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司令官殿と参謀長殿、おまけの臨職な私  作者: 笠岡もこ
【第Ⅱ部】―臨職の日常編―
33/99

ヴィッテはなぜテンプスといる?

「はい、どうぞ。今日は少し暑かったので、塩分濃くしてあります」


 小さな鉄鍋をテンプスさんの前に置く。先ほどまではよれよれだったテンプスさんは、スプーンを片手に、食卓で全力待機だ。

 テンプスさんの部屋は、私の部屋とほとんど同じ構造なので動きやすい。


「熱いから気を付けてくださ――」


 言い切る前に、テンプスさんはミルク色の楽園へとスプーンを差し込んだ。


「あーこれこれ! むーん!!」


 持ち上げられたスプーンからは、とろりとした糸が引いている。引いたチーズについてくるように、ぼわっとリゾットの海から立ちのぼる湯気。

 思い切りスプーンを持ち上げたせいか、熱い湯気と甘酸っぱい香りが爆発したように部屋に満ちる。


「僕、もうこれがないとだめだーとろとろまみれー舌先どころか、口のうわっかわがやけどしても、全然いいー皮べろーって」


 ほわりと丸く浮かんだ湯気には、ほんのりと青っぽい香草の匂いが混じっている。

 アストラ様からいただいた薄紫色と白色のシンプルなチェックのエプロンを脱ぎ、テンプスさんの前に腰掛けた私にも届く香り。チーズのちょっと酸っぱいけど甘い香りと、半熟卵のおどるようなとろけ具合に、思わず頬が緩む。


「テンプスさんてば、作った私も食べたくなるようなリアクションはやめてください」

「くぁー、生き返るよぉー。ヴィッテのリゾットはチーズがきいてて美味しいなぁ。後で、ふられている香草の種類も教えてねぇー。エンテラさんの不思議料理もいいけど、やっぱりヴィッテ君の薬膳料理が染みるよ。味が喧嘩しないんだよねぇ」


 テンプスさんは私の言葉なんて聞いていない。

 よれっとした魔術衣の裾が、眠たげなテンプスさんの動作に合わせ、頼りなさげに揺れた。肩まで伸びた深緑の髪は、四方八方に跳ねている。


「テンプスさん、ちゃんとお水も飲んでくださいね。食事もですが、勤務中に水すら忘れるタイプですもの」


 水をなみなみと注いだコップを差し出せば、テンプスさんは思い出したように喉に流し込む。おかわりと無言で差し出されたコップに、苦笑が浮かぶ。

 本当はすぐにでも睡眠をとるべきなのだろうけれど……この人の場合まずは栄養だと、隣人として過ごしてきた3ヶ月で学んだ。

 ずれた銀縁眼鏡を気にするのでもなく、テンプスさんは口にスプーンを運び続ける。


「で、ヴィッテ君。この苦めの薬草――」


 なおも薬草の種類に食い下がるテンプスさんに、寝室を整えて戻ってきたスウィンさんが溜息を落とす。


「はいはい、この魔術中毒め。気になったなら、エンテラおばさまに聞きなさいな」


 エンテラさんというのは私の階下に住む、六十歳ほどの女性だ。普段は薬草を扱った内職をここでしていて、本宅は別にあるという素敵ミステリアスな女性なんだ。上品なんだけど、親戚のおばさまみたいに親しくしてくださる。

 そういえば、前にエンテラさんとお茶をした際、テンプスさんに迫られて大変だって笑っていたっけ。薬草関係で。


「今度エンテラさんがいらっしゃった際に、薬草と煮込む順番を書いて、お持ちします。エンテラさん、ここしばらくは本宅から離れられないっておっしゃっていましたし。あと、私、テンプスさんのおかげで薬草に詳しくなりましたよ」

「まったく。三十過ぎた男が、隣人の若い少女の世話になれるなんて、奇跡なのよ。わかってる?」

「だってさぁ。ヴィッテ君は、うちにある魔術書で手を打ってくれるんだもん。あと、お酒。僕の地位目的じゃないのも知ってるから、つい甘えちゃうんだよー」


 ほんやりしているようで、相変わらずはっきりいう人だ。

 まぁ、さもありなん。テンプスさんはこう見えて魔術師団の研究部門の長なのだ。それだけで、色んな女性が近寄ってくるとは耳にしている。

 実際その場面に遭遇したこともあり、とっさに恋人代わりにされた記憶は新しい。そのおかげでテンプスさんとは仲が良くなり、後日耳にしたアストラ様並びにオクリース様にはこってりしぼられたっけ。


「えっとね、ヴィッテ君に飲ませたいヴィヌムがあってねー。あーっと、スウィンには珍しい南国の果実ジュースねー」


 ふらふらと立ち上がり、秘蔵のヴィヌムを提供してくれるテンプスさんに文句は言えない。……本当に、おやすいなと我ながら思うけど。

 私は赤が好きだけれど、くいっと喉に流し込んだ白いヴィヌムは口に含んだ瞬間、芳醇な香りが広がった。ものすごく冷えていて喉越しがいい。これは飲みすぎると危ない奴だ。


「どう?」

「はい、とってもおいしいです! 最初口に含んだ時は淡泊かなって感じるんですけど、徐々に口に広がる甘さがなんとも!」


 正直な心のまま返事をすれば、テンプスさんはちょっと怪しい微笑みを浮かべた。

 うん、これはあれだ。見覚えがあるやつだ。団のみんなが連れて行ってくれた歓迎会の店で、わかりやすいやつだって絡んできた人たちの。

 それを隣人でもあるテンプスさんに向けられたことにショックを抱きつつも、なんとかへらりと返せた。視界の端に映ったスウィンさんは、思い切り心配そうだったけど。


「ヴィッテ、魔術騎士団の契約半年なんだろーうちにこない?」

「テンプスさんからのお誘いは嬉しいです。でも、ごめんなさい。魔術師団の部門長としてのお誘いなら、丁重にお断りします」


 普通は逆だろと思う。でも、今の私にはこれが精いっぱいの答えなのだ。せめてもと、へらりと笑った。


「ばかテンプス! 前からヴィッテちゃんの魔力については、ぼやぼや言っていたけれど。まさか、そんな本気交じりに言うと思わなかったわよ」


 え? 今の、テンプスさんの本気だったんですか⁈

 スウィンさんに頭をぐりぐりされてもスプーンは口に加えているテンプスさん。

 ちらりと向けられた上目に、どっと冷汗が出た。思わずぎゅっと胸元を握ってしまう。


「だってさぁ、アストラ君にとっても、君の存在はあまり良い噂にはならないと思うんだよねぇ。貴族の幼馴染であるフォルマ君とならともかく、いち事務員のヴィッテ君とはねぇ。魔術師団うちなら割と歴史があるから、とやかく口を出す貴族連中も少なくて過ごしやすいよ?」


 しっかりと届いた呟きに心臓が縮んだ。

 でも、今の私が否定すべきことは明確に見えている。


「だからですね。何度も否定していますが、私は生活にいっぱいいっぱいです。ではなくとも、アストラ様をはじめ魔術騎士団のだれとも、テンプスさんが邪推する関係にはなり得ません」

「珍しいことではないと思うよ? 保護欲が恋愛感情になり、守られているうちに異性として意識するのは」

「だから、テンプスってば!」


 私は今どんな表情をしているのだろうか。自分でもわからない。

 それでも、飄々とした調子でスプーンを口に含んだテンプスさんが固まってしまうくらいには、変な顔をしているのだろう。テンプスさんの手元のスプーンが、かちゃりと音を立てて食器にぶつかった。そのまま、あまりにもぼけらと私を見るテンプスさんに、眉が下がった。いや、正確には私の微妙に斜め上。


「やだ、雨!」


 スウィンさんの一言で、はっと我に返った。私とテンプスさんの両方が。

 気まずげにへらりと笑った私と違い、テンプスさんはスプーンを手に取りなおし加えた。えぇっと。なんで、誰もいない空間をじっと見つめる猫みたいになってるの!?


「洗濯物―!」

「って、スウィンさんお手伝いしますから! 走らないで!」


 ばたばたと足音を立てて玄関に走るスウィンさんを追う。大きなお腹を摩っているスウィンさんい追いつくのは、そう大変ではない。両手をせわしなく動かすスウィンさんに緩む頬を押え、私も玄関へと向かった。

 テンプスさんはいつもの様子に戻って、のんびりとついてくる。


「あっ、ヴィッテちゃん! 彼が帰ってきたみたいだから、お手伝い大丈夫!」

「っていっても、妊婦さんが階段を駆け下りないでください!」


 私の叫びが聞こえているのかいないのか。スウィンさんは軽やかに姿を消した。渡り廊下のガラス窓から旦那さんの姿は見えたので、問題はないだろう。

 ガラス越しに私に気が付いた旦那さんが軽く手を振ってくれた。私も、軽く手を振った。


「ちなみに、僕は円満離婚ーなので、特に恋愛に傷ついてもいないんで、相談はいつでもOKだよー」

「離婚に円満とかあるんですね。っていうか、急にどうしたんです。さっきの続きですか?」

「まぁね――あ、アストラ君にオクリース君、こんにちはー」


 肯定に続いた言葉に、顔があがった。

 全身で振り返れば、うちの玄関前に立っているアストラ様とオクリース様が視界に飛び込んできた。


「アストラ様、オクリース様! 早かったですね! ちょっと準備にお時間くださいね?」


 申し訳ないが。頭上に手を乗せたテンプスさんにお辞儀する余裕もなく、お二人に駆け寄っていた。


「ヴィッテはなぜテンプスといる?」


 腕を組んでぶすりとしているアストラ様に問われ、私は首を傾げてしまう。だって隣人だし。

 っていうか、傾けた頭を撫でてくるオクリース様もあれだけど、噛みつかんばかりに唸りだしたアストラ様が怖い!


「えっと。前にお話した通り、テンプスさんは良くアパートの入り口で倒れていらっしゃるので、そして、今日もなのでスウィンさんと介護しておりました」


 はいっと右腕を高く掲げてみたものの、それに乗ってくれる人はいない。

 オクリース様は頭を撫でる速度をあげるだけだし、アストラ様なんて壁を叩き出した。


「ヴィッテ! 前から言おうと思っていたのだが。不用心な親切は控えなさい!」


 壁と仲良くしていたアストラ様が、風を切る勢いで向き直ってきた。

 きょとんとする私と見つめあって数秒後、耳横を恐る恐ると撫でてくださった。ちょっと前とは違うけど、やっぱりアストラ様だって安心する硬い指先に、満面の笑みで体を預けてしまう。


「と、言われましても。私もアストラ様とオクリース様に拾っていただいた身ですもん。腹ペコで困っている方は助けたいのです。あっ、魔術騎士団にご迷惑をかけない範囲で」

「――っ!」


 アストラ様が息を飲むのは、実はそんなにない。どんなに運動しても、嫌な官僚が会いに来ても。

 だから、今しがたの発言は大丈夫なのだと安堵する。驚いてはいても、否定の吐息ではない。


「ヴィッテには再教育が必要ですね」

「はい⁈ オクリース様、なにごとですか⁈」


 オクリース様の台詞に、一歩どころか十歩は下がった。

 そんな私を、大人な男性陣は笑い続けた。ぶすりと口の端を下げたアストラ様以外は。


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