僕だよ、君の婚約者のステフだよ!
「なんてことがあってね。もやもや幽霊も見えるし、疲れちゃった」
というか、幽霊は現在進行形で前をふよふよと浮いているけどね。
魔術騎士団の廊下に幽霊。
団員の中でも魔力が桁外れな、あの方やそんな方が呪術でも使っているんじゃなかろうか。もしくは、誰かの生き霊とか。突拍子もないことを考えてしまう位には、日増しに幽霊の姿がはっきりとしてきているんだもの。
「庶民には突然の大イベント過ぎて……一ヶ月分の精神力を消費した気分だったよ」
「そりゃねぇ。いくら我が国の王が物語に出てくるような美形とはいえ、実際近距離で会ったら感激よりも萎縮しちゃうよ。私なら」
魔術騎士団の中なのに、思わず愚痴を零していた。相手は食堂の看板娘のトルテだ。
彼女は非常にさっぱりとした性格をしている。恋愛情報好きだけど、無実無根な噂の出所を探って解明する名探偵でもある。
「とにかく、災難だったね」
「うぅ。王様と親しく話した機会を災難だって同意してくれるのは、トルテとメミニくらいだよ。フォルマってば、珍しく大興奮でオクリース様に詰め寄っていたし」
一昨日の出来事を思い出し、つい横っ腹を摩ってしまった。スカートに乗りかかったお肉がぽよっと手に触れた。おかしい。ちょっと前までは、すかすかだったのに! 真面目に食事制限と運動を考えるべきだな。
私が一人ぐぎぎとなっているのをよそに、トルテがこつんと肩をぶつけてきた。お互いの腕には、多くの団員にとって重要な元気の源が抱えられている。トルテ特性の焼き菓子だ。今日はフィナンシェ。アマンドプードルがたっぷり!
「フォルマは貴族にしては庶民寄りな感性だけど、それでも根本は貴族だからねぇ。いや、他意はなくって、夜会とかで遠目にでも見ている分、私たちより耐性があるって意味でね。っていうか、メミニはもうちょっとで故郷に戻るんだっけか?」
つまみ食い――もとい味見した際の香ばしいアマンドとバニラエッセンスの香りが思い出され惚けていると、トルテの肘が脇を突っついてきた。
いかんいかん。ダイエットを意識した直後に、お菓子の魅惑にうっとりなるなんて、どんだけ食いしん坊街道まっしぐらなんだ。
気を取り直して。というか引き締めて、トルテの言葉に頷き返す。
「うん、寂しいなぁ。トルテは宅飲みの後、メミニと随分仲良くなってるよね」
こちらで仲良くして貰っている友人の紹介を兼ねて、少し前に宅飲みを開催したのだ。
何故か始終ばちばちしていたメミニとフォルマをよそに、トルテはすっかりメミニと打ち解けたらしい。私抜きで、何度かお茶や飲み会をしたと聞いている。
「メミニの話、面白いもん。それに、世界が広がる。あのツンデレが堪らんの」
「わかる。言うことはツンデレなんだけどね、実は優しいんだよね。誤解されやすいけどさ」
笑えば、トルテは「わかる、誤解ってのがしっくりくる言い方する」って納得してくれた。それに気がつけると、また嬉しくなるとも。
「あっ、ここでいいよ。ありがとう、ヴィッテ」
「どうせだから、休憩室まで行くよ?」
司令官室への階段を背にして、目的の方に爪先を向ける。が、腕に抱えた籠はあっさりと奪われてしまった。トルテは自分が抱えていた籠の上にひょいっと重ねる。
「いいって! 冷めても美味しいトルテ様の焼き菓子ってね。みんないないだろうけど、私も早く帰りたくて置いてくるだけだからさ。ヴィッテも帰れる時は早く帰る!」
軽くウィンクしたトルテは、私の返事を聞く前に颯爽と駆けていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「平和だなぁ。花祭り前の慌ただしさはあるけれど」
私服に着替えを終えて、ぼんやり裏門へと歩いているところだ。
――ヴィッテってば、そういう時ほど無理するから気をつけなさいな。特に、あれね、無理ではないけれど、時間が空けばすぐ食べ歩きをするから――
無視である。幽霊の言葉がぐさっと刺さった訳ではなく、聞こえていると認めちゃいけない声だから、無視をするだけだ。
悟り顔になりかけたところで、裏門から賑やかというよりも喧噪が聞こえてきた。
「どうしたのかな。魔術騎士団では珍しい言い合いにも聞こえる応酬だ。それに、レクトゥス君の声が聞こえる」
いつも助けてもらっているレクトゥス君が困っているなら、加勢しなきゃ。
廊下を駆けた先、階段の先にいる男性の姿に思わず口を覆ってしまった。
「うそでしょ。見間違い。ううん、違う。あれば、だって――スチュアート」
門の付近で暴れているのは、間違いなく私の幼馴染だ。遠目でもわかる。幼馴染みだもの。
夕日に照らされているのは、遠目からでもわかる赤茶の髪。
「だから、僕はヴィッテの婚約者なんだって! ここに所属しているのは知っている! さっさと会わせろよ!」
「ヴィッテさんは、魔術騎士団の司令官付きのお方です。貴方の言葉を鵜呑みにする訳にはいきません。先ほどからご説明しているように、団内のご面会を希望されるのであれば、正規の面会手続きを取って下さい」
「だったら、ヴィッテを呼んで来いよ! それが一番手っ取り早い!」
忘れない。自分の思い通りにならないと、すぐに苛立ちを乗せる声。どんな時も命令口調で事を進める、マナー知らず。
何故だろう。幼馴染みとしての郷愁ではなく、ただひたすらに苛立ちを感じる。頭の血管がどくどくと気持ち悪く蠢く。幽霊を見ると、私以上に顔を顰めてスチュアートを睨み付けていた。
なぜだろうか。表情がわかるまでになったと感じるよりも、自分が抱いている感情の理由を見つけた気がした肩の力が抜けていった。
「ですから、それは出来かねると申し上げております」
「うるさい! お前みたいな下っ端じゃ話が通じない。もっと上の人間を――」
目があってしまった。レクトゥス君の胸を拳で叩いたスチュアートと。
階段の上から見下ろした男性は、昔よりもたくましく見えた。色白だった肌は焼けて髭もはやしているからだろう。
けれど、わかる。幼馴染のスチュアートだ。姉様と駆け落ちをした彼だ。私の人生を壊した彼だ。何より中身が全く変っていないから確信できる。
「どうしてっ!」
靴先が石階段を削る勢いで、音を響き渡らせた。
「ヴィッテ!!」
嬉しそうに名を呼ばれた瞬間、私は何を想ったのだろう。すべての感情がさっと消えて、数秒後には怒りで表情どころか全身が軋んでいるのがわかった。
頭に血が昇り過ぎて、視界が歪む。
己の醜さを考える余裕もなく、ただ無我夢中に長い階段を駆け下りていた。大切だったなにもかもを壊した幼馴染に向かって。
「ステフ! 姉さまは、どうしたのっ!」
叫んだ直後、一気に後悔が襲ってきた。ステフを抑えているレクトゥス君があまりに驚いていたから。私を見て、戸惑ったから。
そうだ。私は臨時とはいえ、フィオーレ国の魔術騎士団に所属する人間だ。
「私は、もう、ただのヴィッテじゃない」
俯きかけた顎が上がる。眼前に広がる飴色の夕焼けが眩しい。
私が大好きな景色。それを目に映して、我に返ったはずだった。
なのに、故郷で最後に見た時よりも痩せたステフがより一層頬を綻ばせたから。やるせない感情が胸を埋め尽くしていく。
「ステフ。姉さまは一緒ではないの!?」
「ヴィッテ! 僕だよ、君の婚約者のステフだよ! 会いたかった! 君を忘れた日なんて、一日もなかったよ! ほら、おいで! 僕の腕の中に!」
私は、これほど温度差のある呼び合いを耳にした経験はない。
あろうことか、階下にいる幼馴染は、私の黒い感情を詰め込んだ音に対して、晴れやかな笑顔で応えてきたのだ。
「ありえない。あり得ない、よね。だって、貴方が――貴方たちがすべてを捨ててでも一緒になるって望んだから、全部壊れたんだよ! なのに、なのに――!」
奥歯が痛い。握りしめた手と唇から、熱いものがぽたりと落ちていく。あぁ、そういえば。昨晩爪を切らなきゃって思っていたんだっけ。
いや。どうでもいい、私のことなんて!
許せない、許せない! 唇を噛むと血の味がした。そして、沸き上げる憎しみを、幽霊が後押しする。
まだ、開き直られる方がましだった。姉さまと一緒になるには、駆け落ちするしかなかったと。彼の伯爵の支配から逃げるには、国を出るしか道はなかったと。
なのに、あの人はなんて言った? 私のことを、婚約者と言ったの!?
「ヴィッテ!」
拳を握りしめた瞬間、脳天に電撃があがってきた!
「ステフっ!」




