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捕獲作業を止めていただいた方が、お二人のためだと思います。

「ヴィッテ?」


 倒れかけた姿勢のまま目線をあげると、アストラ様がいらっしゃった。どうやら、卒倒しかけた体を支えてくださっているようだ。

 あまりに遠慮なくしげしげと見上げていたせいだろう。アストラ様には、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。申し訳ない。っていうか!


「失礼いたしました! 上官の腕を支えに使うなど言語道断!」


 私を支えてくださっていた左腕からひょいっと体を離す。さすが騎士様だ。最近ちょっとばかり体重が増加してきた私を片腕で支えるなんて。

 すみません。ちょっとじゃないですよね。

 と、誰にするわけでもなく心の中で言い訳がましく呟いたのに。心の中の独り言だったのに。


――あら。ここに来た時がやせ過ぎていたのよ。今がちょうどいい位ね。でも、確かに夜中に生クリームたっぷりのケーキを頬張るのは止めた方が良いわ。何度も私が忠告しているのに、ヴィッテってば全然聞こえていないんだもの――


 などと、周囲をふらふらする幽霊さんはヴィッテの罪深い真夜中の犯行について目撃証言を述べており――じゃなーい!

 思わず人型のもやを睨みあげるが、端から見たら空を見つめるただの怪しい奴だと、我に返る。返ったついでに身を翻し、アストラ様に頭を下げた。


「アストラ様、お疲れ様です。そして、支えて下さってありがとうございました」

「うむ」


 目があったアストラ様は、魔術騎士団の黒い制服を着崩していた。おまけに、いつもより気怠そうな雰囲気を纏っているものだから、思わず視線が落ちてしまったよ。

 なっなんだか、私が見ちゃいけない姿を目撃してしまった気がしたのだ。喉元を流れる汗に色気が溢れているというか。纏っている空気が艶めいているというか。


「アストラはまたすぐにそうやって制服を着崩して……。司令官になっても、そういうはところは学生時代と変わらないね」


 小さな笑い声を零すシレオ様。

 そろりそろりと顔だけで振り返ると、にこりと音を立てて微笑まれてしまった。向けられた笑みの意味は、間違いなく、真っ赤になっている理由を見透かされたからだろう。

 ひぎゃっと謎生物の鳴き声みたいな音なき悲鳴があがったのはしょうがないと思う。

 実際にひぇぇと顔を覆いかけたところで、アストラ様が動いた。


「アストラ様?」


 どうやら、アストラ様が自分の背中に私を隠してくださったようだ。

 ぽかんと見上げると、肩越しに向いていた視線がついっと逸らされてしまった。先ほどから私の動揺が見ていられないほど愉快なのだろうか。

 それでも、アストラ様の右腕は私を庇うように伸ばされている。


「ヴィッテ。いくら魔術騎士団内とは言えども、おかしな男は無視していいと言ってあるだろう」


 いやいや、オクリース様とも親しそうでしたし、不審者ではありませんし。しかも、現在進行形で無視したい事実ですが、この方はこの国の――いや、心の中でも言葉にして認めたくないサプライズです。と、普段の私なら突っ込んでいただろう。

 けれど、どうしてかな。今は、アストラ様の背に庇われていることが嬉しくて、軽口が叩けない。


「無視などできません。出来ませんけれど……その、あの、アストラ様のご心配は、とても嬉しいです。ああぁ、あの! 私が幸せと感じている現状と、余計なご迷惑をおかけしている事実は切り離して考えるべきとは、承知しているのです! はい!」


 私らしくないよ! と全力で思いつつ、思った以上に高い声を出していた。

 どうしよう。アストラ様やオクリース様に変に思われていたら。幽霊もやもやも、不機嫌そうに腕を組んでいるみたいに見えるし。錯覚レベルでアウト判定だよ!

 申し訳なさすぎなのに、アストラ様の袖を掴んだ指を開くことは出来ない。すっと距離も取られないし、諫められることもない。だから、つい離せない。空気が許してくれているって、わかるから。夢の中の少年たちを、目の前の人たちに重ねてしまっているからだろうか。


「……アストラ、鼻の下」

「なっ何を言う、オクリース! 俺の鼻の下は正常な位置にあるぞ!」


 アストラ様の鼻の下がどうかしたのかな? というか、逆に正常じゃない位置とは。

 心配な面持ちをしているだろう私と目が合ったアストラ様は、体を仰け反らせてしまった。心なしか、耳が赤い。


「アストラ様?」

「――っ!」


 ぐわっと仰け反ったアストラ様の大きな掌が、べしっと顔で跳ねた。そのまま数回、私の額でべしべしっと手が跳ねた。

 なんだろう。オクリース様といい、アストラ様といい。今日は私の顔を叩いたらハッピーデイ的な日なのだろうか。なら思う存分差し出す所存だ。

 とは言え、大きな手が触れる度、体の栓が壊れたみたいに熱が噴きだしてくる。ので、汗がつくのは申し訳ない。


「あの、アストラ様。掌スキンシップが激しくて、少々熱かったり、照れくさかったりでして」


 珍しい、というか初めてだ。アストラ様はスキンシップが激しい方だが、なんというか、軽いというか身近な人に対する触れ方をされたことはない。最後にと言うように、大きな掌が顔を掴んできた。ぐわしっと。

 ヴィッテ、捕獲されるの巻である。こうなったら、本物の魚よろしくびちびちと暴れるべきだろうか。


挙動不審(きょどうふしん)なアストラも、突拍子もない愉快な発想をしているであろうヴィッテも、落ち着きなさい」

「オクリース様の推察はさすがですけれども。まずは私を、というか、私の顔面を掴み取りなされているアストラ様を、どうにかしてください。いい加減、厚い面の皮がもげそうなんですが。ネガティブな精神と違って、物理的に厚い面の皮が」


 渾身の冗談を共に懇願したにも関わらず、オクリース様もシレオ様も盛大に噴き出しただけだった。

 渾身過ぎたのか。美形二人が息を切らし腹を抱えているのが、アストラ様の指の隙間から見えた。神はもういない。ここは自分で乗り切るしかないと悟る。


「あの、アストラ様。痛くはないのですが、捕獲作業を止めていただいた方が、お二人のためだと思います」


 アストラ様の名をもう一度呼んだ私の唇が、彼の皮膚に触れた。

 そこで初めて、びくりとアストラ様が反応してくれた。ばっと袖が音を立て、掌が離れてくれた。とはいえ、アストラ様はその手の指を開閉している。ちゃんとお昼を食べた後に歯を磨いたし、唇にもビーフシチューはついていなかったと思うんだけど。


「わっ悪い、ヴィッテ」

「いえ、あの、はい。シレオ様とオクリース様のお腹を痛めるのは申し訳ないですが、個人的には、嬉しかったです。失礼ですが、親戚の子扱いみたいな触れあいで。だから、お気になさらないでください。私、ちっとも嫌じゃなかったので」

「俺は、割と、やばい。というか、やばさに拍車が、かかったぞ」


 そう言うが早いか、アストラ様はしゃがみこんでしまった。両手で顔を覆って。

 どうしたものかとオクリース様を見ると、極上の笑みを返された。


 ヴィッテ、シッテイル。コレ、コワイヤツ。


 突っ込んで尋ねたら、駄目なやつです。思考ですら片言になってしまうやつですね。


「ヴィッテ。顔がもの凄く下に落ちていますよ」


 と、オクリース様に注意され、へのへのもへじになっていた顔面筋肉を戻す。

 よいしょよいしょと顔のパーツを戻している中、すっかり冷静になった美形さんたちは話を進め始めた。


「というか、王になったくせに、供も連れずにうろつくな。シレオ」


 やっぱりですか。キャッチした言葉は妄想じゃなかったんですね。

 っていうか、皆さましれっと言い過ぎじゃなかろうか。


「あーあ、アストラにあっさりとばらされちゃったね」

「どうせ花祭りになればわかることでしょうに。と言いたいところですが、貴方、先ほど自分でばらしていましたよね」


 オクリース様、ごもっとも。

 手を打ち鳴らしたい気分だが、そういう訳にもいかない。ので、籠を抱えて空気になる。そう、私は木。ただの木。鳥よ、止まりにおいで。


「オクリース。私は噂に聞くヴィッテと会いたかったのは、王としてではないのだよ? 理解しているくせに意地が悪いね」


 ご本人にそこまではっきり口にされては、スルーできないよぉ!

 思わず、床に両手両膝をついていた。はからずも、東洋の文化『土下座』に近い姿勢を披露するはめになった。東洋では最上級の謝罪方法らしい。

 このまま正座し地面に額を擦りつけてお詫び申し上げるしかない。


「重ね重ねのご無礼、どうぞお許しください! 王のご尊顔を存じ上げなかったばかりか――いえ、魔法画像にて拝見はしておりましたが、まさかと、浅慮ゆえ」


 握りしめ震える手に触れてきたのは、少しばかりひんやりとした温度だった。

 あまりに優しい触れ方に、恐々と顔が上がる。上がった先にあったのは、やっぱり、飴色の優しい煌めきだった。懐かしいと潤んでしまう笑み。知らないのに、懐かしいって思える。


「うん。アストラとオクリースに聞いていた君は、そのような態度をとると予想出来ていた。だから、オクリースに無理を言って会議の後に時間を取ってもらったんだ。これを逃したら、親友の――親友たちの恩人と話すことは叶わないと考えていたからね」


 手を引かれて立たされても、私の頭の中は真っ白だ。

 ただ、私は自分に対する言葉だけは、とても冷静に受け止められる。


「恩人、ですか? 私の恩人ではなく?」

「おい、シレオ。ヴィッテに余計なことを言うな」

「君がそのような態度だから、周囲や彼女に誤解を招いているのだよ」


 シレオ様の声にはやけに真剣みがあった。王様というよりは、弟に言い聞かせる兄様のようだ。私に兄はいないが、優しかった頃の姉様やメミニの兄様を彷彿とさせる。

 そこではっとなり、慌てて両手を振る。


「あの! 私は、本当に、たまに噂されるような存在ではないのです! アストラ様やオクリース様は良くしてくださっていますし、分不相応な交流もさせていただいておりますが!」


 私がどう言われているかなんて知っている。移民なのに、他の令嬢を差し置いて魔術騎士団の司令官付になったんだもの。採用試験には貴族の令嬢ばかり参加していたし。

 ただ、味方が多いから忘れそうになるのだ。ほとんどの団員は好意的で、おまけにフォルマやトルテもいてくれるから。


「見ての通り、色気もなく、処世術もない、ただの小娘です!」


 どんと胸を叩いて見せるが、男性三人のぽかんという表情は変わらない。


「あっあの。色気もないのですが、ちゃんと、言い寄ってくる方の魂胆は承知していますので、飲みも食事もデートもお断りしております。なので! 司令官付として、誰かに情報を漏らすこともしないですし、この職に就いている間は外部の方とお付き合いもしないと決めています!」


 ふんと鼻息荒く拳を握る。

 私に近づいてくる人は、とてもわかりやすい。アストラ様やオクリース様、その他の騎士様とお近づきになりたい女性か、フォルマやトルテたちに言い寄りたい男性だ。

 たまに私自身の話を聞いてくださる方もいらっしゃるが、そういう方はいつの間にか接してこなくなるので、つまらない私個人にすぐ飽きるのだろう。


「私の唯一の特技は自分をわきまえていることです。それでもしつこい方には、大家さんが魔法で対処してくださっていますし」

「一応聞いておくけれど。この子の自己評価の低さはオクリースの暗躍のせいではないのだよね?」

「人聞きの悪い。ただでさえ自己評価が低いこの子を落とすことなどするわけがないでしょう。フォルマと協力して、余計な虫は排除していますが」


 あっ、オクリース様の吐き捨てるような言葉は初めて聞いたかも。

 ぼけらとオクリース様を見上げていると、珍しく頭を撫でられた。くしゃくしゃといつもより乱暴なのに、嬉しい。


「ふふっ。オクリース様、ちょっと痛いです。嫌ではないのですが、もったいないというか、くすぐったいというか」


 って、痛い!! 今度は、本気で痛い!

 なぜ、私はオクリース様に本気のちょっぷを受けたのか!! フォルマに言いつけてやる!

 頭を押さえて目を細めて、すぐ見開いた。横を向くオクリース様の両頬を掴んでいるアストラ様と、そのお二人の肩を叩いているシレオ様がいるから。


「オクリース様?」

「ヴィッテ、二人は放っておいて花祭りの打ち合わせでもしましょう」


 本日の会議のテーマを引き合いに出され、私はただ頷くしかなかった。王都全体の話だからね! 一カ月前からでも入念な打ち合わせが必要だ!

 こくこくと顎を動かす私はかなり面白かったらしい。オクリース様は口の端をわずかにあげて、私の肩を軽く叩いてくださった。


「おい、オクリース! ひとまず、シレオを裏門に送り届けるぞ! ヴィッテとのお茶を交えた打ち合わせはそれからだ!」


 アストラ様の愉快なポーズによって、オクリース様のマントが引っ張られた。


「承知していますよ。先ほどから、カネイ――近衛隊長から煩いほどの魔法念話が届いています」


 カネイ様の名は幾度か耳にした機会がある。公爵家であるオクリース様やフォルマのご親族らしい。

 腹黒なお兄様とは違って生真面目なのよと、フォルマが愛らしく笑っていた記憶は新しい。


「ヴィッテ、カネイというのはな」

「フォルマから聞いたことがあります。とても素敵な近衛隊長だって」


 アストラ様の言葉を遮って笑った。アストラ様は優しいから。私がついていけない話題に気遣ってくださる。

 なぜだろう。すごく泣きたい。わきまえているはずなのに。彼らは私の心に踏み込んでくる。


「では、シレオ様。お戯れのお時間はここまでです。裏門までお連れしましょう」

「あぁ、オクリース。頼む」


 シレオ様が身を翻す。豪華で煌めきを乗せたマントが夕焼けに踊る。まるで、ここまでだと告げるように。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 裏門につけた馬車に乗り込む寸前、シレオ様が思い出したように振り返った。

 そこにいらっしゃるのは、『王様』ではなく『シレオ様』だった、と思えた。


「ヴィッテ。君とはまた会える気がするんだ。不思議だね、きっとまたこんな距離で会える」

「そんな訳あるか! 今回だって、シレオ――陛下がどうしても供を外してオクリースと話があるからと許可された時間なのですよ?」


 アストラ様が怒って明後日の方を睨む。

 

「そういうな。では、またな」


 飴色の王子様は最後まで柔らかく微笑んでくださった。豪華に装飾された馬車に乗り込むまで。

 個人的には『またな』は望まない。であるのに、幽霊は無責任に笑ったのだ。


――もちろん。貴方は私の運命なのだから――


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