どうして、当人は認識できないのでしょうね。
「メミニ様は勤勉でいらっしゃるのね。さすがはヴィッテの知人ですわ」
場慣れしているはずの男性陣が沈黙する中、華麗に微笑んだのはフォルマだった。
ナイスフォローだよ、フォルマ! と心の中で汗を拭ったのも束の間。あっれー。正統派美少女なフォルマと個性派美少女なメミニの絵面を堪能するよりも、なぜか見える二人の火花にがたがたと震えが起きる。
「えっと、メミニ。こちらは、私が働く魔術騎士団の司令官アストラ=ウィオラケウス侯爵様、参謀長オクリース=ウェルブム公爵様、苗字は伏せるけど公爵家所縁のフォルマ」
メミニが膝を伸ばしたのを確認し、今度はアストラ様たちの方へ一歩下がる。
しかし、なぜに、メミニってば好戦的な表情のままなの⁈
「チッペンデール嬢。君にはたらいた無礼は詫びよう。それに君はヴィッテの大切な友人だと聞いている。かしこまらないでくれると嬉しい」
アストラ様の言葉にぴくりと反応したのは当のメミニと、なぜかフォルマ。メミニはご満悦だ。
アストラ様はフォルマに睨まれて汗を掻いているし、オクリース様も無表情ながらに瞳に動揺が見て取れる。
「お話がわかる方々でよろしゅうございました」
満足気味に微笑んだメミニ。すっと歩み出たフォルマが、きゅっと手を握ってきた。フォルマからのスキンシップ! しかも、なんか指の間にぎゅっと!
これはなんのご褒美ですかと動揺する私と同じ動揺レベルで、ぶんぶんと横に頭を振る男性陣。
「ともかく、ここは目立ちますわ。アクティ様のお店が近いはずですし、そこで落ち合いませんこと?」
フォルマが珍しくお嬢様言葉を使っている。「こと」だけだけど。
フォルマに手を引かれるがまま馬車に乗り込もうとしたのだけれど。
「わたし、ここの地理わからないし。落ち合う場所がわかっているなら、ヴィッテはわたしとジョニーといきましょ?」
メミニにがっちり手を掴まれ、幸せ気分がはっとなった。
アクティさんの飲み屋が店主と料理で有名とはいえ、土地勘のない幼馴染と執事さんを夜道に迷わせてはいけない。
「あ、うん。そーだね。じゃあ、フォルマ、私たちはあそこの辻馬車で追うから……」
「では、わたくしもご一緒しますわ」
えぇー⁈ 両腕をがっちりフォルマとメミニに掴まれているこの状況とは。
「いやいや、フォルマを辻馬車に乗せるわけには行かないよ! っていうか、乗ったことあるの?」
「ないですけれど、社会勉強ですわ!」
だから、フォルマ、なぜに私じゃなくてメミニの方を見ていうのか。
メミニもふふんって鼻を鳴らさないの!
「アストラ様とオクリース様も、とめてください! 昼間ならともかく、こんな夜遅くにもなると色んな方が乗っていますし、フォルマを乗せられませんよ」
「なんだと、その口調だとヴィッテは乗ったことがあるみたいだな」
助けを求めたはずなのに、アストラ様に怖い顔で睨まれてしまった。
腕を組んで私を見るアストラ様にちょっとどきっとしつつ、今は両腕にしがみつく美少女たちの方が気がかりだ。素直に答えてしまう。
「そりゃ。私は小市民なので。休みの日、図書館やアクティさんの店からの帰りには」
「夜分遅くに辻馬車に乗ったうえに、フォルマを乗せられないような体験もしたということですね」
ぎゃっ! 墓穴! さっきまでは、やや青い顔をして女性陣を見ていたオクリース様も、目を光らせてしまった。
おまけにアストラ様なんて「俺の管轄内でなんという」って、打ち震えているし。
あー!! もう!!
「違います! ただ、酔っ払いに可愛く絡まれただけです! お姉さまやおじさまとのコミュニケーションです! 嫌なことはありませんでした! でも、フォルマは可愛すぎてそんなのでも駄目って思ったんです! 私、フォルマがちょっとでも絡まれたなら噛みつくと思います! ちなみに私とメミニは故郷の社交界でもそんな方を相手した経験があるので、ある程度なら無難にかわせるんです! みんな過保護!」
やけっぱち気味に叫べば、不思議と心はすっとしていた。メミニがいる影響だろうか。なんだか昔に戻ったみたい。
正直、いつも以上にアストラ様たちに突っ込まれかねない発言だった自覚はある。が、私の鬼気迫る迫力のせいか、一様に頷いてくださった。ふーっと、満足げな息が出る。
「ふっははっ! やだ、もう、ヴィッテってば!」
あっけにとられている三人をよそに、メミニは爆笑だ。ちょっと後ろに控えているジョニーさんさえ、口元を押えて震えている。
涙を拭いながら、メミニはぐりぐりと額を擦りつけたきた。
「メミニってば、笑いすぎ」
「だって、だって。ちょっと意外だったの。っていうか、懐かしすぎて」
メミニの声は囁きに近くて、思わずフォルマと顔を見合わせていた。
そんな私を見て、メミニは小さく笑った。そして腕を離し、すっと一歩下がった。しげしげと私を見る。
「わたしが――みんなが心配しているのを聞き入れなくて、勝手にヴィッテはいなくなった」
夜に落ちる静かな声に、心臓が跳ねた。
今ならわかる。私はたくさんの人に心配してもらっていたのに、一人で不幸ぶって、挙句の果てに憧れであるフィオーレに逃げてきた。
言葉を失った私を見て、メミニはちょっとだけ眉を下げ腕を叩いてきた。
「ばかヴィッテ。責めているわけじゃないの」
「でも、私。後悔はしていないけど、反省はしているんだ」
「そりゃ、良かった。ただ、『でも』は返す。ただね、わたし、まるで昔フィオーレに行った時より前のヴィッテに戻ったみたいって思っただけ。幼い頃、わたしを怒ったヴィッテみたいに。それが嬉しくて、寂しいの」
メミニの言葉に、がつんと頭を殴られた気がした。それは比喩なんかじゃない。
ふらりと体が揺れる。
「前の、私……?」
ぐわんぐわんと頭痛が起きる。頭の中で鐘を鳴らされたみたいなひどい眩暈が起きる。前の私って、だれ。考えて、そう言えば、前に、サスラ姉様にも言われたことがあったなんて思い出す。そうだ。あの時、サスラ姉様は――泣きそうな顔をしていた。
ふっと力が抜けた体をフォルマが支えてくれたのがわかる。
「うん。フィオーレに旅行する前のヴィッテはさっきみたいに言いたいこと言ってたし、周りの気遣いにも照れてむくれてたもん。まさか、変わっちゃったきっかけのフィオーレにきて、昔のヴィッテに戻ってるなんて思わなかった」
くるりと後ろを向いているメミニは、私の様子に気づかず続ける。
私は勝手に記憶を遡る意識のまま呟いていた。
「確か、十歳にも満たない時に私はフィオーレに来て、それで――」
目の前がちかちかする。途切れ途切れの映像が目の前をちらつく。
「そうそう。あの時はヴィッテのご両親もあんな感じだったから言えなかったけどさ、あの頃のヴィッテって――」
一気に吐き気が込み上げてきた。頭の片隅で騒音が響く。色んな音と声が入り混じって、胃がひっくり返る。
嬉しそうなメミニの声が遠くに聞こえる。ふらりと揺れた視界。石の道に膝をつき、吐き気が込みあげてくる。
――思い出さなくていいから。あの時のことなんて。全部忘れていて――
胃液で喉が焼けるのを感じながら、頭の隅で響く声に違和感を覚えた。これは――もはや妄想なんてレベルじゃない。はっきりと聞こえている。
「やだ、ヴィッテ! うそ。わたし、なんかひどいことを――いえ、ううん。やっぱりあなた」
メミニがすっと立ち上がり、頭を下げたのが見えた。
顔をあげた私にフォルマがハンカチを差し出してくれた。上質な絹と細かい刺繍が施されていて気が引けたが、ぐいっと口元に押し当てられた。その瞬間にも意識が遠のいていく。
「ヴィッテはこのまま、わたしが家に送ります。彼女の様子とか、理由は聞かないでください」
「いや、しかし。こんな状態のヴィッテを放っておくには」
「お願いです。今日のことは見なかったことにしてください。お願いです。今のヴィッテが好きなら! 貴方たちが知っているヴィッテと、わたしが知るヴィッテは一緒だけど、違うかもしれないから! わたしは、あななたちがヴィッテをどんな目で見ているのか知らないから!」
涙声のメミニが体を支えていてくれる。ジョニーさんも体を支えてくれているのがわかった。
メミニってば、本当に、いっつも人のことばっかり。手紙でも黙っていなくなった私に対する怒りよりも、心配の方が多かった。故郷でもサスラ姉様にも好かれていたし、なのに、嫌な噂から私のことを庇ったりして。竹を割ったみたいにさっぱりした性格なのに、なんでうじうじな私なんかと仲良くしてくれたのかな。一度尋ねた時「ヴィッテが思い出さないなら、大したことじゃない!」って怒られたのを覚えている。
「俺が知っているヴィッテがどうとか関係はない」
朦朧とする意識の中、抱き上げられた。きゅっと抱き寄せられた肩が、とてもあったかくてほっとする。じわりと胸が熱くなって、ダメだと思いながらもその肩に頭を寄せていた。
私を抱きかかえているからだろう。手ではなく、そっと触れてきた頬。触れた額がどうしようもなく熱くなっていく。
「えっと。あの。わたし、ヴィッテから聞いていたのは、この方、普通に上司で、保護者で尊敬する人って……なんか違くない?」
「メミニさん、その認識はあの二人とは全くずれていません。けれど客観的に見ると、激しく、ずれているのですわ」
薄れていく意識の中、メミニとフォルマが親し気に言葉を交わしているのが聞こえた。
それが嬉しくて、頬が緩む。
「まったく。初対面の人間にすら違和感を覚えられているのに。どうして、当人は認識できないのでしょうね」
頬をつままれたオクリース様に血の気が引いたのは、気のせいだと信じたい。




