だから、真っ先にヴィッテに会いに来たんじゃないか!
「なんなのですかじゃないよ! まずは自分の置かれた状況を判断しなさい! 感謝と謝罪でしょ!」
同郷の幼馴染の失礼な態度に、私まで恥ずかしくなってしまう。
思わず近くのランプ台に、掌を打ち付けてしまった。肩で息をする私をきょとんと見上げてくるスチュアート。
しまったと思って恐る恐る振り返った先にいたのは、アクティさん。お腹を抱えていらっしゃる姿に、やってしまったと顔を覆ってしまった。ちなみに、アストラ様は瞬きを繰り返している。
「だっだって、ヴィッテ」
「だってじゃないよ。貴方って、昔からそう。後先考えずに突っ走る。大体、魔術騎士団に乗り込まなくたって私を探せたでしょ? 何より、どうしてフィオーレにいるの」
「だから、僕はヴィッテに会いたかっただけだよ。異国で孤独でいるであろうヴィッテ。僕を見て、いち早く安心して欲しかったんだ。なのに、街中でメミニを見かけて、先を越されたって焦ってしまったんだ」
スチュアートより先にメミニと再会していると、何が問題だというのだ。
私はよほど怪訝そうな顔をしていたらしい。スチュアートは聞いてくれと言わんばかりに意気揚々と胸を叩いて、鼻息荒く身を乗り出した。
「だから、ヴィッテ。遠慮せずに、僕の腕に飛び込んでおいでよ」
スチュアートの手が私に伸びてくる。子爵にそっくりな彼。その彼が遠慮のない調子で私に手を向ける。
ずきりと頬が痛んで足が後ずさった。今、存在しないはずの感覚に血も凍る。あの衝撃がありありと蘇ってきて。
「悪いが、君の話には脈絡がない。メミニ君はヴィッテが特に親しくしていた女性だと聞いている。先に再会していたならば、ヴィッテが喜んでいると考えるのが普通だと思うが?」
アストラ様が、すぐさま背に庇ってくださった。
逞しい背中。思わず掴みそうになった右指を、反対の手できつく掴む。得も言われぬ感情が胸に沸きあがってきて、目が熱を持って仕方がない。
「まぁ、女同士、仲が良いだけに拗れたら面倒なこともあるんさね」
「アクティ、お前。さっきメミニ君と会って、良くわからん言い合いしながら意気投合していただろうが」
「その通りだが、あんたは小僧の反応を見て楽しもうっていう遊び心はないのかね。昔はもっと、そんなところは意気投合していた記憶があるけどねぇ」
悪びれた様子もなく、にやりと口の端をあげたアクティさん。
一瞬、呆気に取られてしまった。でも、すぐに笑いが零れた。アクティさんの言葉が、場を明るくしようとしたものだと思ったからではない。遊び心いっぱいで、いつも楽しさを見つけるアクティさんらしくて。
「当たり前だろ。他のことならともかく、ヴィッテのことだ。この子の性格を考えたら、今がちゃかして良い状況でないのは一目瞭然だ。俺はヴィッテが傷つくのは嫌だ」
肩越しにアクティさんを睨んだ、アストラ様。それを受けたアクティさんは、さらに、目の端を落とした。正反対の様子のお二人だ。
そして、私はどうしていいのかわからない。右往左往するしかない。
ただ、その動揺は変な熱を誤魔化すためだなんて思った。アストラ様の声で聴いた、アストラ様の言葉のひとつひとつが内側から身を焦がしてくるなんて、思ったのだ。
当たり前。
他の事ならともかく。
この子。
ヴィッテが傷つくのは嫌。
どこに幸せを抱いていいのかわからなくて、さらに贅沢だと感じてどうしようもない。
嬉しくて、でも音にするには私は未熟で。出来たことと言えば、アストラ様の腕に指を沿えて、彼の名を呼ぶことだけだった。ありったけの大切を込めて「アストラさま」って。もしかしたら、音だけなら夢の中の『お兄ちゃん』て響き寄りだったかも。
「いや、うん、あぁ、えぇっと。あれ?」
アストラ様に私の意図なんて伝わっていないだろうに。それでも、彼はまるで『そう呼ばれた』みたいに動揺してくれた。
「当たり前だろう! 異国で寂しい思いをしているヴィッテを一番に助けるのは、僕でありたかったんだ! だって、あのヴィッテが異国で元気に生きている要素があるかい!?」
その言葉が、物語っている。彼の行動は純粋に私を心配しているからこその行動ではないって。ついさっきの言葉通り、本当にメミニに先を越されるのが、ただただ嫌だったのだろう。そして、私をどんな目で見ていたか、火を見るよりも明らかだ。
だが、彼の評価は割とどうでも良い。
問題は違うところにある。自分が駆け付けたら、私が喜ぶのが前提。恨まれているなんて可能性、彼の中にはこれっぽっちもないのだ。
「貴方が純粋に私を心配してくれているなら、お礼を言いたかった。嬉しかったよ」
「だろう!? ヴィッテ、僕は――」
「でもね、故郷を出て数ヶ月も経ってるんだよ? 私にも、ここでの生活があるって考えなかった? 貴方は姉様ばかり槍玉に挙げるけど、自分がたくさんの人を傷つけたって自覚はあるの?」
口が止まってくれない。どんどんきつくなっていく語調。顔だってしわくちゃな自覚はある。止まらない、込み上げる怒りが止められない。
――そうよ、ヴィッテ。彼は駒にもならない。さっきは貴女が私と同じ恨みにのまれるのは嫌だと否定したけれど、彼は私たちの未来の邪魔になると再確認できたから、もういいわ――
自分と同じ声が頭の奥で囁いた。みるみる間に心の底の激情が誘導され口から飛び出す。
「ましてや、職場に乱入して私の大事な同僚に危害を加えるって、どういうつもり? 姉様ばかり悪者にされて、私が喜ぶなんて真剣に考えているの? さらに、まさに今、私が喜ぶどころか呆れているのにも気が付かないの?」
「僕は――」
「なら、どうかしてるよ。本当にどうかしてる」
自分でも驚く程、冷淡な声で言い切った。
息を吸って、また彼を責めたくなって唇を噛みしめる。じんわりと口の中が鉄臭くなった。
これ以上しゃべり続けたら、スチュアートを傷つけると思ったからじゃない。ここまではっきりと嫌悪を示したら、彼だって少し位は魔術騎士団に対して申し訳なさを抱いてくれるかもと思ったのだ。
「ヴィッテに迷惑をかけたのは謝るよ。もし、あそこでの居心地が悪くなってもいいじゃないか。どうせ僕と故郷に戻るんだからさ」
絶望で床に座り込んでいた。嘘でしょう? いや、私の伝え方が悪かったのかな。言葉が足りなかった?
眩暈がひどい。座り込んでなお、地面に吸い寄せられる。
「違う、違うの。私が言いたいのはそういうことじゃないよ」
貴方が、私をちょっとでも知ってくれていたなら……私を見てくれていたなら、わかるはずだって勘違いしていた。
思考が闇に支配されていく。やっぱり、私は故郷で何も残せていなかったのかと。
「君は本当にヴィッテの幼馴染なのかと疑わざるを得ない言動ばかりだな。ましてや、言葉にもしたくないが、『婚約者』と言い張るだけの価値がある男なのか?」
顔を覆いかけた手を握られ、あまりの力強さに心臓が胸を飛び出るかと思った。
痛いからじゃない。その仕草と声色が相まって、まるで全身を力の限り抱きしめられたかのように錯覚して、心臓が暴れた。それほどに、アストラ様の熱を感じたのだ。
「アス――」
見上げた先にいたアストラ様は、彼らしからぬ冷めた目をしていた。冷静なのではない。軽蔑の眼差し。
ううん。私も向けられた覚えがある。行き倒れていた私に投げつけられていた、死神と思った視線と同じだ。精気のない瞳。
「当たり前だろ! だから、真っ先にヴィッテに会いに来たんじゃないか!」
一斉に深い溜息が落ちた。私じゃない人たちから。
アクティさんは壁に背を預け、静かに腕を組んでいる。部屋の入り口には、いつの間にかフォルマとオクリース様が佇んでいた。
メミニはどうしたんだろうと考えたが、すぐに立ち上がっていた。これは私の問題だ。優しい人たちの同意に甘えて縋っているなんて駄目だ。頑張らなきゃ。
『スチュアート。違うよ。私、真っ先に、私に会いに来て欲しいなんて思わない。もし、私と真摯に向き合ってくれるっていうなら、殊更この場は引いて欲しい。まずは故郷で自分が迷惑をかけた人たちに謝罪してよ。それで――それから、最後でいいから私と姉様の両親のお墓を参って。そういうことをちゃんとしてから、二人っきりで話そう。今までのこと、これからのことを』
久しぶりに使った、故郷の言語。たった数ヶ月前までは当たり前に話していた。
正直、怖い。使うのは嫌だ。
メミニと二人の時は大丈夫。怖いのは、アストラ様たちの前で話すこと。彼らに会う前の自分をさらけ出すようで、小さくて嫌になるけど自分は彼らとは違う場所で生きてきたと実感してしまうんだ。
――ばかヴィッテ。気持ちはわかるけど、ぶっちゃけ、こんな身分違いな人たちと出会えて対等って表現してもおかしくない関係なのは、あんたが他国から来たヴィッテって人間だったからでしょうに。そこから逃げんな。幼馴染の前で、前の自分を否定すんな、ばーか――
あの再会の夜にメミニがそう言ってくれたから、ここが正念場だと踏ん張れた気がする。
鼓動が激しすぎて、全身が震えている。声だって上ずって、イントネーションが可笑しい自覚もある。だからって、自己嫌悪はない。他国の言葉ではなく、私とスチュアートが幼馴染だった頃の音で伝えられた。思いの丈をぶつけられた。
『なんだ、ヴィッテ。本当の気持ちを彼らに知られて都合が悪いなら、最初からこっちで話してくれれば良かったのに。遠回しなことするなよ』
『ねぇ、私の言葉をちゃんと聞いていた? 私、アストラ様たちのことは話してない。私たちがどうするかって話をしているの』
『僕が言っていることと何か違うかい? 主要言語の文法によって思考は若干変わるからね。多少の齟齬はしょうがないかな』
だーかーらー!! スチュアートとの齟齬は決して言語の壁じゃないとお墨付きになってしまった!!
ぷしゅうっと、精神体的な抜けちゃいけないものが抜けかけた。というところで、
「なんですって!?」
などという、声に意識を取り戻せた。
音質だけならいつも通りの愛らしいものだが、同じ鈴を転がすという表現でも、鈴の種類が違うやつだった。いつもが小鈴なら、今のは重量級鈴だ。
「メミニ……もしかして、至極丁寧に、翻訳してくれたのかな?」
重量級鈴の音主ことフォルマの隣。いつの間にか立っていたメミニに、半笑いで問う。必死の半笑いだ。こうすることで保つ、精神のデッドライン。
当のメミニは、普段絶対しないあざとい調子で「てへっ」と自分の頭を小突いたじゃないか! ちょっと! てへぺろにウィンクとか。おまけに片足が、なんか可愛い調子であがってるんですけど! 誤魔化されるとかないから! っていうか、それを承知の上だって即座にわかるけど!
「つい、独り言的に反芻しちゃっただけだし。割と的確に、こっちの言葉で」
私の心中を察したのか。というか、推測済みであろうメミニは悪びれた風もなく、しれっと髪を払った。
「メミニ!」
入り口に向かいかけた体は、何故かアストラ様に引き留められていた。二の腕を思い切り掴まれて。
ここにきて二の腕なのかと驚いている間に、フォルマがヒールを鳴らしていた。
「えぇ。えぇ。貴方は全然ヴィッテのことを理解していませんわ!」
私の隣に並んだフォルマは、口を結んでスチュアートを睨みつけた。
オクリース様はフォルマの肩を抱き、私を見てくる。いつもと変わらない冷静な瞳なのに、どうしてか泣きたくなった。




