参謀長殿においしいツテなどはございませんか?
魔術騎士団の司令官室には、昼前の強い日差しが差し込んでいる。少し強い光のせいだろうか。書類に目を通していた司令官殿の目が細められたのに気が付く。
「もうすぐお昼ですね」
「あぁ、もうそんな時間か」
今日の食堂ランチはゆで卵とアボカドのサンドイッチか、コーン入りシチューだったはず。どっちにしようかと口元が緩む。いっそのこと両方食べてしまおうか。
いやいや、ここ一週間ほど制服がキツイ気がするので自重せねば。
よっこいしょと立ち上がり、遮光効果のある薄手のカーテンを引く。
「書類の通り、花祭りの前に王が警備の打ち合わせに来団します。会議の進行自体は、近衛師団の団長補佐と参謀長である私が行います」
オクリース様が静かに口を開いた。
「日程は来週の風の日に決まったんですね」
カーテンを引くために脇に抱えた書類を持ち直し、改めて目を通す。
その拍子に横目に見えた我が上司殿は、ご自分の執務机で頬杖をついている。端正な顔に思い切り不機嫌と書いてある。
「うむ。予定に入っていた団全体の訓練は、明後日の盾に行うことにしよう」
口元は拗ねたまま、けれど素早く団員のスケジュールに目を通したアストラ様。通達用の書類にも、ささっとペンを走らせる。
「頼んだぞ、ヴィッテ」
そっけない口調と共に差し出された書類。
アストラ様の視線は、私に向いていない。だが、確かに書類は私の手に乗る。そして、私の指が書類を掴んだのを見ていたかのようなタイミングで、ごつっとした指が紙から離れていった。頭にも目が付いているみたいだ。
「承知いたしました。本日の夕刻までには、各部隊への伝達と備品等の手配をすませます。実際の物品と配置のリストも用意しますので、後ほど目を通していただければと。問題なければ稟議をあげます」
アストラ様の直筆が目の前にあることに、にへりと頬が緩んでしまう。父様に仕事を任された時の高揚感と似ているけれど、ちょっとだけ違う喜びが胸にぽっと灯をともすのだ。
いかんいかん。声と表情がミスマッチ。気を引き締めるため、むへっと変な形に口が歪んだところで、オクリース様に肩を叩かれた。
「足りないものがあるようなら、レクトゥスに声をかけてください」
「はい! でも、在庫は三日前に確認したばかりなので問題ないと思います。訓練場への搬入には第二部隊のみなさんに手伝っていただけると助かります」
オクリース様に敬礼しつつも、目線は片手にある書類に向けてしまう。
私はアストラ様の字が好きだ。綺麗なのは綺麗なのだけど、どこか力強さと生命力を感じて、まるでご本人みたいだなって思う。見ているだけで元気になる。
「ヴィッテは各部隊との絡みが、そんなに嬉しいのか?」
私のにやけを勘違いしたアストラ様は、掌により一層頬を深く沈めた。
ぶすりと思いっきり引かれた口元に、なんだかもぞもぞしてしまう私はおかしいのだろうか。
「ヴィッテとて司令官室に篭りきりより、団員と接していた方が気も紛れるのでしょう。私たち二人としか顔を合わせない日もありますし、自宅に邪魔する機会も多いですから」
ぽんと頭に乗ったのはオクリース様の手だ。
オクリース様は淡々としているようで、実はタッチコミュニケーションが多い。フォルマや私のような、妹みたく感じている人物に限られるみたいだが。
くすぐったさにむずむずしながら見上げた先には、無表情のオクリース様がいた。見た目的には無表情なんだけど、よくよく目の奥を見ると悪戯な感情が見えて……床を見つめずにはいられない。恐ろしくて。
「ですから、アストラ。あまり一緒にいすぎると、そのうち飽きられてしまいますよ?」
って、オクリース様!? まさかの意地悪にぶわっと冷汗が出るよ!
それは保護者なアストラ様も同じだったようだ。ずるっと掌から頬を滑らせたアストラ様。
「あっ飽きられるだと?」
「いえ! それだけは、絶対あり得ません! オクリース様、たちの悪い冗談は止めてください!」
逆はいくらでもあるかもですが、という言葉は飲み込めた。こっこれも自虐発言にぴかりと目を光らせるオクリース様とフォルマの特訓のおかげだ。ふぅ。
さて、抗議を向けた先にいるオクリース様は、今度こそ本当に意地悪な表情を浮かべた。しかも、私にじゃなくてアストラ様に体を向けて。
おっオクリース様って冷静で淡々としているように見えて、本質はものすごくいじめっ子だと思う。
「それよりも! 魔術騎士団内の視察順の最終決定が降り次第、教えてください。確か、何パターンかを王宮側からご提示いただいて、当日抜き打ちで決まるのですよね?」
オクリース様の裾を引っ張ると、軽く頷いてくれた。よかった! 数ヶ月前に聞いたのを覚えていて! 得した気分である。
仕事モードに素早く切り替わったオクリース様。そんな彼の緩くあがった口角に気がつけたのが嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。
「まったく! オクリースの底意地悪い発言もだが、それよりも――」
穏やかな空間に響いたのは、アストラ様の大声だった。
何度も耳にしている、我が上司が不機嫌な理由のひとつである。
「花祭りはヴィッテとデートしようと思っていたのに、よりによって王族パレードの警備に選ばれるなんて最悪だ。おかげでオレはパレード後も王の付き添いで、夜会にも出席せねばならん」
「司令官殿、普通は名誉だと思うのですけれど。というか、私なんぞとの祭り巡りと秤になんてかけないでください……」
この自虐発言は自虐ではなく、まっとうだと思うよ。
なのに、デートという単語ひとつに体の熱があがっていく。腕に抱いた書類に、ぎゅっと皺が寄ってしまったのは仕方がないと思う。
アストラ様の発言に、いちいち反応していては身が持たないのはわかっているはずなのに、なぁ。
「俺は名誉なんかよりも、ヴィッテと過ごしている中に得られる安らぎの時間が、何物にも変えがたいのだ」
頬杖をつきなおし、満面の笑みを浮かべたアストラ様。
あまりに柔らかいというか、なんというか、いたたまれない眼差しに呼吸が荒くなる。えぇっと。赤くなっては駄目だ。俯くことで、顔横を流れる髪に表情を隠そうと試みる。
「アストラ様は本当に人たらしですね!」
「何を言うか。俺はいつだって自分に素直なだけだ」
「アストラがヴィッテに素直すぎるのは、ここ数ヶ月嫌というほど知っています。だから私が厳しくするしかないのです」
アストラ様がむすりと口を結び、オクリース様が素でため息をついた。
司令官室だとわきまえているからこそ、わずかに瞼が落ちる。書類を抱える振りをして、顔を隠す。
自由気まま破天荒に見えるアストラ様だが、司令官の顔をしている時は理想の上司そのものの姿をしている。ここ数ヶ月、そのギャップに頭が追いつくまで結構大変だった。
「いつだってなんてのも、厳しいも、嘘ばっかり。アストラ様は私にばかり本音を言わせるし、オクリース様だって甘いくらい優しいもの……ずるい」
ぽつりと落とした呟き。それは嬉しいのが半分、複雑なのが半分。はぁぁと重いため息が落ちる。
本当にまったく、お二人とも私に甘すぎるのだ。死にかけで拾った存在を気にかけてくださるのには感謝しているし、全力タックルしたい位にはお二人が大好きだけれど。
「お二人には、もうちょっとっていうか、もっともっとご自分の立場も考えて欲しいんですよ。今でもギリギリな範囲のお付き合いをさせていただいている自覚はありますし、何よりソレができなくなるのはとても悲しいです」
ぶんぶんと頭を振る。眉間にこの上なく皺が寄っている自覚はある。
っていうか、うん? この沈黙はなんだろう?
「あーいや、その。うん。ヴィッテの言葉が全部本音だと思うと色々やばいわけで」
真っ赤な顔をして顔を逸らしたアストラ様。開いた襟元を「あついな」なんて煽いでいる。
私の隣に立つオクリース様に視線を移せば、彼も珍しく大きな掌に顔面を沈めていた。白い耳が真っ赤だなぁって思ったのは一瞬で。
「わっ私! 仕事中に、すいません!!」
「仕事中でなければ、普通に口にできたということですか」
「はい、いえ、はいいいえ」
意味不明な返事をする私のつむじを、「どっちだ」という二重奏が叩いてきた。
あぁぁぁ。もう穴に埋まってしまいたい。思わずしゃがみこんでも、首まで染まっているのは隠せない。今ほど、仕事中に髪をアップしているのを恨めしいと思ったことはない!
「オクリース、やはり――」
「言っておきますが。花祭りの恒例である花姫選びには、公的な機関に携わっている者は参加出来ませんよ。臨職とはいえ、ヴィッテも例外ではありません」
って! まさかの目論見である。いやいや、アストラ様ってば、本気で保護者――いや、むしろ孫バカな祖父である。くしゃりと長い前髪を掻き上げたオクリース様は正しい。珍しい仕草にときめいている場合ではない。
私も激しく頷く。が、おじじ馬鹿な上司殿は椅子を鳴らし立ち上がった。ばさりと長い裾を翻すお姿は、普通にかっこいい。
「フィオーレいちの祭りである、伝説の花姫を称える祭り! その花姫の依り代となる鏡姫を選ぶ三年に一度の祭典に、ヴィッテもフォルマも出られないなどおかしいだろう! 二人に合わせた衣装まで、それぞれ用意したのに」
一周回って、照れるよりも冷静になったよ。うん。アストラ様のあほの子程度に呆れてしまう。
あのフォルマと並べられて浮かれたままでいられるほど、私はおめでたくはない。嫉妬など微塵も浮かばない。だって、容姿端麗眉目秀麗、性格良しのフォルマだよ?
「司令官殿が微塵でも本気なら、私は花祭りの前後一ヶ月はお暇を頂きます」
臨職なのにお暇もなにもないだろう、自分てば。なぜだろう。ちょっぴり泣きたくなった。
アストラ様にここまで言ってもらえて、嬉しいのは本当だ。フォルマに嫉妬なんてしないのも。それでも、どうしてか、喉の奥がきゅっと締まったのだ。
「ヴィッテ? 顔色が悪くはないですか?」
「最近、呼吸が乱れている時があるな。一度、我が家の専属医に診察してもらおう。ヴィッテを拾った時と同じ医師だから心配はない」
左右から、お二人に問いかけられ……無性に泣きたくなった。どうしたんだろうか、私。
こんな時、お二人の距離間が普段と一転する。
急に近くなるオクリース様。唐突に身分差を突き付けてくるアストラ様。アストラ様がそんなつもり、微塵もないのをわかっているから、また苦しくなる。
「これは、あれです。生活に慣れてきて、ほっとしたのが原因なんです」
私が魔術騎士団の臨職になって、早四ヶ月半。
魔術騎士団の仕事はやりがいがあるし、これ以外にもアクティさんの雑貨屋の手伝いもしていて、時々、お二人に内緒で居酒屋のウェイトレスもしている。すごく充実している。
おかげで毎日が楽しいし、少しずつだけれど前向きになれてきている、気がするのだ。
フィオーレに馴染むほど大事だと思う人たちを遠く感じてしまうのは――仕方がないと思う。それだけ私が彼らを知っていけているという意味だからさ。
「参謀長殿、フィオーレに慣れてきた私ってば、あと二ヶ月で臨職契約が終わります」
胸をえぐるような痛みを誤魔化すために、明るい声で顔をあげた。
「そうですが……急にどうしました?」
珍しく、オクリース様の瞼が数度しばたいた。
気がつけて喜んでいる場合ではない。書類を脇に抱え、わざとらしく掌を打ってみせる。
「私、そろそろ新しい職を探そうと思案中なのですが、参謀長殿においしいツテなどはございませんか?」
「そうですね。まず、おいしいという表現は飲み込んでおきなさい」
オクリース様は普段の淡々とした表情を一変。にこりと音を立て微笑んだ。
やっやばい! これはさっきのとは違って、駄目な方の貴重さだ! ここ怖い! 鳥肌が総動員で背伸びである!
「そもそも、上官の目の前でする話じゃないだろう!」
私が弁解する前に、アストラ様が雄叫びをあげた。両腕もあげて。
両耳を塞いだ私をよそに、オクリース様はさっさと自席へと踵を返した。入り口から見て右側、アストラ様の斜め前にある席。オクリース様の性格を現すよう、完璧に整頓されている。
「アストラ、子どもではないでしょう。仮にも戦場の死神と呼ばれた貴方です。平和ボケもいい加減にしてください」
「死神だったのは戦場だけだもん!」
愛しくて可愛い死神は、黒い騎士服の裾を躍らせた。
だもん、じゃないですよ。腕を組んでぷいっとそっぽを向いたアストラ様は可愛い。
とはいえ、二十代の男性が、頬を膨らませそっぽを向く姿は客観的に見れば至極奇妙だ。
「それでは、今は死ぬほど必死で書類を捌いて欲しいものです」
ぽつんと一人でアストラ様の前にいる自分が空しくなり、私もオクリース様と反対側にある席に、そそくさと戻った。
極上の座り心地の椅子が、重い体を受け止めてくれる。最近、確かに少し体調が優れない時がある。あまり感じたことのない、辛さだ。一度、医療施設にかかってみようかな。
「だって、書類整理は得意じゃないんだ」
アストラ様は、相変わらず拗ねていらっしゃる。そんなアストラ様をみっともないとは思わない。アストラ様だって誰の前でもこの調子じゃないのが、最近になってわかってきたから。
「得意不得手の問題じゃないと思うのです、私」
得意じゃないという拗ねに偽りがないとしても。それでも、人並みどころかエリート級にいるのだからたちが悪い。
睨んでも、アストラ様からは、やけに楽しそうな声が発せられるだけ。
「うん。だから、そんな俺が頑張るためには、ヴィッテがいてくれないと困る」
「……書類処理が得意な方など、他にもいらっしゃいますでしょうに」
「貴女の生まれ故郷は深く存じ上げませんが。我が国が、世界でも稀なほどの大国でも、女性の公的機関での就労率や事務的知識は貴女の故郷ほど高くはありません。以前にも言いましたが、使える者が傍にあるのに、わざわざ財を賭して人材を集めるのも手間です」
確かに、前にも同じ台詞を言われたのを覚えている。
でも、今の私が抱くのはあの時とは違う思いだ。どんな理由も、私を守ってくださるように聞こえてしまうから。
次話は明日の7時更新予定です。




