アストラ様は、もうちょっと警戒してください。
幸せを噛みしめる反面、この優しい人たちのためにもっと頑張りたいと気合がはいった。私、もっと役に立てるようになりたい。そのために、私は何をすべきだろうか。
「アストラ様、オクリース様! 私、もっともっと、努力しますねっ! お二人のお役に立てるように!」
片腕に抱いた書類に皺が寄ったらごめんなさい、と思いつつ。ぐっと右拳を突き上げた。
唐突な宣言に、広い室内がしんと静まり返ってしまった。が、今更なかったことにはできない。
「えっえいおー」
と付け加え、背をまるめて部屋の端にある本棚に早足で向かう。
ちっ沈黙がいたたまれないよ! 背中にものっすごい視線を感じるけど、青ざめたり赤くなったりしている顔では振り返れない。
でも、不思議といつもの後悔や自虐は浮かんでこない。お二人の視線を受けていると、全身を覆うような後ろ暗い感情が薄らいでいくのに気が付いたのは最近だ。
「あっあぁ、あの。あれですよね。上司的には、もっと具体的な努力内容を示して欲しいですよね。えっと、頑張るとは具体的に言いますとですね――」
とはいえ、遠慮なく投げつけられる視線に堪らなくなり、頭の中の計画を言葉にするしかない! と挙動不審に振り返った。
が、その努力は勢いよく立ち上がったアストラ様に阻まれた。
突っ込みでも入れるのかという変なポーズで固まった私は、滑稽だろう。が、アストラ様もオクリース様も突っ込んではくれない。それどころか、アストラ様なんて、きらきらした目を向けてきている。
「よし、わかったぞ!」
「却下、です」
やけに楽しげなアストラ様を一刀両断。水面をぴしゃっと枝で叩いたようなオクリース様の声が、喜劇のようなテンポで響いた。
あまりの反応の速さに、アストラ様が面白い顔で震えだす。
「オクリースお前、俺の参謀だろうがちゃんと俺を助けろ! まずは、聞け!」
椅子を鳴らして立ち上がったアストラ様。まぁ、アストラ様が満面の笑みで何かを宣言する時は、大抵あほの子の発言なので仕方がないだろう。
抗議を受けたオクリース様はしぶしぶとだが、律儀に小さく頷き先を促す。ため息をお伴にだが。
「では、どうぞ」
「ヴィッテが辞めるなら、俺も辞任するぞ!」
「どこまで話を戻す気だ。辞表ついでに遺書を書け。私が責任を持ってとどめを刺す」
いつなんどきも冷静で丁寧な口調を崩さないオクリース様にしては珍しく、素の口調に戻られた。おまけに電撃魔法を発動しようとしている彼を、責められる人はいないだろう。
それでも一応、お二人の間に入って止めておく。まぁ、オクリース様の眼中にないのは承知の上だが。
「何を言う。今ここでお前に切られては、ヴィッテの花娘の衣装を見られないではないか! というか、頑張ると宣言したヴィッテの気持ちを無駄にすることになる!」
止めるために間に入ったのに、アストラ様に思い切り頭を撫でられてしまった。まとめ上げたお団子がくしゃくしゃになるのがわかった。
アストラ様って、たまに騎士たちへ訓練をつけていらっしゃるのを見かけるが……剣を振るっている姿は、凛々しくかっこいい。女性の心酔した眼差しだけではなく、同性からでさえ尊敬の念が渦巻く。憎たらしいほどかっこよいのに、さほどやっかみを受けないのは彼の人望故か。
「なのに、執務室ではどうしてこうなのか。私の前で恰好つける理由はないのは、重々承知しているけれど」
髪を整えつつ、ぼやいてみるものの。実のところは、にやけてしまうくらいには嬉しい。尊敬する人のちょっと抜けたところが見れるのを喜ぶのは、おかしいかな?
背後に視線を感じて振り向くと、アストラ様とばっちり目線があった。瞬時に、ふいっとそっぽを向かれてしまった。
「アストラ様?」
「アストラ。拗ねるのか照れるのか、はっきりしなさい。大体、いつも自分の行動が元凶になることなど、先を読むことに長けている貴方らしくない」
オクリース様は淡々とした口調で注意だけして、ご自分の席に戻っていく。
はてとアストラ様に向き直ると、また、今度はお団子が完全にほどけるほど頭を撫でられた。私としては嬉しいから、文句は言わないけれど。
いかんせん、ここは職場。配布用の資料を手に取り、そそくさと執務室を後にしておいた。
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「午前のお話通り、各隊への通知が完了いたしました」
「はい、確かに書類のサインを確認しました。みな、意見等は出てはいませんでしたか?」
オクリース様の質問を受け、四番隊のみんなの様子が思い出された。つい、小さな笑いが零れてしまう。
誤魔化すように窓に視線を移す。外はだいぶ日が傾いている。
ただ天下のオクリース参謀長殿には誤魔化しがきかなかった。綺麗な顔にじっと射抜かれて、頭を垂れるしかない。
「失礼いたしました。意見ではないのですけれど……花姫選考の会場の警備は、今年も魔術師団の担当だから、非番の方々が自分たちはゆっくり観客になれるって喜んでいらして。そのはしゃぎっぷりが楽しそうだなぁって」
「花姫は大変魔力が高い方だったと、歴史書にも残っています。それゆえに、魔術師団の象徴的存在にもなっていますからね。警護担当も、暗黙の了解という部分もあります」
「そういうところにも風習って残っているものなんですね。歴史ある国ですもんね。何百年後も名が残り、なおかつ存在感があるなんてどんな方だったんでしょうか」
――あんな、女。ひどい、おんな。あなたの口から、ききたくない――
え? 空耳、かな。今、頭の中に唇を噛みしめたみたいな声が聞こえた気が……。
オクリース様とアストラ様を窺うが、お二人に特段変わった様子はない。
「そうだ、ヴィッテ。ヴィッテには花娘用の衣装を贈ることになったぞ」
アストラ様は鼻歌交じりに書類にペンを走らせている。
幻聴に動揺するあまり反応が遅れてしまう。
「花娘というのは、花祭りに女性が身に着ける伝統衣装です。祭りの参加者の多くが身に着けています。魔術師団や騎士団の事務職の女性も、団特有のデザインの衣装を纏うんですよ? 魔術騎士団もフォルマやトルテ、ヴィッテたちのモノを用意することになりました」
瞬きを繰り返す私を見て、花娘の意味を知らないと思ったのか、オクリース様が説明してくれた。
「あぁ。衣装自体は団からの配布となるが、着飾るのは個人に任せられているからな。フォルマがウェルブム家で、トルテは行きつけの美容サロンで、ということらしいので、ヴィッテはオレが諸々手配するぞ」
あぶれた私の面倒を見る、という手間をかけられているという雰囲気ではない。わかっている。アストラ様がそんな風に考えるはずない。身元保証人としてでも、上司としてでもなく、アストラ様個人のご厚意だって、今の私にはちゃんと理解できる。
私が戸惑ったのを察してくださったのだろう。立ち上がったオクリース様が、ぽすんと書類を額に乗せてきた。
「深く考える必要はありません。と言いますか、アストラはそれを糧として執務に取り組んでいるところもあるので、ヴィッテが受けてくれないと参謀としても困るのです。表向きは、アストラ邸お抱えのサロンの宣伝モデルのようなものです」
「もっモデルなんて殊更無理ですよ!」
「なら、宣伝モデルの練習台なら問題はないのかな? 実際は練習台になんてしないが、それで周囲が納得するなら理由なんていくらでも作る。むろん、ヴィッテが嫌な思いをしないのであれば、だが」
ずるい言い方だなぁ。『嫌な思い』なんて表現。
それでも、少し前に聞いたテンプスさんの言葉が思い出されてしまうのだ。
花娘の衣装を贈るのって、色んな意味があるらしい。当人同士の意図はともかく、邪推されかねない。アストラ様って、そういう部分とんでもなく鈍そうだし。鈍そうだし。二回心の中で呟くぐらいには、周囲の目に疎そうだし。
「アストラ様は、もうちょっと警戒してください。甘やかした相手に付け込まれても知りませんよ。私だって生物学上は女なんですから、あ――」
貴方を本気で好きになったらどうするんですか。
そう言いかけて、はっと口を覆った。両手で押さえつけた唇は、ぐんぐんと冷たくなっていく。
私、冗談でも言っちゃいけないことを、周りが何より向けている警戒を自分で口にしようとしてしまった。いや、違う。いくら冗談でも、アストラ様の表情が、体が固まるのが怖いんだ。
「ヴィッテが男でも、可愛がるのには変わらないぞ? とは言え、さすがに、男に花娘の衣装は贈らない」
がくっと体を傾けたのは、私ではなくオクリース様だった。机からずれた肘を自然な様子でさすっていらっしゃるが、私にはわかる。オクリース様は、今、ずっこけたと。
アストラ様のとんでも発言に混乱するよりも、オクリース様の貴重なお姿を拝見できた。穏やかな気持ちでオクリース様を見つめてしまう。目が合ったオクリース様には絶対零度の微笑みを向けられたのは、気づかない振りをしておく。
「アストラ様、ありがとうございます。男であっても女であっても、私はいただけるものは、いただいておきます」
「うむ。ひとまず、ヴィッテは女性だからな! 君の魅力を最大限いかせるような、髪飾りから化粧道具、香水まで用意しよう。あぁ、あまりの可愛さに男どもが寄ってきても、ちゃんと俺が守るから安心して着飾ってくれ」
勘弁してくださいと顔を覆った私を責められる人は、誰もいないだろう。この天然な上司――保護者殿を、どうにかしてください。これでは、自分のために着飾ってくれと言っているのも同然じゃないか。
それでも、上司殿がおっしゃることに深い意味はないとわかっている。わかっている自分に、どうしてか悲しくなった。
「杞憂でしかありません。物語の魔法使いが精いっぱい着飾らせてくれたとしても、私に寄って来る男性などいませんから」
音を立て椅子を蹴るようにアストラ様の前に進む。精いっぱい大人ぶって差し出した書類は、あっさりと手を離れた。
粛々としたやり取りに安堵し、踵を返した私は――ぐっと腕を掴まれ、澄み渡る空の色に引き寄せられていた。
「それは、俺をいない者としているのか? 俺はいるよ。確かに君の前に」
呼吸が止まった。心臓も止まった。ただ、瞳の奥の熱だけが確かにある。私の目にはアストラ様だけが映っている。綺麗な天色の青い瞳に吸い込まれていく。
見つめあって数秒、斜め後ろから鳴った咳払いに、二人してはっと体を離した。
「アストラ様は別格です、年下にあまあまですから! 飴をふりまく大王様ですよ! 貴方の言葉はとがった金平糖を投げつけられているみたいです!」
我ながら、意味不明なののしりだ。
動揺のあまり、紅茶セットに手をかける。これまでにない位の俊敏さで茶葉やカップをセットしてしまう。
「うっうむ。気を付けよう。フォルマにもよく叱られているからな」
「フォルマが言うなら、間違いありません」
痛んだ胸のことなど気にかけている余裕はない。せっせと魔法瓶からお湯を注ぐ。
私の動揺なんて、なんのその。横目で見たアストラ様は、ぐんと伸びをしている。夕焼けに照らされたしなやかな体つきに、一瞬目を奪われる。ついで、あまりの眩さに目が細くなっていった。
「ヴィッテ。紅茶を淹れてくれるのも嬉しいですが、今日の仕事の進捗はどうですか?」
オクリース様の問い掛けは、至極柔らかい。一見すると無表情だけれど、目の奥にはやっぱり穏やかさと気遣いがある。
だから、私はまた笑える。
「はい、あと書類整理と手続き二件が終われば帰れます」
「よかった。今日はヴィッテのチーズ料理をごちそうになる予定ですから」
オクリース様はチーズ顔負けにとろけるような微笑みを浮かべた。その優しさに、私の涙腺がとろけるチーズだ。
オクリース様はいつだって、私が引け目を感じそうになるとこうして距離感と幸せを思い出させてくれる。
「ちなみに、俺は今日の分はとっくに終わっているぞ」
「さすがアストラですね。明日の分も上乗せしておいたのですが。明日はもう少し仕事量を増やしましょう」
哀れな明日のアストラ様に祈りを捧げておこう。 心の中で両手を握った直後、上品なノックが部屋の中に響いた。
ついで、アストラ様の机上にある水晶がぽうっと光った。きっとフォルマだろう。今日は花祭りの打ち合わせに来団すると、楽し気に言っていたのが思い出された。
次話は本日の20時ごろの予定です。




