歩む道と触れたい体温、これからの私
「では、明後日より宜しくお願いいたします」
うわずった声が、部屋に落ちた。そうは言っても、場所も雰囲気も畏まってはいない。アストラ様とオクリース様の視線が、私にだけ向けられているから肩があがるのだ。
ここは自分の家。私は リビングで直立している。
なぜこの状況なのだろう。私は、おふたりを食事に招待しただけだったのに。
「あの。もう着替えてもよいですか?」
スカートの裾を握っても、眼前の男性たちは応えてくれない。かぁっと私の全身が熱を持つだけだ。
緊張度でいったら、一昨日よりもひどい。なんせ明後日から、まさかの魔術騎士団司令官付の事務員になる。ひとまず半年の臨時職。どきどきどころか、はらはらである。
そんなガチガチにかたまっている私をまるっと無視して、アストラ様は満面の笑みで頷いている。
「うむ。制服もよく似合っているぞ!」
自宅であるにも関わらず。今の私は、魔術騎士団の事務制服に身を包んでいる。
理由は単純だ。早速手料理を振る舞わせてくれると、仕事後に自宅を訪れてくださったおふたり。
一日時間のあった私は下準備を終えて、残すところは火を通したり皿に飾るだけというとこで呼び鈴を鳴らされた。
いそいそと迎えた私にまず渡されたのは、仕事着だった。
「あっありがとうございます。違和感がないと良いのですが」
魔術騎士団には女性の事務はいないらしい。ので、制服も新調したものだ。
もったいないから私服でとの申出は、朗らかな笑みで躱わされてしまった。色々事情と体裁があると押し切られたのだ。
臨職とはいえ、質素な服の女性が出入りするのはって事情なんだろうか。予算獲得的な意味合いもあるのかも。
「洋服がでも、嬉しい、です」
私の頬は、無責任に熱をあげていく。大人のように微笑みたいのに、はにかむのが精一杯。苦しくて、俯いてしまった。
わかってる。アストラ様もオクリース様も、満足げな視線を私に向けていらっしゃるのは、おふたりがデザインされた制服ゆえになのだ。
気遣わせるようなことを口にしたと焦っても、羞恥は拭えない。
「どんな服でも、着る人間によって印象は変わるものだ。ヴィッテが可愛いからこそ、デザインしたかいがあるんだぞ?」
「アストラ。他の者が耳にしたら、少々問題のある発言ですよ」
オクリース様の言葉に、激しく頭を上下に振る。目が合ったオクリース様は、わずかに瞼を落とし「似合っているのには同意ですが」と微笑んだ。ものだから、私は働く前から汗だくである。
なんだ、なんだ? 実はおふたりとも、私が動揺して失敗するのを狙っているのか?! ならば受けて立とう。ま、おふたりに限って絶対有り得ないが、謎の妄想で自分を奮い立たせる。
「お気遣いありがとうございます。司令官殿のおっしゃることに動揺していたら、司令官付は勤まらないと警告いただいたと感謝いたします」
「うぅ。ヴィッテが意地悪だ。いいもん。半年ずっと一緒にいられるご褒美の対価だと我慢するぞ」
「それも! 他では控えてくださいね! 司令官殿と私、両人のためにも!」
個人としてなら、ただ隣を歩くにふさわしい人になりたいとは思うだけで、さして気負わずにアストラ様に甘えられる。いやいや、変な意味ではなく。
でも半年とはいえ魔術騎士団で働くなら、仕事で認められたい。おふたりだけじゃなくって、特にアストラ様が騎士団長になるのを阻んでいる人たちにだ。
「あ、ちなみに外を歩く時は、このケープをつけるのだぞ。馬車の中で抱えられた際も思ったが、ヴィッテは意外と、その、なんだ。む――」
「ほぅ。アストラ、それは初耳ですね」
「べっ別にやましいことはしてないぞ! 俺はともかく、他の奴がな! ほら、クレメンテとかさ!」
さっきの私とは反対、アストラ様は必死の形相で顔を左右に動かしている。なぜここでクレメンテ様が出てくるのか。奇妙な言動をとっているのはアストラ様なのに。
私は置いてけぼりである。部屋の中をすたすた歩きだしたアストラ様。それを長い足の競歩で追いかけるオクリース様。部屋の真ん中にいる私。という不思議な光景だ。
「確かに、ちょっと個性的なデザインですね」
自分を見下ろし、ぽつりと呟いてしまうくらいには。
女性騎士の制服を元に作られているのだが……胸元というか、胸の上が開いているのだ。二の腕の上部分はふっくらとして、袖は手の甲の途中までという長め。書類を書き込むには、ちょっと邪魔だから捲って仕事をしよう。
詰め襟は鎖骨上で止められている。上着は特徴的な形でへそ下まである。スカート、の手前だろう。膝したまである前開きの布。その下はタイトスカート。
「私には事務職の制服よりも、魔術師の魔術衣に思えるのです」
「正解ですよ。当団は魔術騎士団ですからね。騎士と魔術師の両方の形を取り入れています。私のは魔術師より、アストラは騎士よりですが」
「あ、それ思ってました。街中で見かけた騎士様は、防具や鎧を身に着けていらっしゃいましたが、魔術騎士団の方々は割りと軽装で礼服に近い制服ですよね」
昨日パーネさんのところでパンの試食をする前に、街中をぶらついていた。珍しい果物を扱っているお店があって、おじさんと話し込んだのだ。
盛り上がるさなか、後方から女性の黄色い声が鳴り響いた。驚いて振り返ると。騎士団の見回り隊と叫ばれる男性たちが現れた。
おじさんが騎士団の色男たちだと教えてくれた。私的には、赤くて丸っこい酸味のある香りの果物の語りの方が断然面白かった。が、魔術騎士団に勤務する以上、街の人の声も知っておくべきだと涙を飲んだのだ。ほんとどうでも良い内容で、ふたりで空笑いを浮かべ、すぐに果物の特性に熱弁しあったのだけれど。
「変なことされなかったか?! 騎士団の見回り隊は仕組まれているからな」
「はっはぁ。すっごくキラキラしていて近寄り難かったので遠目でした。それに、素敵なお嬢さんたちに取り囲まれていらっしゃったので、私なんて目にとまっていないですよ」
アストラ様の意図が汲み取れなくて、首を傾けてしまう。仕組まれているとは。
王都の騎士様とはかくも煌びやかなのかと、びっくりした。それだけ。どちらかと言われなくても、お店のたくましくてあごひげが豊かなおじさんに見とれてしまった。がははと笑う姿があたたかくて、素敵だったなぁ。
果物の知識も豊富――専門分野の語りが深くて、まるで父様みたいだった。
「って、違う。制服です」
「うむ。何事もないなら良かった。声を掛けられたら、必ず俺の名前を出すんだぞ」
「アストラ、話がかみ合っていません。我々は騎士の腕に加え、魔術にも通じています。制服自体に練り込まれた防御魔法を、いざという時に発動可能なのです。さすがに戦場では防具を身につけますが」
なるほど。的外れなアストラ様はさておき。オクリース様の説明はとてもわかりやすかった。それにしても、衣服に魔力を込めるなんてすごい術式だ! 染料になのか、繊維自体になのか気になる。
ふむふむと頷いていると、ふいに静かになった。突然の沈黙に、瞬きを繰り返してしまう。
「失礼。つまり、ヴィッテの制服も魔術騎士団を象徴するものなので、多少慣れない形でも我慢してください」
「我慢なんて。少し気恥ずかしい部分はありますけど、着心地はとても良いです。それに、なんとなくですが、落ち着きます。オクリース様のお話を聞いたからの気のせいかもですけど」
気の持ちよう、なんだろうな。
思い込みの激しさに恥ずかしくなって、たははと苦笑を浮かべてしまう。
「ヴィッテの国にも魔術はあったのか?」
「はい。フィオーレほどではありませんが。宮廷魔術師様もいらっしゃいました。私の家系も、祖父の代までは術を発動出来るほど魔力があったと聞いています」
「ヴィッテ自身は術を発動出来ないということですか」
オクリース様の声が真剣味を帯びた。瞳も同じような色を纏っている。なのに、口の端がわずかにあがっているのに、喉が鳴った。
お付き合いは短いが、私なりにオクリース様を見てきた。あと、本能的に怯えた機会も多かったせいもあるだろう。
今のオクリース様の質問は、明らかに流れだけからではないと思えた。でも――。
「みたいです。父様も姉様も、魔力はさっぱり宿っていなかったみたいです。私は幼少の頃は結構良い線いっていたようですが、ある時期を境にさっぱりになったと聞いたことがあります」
「ある時期、ですか」
「尋ねても、両親や家人から詳しく教えて貰えなかったので、詳細は不明です。実際自分が魔術を使っていた記憶もないので、なんとも言えませんが……特筆するべきほどの能力がなかっただけだと思いますけれどね」
まっすぐ、オクリース様を見つめる。
ごくりと、オクリース様の喉が鳴った、ように見えた。私の錯覚だったのか、実際だったのか曖昧なくらい一瞬だった。もしかしたら、記憶がない自分に向けた呆れた笑いのせいかも知れない。ごめんなさい。
相手方にどんな意図があっても。私がオクリース様やアストラ様に、嘘をつく理由はない。疑惑の瞳に悲しむより、受け入れてもらえるように頑張るって決めたから。
「試すような言い方をして、すみませんでした。ヴィッテを傷つけるつもりは毛頭ありませんでしたが、怒らせたようならどんな謝罪もします」
「うむ。俺もだ。どうか距離だけは置かないでくれ」
えぇ?! 突然の謝罪に、挙動不審になってしまうじゃないですか! しかも、アストラ様には両手を握られている。そんな切なげな瞳で顔を覗き込まないでくださいよ! 片膝をついて見上げないで! 心の距離はともかく、物理的なものは置きたくなる!
えとえと。真摯にこたえたいとは思えど、視線が彷徨ってしまう。
「え?! いえ! えと、もちろん怒ってません!」
「けれど――」
「じゃあ、次からは私に関してお尋ねになりたい事項があれば、遠まわしでなく、直接的に聞いてください。約束です。私は、今更おふたりに隠す事情などありません。いえ、アストラ様とオクリース様には、嘘をつきたくないのです。むしろ、さらけだした私を嫌わないでくださいって、おふたりを掴みたいです!」
叫ぶように宣言する。見っとも無く真っ赤に染まっているのが、見えなくてもわかる。血が沸くほどに体が熱い。
勝手に。アストラ様にどきどきしているとか、オクリース様を兄様みたいに感じてるとか以外なら、正直に全部出しますから。心臓を爆発させないで!
「ここが仕事場でないのが恨めしい」
「ですよね! これから食事なのに、仕事の話なんて!」
「ちがーう! 己を抑える楔がないという意味だ」
両腕をあげて叫んだアストラ様。オクリース様も隣でヴィヌムを煽った。すきっ腹にはよくありませんよ、一気飲み。いえね。お土産なので口出し出来る品ではないのですが。私も口をつける。
私としては仕事場では気安く出来る話題でないと思うので、自宅で話せてよかったんだけどな。
「ひとまず、隣で着替えてきますね? 料理の仕上げで汚したくないので」
「あっあぁ。耳を塞いでおく。こっちの窓も開けておくな! ちょびひげ花精霊に水あげておく! むしろ外に出ているぞ!」
がたっと椅子を鳴らしたアストラ様。食卓に両手をついて耳まで染めていらっしゃる。
はて。狭い部屋で酸欠になってしまわれたのか。が、隣のオクリース様は、どっしり腰掛けたまま、ごくごくとヴィヌムを流し込んでいらっしゃるので違うんだろうな。ひとまず窓を開けておいた。夜の報せをくれる風に、髪がなびいた。気持ち良い。
「窓、開けておきますね。ちょっとは窮屈さが和らぐと思います」
「――っ! 余計に! 心臓がで、うなじがで、微笑みが! というか、寝室にカーテンじゃなくて、扉を!」
幸い。私が突っ込む前に、オクリース様がアストラ様の足を踏んだようだ。部屋用の靴なので硬さはないのが救いだろう。おふたりのために、昨日急いで用意した専用の室内靴だ。
寝室以外で靴を変えるのに戸惑いを覚えたのか。いや、ぴったりのサイズの靴が出されたのに気持ち悪がったのか。とにかく頬を強張らせたおふたりに弁明したのは数十分前。
スウィンさんに強請ってサイズを聞いて用意したのが、逆にまずかったかと項垂れた私の前。背を向けてしまわれたアストラ様とオクリース様。
謝った私を振り返ったおふたりの頬は、わずかに色づいていた気がした。気がした、というのはすぐさま髪をわしゃわしゃと掻き混ぜられたから、焼き付けるほどには至らなかったんだ。
『他のものにはしないように』
耳に優しい声を重ねられた注意に、私は訳もわからず頷いた。ただ、ありがとうと零された言葉が嬉しすぎて、幸せに蕩けた私は深い意図を汲めなかった。
そんな、思い出と呼ぶには新しい記憶に緩む頬を引き締めながら。いそいそと着替えてリビングに顔を出す。エプロンもつけて。壁から覗いた先には、机に突っ伏しているアストラ様と、窓際に立っているオクリース様がいらした。
「お待たせしてすみません。アストラ様、眠たいのであればベッドをお使いください」
「ばっ――! 飲む! 今日は存分に飲むぞ! ヴィッテの手料理をたらふく食べて、飲むのだ! おい、オクリース! 手伝うぞ!」
「はいはい。今日はとことん付き合いますよ」
飲むといいつつ。キッチンに立った私の両側に立ってくださったおふたり。
貴族、しかも高位の彼らが袖を捲って、下準備済みの食材に手を伸ばしたのに息を呑んだのは一瞬。あぁ、漂う空気とぬくもりを醸し出すおふたりが好きだなって思えた。
「ヴィッテ? 邪魔か? 今宵の礼には及ばずとも、招待への感謝を伝えたいのだが」
ぶんぶんと髪を舞わしてしまう。飾りを解いて降ろした髪は、頬をくすぐった。俯いた顔を隠してくれる横髪は、あっという間に取り除かれてしまう。両側から。
かすかに肌を掠める騎士の指先たちに、ぷくりと雫が膨らんだ。熱いものが人差し指に触れてしまったのだろう。アストラ様とオクリース様がぎょっと瞳を開いた。目元を掠った肌を、なくしたくないって贅沢に願う自分に驚いた。
「きっと、お二人が下さるこの空気が一番おいしい。私が用意した料理なんて比較にならないくらい」
くるりと身体を回転して、おふたりを見上げる。抱きつきたい衝動をおさえるため、ぎゅっと己の両手を握り締めた。
離れかけた指先を摘んでしまう。剣を握る騎士の割に、滑らかなおふたりの爪。えもいわれぬ切なさが喉元を落ちていった。
「人と肌を触れるのが――心を曝け出すのが嬉しいなんて、はじめて知りました。邪魔なんて有り得ません。お礼なんて。ただ、可能ならば、おふたりに触れるのを許してください。袖でも充分なのです……そして、差しでがましくも、いつかは心にと努めます」
生まれて初めて、自分から近づきたいと願った男性たち。男性というより、人というべきかも。
性別なんて関係ない。生まれ変わりたいと願った場所で希望の光をくださった最初のおふたり。
ただ伝えたい。感謝と、それとは違う淡くてほんわりした想いを。一杯だけ飲んだヴィヌムは予想以上に酔いを誘っていたらしい。ほわほわと、心が躍る。
けれど、その酔いを否定する気にはならなかった。ひたすら鼓動を包む幸福感に微笑むだけ。
「ヴィッテ。誓いの言霊ではなく。俺は俺の言葉で君に誓おう。一人の男、アストラとしてヴィッテ・アルファ・アクイラエを命の恩人として――唯一の女性として守る」
「私も、貴女に誓います。騎士としてではなく、魔術師としてでなく。アストラの一友人としての、オクリースとして感謝します。ヴィッテには不可解でしょうが」
命の恩人――好きだなって想うおふたりに騎士として跪かれ。私は閉口するしかない。
咄嗟に、私も木の床に座り込んでいた。両膝に拳をついて、熱い顔をまっすぐにおふたりに向ける。可愛くなく、口元を震わせて、息を呑んでいるけど。
「ごめんなさい。お酒入ったら見っとも無くなりそうだから。今ひとことだけ」
おふたりの奥、暗い部屋の中にある棚。そこに並んだ写真たち。見えないけど、視える。
あふれ出しそうな感情を、夜風を吸い込むことで誤魔化した。でも。この胸に浮かんだ想いは消したくないから。ぐっと、可愛くなく口の端をぐいっとあげる。
私だけを映してくださるおふたりに、瞳が潰れていく。
「私を見つけてくださって、ありがとうございます。これから、も。私と……世界を見て、くださると幸せ、です。アストラ様、オクリース様」
すぐ近くにある体温。食卓をともにしてくれる人たち。
驚きよりも幸せをくれるアストラ様とオクリース様に、私はただめいっぱいの幸せを浮かべて、微笑みかけた。
――司令官殿と参謀長殿、おまけの臨職な私 第Ⅰ部完――
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