努力はしているのですが、まだつい。
2019年6月1日より連載再開しました。
前のお話より読みやすくなるよう頑張ります。
――かんかんとん、とんかんとん――
石造りの三階建てのアパートメントに、トンカチの音が響いている。心地よいリズムだ。
立っているにも関わらず、まどろんでくる意識。必死に抵抗しようと、瞼を擦ってみる。
うん、目が開きそうと思った直後、ちょうど窓のクローバー模様の鉄に夕日があたったようだ。きらりと飛び込んできた光のせいで、さらに瞼が落ちてしまった。
「ヴィッテちゃん。さっきまで仕事で根を詰めていたのでしょう? 部屋に戻って寝てていいのよ? うるさくて、すぐ目がさえてしまうかもしれないけれど」
ゆらっと倒れかけた体を支えてくれたのは、大家さんでもあるスウィンさん。
肩や腕に染み込んできた体温に、またまどろみかけて頭を振る。そして、重要なことを思い出し、ばっと音を立てて体を離していた。
「部屋に戻るのはともかく、今のスウィンさんが私なんか――というか、最近、私ってばフィオーレグルメのせいで太っちゃったし、それを支えたりしちゃダメです!」
両手を握りしめ力説する私に、自分の腹を撫でたスウィンさん。その仕草に合わせて、私は大きく頷く。身重のスウィンさんに負担をかけたくないもん!
そして、任せてください。隣町まで出ている旦那様の代わりに貴女を支えて見せます。そう意気込んで右腕を差し出す。
「ヴィッテちゃん。まぁ、言い直してくれただけ良かったと思うことにしておくわ。今日のところは。あと加えておくと、ここに来たばかりの頃がやつれ気味だっただけで、今が普通くらいよ?」
「うぅ、努力はしているのですが、まだつい、特に仕事場を離れると自分を下げる言い方が抜けなくて……ここ数ヶ月で、フォルマやオクリース様にびしばし指導を受けてはいる結果も、これが精いっぱいです」
がっくしと肩が落ちる。夕日も相まって燃え尽きたぜ的になっていることだろう。スウィンさんが笑いをかみ殺して、落ちた肩を撫でてくださる。
数ヶ月前、私ことヴィッテ=アルファ=アクイラエは故郷からフィオーレに移住してくる最中、港から首都へ移動するために乗車していた馬車を山賊に襲われた。山賊から逃げ、森をさまようこと数日。食料も尽きここまでかと地面に突っ伏して盛大に腹を鳴らしていたところを、魔術騎士団の司令官であるアストラ様と参謀長のオクリース様に拾われた。そのご縁で、アストラ様は私の身元保証人となってくださったのだ。
そして、スウィンさんという大家さんが経営するアパートメントに住むことになった。また、魔術騎士団の事務員の試験にも受かり職を得た。採用された後にアストラ様やオクリース様、それに試験に参加していたフォルマが団関係者だと知った時は失神しかけたのは懐かしい思い出だ。
さて、そんな経緯で魔術騎士団の司令官付事務官となった私。臨職といえど組織の中枢部に所属する身だ。
皆さんが言うには、私に対する懸念材料のひとつに謙遜以上の自己卑下があったらしい。そこをオクリース様とフォルマの社交界的技術を持って、鍛えなおされている。ありがたいのは、私の自分に対する評価を責めるのではなく、外に対する振舞いを叩き直してくださる点だ。
「ヴィッテちゃんが努力家なのは、十分わかっているわ。そもそも、外国と交易も盛んな大国なフィオーレ語が広く使われていると言っても、移住してきたばかりのヴィッテちゃんが貴族とも問題なく会話できる言語能力があるのも驚きなレベルなのよ? しかも、フィオーレに住んだ経験もないのでしょう?」
「そこは亡くなった両親に感謝するしかありません。家業が家具を中心とした貿易商でしたので、歴史的な背景を知るための資料も多かったので、書き言葉的な物言いが自然と身についたというか」
両親が健在であった時には、家業の貿易商の中でも裏方ばかりしていた。一人の時は大丈夫なのだ。作業もコツを掴めば処理は時短出来るし、色んなアイデアも浮かんでくる。
ただ、人と接した際にはどうしても萎縮してしまうのだ。自分が『必要とされているか』わからなくなってしまう。『ここにいて良い存在』なのか、不安になってしまうのだ。
「あの、スウィンさん――」
今日こそ、フィオーレに滞在するようになってから感じているもやもやを相談したいと顔をあげるのと同時。かんっと、力強いトンカチの音が脳にまで響いた。
途端、ぱしゅっと疑問が消えた。
あれ? 私、何を考えていたんだっけ。
「はいよ。修繕、完了っと。これでもまだ雨漏りするようなら、すぐ呼んでくれ」
張りのある低い声が、アパートメントに響いた。と同時に、かたい靴音が床を鳴らす。
首に巻いていたタオルで汗を拭く男性は顎ひげだらけの強面だ。おまけに筋肉むきむきで、一見するとすんごく怖い。
顔つきの通り、黙々とオレンジ色の道具箱を片付け始める男性。
「急なお願いだったのにありがとう。謝礼はいつも通り、お店に払いに行くわ」
黙々と道具をしまう男性に臆することなく、おっとりと微笑んだスウィンさん。垂れ気味の優しい眼差しが、より柔らかくなる。無意識にだろう。少し大きくなったお腹を撫でている。とても優しい手つき。
その仕草の意味――スウィンさんが妊娠しているのを知っている親方も、目元の皺を深くした。
「なんの。スウィンが気にするこたぁない」
親方が、ははっと大きな笑い声をあげた。立ち上がった親方はスウィンさんの倍ほどもある体を曲げ、彼女の肩を撫でる。
「今が大事な時だからな。女房に足を運ばせるさ」
にんまりと口の端をあげた親方に、見とれてしまう。いいなぁと思った。漠然と。
そんな私の心を読んだのかもしれない。親方は私に向き直り、より一層頬の皺を深めた。
「なんなら、ヴィッテ嬢ちゃんが持ってきがてら、遊びに来てくれても孫が喜ぶだろうな。先週、依頼に来てくれた時に散々構ってもらったのに感動したのか、もうヴィッテ姉ちゃんて煩くてよ。俺ともまた飲んでくれよ」
嬉しさのあまり、手が右往左往してしまう。そんな私を軽く笑ってくださる二人。
あぁ、どうしてここの人たちは、私の間合いを理解しようとしてくれるんだろうか。
「あっありがとうございます! たくさん、お礼があるのです!」
拳を握って前のめりになる私に、スウィンさんと親方は向き直ってくれる。
「まずは、アパートメントの修繕、雨季に入る前に助かりました! あとあと、親方のところには、喜んで遊びに行きます! 飲みます! おつまみ持って!」
「そりゃ楽しみだ。うちの若い連中も舌鼓打ってたぞ?いつでも嫁に行けるな」
『嫁』という単語に思わず体が跳ねてしまった。私の知らないところで、幼馴染と駆け落ちした姉様。姉様は一体、今、どんな気持ちでどうしているのだろうか。
サスラ姉様は家財を持って、故郷の次期伯爵となるスチュアートと駆け落ちした。そのせいで家業は傾き、父を亡くしたばかりの母は衰弱し亡くなった。すべては姉様のせい、と一部の家人は言っていた。私も、つい最近までは疑うことはなかった。
でも――でも、自分が落ち着いたのか、母様は姉様をただの一度だって責めていなかったのを思い出せたのだ。
「ヴィッテ?」
親方の声に、はっと意識が戻った。
飛んでいた意識を戻し、とほほと肩を落としてしまう。
「親方、それは相手がいたらの話です。嫁に行くには、まず受け手がいるんですよ」
結婚するにはね、まず相手が必要なのだよ。親方、大前提をお忘れなく。
「一人で暮らしていると、どんなに勤めがあっても友人がいても、人恋しくなるだろう。早く恋人でも作りな。ヴィッテなら引く手あまただろうに」
親方! なんで、そんな虚しくなる発言は控えてください!
涙目で両手を振り上げて抗議するしかない!
「あまたなら、隠れずに体当たりしてきて欲しい位には、心当たりがありません! こちとら、地面に倒れるのは経験済みです! 空腹関係だけど!」
「おもしれぇな! そりゃ!」
がははと豪快に笑いを響かせた親方。めちゃくちゃ笑い声が反響してます。
笑顔で耳を塞いでいるスウィンさんに軽く謝り、親方は道具が詰め込まれた革鞄を肩にかけ去っていった。
「さて、ヴィッテちゃんはうちにお茶をしにくる?」
「はい。夜の支度も終わっているので。スウィンさんの体調がよければ」
「そっか。今日はアストラとオクリースが、ヴィッテちゃんフィオーレ移住三ヶ月記念のお祝いに来るのだっけ? 妹がぼやいていたわよ。たまにはアストラ邸に泊まりに来て欲しいって」
あらあらと頬をさすったスウィンさんに、苦い笑いを返してしまった。と同時、スウィンさんの妹が、アストラ様のメイドさんであるステラさんだと知った時の驚きを思い出す。
見た目と雰囲気が、ステラさんの方が大人っぽかったのもあるだろう。とはいえ、驚愕しつつも、繋がっている根本に妙に納得がいったっけ。アストラ様に強いっていう。
「ステラさんたちにはお会いしたいのですけど。その、さすがにですね。臨職とはいえ、魔術騎士団の司令官付事務の私が、司令官であるアストラ様のお宅に泊まるのは、色々問題かと思って……」
そうなのだ。フィオーレで楽しい思い出が増える一方。魔術騎士団の司令官と参謀長であるアストラ様とオクリース様、お二人に近づけば近づくほど、遠い存在なのだと実感させられる機会も多い。
私自身がどう言われ様と構わない。しかし、お二人に悪評が立つのだけは避けたい。暖かい気持ちを貰い、充実した仕事に就き。これ以上、望むのは罰当たりだ。
「というか! うちに来て貰えるのって、実はすごいし、とっても幸せなので! ご一緒に、料理もして頂けますし。あの、特権というか」
本音が出てしまった。そうなんだよね。本来であれば、調理場と縁がない身分のアストラ様とオクリース様なのに。我が家にいらっしゃると、必ず手伝ってくださるのだ。ある時はおつまみの調理を興味深く尋ねて下さったり、またある時はお皿を洗ってくださったり。
だからつい、勘違いしてしまう。お二人が、すぐ傍にいてくださるのだと。
ううん。その空間だけは、宝物だって思うのに引け目を感じずにいられるんだ。世間の目を気にせずに、堂々と出来る自分なら良いのにって。
「あら、まぁ。ご馳走様。でも、くれぐれもアストラとオクリースには直接伝えない方がいいわよ」
「ですよね! おこがましいのは百も承知です!」
「ではなくてね。オクリースはともかく、アストラの暴走が心配」
暴走ですか。アストラ様って過保護だからな。父性っていうの? 単なる身元保証人である私にでさえも、男性関係やナンパに厳しいのだ。娘が出来たら大変だろう。
腕を組んだ瞬間。スウィンさんの背後から、がつんっと痛い音が響いてきた。
「スウィンさん、これって」
「えぇ。これは恒例の腹ペコ祭みたい」
「あは。じゃあ、お迎えにいきましょうか」
スウィンさんの言葉にほっと胸を撫で下ろし階下へと降りていく。二階からあがる途中の階段で突っ伏している男性の姿を確認したであります。
二人で顔を見合わせ、苦笑を浮かべあった。
「テンプスさん、ここ数日姿を拝見してませんでしたもんね。そろそろだとは、覚悟していました」
隣人のテンプスさんは、魔術師団に勤める三十半ばの男性だ。
最初の頃は驚いたものの、ここ数ヶ月でこの行き倒れ騒動には慣れてしまった。というか、慣れたのが嬉しい。自分勝手ながら、私がフィオーレに馴染んできたようで。なので、多少の隣人の無茶も喜んで面倒みちゃう! 私が助けてもらったように!
「ヴィッテちゃん、料理のストックはある?」
スウィンさんが使命感に燃えた瞳で、私を見る。
私も両腕をぐっと脇に引き、深く頷く。
「はい。昨晩の残りである鶏肉煮込みがあります。リゾットもすぐ作れます」
二人して階段を下りていくと、案の定、アパートメント入り口の階段に突っ伏して「ごはん~」と唸っている男性を発見した。
人が無防備な姿を見せてくれるのが堪らなく嬉しいと思う感情を胸に隠し。よいしょっと気合を入れ、盛大に腹の虫を鳴らしている男性の腕を肩にかけた。
「ヴィッテくーん。腹の虫がねぇ、大合唱なんだよー僕、合唱の果てに魔法粒子になるよー」
「はいはい、わかってますよ。テンプスさんの大好物の鶏肉煮込みとリゾット。とっておきの卵を割ったやつを持っていきますから」
呆れて零したメニューに、テンプスさんはへらりと嬉しそうに笑ってくれた。




