また視てくれるようになったと思ったら、幽霊扱い?
「ヴィッテ?」
体に振動を感じた直後、視界が弾けた。
――あめいろの、おうじさま。ずうっとさがしているんだって。おにいちゃんは、そうなんだって――
幼い私が呟いたと思ったら、蒼のグラデーションの花畑が視界いっぱいに広がった。そして、花びらが舞いあがったところまでは覚えている。
頭を振った私の前には、立派な建物の柱と美形二人がいた。くらくらする頭を片手で抱え、なんとか焦点を定める。
「ヴィッテ、聞こえていますか?」
「えっと、オクリース、様? あれ、そっか、夢が覚めたのか」
私の顔を覗き込んでいるオクリース様。さっきの黒髪の少年は、やっぱりどう見てもオクリース様だった。
けれど、同時にアレは単なる夢と現実が混ざった夢だったのだと確信した。
だって、記憶力が良くて些細なことまで覚えているアストラ様やオクリース様が、あんな変てこな発言する子どもを忘れるだろうか。
いや、まぁ、うん。私が地味過ぎて記憶に残らなかったという可能性もあるが……今の私もフィオーレに来たばかりの頃は花精霊に固執していたし、デジャブくらいはあってもいい、ような、気もするけど、やはり地味だし記憶に……。
「ヴィッテ。参謀長命令です。今すぐここがどこか答えなさい」
「あっ、はい。失礼いたしました! ここは魔術騎士団の廊下です。そして、私は団随一の食いしん坊なヴィッテ=アルファ=アクイラエで間違いないです。今も、割と腹ペコです」
「ぷはっ!」
自分を落ち着かせるため、至極真面目に口にした言葉は誰かの笑いを誘ったらしい。笑っていただけて何よりです。とほ。
オクリース様からは、思いっきり深いため息を頂いたが。
「それよりも、お話中に割り込んでしまい大変失礼いたしま――おうじさま?」
オクリース様の隣にいらっしゃる男性を捉えた瞬間、勝手に口が動いていた。
言葉を発した当人である私が冷や汗を流す中、金髪の男性はふんわりと笑いかけてくださった。途端、どくんと激しく跳ねる心臓。そして、痛む頭。
頬があり得ない位、熱を持っていくのがわかる。なんだこれと思っても、おさまる様子はない。
「『王子様』なんて、随分と懐かしい呼ばれ方だね」
私達は知っている。こんな風に笑う男性を。
どうしてだろう。ひどく懐かしくって、瞳が湿っていく。ずっとずっと、会いたかったと思える。呼吸が乱れる。さっきの夢みたいに、私じゃない私が胸を躍らせている。
「ヴィッテは、彼が何者か承知しているのですか?」
目元を掠めたオクリース様の指。表情を見るために、髪を手の甲に乗せたのだろう。顎までの横髪が、ふわりと頬に触れた。
思いの外、近づいてきたオクリース様のお顔。
「おっオクリース様!?」
オクリース様は、アストラ様ほどスキンシップが激しくない。けれど、ふいに深く触れてくださる瞬間があるのだ。大体は、私が俯いている時に表情と目の奥をじっと射抜くように。
大丈夫。オクリース様は約束してくれたから、遠回しにではなく直球で尋ねてくださったのだ。聞きたいこと――疑っていることがあるのなら、私に直接聞いてくれると。
次の言葉をくださいと、じっと深い色の瞳を見つめ返す。
「これだから、貴女は」
いっ痛い。なぜ掌で顔をべしっと叩かれた、というか覆われたのか。私の真顔は、間近では見るに堪えなかったですか、実にすみません。
あばばばと両手を動かす私を、オクリース様の奥にいらっしゃる方が笑った。
「シレオを見て、王子だと言いましたよね」
オクリース様の声は淡々としている。それでも、視線はあたたかい。私を純粋に心配してくれて、意味不明な言動に戸惑っているだけだって伝わってくる。
だから、私も正直に答えられる。
「いえ、私の覚えが正しければ、初めてお会いする方です。って、そうだ、申し訳ございません!!」
冷静になったばかりなのに、状況に気が付いた私の肌からは汗があふれ出るばかり!
真っ青に変わっているだろう私を見て、腹を抱えていたシレオ様とおっしゃる方も背を伸ばした。というか、あれ? シレオっていうお名前どこかで――。
「申し訳ないとは?」
「いえ、だって、私、とってもとても失礼でした! まるで、昔読んだ絵本に出てくる王子様みたいな方だって思って、それを音にしてしまいました! しかも、自己紹介もせず!」
これに尽きる。
目の前の男性は、見事な金髪だ。高質な布と洗練されたデザインの服を、嫌みなく着こなしていらっしゃる。いらっしゃるどころか、この人のために作られたような印象さえ与えてくる立ち姿。
服は騎士服に似ているが、貴族が好む細やかな刺繍が施された長裾だ。所々にある煌めきは宝石。
「私は魔術騎士団で司令官付の事務を務めている、ヴィッテ=アルファ=アクイラエと申します。お二人のお話を遮っただけではなく、名乗りもせずに大変失礼いたしました」
がばっと腰を折る。ってぇ! しまったぁ!! 騎士様――騎士団であれば右手を胸にあて軽く頭を垂れるのが常識だ。なのに、焦るあまり礼に背いてしまった!
ようやくフィオーレの習慣になれてきたと思っていたのに、ふとした瞬間や切羽詰まった場面では上手くいかない。私の国では目上の人に対しては、腹部前で手を重ね、つま先に視線を落とすのが礼だったから。
こうなれば、もう真っ青な顔いろのまま、とんでもない勢いで上げた顔を右往左往させるしかない!
「ぷっ! ははっ! いや、可愛いね! とても新鮮だよ。いいね。礼に外れられるなんて、いつ振りだろうか。これはご希望にこたえて、罰を与えるべきかな?」
ぎゃぁ!! やっぱり、この方、とても身分が高い方なんだ!! よくよく考えなくてもオクリース様だって公爵家の跡取りだもの。フィオーレの方であれ、他の国の方であれ。高貴な方とも付き合いは多いだろう。
おぉぉぉと、白目になって慄くのと同時。思考の片隅では、やけに冷静になっている自分がいた。
そう。オクリース様もアストラ様も、近いと勘違いしているだけなのだ。私は、ただの移民。
「分不相応な振舞、どうぞお許しください」
たまたまだ。偶然にも拾ってくださったのが、アストラ様とオクリース様だっただけ。
本来なら、私は行き倒れて死んでいても、山賊に凌辱されていてもおかしくなかったのだ。
そうだ。魔術騎士団に雇われて、一度だけ耳にした。私以外の女性は犯され、老若男女問わず死体が発見されたと。
「シレオ。ヴィッテは真面目なのです。好奇心だけで遊ぶのはやめてください」
膝から崩れそうになった時、ぎゅっと腕を掴んでくださったぬくもりで我に返った。
片腕に抱えた籠さえを落としそうになる強さだった。
「遊ぶなど。私はただ、本当に、そう、ただ心底可愛いと思ったんだよ。どこか懐かしささえ覚える」
どうしてだろう。私、やっぱりこの方を知っている気がしてならない。
ちらりとシレオ様を見上げると、意図が不明な笑みを向けられた。これ、公の場にいらっしゃる時に司令官殿と参謀長殿に向けられるのと一緒だ。一気に血の気が引いていく。怖いと、身が震える。
「もっ申し訳ありません、でした。どっどうか、このまま、下がる許可を」
震える喉からなんとか声を絞り出す。
怖い怖い。脳裏に浮かぶのは、私が見たことのないような豪華な宴の光景。そこで向けられる視線。大勢の人から向けられる、蔑視の感情。
「ヴィッテ? ひどく汗をかいていますよ?」
オクリース様の声がすごく遠くから聞こえる。
おかしい。私の記憶にないことなはずなのに、肌に感じる緊張感はやけにリアルだ。地面に落とした視界に広がるのは、ぶれた映像。映像の奥には、今の流行とは異なるドレスに身を包んだ女性たちと、同じような男性たち。私は集団の中で、身を小さくして唇を噛むしかない。みんなが私を見て、笑っている。怖い、怖い。
――大丈夫、ヴィッテ。それは貴女の記憶じゃないから。私のだから。でもね、またシンクロしてくれるまでになったのよね。うれしい――
ふと、後ろから抱きしめられた気がした。その人の体温に全部吸い上げられるように、驚くほど気持ちが楽になっているのがわかった。
慌てて振り返ると、目の前には人型のもやがあって――。ゆっ幽霊!? 私、ついに立ったまま寝る技を身につけただけじゃなくって、幽霊まで見えるようになっちゃったの!?
――あらやだ。やっと、また視てくれるようになったと思ったら、幽霊扱い?――
ひえぇぇ! これ、あれだ。さっきの夢で見た、私じゃない私と同じ音を発しているよ!
いやいや。どうするよこの状況! やはり下がりたい気持ちに変わりはないよ!!
「あぁぁ、あの、私、かなり限界ぎりぎりのようで。この場を辞させていただきたく」
「怖がらせてすまなかったね。飴でも食べるかい?」
おずっと差し出されたのは、ハッカの香りがする飴玉。
先程まで感じていた恐怖なんて、どっかに飛んで行っていた。自分でも目がきらっきらに輝いているのがわかった。
「ハッカあめの、おうじさま」
おぉぉっと、また、なんだか意味不明な称号を口にしてしまっていた。
「……どうしてだろう。突拍子もない呼び名なのに、とても懐かしく感じてしまう」
挙げられた右手。あぁ、頬を撫でられるんだと思った。思って、瞼を落としていた。
が、想像したふれあいはなかった。
なにやってんだ、私! 赤面して目をかっぴらいたが、そこに映ったのはシレオ様の伸びた手の上に翳された手。オクリース様の手だ。触れてはいないが、オクリース様の目には『ステイ』と書かれている気がしたよ。
「オクリース様?」
「安心してください、ヴィッテ。痴漢行為は未然に防ぎました」
ちっ痴漢とは!! いつの間にと挙動不審に右往左往してしまう。フォルマやトルテの身が危ないよ! 探してやるよ、つぶしてやるよ!
「魔術騎士団内に痴漢ですか!? 私が、撃退してみせます! 憧れの女性騎士様はもちろんのこと、ここにはフォルマやトルテもいるんですから!」
警戒モードに入った私とは反対。男性二人からは盛大なため息が落ちた。なっなんで⁈
「シレオ、そろそろ時間ではないですか?」
尋ねるというよりは念を押すようなオクリース様の言葉。アストラ様はこの口調にめっぽう弱いが、、目の前のハッカ王子様は全く怯んでいないようだ。
「やれやれ。折角、親友たちが可愛がる子に会えたというのに、もう王様に戻れというのかい?」
さらりと流された発言に失神しなかった私を褒めて欲しい。白目は剥いていた気がするけれども。




