司令官殿とお祭り
「すごいです、これがフィオーレ!!」
広いレンガ道でさえ、人ごみに溢れかえっている。普段より少しだけ着飾った男女が露店を覗いている姿は、見ているだけで胸が躍る。
「アストラ様、ありがとうございます! 月一の祝福祭は男女の組み合わせが多いとのことで、きにくいと思っていたのですが」
アストラ様の名前を叫んで注目されるなんていう注意さえできないほど、今の私は興奮の渦の中にいる!
両手を握り周囲の熱気に負けない位、目を輝かせ、音符を飛ばす。そんな私をいさめるのでもなく、アストラ様は優しく笑った。
「俺こそ、断られると考えていたのだが。ヴィッテが誘いを受けてくれたのは、フォルマのおかげだな」
「当のフォルマがオクリース様のお手伝いでこれなくなったのは残念ですが……2人にはとっておきのお土産を選びます!」
「あぁ。まぁ、俺は―――」
アストラ様の言葉は、最後まで続かなかった。私がレンガ造りの道に爪先をひっかけてころびかかってしまったから。
地面と仲良くせずにいられたのは、ひとえにアストラ様のおかげだ。その代わり、二の腕をがっつり掴まれ、一気に体温があがってしまったのだが。大きくて暖かい手が私に触れて下さっている安心感に、得も言われぬリズムで鳴る鼓動。
「すっすいません」
社交の場でのダンス以外で、男性にここまでしっかりと触れられた経験がない私は、真っ赤になるのを止められない。えぇい!! ここで私がどきどきしてもアストラ様に迷惑がかかるだけだ! はたから見て!
きりっと表情を引き締めて顔を……あげたのだが。
「ヴィッテは興奮すると周りが見えなくなるタイプなのだな」
見上げたアストラ様の視線は、あまりにも優しいお日様の色をしていた。おまけにと、背中に手を添えられ、しっかりと立つまで体を支えて下さる。
恥ずかしくなり、びしっと彼の鼻先に指の腹を向けていた。
「私がどうのこうのじゃなくって、これだけ――音楽が溢れ、花が舞い、人の笑顔が咲き乱れている空間に、どうして浮かれないでいられましょうか!」
その間にも、両肩隣をせわしなく人々が行きかっている。
「確かに人は多いが。いつもとそう、変わらないが?」
「人の多さは変わらなくとも、熱気と盛り上がりが違いますよ!」
私の眼前に広がる光景。それは、ガイドブックに描かれていた以上だ。
ぎゅうっと抱きしめたガイドブックに皺が寄るのも気にせず(そもそも、船旅でかなり湿って皺が寄っているのだが)、ぐいっとアストラ様に詰め寄る。というか、どんと背中にぶつかられたせいで、アストラ様に寄りかかってしまった。そんな私を迷惑がることもなく、アストラ様はむしろ背中に手を添え、体を寄せて下さった。あったかいなぁ。
「私がこの一週間で見たフィオーレって、ガイドブックにあるようなおしゃれでしゃんとしたイメージがありました。でも、ここは、すごい! 花と熱気と人と――甘くてジューシーで、えっと、とにかく幸せな香りに溢れてます!」
ほろっと笑顔が零れた。通り過ぎていく人々の笑顔につられる。皆が笑顔で活気に溢れているから、逆に人を気にしていなくて。つい、アストラ様の袖を強めに掴んでしまった。
指先とはいえ、アストラ様には予想外だったのかもしれない。ほんのりと、目元に淡い色がはしる。
「うっうむ。なんだ、その。ヴィッテのその笑顔が一番だと思うが」
どうしてだろう。アストラ様の言葉は素直に受け取れる。社交辞令でもなく、私を皮肉っているのでもないとわかるのだ。
だから、ほろりと笑みが零れてしまう。
「もう、アストラ様ってば! お世辞は嬉しいけど、いいんです! いきましょう?」
「そうだな。一月に一回の月祭りに早速ヴィッテを連れてこられて、俺も嬉しいぞ!」
私の隣で腕を組んでいるアストラ様を見上げると、私以上に満面の笑みを浮かべている彼がいる。
今日は、一週間見慣れた黒い騎士服ではない。初めて姿を拝見した時と同じ、裾の長い薄紫色のシンプルな上着を羽織ったシンプルな服装だ。簡素でも、アストラ様は青い空の下、惜しみなく舞っているハート型の薄い色どりの花びらにも、大振りな花にも負けない存在感がある。
「ひとまず、ガイドブックはしまっておけ」
腕に抱えていた本は、ガマグチポーチに押し込められてしまった。
ぱちんと金具が鳴る。その音は、アップテンポの管楽器が奏でるものよりも、大きく届いた。高らかになる三重奏も、舞い散る色とりどりの花も。流れてくる砂糖の甘さも。アストラ様のお日様みたいな笑顔に、全部、打ち消された。
「今日は、俺に案内させてくれ」
ほぅっと見とれて。「すんません」と肩にぶつかった男性の謝罪で我に返る。わずかによろめいただけでも、がしっと腕を支えられ、目が熱くてかなわない。
アストラ様の手が大きくて熱くて……嬉しかった。私は一人じゃないって思えて。
「アストラ様さえよければ、よろしくお願いします!」
勇気を振り絞って、胸元でぐっと拳を握った。厚かましいと思いつつも、ここまできてしまったのだ。逆に遠慮する方がアストラ様が困ってしまう、と思って
心の葛藤が出てしまったのか。ぐぬぬと怖い顔の私を数秒眺め、アストラ様はぷっと噴出した。
「よし、任せろ! ヴィッテが満足するような屋台を選んでみせるぞ」
「そこは補佐します! 私の全感覚をもってして!」
高らかに宣言した私を、アストラ様は大きな声をあげて笑った。口元に手をあてながら身を屈めるアストラ様に、どうしてか、拗ねるよりも嬉しくなった私がいた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「アストラ様! あの飴細工すごいです!! ほわほわって繊細な糸を絡めつつ、大胆なつくりが!!」
行き交う人ごみに酔う暇などない。気を抜けばぶつかってしまうほどの人ごみに歩幅を合わせるのはとても大変で、ついつい挙動不審な動きになってしまうが。都会すごい。みんな、どうして会話をしつつひょいひょいとぶつからずに歩けるのだろう。まるでダンスだ。
「人の流れにうまく紛れながらくるくる身を回転させているのはすごいが……ほら、ヴィッテ、前を見るんだ」
爪先が石造りの道に引っかかった瞬間。目の前に、昔の光景が広がった。
――ヴィッテ、貴女は無自覚すぎるのだから。しゃんとしなさい――
社交界に初めて出た浮かれた私に投げかけられた冷水の声色。姉様の凛とした姿。
痛い思い出のはずなのに、どうしてだろう。今は、励ましてもらえているとさえ思えた。新天地にたっているからゆえにだろうか。
「おっ、ヴィッテ!! あそこにアプリコッティ飴が売っているぞ!!」
ぐっと手を引かれて、顔があがる。反射的に、大きな手を握り返していた。父様のように包み込んでくれる感触に、涙腺がつんと突かれる。
視線の先にあったのは、背後の青空も顔負けなアストラ様の笑顔だった。
「足を止めてもよければ、ぜひ食べてみたいです!」
食べたい物リストのひとつですと、小さく呟く。その呟きに、アストラ様が「あぁ」と返して下さり……私は小首を傾げた。私、アストラ様に食べたい物リストのこと話したっけ? いや。そもそも、リストは行き倒れた際、なくしてしまったしな。
私がもやもやと考え込んでいるうちに、露店のおじさんから、アストラ様に串刺しの大きな飴が手渡された。
「あ、もし私にと買ってくださったなら。お代は私が――」
「これくらいは、もたせてくれ」
「でも! 前にアクティさんのお店でも言いましたが、私ちゃんとお金はもっているんです! アストラ様には十分よくしていただいていますし、職まで面倒見てくださいましたし、ここは私がおごるべきかと」
きらりと目を輝かせ、飴を片手にガマグチポーチを掲げれば、アストラ様はきょとんと目を瞬かせた。今日はおまかせください、私がおいしい物をおごります!!
そんなドヤ顔を前に、アストラは徐々に眉を下げてしまった。眉間に指先を添え、低く唸る。
「うむ。なんといえば、納得してくれるのか」
「あっあの。生意気を申しまして、すいません。私みたいな小娘におごられると言われて不快かもですけれど……私、単純にアストラ様にお礼がしたくて」
普通に考えたら、とんでもなく失礼だっただろう。上司な上、相手は貴族だ。
高揚していた気分もどこかに吹っ飛び、顔が落ちる。ついっと触れたのは、甘いべっこうの香りだった。
「お礼はともかく。食べてみてくれ」
言葉のまま。ほろ苦くて、でも甘い琥珀に歯を立てる。かたいと思っていた飴は、割と簡単にかりっと音を立てて口内に転がり込んできた。かたい飴は、ちくちくっと口中を刺した。
その痛みを甘やかすように、すぐにアプリコッツの果肉が舌に乗る。
「――おいしい」
思わず、素で話していた。どこか懐かしい味がして、目元が熱くなった。知らない味なのに、知っている気がした。
最近の私は泣き虫だったけど。今の私は、美味しい物を食べた時の、満面の笑みだと自覚できる。甘い香りだけじゃなくて、肉の香りもする。涼やかな花の香だけでもない。人が纏う、辛い香りも鼻に痛い香りもする。
「それも全部、おいしいんです」
アストラ様とオクリース様のおかげで。私は貴方たちのために頑張ろうって、生きようって思えました。貴方たちを大切に想う人のために、人生をやりなおしたいって。
「ヴィッテは、満面の笑みで食べるな。いつも」
「だって、本当に美味しいんですもん」
「知っている。ヴィッテが傍にいると、食べることが嬉しいのだと気づく」
ついっと、指の腹で頬を撫でてきたアストラ様。いつもより控えめな触れ方に戸惑うなんて、私は早速ぜいたくになっている。
気持ち悪く跳ねる心臓を右手で叩いて、あむっとさらに飴を噛んだ。
「ほら、アストラ様。この飴は、すごくやさしい味がします」
ずいっとアストラ様に飴を差し出す。
私は人を慰める方法も幸せにできる方法も知らないから。自分が好きだと思ったものを差し出すしかない。
「って。食べかけなんて、嫌ですよね。ははっ。新しいのを買ってきます」
しかし、さすがに失礼だったかと身を引いた瞬間。
「うむ。……うん」
私の右手を捕まえたアストラ様が、小さくささやいた。
「甘いな」
かりっと立った音はやけになまめかしくて、硬直するしかなかった。
全身熱に包まれ硬直する私を、アストラ様は声を殺して笑う。くつくつと喉を震わせる彼に、気恥ずかしさとは別の安堵が生まれる。
「でしょ! 私、今度は、あっちのウィンナーが食べたいです!」
びしっと。道の奥から昇る湯気を指させば。アストラ様は「確かに煙がすごい」と笑って下さった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「もう、お腹いっぱいです」
はぅっと泉をかこう石に乗りかかる。
中央通りからいくらか外れた場所にある噴水場は、割と静かだ。しゃばしゃっばと泉に落ちる噴水の音がやけに大きく聞こえるくらい。
「しかし、よく食べたな。最初のアプリコッツの飴に、肉串、ポテトフライに、あげもろこし。それに、ふわっとしてなんといったか――もこもこの雲に、氷」
「言い訳しようがないくらいです」
晴れ晴れと空を見上げていた気分もなんのその。アストラ様の呆れた声色にずしっと頭が重くなる。
私、本当になんでこんなに食いしん坊なのだろうか。格好ばかり女の子らしくしても、本質は変わらないよ。うぅぅ。
「嫌味ではないよ? ずっとここで暮らしているはずなのに、まだ食い足りないと思ったんだ」
ぽんぽんと。頭で跳ねる大きな掌。
自己嫌悪を伴って顔を上げた私を待っていたのは――背負った夕日に負けないくらいの優しさだった。
「くっ食いしん坊な私に呆れていらっしゃらないようでしたら、ぜひ、またご一緒できればと――思ったり、しなかったり――」
語尾は濁ってしまった。でも、口にせずにはいられなかった。私は、アストラ様と過ごす時間が……好きだと思えたから。大事にしていきたいと、思ったから。
おずっと見上げた私の髪を、アストラ様の大きくて熱い手がくしゃりと撫でる。ぐしゃぐしゃになるのもかまわず、嬉しいと思った。
「呆れることなどないさ。ヴィッテの満面の笑みを見るのは楽しいし、祭りの楽しさを思い出した」
あむりと。木の実を口に放り込んだアストラ様。
心の奥に浮かんだ懐かしさと今の暖かさがたまらなくて。目の前の綿菓子に、かみついた。
菓子の甘さよりも。触れるかそうでないかの距離にある腕から伝わってくる熱に、喉が焼けた、気がした。




