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あぁ、君が噂に聞くヴィッテか。


「じゃあ、僕は食堂にバスケットを返してきます」


 私たちがいるのは、開放的な食堂だ。

 トルテはいないようで、ひと気もない。ふいに壁際に置かれている柱時計が目に入り、目が見開いてしまう!


「私も用事を済ませて執務室に帰らないと!  司令官殿と参謀長殿が、もう少しで戻ってこられるんだ」

「今日は最上階の特別会議室で、明日の本会議の打ち合わせでしたっけ。じゃあ、参謀長――特に司令官はヴィッテさんが淹れられた紅茶を飲みたくて仕方がないでしょうから、急がないといけませんね」


 レクトゥス君に他意はないだろうに、私は勝手に体温をあげてしまう。

 幹部クラスの人たちで行われている会議。明日、王様が視察に訪れる打ち合わせだ。おそらくアストラ様もオクリース様もぐったりとして執務室に戻ってこられるだろう。

 私が淹れたお茶を飲みたくて仕方がないかは別にして、リラックスしてもらえるように精いっぱい心を込めて準備をしておきたい。


「そういえば、まだヴィッテさんの質問に答えていなかったですね」


 駆け出し始めた私に、レクトゥス君の柔らかい声が投げられた。

 振り返った先には、軽く掲げられている大きめの籠がある。先ほどまでと違い布が取り払われて、中にあるものたちがきらきらと輝いている。


「きれい」

「よかったら持っていってください。今度の花祭りに配る飴の試作品なんです。今日の午後は警備ルートの視察をしつつ、子どもに飴の感想を聞いてたんです」


 私の返事を待たず、レクトゥス君が籠を手に握らせてきた。代わりにと、抱えていた書類が抜かれる。

 あっと、飛び出た声を押し戻すように、レクトゥス君は微笑みを浮かべた。


「この書類、ザグ様にお渡しする事務連絡ですよね? 僕、この後ザグ様のところに花をもらいに行くので、お渡ししておきます」

「でも――」

「これって、あのえばりんぼに押し付けられただけですよね? 司令官名ではありませんし」


 さっさすが天才騎士様だ。ぱっと書類をみただけで、書類にまつわる事情まで予想できてしまうなんて……。

 まぁ、とある騎士様がいつも何かと有無を言わさず仕事を渡してくるのを知っているからかもだけど。

 というか、えばりんぼって可愛い響きに、思わずほろっと笑ってしまったよ。あわせるようにやけに大人びた笑みを浮かべたレクトゥス君。恥ずかしくて、わざとらしく飴を夕焼けに掲げたのだけれど……。


「わぁ! きらきらって、いろんな色が流れていて。光があふれてくる……!」


 ぱぁっと心が華やいだ。

 透明なフィルム越しに見えるのは、宝石のようなカットになっている飴。挟んだ指の腹で転がすごとに、光の色を変える。

 子どものころ、父様が仕入れたランプを見て感動した気持ちにも、庭師ゼファさんが母様と作ってくれたお菓子の香りを嗅いだ時とも似ている。


「おいしそう!」

「子どもたちも同じように喜んでくれました」

「……紳士のレクトゥス君にしては珍しく、レディーを子ども扱い?」


 私が軽口をきいたのが珍しかったのだろう。レクトゥス君はわずかに目を見開いた。

 そして、奇妙なことに私も同じようになっているのがわかった。お互いにきょとんとしている不思議な光景のできあがり。

 私、メミニと再会してから、少し変かもしれない。


「なっなーんてね。ははっ」


 誤魔化し気味に、ぱくりと飴玉を口へ放り込めば、舌を撫でる甘さが口いっぱいに広がった。


「やさしい、あじ」


 綺麗で優しくて、まるでアストラ様みたいだと思った私はおかしいのだろうか。っていうか、おかしいよね。何でもかんでもアストラ様に結び付けて考えてしまうなんてさ。


「よかった。飴玉もヴィッテさんみたいな女性に堪能してもらえれば本望ですね」

「レクトゥス君、紳士らしからぬと言ったばかりだけど……それはちょっと意味が不明です。私、レクトゥス君にはすけこましになって欲しくない」


 可愛くない憎まれ口にも、レクトゥス君はいたずらな笑みを浮かべるだけ。短い前髪のせいか、彼の表情は感情がよく見える。それは、遠い日、スチュアートが見せてくれた笑顔に、ほんのちょっと、本当にちょっぴり、似ていた。瞳も髪の色も、全然かぶらないのに。

 居心地が悪くて、誤魔化し気味に籠を抱えなおした私を見て、彼は困ったように頭を搔いた。


「大丈夫ですよ。僕だって、誰にでも心を開いているわけではありません。ヴィッテさんのこと尊敬しているからです。人柄、書類処理能力、状況判断能力も、いつもすごいなぁって思っています」

「うぇ?!」


 飛び出た奇声は許してほしい。レクトゥス君とは書類整理関連でほぼ隔日で接しているし、会話をする機会も多いが。彼ほどできた少年に尊敬される要素に心当たりがないのだ。

 そんな風に慌てる私の心内も見透かしているように、レクトゥス君は肩をすくめた。


「僕の幼馴染、商業というかアンティークというか。そういった方面にとても関心があるみたいなんです。商業については親の目があるからなかなか独学も難しいみたいで……ヴィッテさんの話をちらっとしたら、瞳を輝かせて食いついてきたので、近いうちに会ってやってください」

「もちろん。喜んで! 私では話せる範囲は限られますが、思いの丈は!」


 ぐっと拳を握りしめる。わざとらしくても、レクトゥス君は嬉しそうに笑ってくれる。アストラ様なら、「嘘な笑みは嫌だぞ!」って怒るだろうな。

 はっとなる。私、いつの間にアストラ様を重ねるようになったのだろうか。


「じゃあ、視察と花祭りが終わって落ち着いた頃に、日にちの話をさせてくださいね」

「はい、私もお貸しできそうな書籍を探しておきますね」

「じゃあ、僕はヴィッテさんが喜んでくれそうなお菓子を用意しておくことにします」


 ふんわりと、ちょっと悪戯めいた笑みを浮かべたレクトゥス君。


「レクトゥス君には、私の食いしん坊っぷりはバレてるね」

「僕だけではなく、魔術騎士団の全員にですよ?」


 なんだってと白目になりかける。もしかして、私の食に対する執念て噂になるほどすさまじいのか。って、いや、腹ペコ行き倒れ人間だし、残念ながら団内での食事会(という名の飲み会)でも食べる飲むが明らかに他の女の人とは違う量な自覚はあったよ。


「じゃあ、また明日打ち合わせでよろしくお願いします」


 笑いをかみ殺しながら、レクトゥス君は小さく手を振って姿を消した。

 彼が完全に姿を消したのを確認し、頬に転がした飴を噛む。かりっと音を立てて割れた飴は、肌にささった痛みと反して、甘味は増した。

 その後、ぼんやりと司令官室へ歩いていると、曲がり角にオクリース様を見つけた。


「オクリース様!」


 黒い魔術師寄りの制服を纏っている彼の横顔にほっとしたあまり、高い声があがってしまった。私の声をいさめるのでもなく、ただ呆れた笑みを向けてくれるオクリース様に嬉しくなり、駆け寄ってしまう。

 そのまま。腕に抱えたおいしい存在をオクリース様にも味わって頂きたくて、立ち止まって早々に籠に手を突っ込んだ。オクリース様は食いしん坊同盟だからね!


「とっても綺麗で、なおかつおいしい飴をもらったんです! オクリース様にも見て欲しくって!」


 飴を掲げた矢先、オクリース様に並んでいらっしゃった男性に気が付いた。

 慌てて、オクリース様の数歩前で踏みとどまる。


「お客様がご一緒でしたか。大変失礼いたしました」


 夕焼けに重なったのは……夕焼けさえも抱え込む、黄金。いや、黄金なんて表現するのはもったいないような、不思議な色を映した男性だ。

 遠い記憶、真っ青な空を背景に微笑みかけてくれた、金髪の王子様だと、ふいに思った。いや、正確には『王子様たち』だと、なぜか思った。


「ヴィッテ。飴は嬉しいのですが、まさかこのタイミングとは」


 オクリース様の呆れた声が、どこか遠くから聞こえてくる。

 いや、オクリース様の声だけではない。男性二人が並んでいる光景自体に、フィルターがかかっているようだ。


「あぁ、君が噂に聞くヴィッテか。いつぞやのキッシュの礼がまだだったね」


 かけられた声も、微笑みも。初対面の男性なのに、どうしてか記憶にあった。

 私、知っている。知らないのに知っている。心の奥で知らない私が泣いている気がした。


 そうだ、私たちはあの花畑に行かないといけない。約束の場所。アクア=ヴィッテに。


 そう思って、すぐに頭を振る。やっぱり、私おかしい。フィオーレは花に溢れているが、花畑と呼ぶ場所はないはずだ。この四カ月、散々フィオーレを探索してみたが、花園はあっても花畑はない。それに、 アクア=ヴィッテという場所も今や廃墟だと聞いている。

 それに――それに、これじゃ、私の中に私とは違う人がいるみたいだ。そう考えた直後、ぶるりと体が震え目の前が真っ白になった。

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