「それに、どうして……。なぜ、真っ先にヴィッテのご両親が眠っていらっしゃる場所へ赴かなかったの。生きている人を優先する気持ちはわかるけれど。何よりも大切にして生きて欲しいとは思うけれど! 違うでしょうに、貴方の場合は、違うでしょうに!」


 フォルマの言葉に、堰をきって涙が溢れて止まらなかった。ぼろぼろと大きな雫が頬を滑っていくのがわかるほど、熱が零れている。口に止めどなく流れ込んでくる、しょっぱさ。

 それでも、止めなければと思った。友人に代弁させて、それを喜ぶなんて。


――ヴィッテ、それは貴女が当たり前に受けて良い感情なのに――


 幽霊までもが肯定してくる。違うよ。当たり前じゃない。

 否定しながらも、私は歯を食いしばってもなお嬉しいと思ってしまう。自分の気持ちを理解して、まるで自分のことのように感情を露わにしてくれる友人がいることに。駄目なのに。本当は、言わせてしまったって反省するところなのに。


「ヴィッテと出会ってたった数ヶ月の奴が、なにを理解できるってんだよ!」

「そのまま、そっくりお返しいたしますわ。貴方がご自慢なさるヴィッテとの付き合いの長さ。それが無価値だってことを」


 フォルマがぴしゃりと言い放った。当のフォルマが苦渋に満ちた表情を浮かべている。

 今の私にはわかる。彼女は――いや、みんながここまでの言及を避けた理由を。だって、スチュアートから見た私との年月を無価値だって否定することは、私が故郷で築きあげてきた何かをなかったことにすることだもの。実際、少なからずぐさりときたのも事実だ。


「ヴィッテが何を守りたくて、その守りたかったものを失ったからこそ、フィオーレに来たのか! ここでどれだけ努力を重ねて、ここをどんなに大切に想っているのか! 貴方に理解できて堪るものですか!」


 それでも、鼻先がつんとする理由を知っている。感謝を知っている。

 とはいえ、やはり、ここまで言ってもらえるのは予想外で。歪む視界を両手で擦ることしかできない。熱い。手が目を擦る度、熱いものが肌に触れる。


「あぁーあ。わたしが鉄拳食らわせながらぶつけてやろうと思ってた台詞、お嬢様に全部取られちゃったじゃないの」


 首に回された華奢な腕。ぐしゃぐしゃな顔のまま半身を起こせば、そこにはメミニがいた。

 自分の想いを汲み取ってくれる友人たち。独りよがりだと想えた感情を自然に受け入れてくれる、大好きだって思える少女たち。


「わっ私。私は」

「わかってるってば。あんたのことだからどうせ、嬉しい反面、フォルマお嬢さんに怒りを抱かせたのを申し訳なく思っているってのはさ。言っておくよ。それこそ、フォルマに失礼だから。良いんだって。むしろ、あんたは自分の感情にもっと人を巻き込んで、良いんだよ」

「やっと、お嬢さんというの止めていただけましたのね」


 こんな空気なのに。メミニとフォルマはお互い、ふふんと鼻を鳴らしてバチバチと火花を散らしている。その調子に男性陣がたじろいでいるのもわかる。入り口付近に立ったままのオクリース様もだけれど、すぐそばにいるアストラ様でさえ息を潜めている。

 可笑しくて、嬉しくて嗚咽が止まらない。

 そう、そうなの。私は自分に真っ先に謝って欲しかったわけじゃない。私じゃなくって、誰よりも両親に、周りの人に一言欲しかった。死人に声など届かないのは当たり前だ。でも、そう言うことじゃないんだ。


「フォルマ、メミニ」


 どうしてだろう。ずっと長い付き合いだったスチュアートよりも、フィオーレで出会った数ヶ月の付き合いの人たちが私をみてくれる。そして、幼い頃から傍にいてくれる存在が、異国の地でも味方でいてくれる。

 私は本当に果報者だ。


「フォルマ、メミニ。ありがとう。ありがとう。ありがとう」


 両側から抱きしめられて、心の底から笑えた。

 まわされている腕を掴むと、あれれ、左右にぐらぐらと頭が揺れ始めたじゃないか。どうやら、交互に引っ張られているようだ。

 気を取り直して、大きく息を吸う。


「あの、ね。私は、ね。スチュアートと姉様が、本当に愛し合って、苦しんだ結果、駆け落ちをしたなら、仕方がない結果だって思っていたの。気がつけなかった、苦しみを見つけられなかった私も悪いって。ううん、私だけじゃない。お父様もお母様も、家人達もサインを見逃していたのかもって、フィオーレに来て――今になって、ようやく考えられるようになってきたの」


 胸元を掴んで掠れた声を零す私から、スチュアートは目を逸らした。

 それが答えだと承知しながらも、私は言葉を止められない。


「そうだ。私、故郷を捨てたかったんじゃないんだ。卑屈で役立たずな自分は大嫌いだったけれど、変わりたかったのは本当だけど。あそこを捨てたかったわけじゃないんだ。だから、アストラ様とオクリース様に見つけてもらった時、生きたいってあがいたんだ」


 あの時の私に問えば、きっと頭を横に振るだろう。

 でも、今の私なら肯定できる。


「失う悲しみと恐怖ばかりが記憶にあって、怖かった。あそこだって、確かに、私のとても大切な居場所だった。だから、変わった私で、いつか故郷に戻りたかったんだ。母様と父様に、胸を張って幸せだよって報告したかったんだ」


 口にして、すとんと胸に落ちてきた。みるみる間に、堰が壊れたようにまた涙が溢れてくる。

 とんと、下を向いた頭に重みがかかる。視線の先にあるのは、アストラ様の服だ。両側を友人たちに固められているので動けない。後頭部を大きな掌が抱えてくださっていて、あぁ、熱い。


「大切な人たちの想いを、取り溢してばかりの自分を変えたかった。新天地にきて、まず自分を大事にできたなら、故郷でなくしたものに向き直れるって思ってたんだ」


 静かな呟きが落ちる。

 両側の友人たちがふわりと力を抜く。驚いたからではない。ちゃんと聞くよって、真剣な眼差しを向けてくる。


「なのに、現実は劇的には変わらないの。異国でも、私はやっぱり私だ」

「ヴィッテ――」


 それは誰の呼びかけだったのだろう。

 私はそれに報いれるかな。涙に濡れるままの顔をあげる。頬をくいっとあげて笑う。

 誰も動かない。動かずに耳を傾けてくれる。


「新天地に来たのに山賊に襲われて、命からがら逃げたけど腹ペコで行き倒れた。もう死んでしまって良いかなって諦めかけてた。もう死んじゃっても、良いかなって」


 頭を乗せているアストラ様の両手をとる。

 指先を掴めば、あからさまにびくりと体を跳ねられた。恐る恐る掌に肌を滑り込ませると、ぎしりと体を強張らせられた。

 それを拒絶だとは思わない。感じずにいられる。掌をあわせ、ぎゅっと掴む。すると、アストラ様はゆっくりと、でも体重をかけてくださった。


「それでも」


 その手を掴む。かさついた手が、心地よく肌を擦る。大きな手が、乗ってくる。剣だことペンだこが、ひしめき合って、痛々しい指。端正な顔と凛とした仕草が、それを隠すように前に出る度、残念に思う。私、この手が大好き。この手に触れられると、どうしようもなく泣きたくなる。

 涙をこらえる。必死にこらえて、目の前の人を見上げる。


「死神だと思ったアストラ様を前にしたら、やっぱり生きたいって思ったの」


 見上げて、あぁ、記憶のお兄ちゃんだと思った。思って、つい軽い口調で語りかけてしまっていた。


「まだ死にたくないって、叫んでた。握り締めた爪に潜り込んできた砂利は冷たくて、痛くて、無機質で。でも、まだ私がここにあると教えてくれた。死んでたまるかって思った!」


 私に触れる色んな色が、ふいに止まる。声も熱も、吐息さえも全部。

 そうして、小さく、呼吸に混じって名前を呼ばれた。一様に、優しい。ヴィッテと呼んでくれる声は。


「アストラ様やオクリース様、フォルマにトルテ、アクティさん、パネマさん、ステラさん、たくさんの人に出会えて幸せだ。でもね、やっぱり私は、どうしてか大切なものを失った時から動けないでいる。立ち上がる力は貰えたけれど、振り返って向き合う勇気とはまた違う。だからこそ、フィオーレで出会った、自分を認めてくださる方に報いたいって。応えられる自分に成長したいって、思えたの。変わるんじゃなくって、成長したいって」


 ぐっと前を見据えると、頭を抱えていた柔らかい空気が離れていった。


「だって、代わりにしちゃいけないんだもの。どっちも、すごく大切だから」

「ばかヴィッテ! 当たり前でしょ! 今だけが大事なんてほざいたら、回転蹴りくらわせているところだったわよ!」


 メミニの叱責に、無理やり笑う。涙でぐしゃぐしゃで、頬も引きつりながらも笑えた。すると、なぜかメミニの方が激しい様子でぐしぐし鼻を擦りだしてしまった。

 フォルマもぎゅうっと抱き着いてくれた。あぁ、私は果報者だな。


――私も願っていいのかしら。ヴィッテ、私のことも思い出してと――


 瞬間、頭の奥で火花が散った気がした。


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