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ひとりじゃなかったけど、ひとりになっちゃった―夢回想―

今回はヴィッテが第三者視点で夢を見ています。

「ねぇ、父様!」


 幼子特有の高くて舌っ足らずな声に、はっと瞼があがった。


(あっ、あれ? 私、魔術騎士団の廊下にいたよね!?)


 私の前には、五歳に満たない幼い子どもがいるじゃないか。というか、視界の縁がぼんやりとしているのは何故だろう。しかも、周囲がセピア色だし。

 私が慌てている間も、声の主の少女はとても嬉しそうに中年の男性の手を引っ張っていく。


「わたしね、お星さまを抱えたお花をみつけたの! きれいなの。ぴかぴかってね、頑張って魔法をあふれさせてね!」


 あれは――どう見ても私だ。見た目だけなら、間違いなく自分だと断言できる。でも、言動は、今の自分からは想像も出来ないくらい無邪気で自由奔放だ。

 自分の姿をした別人。

 一瞬、そんな考えが浮かんで、すぐさま頭を振る。


(いや、あれは確かに私だ。記憶にはないけど、そうだってわかる。わかった上で、妙な罪悪感があるのは、何故だろう)


 幼い私を優しい眼差しで見下ろしている男性は、間違いなく父様だ。忘れるわけがない。ちょっと偏屈だけど愛情をいっぱいくれた父様。私が興味を持ったら『女だから』なんて言わず、ありったけの機会と知識を与えてくれた大好きな父様だ。


(父様、とうさま、とうさま)


 呼びかけても、当然応えてはくれない。

 それでも良い。夢でも良い。会えただけで嬉しくて、地面に蹲ってしまう。故郷を離れてから、こんなにはっきりと姿を見せてくれることなんてなかったもの。


(あれ? でも、記憶にあるよりも目元には皺が少ないかな。そりゃそうか。私が子どもなんだから)

 

 私は夢を見ているのだろう。しかも、明晰夢なんてどうしたんだ。


(というか、そもそも、ここはフィオーレだよね?)


 今となっては私の生活の一部であるフィオーレの街並みが目の前に広がっている。空の奥に浮かぶ、王宮前の雄大な魔法陣たち。花びらたちが舞う、美しい街。

 私自身は覚えていないけど、昔両親とフィオーレを訪れた時の記憶だろうか。


「きれいね! きれいだね!」


 そこに行き着いた途端、違和感よりも好奇心の方が強くなった。本当にただの妄想、いや夢であるかもしれないけど置いておく。


「へへっ! かわいいお花なのに、おじさんみたいなちっさい子が、花びらで跳ねてる! ねねっ、父様! わー、ひどい。うるさいぞーって、あっかんべーしてくるー!」


 幼い私は、さっそく念願の花おやじ妖精を見つけたようだ。羨ましい。

 はしゃぐ幼い私は父様と手を繋いでいる。父様もめいいっぱい指を伸ばしてくれてはいるが、高いところにある父様と手を繋ぐのに随分と不恰好になっている。最早、指を掴んでいるだけだ。


「ヴィッテは魔法――この国では魔術というのだけれど。大好きなのね」


 少し離れた場所から聞こえた声に、風を切る勢いで身を捻った。

 そこには、想像した通り母様がいた。亡くなる寸前はあんなに痩せていたのにと、涙が溢れて止まらない。

 零れる涙の奥にいる母様はいつも笑顔を咲かせていた。体型なんて関係ない。痩せていてもふっくらしていても、いつも明るくて冗談を口にする人だった。最後の最後で、私が母様からそれを奪ってしまったのだと、嗚咽が止まらない。姉様がいなくなった後、私じゃ足りなかったんだと思い出した。


「ヴィッテってば。念願のフィオーレに来られたのが嬉しいのはわかるけれど、転ばないようにね。貴女、誰に似たのかお転婆なんだから」

「間違いなく、君に似たんだろうね」

「まぁ! ヴィッテに木登りを教えた人に言われたくはないわ」


 それでも、母様も父様もすごくあったかい眼差しを私に向けてくれている。

 いつの間にか一人で先を行く幼い私が、時折、両親の位置を確認するように振り返る。それを見て、母様も父様も手を振ってくれている。


「あの子は、どうすれば幸せになれるんだろう。手放せばあるいは、せめてあの子の幸せに――」

「止めてください! ヴィッテは私たちの子どもです! 私がお腹を痛めて生んだ、唯一の子!」


 生前の母様が見せたことがないような激昂を前に、体が固まってしまう。正直、言葉は耳に入ってこない。

 当時の父様も同じだったようだ。息を飲んで、苦虫を噛み潰したような表情で首筋を掻いた。


「ごめんなさい。余計なことを言ったわ」

「いや、君は事実を言っただけだ。君がサスラも目に入れても痛くない程可愛がってくれているのも知っている」

「サスラも自分の子だと思って育ててきました。愛しい子です。だからこそ、ヴィッテは誰にも渡しません! そのためにフィオーレに来たのだから」


 花が舞う道には、人があふれている。ただ、色があるのは私と両親だけ。色とりどりに舞う大好きな花びらさえ、色を持たない。

 なのに、頭がぼうっとする。そうだ。サスラ姉さまは私が生まれる前から姉さまだったけれど――。


「母さま! わたしね、魔法、じゃなくて、魔術? うーん、どっちでもいいの。だってね、ヴィッテとお姉さんのおともだちがたっくさんいてくれる! フィオーレに連れてきてくれてありがとう! はじめての海外が、こんな魔法がいっぱいな国で、うれしい!」

「そうね。ヴィッテはここにいたい?」


 笑顔の記憶が多い母様が浮かべる笑みは、どこかぎこちない。あっ、泣きそうだなんて思った。これは、自虐でもなんでもなく、わかる。無邪気な私が原因なんだと。

 当の私は顎に指を当てて、うーんと唸った。

 


「わたしは、わからないけど、あの子はフィオーレに帰ってこられて、うれしいって! だから、わたしもうれしい!」


 幼い私がジャンプした直後、両親の体が固まった。そうだろう。だって、私もだ。


――かえってこられて――


 さすがに、自分でも可笑しいと思う。

 さっき、幼い私は初めての海外と言っていた。なのに、今度は『帰ってこられて』っておかしいだろう。いや、ちょっと待て。

 顎に当てていた手を振り、顔が音を立てて上がる!


(だから、『わたしも』嬉しいって言ったんだ! メニミにも指摘されたこと、今なら私もわかる。自分の気持ちにわざわざ主語をつけるくせがあるって意味が!)


 『だから、わたしも』っていうのは自分の気持ち。なら、幼い私が共感している『帰ってこられて嬉しい』を感じているのは――別の人だ。

 けれど、ソノ人って誰だ。今の私には全く心当たりがない。サスラ姉さまでも、ないだろう。

 腕を組んで悩んでいると、場面が揺らいだ。今度は豪邸の庭にいるようだ。フィオーレにこんな豊かな庭園を持つ屋敷が、あっただろうか。


「ようこそいらっしゃいました。閣下は前の会議が長引いておりますので、少々お待ちいただけますでしょうか」


 渋い声がして振り返ると、馬車と数人の人だかりが見えた。

 っていうか、ここ‼ フィオーレ外れの公爵邸じゃない!? オクリース様とは別の。

 もちろん、来たことなんてないけれど、アプローチを見ると猛々しい家紋が雄弁に語っている!

 なんで! 海外の一商人である我がアクイラエ家がお目通り適っているの!?


「わたくしめのような遠縁とのご面会、了承していただけただけでも感謝するところです」


 父様と母様が、私の両側で恭しく頭を垂れている。真ん中にいる私は、両親を独占できる喜びで、笑顔を湛えている。

 驚きがすっと引き、冷静になった。


「よろしければ、形式上ではありますが、お手続きだけでも」

「はい。ヴィッテ。ここでお花とお話していられるかい?」

「うん! ここのおはなの子たちは、とってもかわいいの! もうちかよってきて、ヴィッテの髪の毛ひっぱってるんだよ!」


 しゃがんだ父に目線を合わせられた私は、意気揚々と腕を広げた。


「しつじさん、お願いがあるのです。おはなの子たちがね、あっちにきれいな花園があるって誘ってくれているのだけど、行ってもいいですか?」


 子どもの想像豊かな返事を怪訝に思うでもなく、執事さんは静かに笑みを湛え頷いてくれただけだった。そして、近くにいた騎士っぽい方に目配せをする。

 私の花園発言に目を見開いていた父様も母様も、そんな執事さんを見て、わずかに瞳を湿らせた。

 わかってしまった。わかってしまう。私は、両親にとって、きっと困った存在だったのだと。


(私の国は、魔法――魔術が、あたりまえの国じゃなかった。なら、私の言動は完全に異常者だもの)


 単なる子どもの発言だ。けれど、真偽はともかく、世間の目はある。

 私は全く覚えていない。だが、両親はきっと幼い私の言葉一つに 苦労したんだろうってのは、今になってよくわかる。


(姉様は、きっと、そんな私が嫌いだったんだろうな。大好きな両親の足かせになる私が)


 夢の中なのに、やけに苦しい。

 両親は何度も振りかえりつつも、さっそく一人で花に顔を近づけ独り言を零している私を残して、豪勢な建物に姿を消していった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 場面が変わり、幼い私は一人になったのを気にしている様子もなく、花園を満喫している。

 少し離れた場所に女性騎士が立ってくれていて、幼い私が時折手を振ると微笑み返してくれた。


「君、ひとりかい?」


 異常な量で降り注ぐ花びらに埋もれ笑っている変な子供に、突然声がかけられた。

 幼い私はぽかんと口をあけつつ、何故が左右に顔を振った。まるで消えた友人を探すように。


「ひとりじゃなかったけど、ひとりになっちゃった。騎士のお姉さんもいない」


 急に現れた三人組の少年に、幼い私はびっくりしているようだ。しかも、つい先ほどまでいた女性騎士の姿も見当たらない。


「それはごめんね」


 かけられたのは、申し訳なさ混じりにおかしさを噛み殺している声だ。

 幼い私は瞬きを繰り返しつつ、花に埋もれていた体を起こす。

 私の前には、少年が三人立っている。着崩しの程度は異なるが、同じ服を纏っている。魔術騎士団の制服を彷彿とさせる制服は、確か国立学院のものだ。街中でも良く見かける。


「だから、言っただろ! 花精霊と彼らが視える者は繊細なんだ!」

「ごめん、ごめん。なんだかとても気になるお嬢さんがいるなって」

「こんな幼い女の子を捕まえて『気になるお嬢さん』なんて、さすが学院一のタラシだな」


 声をかけてきた金髪の少年を怒っているのは、薄い紫色の髪をした少年だ。今の私からは後姿からしか見えないが、仕草からとても焦っているのが伝わってくる。

 どうしてだろう。とても、泣きたくなる。だれかに似ているから。一番背が高いのに、背格好がいいのに、だれよりも柔らかい空気を纏う人。


「君の方がうるさくて、迷惑ですよ。びっくりしてしまっているじゃないですか」


 紫髪の少年の耳をつねったのは、隣の黒髪の少年だった。

 たった一言だったのに。耳に覚えがある口調だと思った。

 ともすれば冷たく聞こえる響きだけれど、本当は感情がいっぱい詰まっているような。


 私、知っている。この人たちを、知っている。


 知っているけれど、わからない。わかっちゃいけないって、だれかが警告してくる。


「おにいさんたちは、だぁれ? おはなの子たち、みえるの?」


 幼い私が気になったのは、そっちだ。忘れていたはずなのに。今の私にも彼女の気持ちが伝染してきているのか、幼子の気持ちが手 に取るように理解できる。

 らんらんと瞳を輝かせて、喧嘩を始めようとしている少年たちを見上げている小さな私。


「あれ。ごめんなさい。わたし、へんなの、言ったよね。忘れて」


 変なの。あの子がしょんぼりしたのを目の当たりにして、思い出した。

 そうだ。幼い私は魔力が強かっただけではなく、人にはミエナイものが視えてしまっていた。周りの人が使えないモノが使えた。指先を動かしては止められた光景が、今なら浮かんでくる。

 だから、自分の発言の異様さをわきまえている。ついさっきまでは自由にさせてもらっていた反動だろう。


「君のおともだちは、俺のともだちでもあるんだぞ!よし、いいとこ教え合戦しよう!なんせ、俺の方が付き合いが長そうだからな!」


 その一言が、どれだけ救いだっただろう。私は特異じゃないと教えてくれた声。

 幼い私がはっと顔をあげた先にあったのは、お日様の笑みがあったんだっけか。スミレみたいな髪に、あったかい笑みが印象的だったような気がする。

 それだけで、この人を大好きだって思えたんだ。私のお日様だって。くしゃって髪を撫でてくれたのが、ひどくうれしかった。


「ほんとの、ほんと? おにいさんは、ヴィッテと一緒におはなの子のお話、してくれるの?」


 どうして今のいままで忘れていたのだろうか。したことがないなんて思っていた恋、だったのだと思う。初恋だろう。

 足を動かすと、当然足音はしなかった。どんな子たちだろうかと、駆け寄ってしまう。幼い私の横にならんで、呼吸が止まった。


「大人げないですね。花精霊との付き合いの年月は、私だっていい勝負ですよ」

「おいおい、二人とも。僕がはっきりと花精霊を見られないのを承知しているのだろう。嫌味だよ」

「一番魔力が強くて、一番花精霊と気持ちが通じることができるのは俺だからなっ!」


 ぽかんと。私も、幼い私も口を開けてしまった。

 だってね。幼い私の気持ちは忘れてしまったけれど。私、お日様の笑みで胸をはっている人と、思いっきりあきれ顔の黒髪の少年が、誰だか思い当ってしまったから。


「アストラの頭は年中花畑だから」


 見事にハモッた少年二人の声。

 あぁ、変わらない。この人たちは、今の私のそばにいてくれる人たちとなにひとつ、芯になる部分は変わっていないんだとわかってしまった。


「へっへんなの! あはは! おにいさんたち、おかしいやっ!」

「むむっ。可笑しいと言われるのは慣れているが、どこが?」


 少年はアストラ様は短い髪が風に舞い上げられるのも、通りかかった少女メイドさんの黄色い悲鳴も気にすることもなく、私だけを射抜いてくれている。

 幼い頬に触れた掌。なのに、今の私の体が熱くなる。反して、幼い私はひとしきり笑った後、しゅんと体を小さくした。


「だって、わたしと、ふつうにおはなの子たちのお話してくれる。わたしとお話してくれる。でもね、わたしね、ふつうじゃないんだって。だからここにきたの」


 そうだ。だから、幼い私はフィオーレにいる。普通じゃないからこそ、フィオーレにこれたのだ。両親に連れられて。ほと、と。心の奥で雫が落ちた。

 両親たちが調べに調べても、私の能力を消す方法が見つからず、最後の頼みの綱として遠縁がいる魔術大国フィオーレを訪れたということを思い出した。幼い私の方が、自分の立場をよく理解しているものだ。


(でも、あれ? 父様や母様が私の能力を否定したことはなかった。姉さまはあからさまに嫌がっていたけれど。いや、でも、確かに『消すために』という言葉は聞いたのを思い出した。フィオーレに来る前、夜中に起きた私は、父様の書斎で聞いたのを)


 やはり、両親も私の能力を疎ましく思っていたのだろうか。嫌なことを思い出したが、知らないよりは良いと、今なら思えるから不思議だ。これもフィオーレ効果だろうか。


「普通ってなんだ? 花精霊が視えないことか?」


 アストラ少年が本気で首を捻った。腕を組んで体ごと傾け、黒髪の――オクリース少年に押し戻されている。


「君たちは規格外すぎるからね。僕はこの子が言いたいこと……少しはわかるよ」

「私を一緒にしないでください」


 飴色の少年が肩をすくめると、即座にオクリース少年が瞼を落とした。

 やさしい風が、特徴的な髪たちを掬った。幼い私は膝を抱えて押し黙ったままだ。少年たちは顔を見合わせ、それでも面倒くさい子だと背を向けたりはしない。レンガの地面に膝をついて、顔を覗き込んできた。


「……だめなの」


 アストラ少年と飴色髪の少年は、私の呟きが不可解だったのだろう。首を捻った。けれど、


「駄目、とは?」


 オクリース少年だけが即座に問いかけてきた。まるで、答えを抱えているように。今の私になら悟ることができる。きっとオクリース少年は、言葉の意味を噛みしめたうえでの問いだろう。


「だめなの。わたしの、ぜんぶ。ただ探しているだけなのに」


 まるで、今の私に再認識させるかのような音質だった。

 無機質に語られた言葉は、自分の胸に刺さった。いや、ちょっと待って。無機質すぎて、幼い子供のものとは思えない。あれは――私じゃない?


「だめなの。わたしは、ただ、いっしょにいたいだけなのに」

「誰と一緒にいたいのですか?」


 怖い。降り注がれる視線たちを、私は気にも留めていない。いや、たったひとつ。飴色の彼の――いや、彼の奥の奥だけに喜んでいる。

 私は、花に埋もれ、愛らしく着飾った彼女が、怖い。私じゃない。あの子の一部は、私じゃない。私は私でいいのに。でも、駄目って否定される。だから、私は自分が嫌い。


(これは本当に私が見ている『夢』?)


 ぼぅっと考えてみても、頭痛は止まらない。


「わたしが――わたしのなかにいるおねえさんが、ほしいのはね」


 幼い私は、ちいさな指をある人に向けた。


「あめいろの、おうじさま。ずうっとさがしているんだって。おにいちゃんは、そうなんだって」



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