今日も今日とて夜食が美味しい!
今日も今日とて夜食が美味しい!
正確には美味しかっただ。口の中に残る肉汁のせいで、未だに余韻に浸ってしまう。トルテが用意してくれた異国の『肉まん』。作業しながら食べられるうえに、ほこほこの真っ白な雲が包む、噛めば噛むほど肉汁を生み出す餡が口内だけではなく、鼻腔も幸福で満たしてくれた。
「ヴィッテ。顔のとろけ具合がすごいことになっていますわよ?」
フォルマの甘い声に我に返る。慌ててすぐ横の窓ガラスを見ると、なるほどやばいねと頷かずにはいられない自分が映っていたよ。
すぐさま馬車内に視線を戻すと、さっと顔を逸らされた。みなさんに。そして、一様に『なにを考えているか丸わかりだ(です)』と書かれているじゃないか。
「夜分にお見苦しい顔をお見せしました」
とほーと肩を落とすしかない。心の中でだけ、あんなに素敵夜食を用意してくれる食堂メンバーが悪い! と責任転嫁をしてしまったのは内緒だ。
そして、案の定おじじ馬鹿な様子で身を乗り出したのは、アストラ様だ。
「見ているこちらが幸せになる程、可愛かったぞ! 可愛かったが、込み上げる笑いも本物で。くぅっ! 俺はどうすれば!」
「いやいや。普通にお腹を抱えて笑っていただければ幸いです。むしろ顔面マスクをつけて筋肉を保てと蔑んでいただいた方が心が軽くなりますし」
思わず、真顔で顔と手を振ってしまった。もう一度繰り返そう。真顔で、なんかすみませんという申し訳なさを背負って。
私は至極真面目だったのだが、「ぶふぉっ」などという音を生み出してしまった。さらにすみません、オクリース様にフォルマよ。
「アストラ様、一緒にオクリース様とフォルマに謝ってください……」
「うん? なぜだ?」
「なぜも何も、美男美女を噴出させてしまったのが自分かと思うと、全世界に謝りたくなるので。いたたまれないので、誘発させたアストラ様にもお願いしているところです」
「ヴィッテがいたたまれなくなる事象があったか? ヴィッテのお願いなら何でも聞くが」
顔を覆っても、アストラ様のぺかーっていう陽のオーラは感じる。うん。眩しい。脳天をつく眩しさだ。
さすがに哀れな姿だったのだろう。隣のフォルマが頭を撫でてきて、そして斜め前のオクリース様がこほんと気まずげに咳ばらいをした。
「しくしく言っている間に、自宅の近くにつきそうです。というか、この時間なら馬車で送ってくださらなくても、大丈夫なのに」
座席がビロード作りの馬車は、相変わらず乗り心地が良い。司令官専用、というかウィオラケウス家専用馬車なのだから当然だ。あぁ、そんな空間で漫才を繰り広げた私は罪深い。
両手を握って懺悔をしかけたところで、私の隣に座るフォルマは頬に手を添え、顔を覗き込んできた。
「あら。ヴィッテを探している不審人物がいるのに、アストラ様とオクリース兄様が見送らないとでも思ったの?」
うぅ、美少女ごちそうさまです! フォルマは今日も可憐だ。
「不審人物がまだ見つからないのは、申し訳ない」
がくっと肩を落とせば、フォルマが楽しそうな声をあげて背中を撫でてくれた。
フォルマってば、こういうところがあるよね。ざくっと刺してきて、私が落ち込んでいるのを見て楽しんでいる様子はオクリース様と似ている。
もちろん! ただ落ち込んでいるのを見て喜んでいるんじゃなくって、私がネガティブさを自覚するのを楽しんでいるのも知っている。
「それは、気に病むな。というか、月が上りきるまで仕事を頼んだのは俺だからな。オクリースとフォルマを送るついででもあるのだ。通り道までなのだから、気にするな」
「仕事はいくらでもしますし、むしろ仕事を振っていただけるのは嬉しいです。それに、明日は故郷の幼馴染が来るので、私を探しているという人物のことも尋ねてみるつもりです」
「そうか。悩ましいことがあれば、すぐに教えてくれ。俺はヴィッテの身元保証人で上司だからな。遠慮されると逆に困る」
私が気にするのを承知なのだろう。アストラ様は上司の顔と口調で、微笑んだ。
アストラ様は難しい。あほの子で無遠慮に近づいてくる時もあれば、こうして距離を保とうとする時もあるのだ。特に部下にはあまる待遇とあくまでも上司な態度が同時進行になると、どうしていいのかわからなくなってしまう。
「はい、もちろんです。アストラ様や魔術騎士団にご迷惑をかけたりしませんから、大丈夫ですよ? そこは信じていただければと」
違うのに。本当はこんな風に線引きして笑いたいんじゃないのに。
それでも、臆病な私は相手が引いていると感じると、自分もすっと一歩引いてしまうのだ。言葉の裏の想いを信じられない。怖い。すごく怖い。本当は、違うのに。
「ヴィッ――」
「あっ、次の角までで大丈夫です」
うちまでほんの数メートルの距離になる分岐。馬車のカーテンをめくった瞬間、通り過ぎた店から出てきた姿に、
「とめてください!」
叫んでいた。表の御者へのベル紐を引いていた。ついでにと、ドアを思い切り叩く。
急ブレーキで止まった馬車。馬の鳴き声が嘶く。
驚くアストラ様たちに謝罪する余裕もなく、音を立ててドアを開ける。駆け下りた先にあるのは、急停止した馬車を凝視している懐かしい姿。小さな少女。
「めみ、に。めみに」
小さく呼べば、金髪を両側に結わった小柄な少女が一歩踏み出した。
私は目の前の現実が未だに夢のように思えて動けない。後ろから慌てて降りてくるアストラ様の気配を感じつつも、目の前で鏡映しのように固まっているメミニと向き合う。
「ヴィッテ?」
「うん、メミニ!」
言い切る前に、小柄な体がぶつかってきた。私より頭一つ半も小さなメミニ。でも、元気でちゃきちゃきしているメミニ。うじうじとしている私をいつも引っ張ってくれた、大事な幼馴染。
そんな彼女に私は置手紙ひとつで、さよならを告げた。
思わず声をかけてしまったが……しがみついてくる彼女は何を思っているのだろう。
「本当に生きていた、よかった、生きてた!」
「あのね、メミニ。私、色々メミニに――」
「この馬鹿ヴィッテ!! これでもくらえ!」
メミニの小さな、でも半端なく強い力で殴られ、堪らずお腹を抱えた。なんか、ごふっとか変な声も出ちゃったし。
っていうか、まさかのみぞおちパンチ!!
「ちょ、めみ、に」
「ばかばか。本当に、ばか! ヴィッテの大馬鹿者!!」
悶絶する私の前に立ち竦むメミニ。彼女の翡翠色のちょっとあがっている目からは、ぼろぼろと涙が零れている。おまけにと、ぺちりと頬を叩かれた。今度はまったく痛くない。メミニの体温が染みてきて、むしろ柔らかく感じた。
そんなメミニを見て、私の涙腺も崩壊する。二人して泣き崩れるという奇妙な光景のできあがりだ。
「君、何をするんだ!」
空気を割く声に顔を上げると……。私が子爵に頬を打たれたのがトラウマになっているのをご存じなアストラ様が、鬼気迫る顔でメミニの腕をひねりあげているのが見えた。
本気でねじあげているのではないのはわかったが、自分の涙も忘れてアストラ様にしがみついていた。
「だっ大丈夫です、アストラ様。違うんです。メミニは私の親友で、例の手紙をくれて、会いに来るって言っていた子で! ただ、私を心配してくれて――」
「そっそうか、悪い」
青ざめたままのアストラ様が、メミニから体を離す。メミニは右腕を摩りながらアストラ様を睨みあげている。まっまぁ、当然だよね。
ぎらぎらと目力半端ないメミニの後ろにいる従者さんは、顔見知りだ。ちょっと気弱なジョニーさんとは目で挨拶を交わす。二人してあわあわとしながら。
「いえ。わたしこそ、失礼しました」
メミニが短いスカートの端を掴み、腰を折った。その姿は凛と美しい。
まぁ……口調はまったく失礼したとは思っていないのがだた漏れだけれど。あぁ、ほんとうにメミニが目の前にいるんだ。
「メミニってば、到着は明日って言ってたのに。早かったね。航海が順調だったの? わかってたら、明日じゃなくって、今日休みをとったのに」
感動いっぱいの視線がうるさかったのか。メミニには「ヴィッテ、すてい」と睨まれてしまったけれど。
赤い顔だったので、私はほくほくの笑顔のまま大きく頷いておく。
「ヴィッテ、ひとまず皆様にご挨拶させて。貴女の親友が挨拶もろくにできないのかって思われたくないし」
皆様、という言葉で、馬車からオクリース様やフォルマも降りてきていることに気が付いた。
気まずそうに首筋を掻いているアストラ様の両隣に、いつの間にか立っていた二人。
「そっそうだよね! 私、メミニに会えたのが嬉しすぎて。でも、本当に夢みたい。またメミニに会えるなんて。しかも、フィオーレで」
「まったく! そーいうすとんと抜けるところは相変わらずなんだから。普段はこれでもかっていう位、真面目なところがあるのに」
腕を組んで、しょうがないと言わんばかりに頷くメミニ。メミニこそ、相変わらずつんでれ節は健在だ。ほんとの本当にメミニがいる!
色々話したいが、今はと姿勢を正す。メミニのいう通り、アストラ様達にふにふにになっているところは見せられない。
「改めてご紹介します。アストラ様、オクリース様、フォルマ。こちらは私の幼馴染、メミニです」
軽く紹介すると、すっと一歩前に出たメミニがスカートの両端を軽く持ち上げ、今度は、腰を曲げて頭を深く下げた。
さっきまでのお転婆さから一転した仕草に、アストラ様たちはちょっと面食らっている。そうでしょう、そうでしょう。私の幼馴染ってば、可愛いし立派なレディーなんですよ!
「貴殿方のことは旧知の友であるヴィッテ・アルファ・アクイラエの手紙から伺っております。わたしは職人ギルドを取りまとめる子爵家の長女、メミニ・チッペンデールと申します。この度は貴国のギルドとの交流に訪れた父のともとしてまいりました。フィオーレの文化を勉強させていただく機会をいただいたことに、深く感謝しております。友人よりは拙いフィオーレ語でのご挨拶、失礼いたします」
めっメミニってば、わざと距離をとったような挨拶して。
彼女は昔から自分の目で確かめたことを信じるたちなのだ。それには彼女の信念があるからだし、特にこの場合、私の拾われた状況が状況だし待遇が厚過ぎるのが原因の一端だろう。手紙でも散々、騙されていないかと心配されたっけ。
一応、手紙でも説明はしたが、文字だけではなかなか伝わりきらないこともある。会って直接話そうと思っていた部分もあるが、正直、いきなり対面することなど考えていなかったよ!




