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仕方がないだろう僕は、ヴィッテがよかったんだ!

「うっ、ん。ここはどこだ? 僕は一体」


 頭にひどい痛みを感じて瞼が開いた。

 視界に広がったのは、気を失う直前の光景ではなかった。念願の再会を果たした愛おしい幼馴染(ヴィッテ)の姿は、どこにも見当たらない。

 痛む頭を抱えて起き上がった僕の目に映ったのは、灰色の空間だけ。雨が降り出す寸前の景色みたいだ。

 重い体を叱咤して立ち上がっても、景色が変わることはなかった。


「あら。思いの外、元気に動くのね。スチュアートでしたっけ」


 やたらと甘ったるい声を背に受け、恐る恐る振り返れば――予想もつかなかった姿に、言葉を失った。ふわりと宙に浮いた状態で膝を組んでいる女性は、ヴィッテの姿をしていた。

 藍が強い髪は、腰下までたおやかに流れている。あれは、故郷で別れる前の容姿だ。濃い色の髪は、月みたいな存在であるヴィッテを優しく包み込んでいる夜みたいだなんて思っていたっけ。


「ヴィッテ。君は、変わらない」


 目があった瞬間にだけ向けられる凛と射抜くような強い瞳は、社交界の男性の注目の的だった。

 なのに、人に見つめられると、どうしてか自信なく真っ赤になって俯く。何かに夢中になっている時のヴィッテを知っている男は、特にそのギャップに保護欲がそそられるのだ。


「だから、サスラは怒っていたっけ」


 サスラは扇を握りしめ、かけられる甘い声に恐縮しきりなヴィッテを睨みつけていた。微妙にヴィッテから視線がずれていたのは、きっと直視出来なかったからだろう。ある意味、豊満な姉よりも男をそそっていたヴィッテ。

 誰だって同じだ。裏のある色気に惑わされても、最終的に魅かれるのはいつだって純粋な香りだ。


「なんだ。ちゃんとヴィッテを思い出せば、目の前の君は偽物だってすぐわかったよ」


 弧を描いた唇も、僕を見下ろす忌々しげな目つきも、ヴィッテとは似ても似つかない。ヴィッテはいつだって心に残る笑みを残す。人を見下すことはしない。


「君は誰だ。サスラの呪いかい?」

「感心、感心。いくら今の私が封印解けかけの状態とはいえ、意識に直接干渉している私を前にして口を開けるなんて。ヴィッテと私の仲を裂こうとしてきた、あの女の仕業と勘違いされるのには殺意が芽生えるけれど」


 にんまりと。言葉通り、めいいっぱい口の端を上げた女性を前に、体中の水分が絞り出されていく。

 恐怖が全身を支配する。僕は知っている。このプレッシャーを。

 あれは確か、幼い僕がヴィッテに愛情をしめそうとした時で――。全身が冷えていく。震えて喉が詰まって、叫び声さえあがらない。目の前に広がるのは、赤に染まった自分。


「そうでもなかったかしら。まぁ、()()()くん、貴方には期待していないから大丈夫よ。あの頃からずっと、ね。私もヴィッテも」


 ヴィッテと同じ澄んだ瞳なのに、鼻で軽く笑う女性。馴れ馴れしさに憤るよりも、激しい違和感が体の自由を縛る。

 ほんの数秒前、感情をむき出しにぶつかってきてくれたヴィッテを思い出して、ふつふつと笑いがこみあげてきた。


「君が何者かは関係ないけれど。ヴィッテを、君みたいな胡散臭い奴と一緒にしてほしくないな」


 すっと背が伸びた。自分がここに何をしに来たのかを思い出して。

 愛すべき人の姉と駆け落ちをしたという世間の評価は消せない。けれど、正直、僕から言わせてもらえば、あれは詐欺に近かった。

 だから、事実を話せばきっとヴィッテは僕を理解してくれる。ヴィッテだって、自分を虐げていた意地悪な姉の言い分より、僕を信じてくれるはず。


「あら、あら。強い男の子は好きだけれど……」


 足を組んで宙に浮いたまま、近づいてくる距離。

 立ちすくむ僕の鼻先でぴたりと止まった女性。くすくすと愉快そうに零れていた声も、すっと引いた。


「分不相応な発言には気を付けることね」


 恐怖を感じる前に、腰が地面にぶつかっていた。呼吸ができない。

 穴という穴から汗が溢れだしてくる。怖い、この存在には逆らってはいけない。内臓が絞られる。いや、痛みを感じるのはまだましだと思える謎の意識が脳裏を掠める。

 刃物以上に鋭い目つき。虹色の瞳に雲がかかっている。上から額に降りてくる指先に、汗が止まらない。それが、肌に触れて――。


「――かっは!!」


 一気に、空気が肺へ流れ込んできた。


「とはいえ、ここで貴方が起きなかったら、ヴィッテが気にするだけでしょうからね。もう、ヴィッテったら。こんな小物に好かれるなんて、隙の多い子。魂の()()を排除しようとする意地悪な姉を捨てられないなんて、甘い子。まぁ、そこが魅力的なんだけれども」


 腰に手を当てて頬を膨らませている姿は、ヴィッテそのものだ。子どもの頃、出会ったままのヴィッテだ。

 同時に嫌な過去も浮かんでくる。彼女の後ろをついてまわってはドジを踏んでいた自分。呆れ、それでも、見捨てずに待っていてくれたのはヴィッテだけだった。

 途端、心臓がうるさいくらい跳ねだした。おまけにと涙がにじんでくる。


「確かに、僕は小者だよ。そんなこと、自分が一番知っている」

「自覚があるのに改善しようと努力しないのって、たちが悪いわ」


 嫌悪の色強い吐き捨てに、全身の血が沸いていくのがわかった。


「僕なりに頑張ったさ! でも、でも! しょうがないじゃないか! 普通の人なら報われる頑張りでも、子爵家の嫡子である僕の立場では足りないんだ! 周囲には出来て当然だと思われてさ! 父上からは見下されて!」


 僕が怒鳴って反論するなど予想外のことだったのだろう。

 女性は長い睫毛を瞬かせている。

 良い気味だと口元が緩んだ。ゆっくりと膝を伸ばして、シャツを叩くと、夢の中なのにくすんだ埃が舞い上がった。


「私がだいっきらいなあのクソたちと一緒ね。立場を盾にして人を嫉むばかりの、どうしようもない奴らと」


 落ちていた視線があがるのと同時。ヴィッテの姿をしたものが、ぐしゃりと歪んだ。

 膝が笑う。駄目だ。これには触れてはいけない。触れてはいけない存在だ。本能が訴えてくる。


「クソ野郎たちで思い出したわ。ねぇ、ステフくん」


 つっと。固まっている僕の顎に、滑らかな指が滑った。


「貴方はヴィッテの味方? それとも、心の底からあのサスラの物になったのかしら?」

「そっそんなわけない! だって、あんなつもりじゃなかったんだ! ただ僕はサスラの思惑に利用されただけで――」


 そうだ。僕はそれをヴィッテに訴えに来たんだ。僕の潔白を伝えるために、はるばる大国フィオーレに。

 焦って華奢な腕を掴むものの、瞬時に電撃が走って弾かれた。ヴィッテの姿をした女性は忌々しげに舌を打った。ヴィッテの外見でやめてほしい。いや、それよりも僕の意見を聞いてもらわなければ。


「けれど。ヴィッテをはじめ、故郷では貴方がサスラに懸想けそうして、駆け落ちをしたという話になっているわよ?」

「あれは! あれは、サスラにそそのかされて……」


 舞踏会での悪魔の囁きを思い出して、身の毛がよだった。

 ヴィッテとご両親が欠席した舞踏会。僕は身分の差など関係ないとヴィッテへ求愛をするつもりなのを、サスラに伝えた。

 アクイラエ家は、裕福で家系を遡ればかなりの血統である家だと父が言っていた。とはいえ、現在は一介の商人な家筋だから、子爵である父は難色を示していた。当然、母も。

 でも、僕は頑張って考えた。家柄に関してある程度の妥協案に、しぶしぶながらも頷いてくれた。何より、幼い頃ヴィッテの力を零した直後には、意外にもすんなりと納得してくれたものだ。……昔、ヴィッテに絶対内緒と釘を刺されていたこととはいえ、結婚を許して貰えたんだから、彼女だって許してくれるだろう。


「へぇ。貴方、大好きな女の子との約束も守れず、しかも、その子を手に入れるために姉を利用するなんてね。どこまでも、最低。虫唾が走るわ」


 なっ! こいつ、人の心を読んだのか!? 魔女ってやつか?

 怒りに熱をあげる顔を女性に向けると、魔女は前髪に表情を隠していた。小さく動いた愛らしい唇に目を奪われる。


――ワタシニ、ヒドイコトヲ、シタ、アイツラト、イッショ。()()()ニ、オナジコト、シタラ、ユルサナイ――


 なぜだろう。恐ろしさしか感じない存在なのに、泣いているように思ってしまったのは。

 涙を浮かべていると思ったのに、垣間見えたのは凍る視線。つい、拳を握ってしまう。


「だって、仕方がないだろう僕は、ヴィッテがよかったんだ!」


 そうだ。僕はヴィッテがよかったんだ。ヴィッテじゃなきゃ嫌だった。

 これだけ思われたら、ヴィッテだって嬉しいはずだ! ヴィッテは僕を見てくれた。褒めてくれた。ちょっと変わったところがあるけれど、自分の好きなものにはとことん向き合って、頑張っていて、しっかりしているようで抜けていて。サスラという横暴な姉にも負けない彼女が愛しい。


「どんくさいって馬鹿にされている僕に呆れるわけでもなく、落ち込むたび、一緒にどうしたら良いのか考えてくれた! できたら、一緒に笑ってくれた! 自分のことみたいに喜んでくれた! そんな子が、僕のことを好きじゃないはずあるか? なんとも思っていない男にすることか? しかも、ヴィッテは賢い。へらへら笑って周りに媚を売っているだけの貴族の女たちとは違うんだ!」

「前半部分には、素直に同意するけれど。中盤と後半に関しては、ヴィッテなら何て返すでしょうね。貴方も貴族として生まれた身なのだから、女性の社交がいかに重要かということは知っているでしょうに」


 意味がわからない。ヴィッテだって僕と同じ意見に決まっているだろう。

 あぁ、イライラする。痛みが走った頭を摩っても、肩は荒く上下し続ける。


「というか。そこまでヴィッテを想っているのなら、そもそもサスラと駆け落ちした理由は? あぁ、騙されたどうこうは聞き飽きたから、具体的に話しなさいな」

「だからっ! サスラにそそのかされたんだ! ヴィッテは僕の気持ちというか、存在の大きさに気づいていないから、自分と駆け落ちしたことにして、少しの間姿を隠せば、僕の存在の大きさを自覚するだろうって。だから、父上にだけ事実をしたためた書置きをして、旅行のつもりで」


 そうなのだ。僕はただの旅行のつもりだった。誰かを傷つけるつもりも、傷つくなんて思いつきもしかなった。

 父上や家に縛られることなく、初めて自由な旅ができると浮かれていた。実際、立ち寄った街や市場は、どこも新鮮で心が躍った。食べ物も家具も、ヴィッテが熱を持って語る様子を共感できた気がした。


「僕は知らなかったんだ。サスラがアクイエラ家の権利書や財産を持ち逃げしていたことも、僕すら利用していたことも」

「本当? 旅をしている中で、違和感はなかった? 噂を耳にすることは? ヴィッテがどうしているか思いを巡らせたことは?」


 まるで催眠術をかけてくるような甘ったるい声色が、耳を撫でた。

 ぽうっとして、言葉が零れていく。魅惑の草を燃やしたような香りが頭を痺れさせる。


「少しばかり金銭に余裕があるのは、わかっていたよ。サスラは一人で飲みに出ることも多かった。だから、僕を捨てて他国の伯爵を捉まえたわけで――いや、そうじゃなくて。だから、僕はあのあばずれから、解放されたわけで」


 思い出しても腸が煮えくり返る。

 あの女は僕を騙して連れまわしたあげく、ヴィッテが国を出た話に確証を得るとあっさりと去っていったのだ。


「そうなんだ。僕はヴィッテを愛しているから、ヴィッテを見つけるためにフィオーレに来たんだ。この大国で再会できたのは、運命でしかない!」


 痛快そうに笑ったサスラの横っ面を叩いてやった快感が、掌に蘇ってきた。僕を格下だと思っていたあいつが浮かべた驚愕に、全身が震える。

 そうだ。ヴィッテにだって、最初からそうしていれば良かったんだ。僕の物になれと説き伏せていれば良かったのだ。一風変わりながらも淑女な彼女はきっと従ってくれるだろう。


「貴方の浅ましくて愚かなところ、私の可愛い子を苦しめるだけだわ。私の分身にふさわしくない」


 沸いてきた血に水を差した声。

 見上げた先にいたのは、ヴィッテの姿をして憂いを帯びた女性だった。


「可愛い子だって? そもそも君はヴィッテのなんなんだ! 馴れ馴れしい。僕らの関係に口を出す権利なんてあるのか!」


 腹立たしい気持ちを隠しもせず、怒鳴り散らした。喉が渇くが満たされていく。


「権利? 権利なら、あるわね。少なくとも、ヴィッテを裏切った貴方よりは。私は――裏切られる辛さを知っているから。ヴィッテの魂を傷つけることはしない。いつだって、あの子と私が幸せになれる方法を選んでいる」


 空気が変わった。真っ白だった空間が、雨雲に覆いつくされる。

 激しく、うっとおしい雨が体を打って痛む。足元に広がる水たまりには、ただ笑みを浮かべている人々が流し映されていた。


「私の存在意義である、飴色の王子に関して以外はだけれど。……ごめん、ヴィッテ。私、裏切られても、騙されても、やっぱり、彼が――彼の魂が好きなの」


 ほろりと。ヴィッテの姿をした魔女が涙を零した。ほろほろと静かに頬を伝って地面に落ちていく涙。夢の中だからだろう。その度、ハープのような音が響く。

 ついさっき、僕にぶつかってきたヴィッテとかぶった。


「ちゃんと、わかってる。ヴィッテは違う人を好きだって。幼い頃から、あのお日様が好きだって。でも、私もずっとずっと昔から好きなの。ヴィッテが好きで良いよって、一緒に探してあげるって、一緒に好きになるからって言ってくれたから。幼子の戯言だって理解していたけど、甘えてしまったの。外見が別物でも好きなの。あの人を形作る魂が同じだから」


 冷酷な魔女が嗚咽を響かせる。ヴィッテの姿をして、膝をついて、顔を覆って泣いている。細い肩が頼りなく震える。彼女が泣く度、空間が共鳴する。

 今度は泣き落としかと、蔑みの色が浮かぶのがわかった。

 拳を振り上げたところで、魔女が目元を拭って顔を上げた。


「話がずれてしまったわね。さて、貴方が此処にいることをヴィッテは絶対許さない。自分の感情のためだけではなくて」

「馬鹿いえ! 異国の地で孤独な彼女の元に、婚約者がやってきたんだぞ! 嬉しくないはずがないだろうが! ヴィッテは連れて帰る!」


 てっきり睨まれると思ったのに。

 立ち上がって一歩下がった彼女は、寂しそうに瞳を潰した。ヴィッテだった。間違いなく。魔女なんかじゃなく。


「本当に馬鹿な人。ヴィッテはね、自分の不幸よりも人の心を想う子なの。そうして、今のあの子はあの()()()のせいで、自分をいらない存在だと卑下する子になってしまった。全部、私の感情なのに」


 直前まで僕を圧迫していたのと同一人物と思えなかった姿だった。

 自分の腕を掴んで震えている魔女は、僕が守ってあげたいと思ったヴィッテそのままだ。

 けれど、伸ばした指先は見えない力に弾かれた。


「何にしても、貴方はフィオーレに来るべきではなかったわ。少なくとも、ヴィッテを本当に想っているつもりなら、あの場に乗り込むなんて考えられないことだもの」


 ふいに、視界が濁り始めた。


「ここでのやり取りは忘れなさい。かつて、ヴィッテも周囲も、すべての人が私を忘れたように。あの子の大切な存在になりつつあった子たちが、あの子を忘れてしまったように」


 きんと耳がなった。耳鳴りがどんどん大きくなっていく。りんりんと鳴り響く鈴音のように。高い場所でしゃらんとひねられる鈴に、子どもが手を伸ばしている光景が映し出される。

 祭りの音に似ている。故郷の鎮魂祭。

 あれは、誰のための祭だったか。はしゃぐ子供たちの中で、ひっそりとした石碑の前、ヴィッテだけが寂しそうに花を握りしめていたっけ。


「私が、ヴィッテの大切な記憶を奪った。あの子の運命を――寿命を奪い続けている。己の恋心のために、何も理解していない息吹いたばかりの幼い魂の好意に甘えた。だから、せめてちゃんと終わらせなければいけない。そのストーリーに貴方はいないのよ、スチュアートくん」



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