行き倒れの謎と保証人の裏、絡み合う心
※主人公不在のためフォルマ主体の三人称で進みます。
――コツコツッカツン
つま先の丸い上品な装飾が施されたブーツが、最上級の大理石とぶつかる音だけが鳴っている。長い廊下の反響は心地よい。ハイヒールではないので、耳に痛くはない。
ぴんと伸びた背筋に、すっとあがった顎。迷いなく進む姿は、彼女の容姿をさらに気丈に色づけている。
すれ違う騎士がぽぅっと見とれるのも気に留めず。少女――フォルマは目的の部屋のみに意識を向けて足を進めていた。
時折、桃色混ざりのブロンドがふわりと風に踊る。が、華やかな雰囲気とは裏腹に、歩みを進めるごとにフォルマの心は沈んでいく。
「軽く引き受けた役目で、まさかこんなにも罪悪感を抱く羽目になるなんて」
舞い込んで来た花びらが、数時間前に出会ったばかりの少女と重なり、どうしようもない想いが胸を焦がしてくる。
思わず足が止まった。
握り締めた掌に、容赦なく食い込んでくる爪先。貴族の令嬢らしく整えられた部分が、今は痛々しく感じられて仕方が無い。
自分が信頼する二人が関与しなかった、今回の採用試験。特に司令官の当時の精神状態を考慮すると、そこに漬け込んできた貴族連中には腸が煮えくりかえる。
「宰相であるおじ様の王都不在やオクリース兄様が他の対応に追われているのをいいことに」
血縁関係にあるとはいえ、位を鑑みれば距離を置かれても仕方が無いのに。兄と敬愛する青年と彼の友人は、幼少の折からフォルマを可愛がってくれた。
だからこそ、今回、アストラの意志を無視して進められた採用試験の監督役を買って出たのだ。
「あの子――ヴィッテは、憂いを瞳に宿している割に、人を容易く信用しすぎるのよ」
どうしようもなく、泣きたくなった。
フィオーレにきて数日というヴィッテ。朝、状況説明をした際、ちらりと聞いた話では、彼女は天涯孤独というではないか。深くは尋ねられなかったが、表情から、なにかしらの苦労は汲み取れた。であるのに、自分を何かと守ってくれようとする彼女の純粋さに……。
いくらフォルマが貴族の令嬢にふさわしい、いやそれ以上の教育を施されているとはいえ、十代の少女だ。加えて、非情になりきれないあたたかい環境で育ってきた。自覚はある。けれど、違うのだとフォルマは麗しい瞼を伏せた。
「アストラ様がついてまわるのも、わかるわ。まったく。あれが意図的でないなんて性質が悪い。まさか監督側で、仕事面意外で罪悪感を抱かされるなんて思ってもいませんでしたわ。……いち友人としてあれたらなんて、思うなんて」
荘厳な扉を前に、フォルマは盛大に溜め息をついた。最上階にある司令官殿と参謀長殿の執務室ほどに人通りのない空間ならば問題ないだろう。
紅の瞳をあげ、フォルマは扉にはめ込まれた宝玉に掌を翳した。
****
「ウィオラケウス司令官、ウェルブム参謀長。フォルマ=グラーティア、参上いたしました」
「フォルマ、ご苦労だったな。ここにはだれもいないのだ、いつも通り呼んでくれ」
「ありがとうございます」
認証を受け開いた扉の先には、夕暮れの日差しを背に美形が二人佇んでいた。
橙色の夕焼けを背に、だだっ広い執務室にいる男性二人。ガラス窓に流れる雲は、見惚れる色を映していた。大理石の床に伸びる影が、やけに憂いを誘う。
入り口の左、上座には司令官であるアストラの執務机、窓際には参謀長であるオクリースの席がある。他には書類棚と、来客用の空間だ。シンプルながらも趣味の良い部屋の中には、穏やかな空気が流れている。
「クレメンテ殿たちは、契約通りご令嬢方を案内してくださいましたか?」
「えぇ、オクリース兄様。予定に入っていらした中で、レクトゥス様以外は」
「以外、とは?」
事務的に交わされる言葉。裾をあげ、軽く膝を落としたフォルマの仕草はなかったように扱われる。とはいえ、フォルマにとってはむしろ嬉しい反応だ。敬愛する騎士二人に信頼されている証でもある。
会話を促しつつも席を勧めてくる騎士たちに、頬が緩んでいく。と同時に、新しく出来た友人の姿が浮かび、きゅうっと胃が縮んだ。
「時間外に、ヴィッテ嬢が書庫の使用頻度が高い騎士との会話を望みましたの。クレメンテ様やご令嬢方への反応から、私欲ではないと断言できます。あくまで、執務処理のためと判断いたします。加えて、執務もかなりのレベルかと」
「……そうか」
「えぇ。騎士団の書類に目を通すのは初めてのことですが、応用力も高く、本日以降の書類の扱いにも気を回していた様子」
フォルマの報告に、アストラは一言だけ返してきた。
上質な椅子に背を沈め、両手を握り締めて息を吐いている。ちらりと、上質な黒い漆が塗られた執務机に置かれた書類に視線を流した。
フォルマの心はざわめいていた。一日、あくまでも受け身になりヴィッテを見てきた。が、彼女は今日まで仕事を進めてこなかったフォルマを責めるどころか、受け身の己を疎ましく思った様子さえなかった。
(かといって、自分の経験を鼻にかけ見下すのでもない)
ヴィッテが訪れる三日前のフォルマを探らず、事情を突っ込むのでもない。あくまでもフォルマの予想だが、貴族――あの状況から何かを読み取り、納得しているようだった。そして、ただ、ともに作業をこなす姿だけを受け入れてくれた。
「失礼を承知で伺います。ヴィッテはわたくしにとって今後の縁を繋ぎたいと願う女性です。アストラ様は何ゆえ、ヴィッテに拘るのでしょうか。『あの時』拾ったのであっても」
「フォルマ」
オクリースの咎める声色にも、フォルマはひるまない。ただ、じっとアストラを見つめるのみ。
ヴィッテを付けまわしていた昼間のアストラとは異なり、威圧感を纏う司令官殿の姿がある。組んでいた両手がゆっくりとほどけていき、額に当てられた。が、口を開いたのは、オクリースだった。
「フォルマも承知しているでしょう。アストラは、最近姪を亡くしています。戦地で死神と呼ばれたアストラは、人の生死に絶望していたのです。それを救ったのが、病魔に蝕まれながらも生きていた姪の存在でした」
「オクリース、いい。フォルマには数日前までの俺の尻拭いをしてもらっているのだ。俺の口から説明すべきだろう」
「尻拭いなどとは考えておりません。わたくしはただ、頭の回転は良いくせに……事情がありそうなのに無防備で、年上なのに愛らしい、友人が利用されるのがたまらないのです。けれど、わたくしにとってアストラ様はもちろん、オクリース兄様も大切な方です。ですから、きちんとお話頂きたいのです」
正直、呆れた溜め息のひとつでも落とされると、フォルマは構えていた。が、アストラとオクリースの口元は、わずかながら緩んでいた。他の者なら気付かなかった変化だ。苦笑とも取れるかもしれない笑みは、くつくつとした確かな声に変化していく。
最後には、アストラなど「そうだろ、そうだろ。ヴィッテは可愛いよな」と司令官の仮面を脱ぎ捨てた、だらしない笑みを浮かべる始末。
「フォルマが危惧しているのは、最終日のみなのに再募集を行ったのも、ヴィッテの身元保証人になったのも、彼女を監視下に置いておくための企みだと考えたからだろ」
「アストラの依存状態や、監視もありますが――」
「オクリースは黙ってろ。妹のように可愛がっているフォルマの前で口数が多くなるのはわかるが、話がこじれる」
苦笑を向けられたオクリースは無表情のままだ。フォルマにとっては、このオクリースの方が逆に表情豊かに思える。仕草や呼吸などが、はっきりと見えるから。
反論しなかったということは、アストラの注意に素直に従ったのだろう。アストラの前に広げられていた書類を、優雅な仕草でフォルマに手渡してきた。
「案ずるな。あの件が君の耳に入ってしまったのはうかつだったとしか言えないが。まぁ、ヴィッテの友人になってくれると言うなら、伝えておくべきかと、今は思うぞ」
「これ、は?」
「まずこれだけは、前置きとして告げておく。極限状態にあった俺が、生きたいと強く願ったヴィッテを拾ったのは、慈善や純粋な庇護欲だけでなかったのは言い訳しようがない」
そう。姪が死の間際に漏らした願いは、おそらく本人が考えているよりずっとアストラの芯をえぐった。
勝利はおさめたものの絶望に落とされた戦場から戻り、新設の魔術騎士団の司令官を任されたアストラに、以前の彼の面影はなかった。
フォルマが領地に戻らず、王都に滞在をし続けているのは、そんなアストラや参謀に任命されたオクリースを心配したからこそなのだ。
「アストラ様がヴィッテを人形として扱わないのは百も承知しております」
「ありがとな。彼女を人形になどするつもりはない。俺が一方的に救われた。それが、拾った時点では、ヴィッテという個人でなくともな」
「しかしながら、あの時ヴィッテを抱き上げた時に抱いた違和感は、一体なんだったのでしょうか。アストラはまだしも、私も記憶をさかのぼれないなど」
「オクリースは、一言多いのだ。さておき。フォルマは……だからこそ、俺が拾った少女というだけでオクリースや家人が気遣ったと思うか?」
真っ直ぐに向けられるアストラのまなざし。フォルマの手元の紙に皺が寄っていく。フォルマは、アストラから視線を逸らさない。
彼が口にしたのは真実だろう。あんな状態だった主の瞳に色を取り戻させたのだ。個という認識でなくとも、それだけで彼らが心を寄せる価値はある。ヴィッテ個人ではなく、主を救ってくれた少女に対する感情。
けれども、とフォルマは微笑む。
「きっかけは、確かにヴィッテ自身というよりも、主を救ってくれた存在、をもてなしていたのでしょうね」
「私も異論はありません」
「うむ」
ヴィッテの性格を考えると、親切に恐縮しつつも嬉しく感じていたのは予想に難くない。かといって、真相を知ったところで、そうですよねと微笑む様も手に取るようにわかる。それほど、ヴィッテという少女はアンバランスな純粋さを持っている。
「けれど、わたくし自身、一日接していただけでもわかります。身の上の詳細は知りません。ということは、それを差し引いてもヴィッテという少女を見守りたいからこそ、芽生えた心があっての向き合いだと確信しております」
凛とした瞳がアストラとオクリースを射抜いた。若干の苛立ちを伴った視線に、男性二人は、わずかながらにもたじろいでしまう。
フォルマは芯が強いながらにも、男性をたてる淑女である。が、意思がないわけではない。どちらかと言わなくとも、賢く正義感の強い少女だ。
「試すような真似もいい加減になさいませ。わたくし、アストラ様やオクリース兄様が偽りの気持ちを向けているか否かくらいは、判断できましてよ。ヴィッテに事の顛末全て、ぶちまけてさしあげましょうか」
「え!? そっそれは、勘弁願いたいぞ! ヴィッテに嫌われると想像しただけで辛い! 近いうちに手料理も馳走になるんだからな!」
「ならば、柄にもあわない算段はおやめなさいませ。オクリース兄様個人の策ならともかく。なにより、わたくし、ヴィッテと直接接触しているのです。わからないわけがないでしょう!」
声量はなんとか抑えられた。肩で呼吸をしているのはともかく。
ぎんと、死神の鎌よりも鋭いフォルマの目つき。オクリースは軽く「そうですよね」と肩を竦めているが、アストラは顔面を蒼白にして汗を飛ばしている。
フェミニスト度で言えば、間違いなくアストラの方が高い。ましてや、妹のように可愛く思っているフォルマに真正面から睨まれたのだ。
嬉しさがフォルマを包む反面。やはり、書類の内容は気になる。
「とはいっても、これは……」
「不自然でしょう?」
「山道に現れた賊退治に関する報告書、ですけれど。こちらの書類は演習、こちらには……極秘の印ですか」
フォルマが掲げた右の書類には、魔術騎士団が山道に派遣されたのは、あくまでも頻発している賊に対する牽制を兼ねた演習と記されている。
左の書類には、大きくマル秘と朱色の押印がなされていた。
途端に部屋に満ちた重々しい空気。
「極秘にするほど、隠しきれる情報でもありません。冷静に考えれば、不可解な点だらけですから」
「あぁ。姪が息を引き取ったあの日、俺たちは王命にて精鋭のみで山道へ向かった。そこでまず発見したの、山賊に金品を奪われる際に殺められたであろう遺体と……裂かれたような山賊の死体だった」
「行き着いた砦にいた賊は、ただ震え怯えていただけでした。そして、何がきかっけになったのか、全員喉を搔き切って命を絶ってしまったのです。あれは……相当な魔力にあてられていたのでしょう」
ごくりと、フォルマの喉が鈍く鳴る。
脳裏に浮かんだ考えを拒否しようとするも、あらゆる可能性が駆け巡って纏まりなどない。
そんな状況でヴィッテは生き延びた。手元の書類を目の当たりにするまでは、彼女が助かったという事実にだけ気を取られていた。大切な人を救った奇跡だと。
だが、現実は決して甘くない。襲撃前に逃亡をはかっていたなら別だ。単純に考えて、助かったのなら相応の理由があるはずなのだ。
「ヴィッテは、その唯一の生存者なのですね?」
「あぁ。離れた場所で発見したが、ヴィッテ自身の話から間違いないだろう。だが、ヴィッテは無我夢中で逃げたというし、偽りはなさそうなんだ。ヴィッテが嘘を吐いていないのは、俺が保証しよう。これでも人を見る目は養っているつもりだ」
「実際、行き倒れているヴィッテを発見した際、脅威となるどころか魔力の欠片も感知できませんでしたからね。彼女の故郷での経歴を調査しても、これといった情報は得られませんでした」
フォルマは書類を整える振りをして、破裂しそうな心臓を鎮めるのに必死だった。
あの無害そうな少女が、アストラやオクリースを欺く演技をしているとは考え難い。ともなれば、ヴィッテ自身が己の能力に気がついていない可能性の方が高い。
「まっ。王と宰相に報告しないわけにはいかないからな。そういう経緯もあって、ヴィッテが目覚める前には俺が保証人になることが決まったのもある。かといって、後悔はしてないし、ましてや微塵にも負担には思っていない。俺があの子に惹かれているのだ」
話を締めくくったのは、これ以上話を続ける気はないという意思表示だ。情報量はともかく、フォルマに話せるのはここまでという意味だ。
フォルマに不満はない。惹かれていると口にしたアストラは、言葉以上の感情を抱いているように見えたから。雲を浮かべた夕焼け。色を混ぜている空よりも綺麗に目元が染まっているアストラ。
オクリースも、色こそ変えないものの、纏う空気は明らかに綻んでいる。
「アストラのは執着と言うべきでしょうね。今日も、何度も執務室を抜け出して、魔法を使う、プレッシャーをかける、覗き見をするという」
オクリースが額を押さえて、小さく頭を振った。フォルマの頭には爆発した煙が浮かぶ。
アストラといえば、口の端を落として椅子の背にへばりついた。
「うっ。だって、心配だったんだもん! ヴィッテが令嬢たちの標的になってないか! ヴィッテは我慢するタイプだし。もう、全身可愛いだろ! 可愛いくせに自己評価が低すぎる! 昼食の際も騎士はヴィッテとフォルマをいかがわしい目で見ていたぞ。指導のしなおしだ!」
「ヴィッテだけ、気がついてませんでしたけれどね」
がらりと変わった雰囲気。肩に軽く触れてきたオクリースに、フォルマは朗らかな笑みを返す。
執務机に突っ伏し悶えているアストラ。なにやらぶつくさ、ヴィッテについて語り始めたのだ。フォルマは小さく笑うしかなかった。




