わたしが責任もって面倒みるから、『上司』には帰ってもらったけど。
「普通だったら黙って逃げ出した行動も、メミニなら怒ってくれるって甘えてた。ううん。嫌われるような言葉も口にしてるから、今も甘え続けてる。ごめん」
どれだけ頬を濡らしていただろうか。絞り出すように謝れば、ベッドの上で上半身だけを起こしたメミニに、おでこを突っつかれた。
結構な痛みを覚えた額を押さえつつ、私も体を起こす。
「あー、もうほんとに! でも、良いよ。久しぶりに泣き虫ヴィッテを見て、幼馴染の独占欲は満たされたから。でも、さっき言ったみたいに、半年間はねちねち怒ってやるからね」
メミニの口調は強めだ。けれど、腫れぼったくなってる目はすごく優しい。
冷やすための氷を取り出すため立ち上がろうとすると、ぐっと顔面にシーツを押し付けられた。まったく遠慮ない調子だ。
「めっメミニってちょっとSっけあるよね」
呟いた私に返ってきたのは、ニヤリなんていう幼い顔に似合わない悪魔の微笑みだった。わっ私の周りってこういう笑い方が様になる人が多すぎる気がします、神様!
「あとね、まぁ、余談だけど。手紙の内容から、綺麗に見せたい――前向きになりたいって思わせてくれる相手ができたんだって勝手に思ってたんだけどなぁ」
ぼそぼそっと聞こえた声を聴き返せば、にこりと「なんでもない」って返された。
上がりかけた額に、とんと触れた人差し指。小さなぬくもりに、あっさりと、また体が倒れた。
「ばかヴィッテ。話は戻るけど、ここは間違いなくあんたの部屋よ。化粧台とかラック見ればすぐわかるくらい、家具マニアめ」
さすがメミニ!! 聞いてよ、あのラックはね! と飛び起きたのも束の間。
「ついでに、今日は泊まるから」
ベッドの縁に腰かけたメミニが有無を言わせない様子で笑った。
家具が備え付けだったこの部屋は、もともと新婚夫婦が住む予定だった。なので、ベッドはダブルだ。まして、小柄なメミニが寝るには何ら問題はない。
「メミニの方は大丈夫なの? 宿に戻らなくて、おじさま心配していない?」
「うん。そのあたりはあんたを運んできた時点でジョニーが手配してて問題ないから、大丈夫。わたしの荷物だって、ほら、ちゃんとあるし」
メミニが指さした先には、見覚えのある大きなトランクがひとつ置かれていた。
あれは、メミニの十五歳の誕生日に私が贈ったものだ。大きな赤いベルトと紺の布地が素敵だって笑ってくれたっけ。中はバラ模様なんだよね。
「自分が贈ったものに見とれないの!」
「へへっ」
「まったく。寝ぼけ顔がさらに寝ぼけてるわよ」
文字盤が青から紫にグラデーションがかっている時計に視線を上げる。壁にかかる時計が教えてくれる時間は午後十時。魔術騎士団を出てから二時間も経過してしまっている。
「メミニには甘えちゃうとして。一緒にいたアストラ様――上司たちはどうした?」
私もベッドの縁に腰かけるメミニの横に並ぶ。あの吐き気が嘘みたいに、全然体が軽い。
足をついたフローリングは思ったより冷たかった。
「あぁ。あの人たちは家の前まできたけど、あんまり大勢は困るし帰ってもらった。わたしは、小さい頃からヴィッテの発作に対処してきたんだもの、問題ないわよ。鍵だって、あんたの鞄からすぐ見つかったしね」
「私が言うのもなんだけど、アストラ様は、その、特に心配してくださったんじゃない? 過保護だし」
あのアストラ様がすっとひかれたのだろうか。それはそれで、ちょっと、うん、なんていうか、むずっとしてしまう。いやいや、上司に迷惑をかけないほうがいいだろうに! 何を贅沢になっているんだ、私は!
メミニは音を立てて、にんまりと口の両端をあげた。小さな顎に手を当て、にまにまと笑いながら顔を近づけてくる。
「あー、うん。どうだったかなー。うるさいっていうか、ぶっちゃけ怖かったわ。俺のヴィッテに触るな的な? っていうか、その人を抑えるオクリースっていう人の矛盾した表情もやばかったけど」
「そっそうなんだ?」
うわぁ。どうしよう。自分で聞いておきながら、反応に困ってしまう。両手を握ってもじもじとか、どこの乙女か。いやいや。
そんな私になぜかむっとしたメミニは、腕を組み鼻を鳴らした。
「まっ。そこはわたしが責任もって面倒みるから、『上司』には帰ってもらったけど。あと、フォルマっていう子? あの子は泊っていこうとしたけど、見るからにお嬢様ってな子だし、看病できるとも思えなかったから、同じくご退場いただいたわ」
わかりにくいけれど、これはメミニの気遣いだ。本人がいないのに、こんな口をきいてしまうツンデレめ。
この場合の前半の翻訳は、職場の上司の手を煩わせたら私が気に病むっていう意味。
「また、誤解されるような言い方して」
むにっと彼女の頬を摘まむと、見る見る間にそこが真っ赤に染まっていく。
それに、メミニのことだからてきぱきと動く自分を見て、上手く動けないフォルマが落ち込むのを避けてくれたのだろう。実際にどうかよりも、その可能性を考慮してくれたのだ。
「うるさいわね!!」
真っ赤になったメミニが、手にしたクッションで激しく叩いてくる。あぁ、すごく懐かしい。
と、お隣さんの存在を思い出し、しーっと人差し指を口にあてる。なぜか、メミニまで。
「あっ。お隣さんは、来週まで魔術師団に缶詰だった」
「例の魚好きの変わり者の魔法使いね。こっちでは魔術師だっけ」
さして興味がないように、メミニが高く結わった髪を払った。
メミニにはちょこちょこ手紙を送っていたせいか、割と日常生活というか隣人のことは伝わっている。
「変わり者っていうか、ちょっと魔術が好きすぎるだけだと思うよ」
「大差はないわよ。っていうか、お風呂借りていい? この街、緑が多すぎてどうにも花粉に鼻がむずむずするのよ。くしゃみが止まんないの」
「もちろん。メミニがあがったら、私も入る」
ベッド脇の扉を開けてシャワールームを案内する。脱衣所はさほど狭くはなく、体を拭くにも着替えるにも十分な広さだ。小さな鏡もついている。
半透明のガラス扉を開くと、シャワーとユニットバスがある。ユニットバスは手足が伸ばせるような広さはないが、深さはあるのでゆったりと肩までつかれるんだよね。
「お湯をはるから、ちょっとまってね」
「いいわよ。体を洗いながら、適当にためるから」
「そう? 使い方はあっちとほとんど同じだから、わからないところがあったら声かけて」
袖をまくってもろもろをいじっていると、盛大な腹の音が二重奏で響き渡った。
メミニと私は顔を見合わせ数秒固まった後、爆発してしまった。
「やっやだ。ちょっと。風呂場だから、よけいに、激しいんですけど」
けらけらと響く笑い声。お互い腹を抱えて笑ってしまう。
「これからごはんとか太る予感しかないけど、我慢は良くないよね。野菜スティックあったっけ。あと、ソーセージ焼いて、昨日の残りでピザもあったかな。ヴィヌムはどうする? 多いかな」
そうして、目が合った後。
「多くない。もちろん、全部いけるでしょ!」
と、やはり二重奏になって……。たいした内容でもないのに、呼吸困難になるほど笑った。
「あ、ねぇねぇ。チーズないの? せっかくなら、チーズフォンデュで野菜食べたくない?」
「家の前の店で、フォンデュ用のチーズ買って来られるよ! あと、なんか適当に買ってくるけど、なにがいい?」
ベッド脇に置かれたがま口鞄から財布を手に取る。お休みの時に使うがま口財布じゃないのは、小銭で済む買い出しじゃないと無意識で判断したからだろう。そうして、密かに笑いが込み上げる。
シャワールームの扉に手をかけたメミニが振り返り、頷きあう。
「っていうか、肉、食べたい! たっぷりのオリブン油で焼いた、肉食べたい! 焼肉系!」
三度はもった声に、お互い顔を見合わせてさらに笑った。横っ腹が痛くてやばい。
「あの症状の時のヴィッテは、起きた後には問題なくケロッとしているの知ってるから任せる」
「うん、大丈夫! むしろテンションが上がって元気なくらいだもん」
「ばかヴィッテ。調子には乗らないように」
メミニは笑いすぎて痛むのだろうお腹を押さえつつ、浴室へと入っていく。
メミニの言うように、私は小さい頃から時々ひどい頭痛で気を失うことがあった。
両親は頭痛や失神の理由を知っているようで、特に医者にかかったり検査を受けた覚えがない。決まった薬を飲み安静にしていれば、数時間で頭痛は消えていたし。
そんな時は決まって姉さまは怒ったような顔をして、でも、甲斐甲斐しくお世話してくれたっけ。
「そういえば。そんな姉さまに怒りながら世話をしてくれる理由を尋ねた私に、姉様は説明するのは難しいから、とりあえずあったかいお茶を飲んで寝なさいって言ったんだっけ。ぽんぽんて、頭を撫でながら」
姉様のしなやかな手が、何度も頭を撫でてくれていた気がする。
途端、急激な眠気に襲われ頭を振る。
財布を手に取り、床を鳴らす。メミニが出てくる前に買い物をすませなきゃと。




