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司令官殿と参謀長殿、おまけの臨職な私  作者: 笠岡もこ
―フィオーレの街編―
25/99

年下の騎士様と雄たけびの予兆、瞬く私

「うぅ。換気したい……」

「ヴィッテ、大丈夫?」

「うん、へたっててごめんね。もうちょっとだしね」


 思わず漏れてしまった情けない声。深呼吸しようにも、逆効果なのだ。

 フォルマが小さく煽いでくれるのに、へらりとしか笑い返せない。

 狭い書庫兼資料室には、許容以上の人数がいる。元々書類の棚が所狭しと置かれた場所に、大きな作業机が置かれている環境だ。必然と、人が増えれば呼吸もし辛くなる。ここは化粧室だったっけ?


「なんだって、ここで化粧直しなんてするかなぁ。出て行ってくださいとも意見出来ない私も私だけど」

「仕方が無いわよ。先ほど騎士様に、時間内は極力部屋を出ないようにと注意されてしまったのだもの。お願いしても、もうすぐ終わりなのにと声を荒げられてしまうだけだわ」

「だね。つまりは私たちに残された作業時間も少ないって意味だから、遮られても困るし」


 ふぅと、二人お揃いの溜め息が落ちた。

 机の向こう岸や通路に広がっているのは、ご令嬢方とお付の方々だ。ちょっと前まで書類が並べられていた部分には、見事な飾り纏った化粧箱が並べられている。一番豪華なのは、言わずもがなカナリー様のだろう。ふんだんにあしらわれたレース以外にも、ごてごてと宝石がはめ込まれている。見たところ、実際に化粧道具を収納している化粧箱を、さらに入れてきた箱のようだ。ひとつだけ、自分好みのもあった。

 つまりは、所持品ひとつでも差を見せ付けて、ランク付けをしているのだろう。


「今回のお給料はガラスコップを買うのに使うけど、ちゃんとお仕事が決まったら、私も化粧箱――化粧道具、買おうかな」


 ぽつりと漏れた独り言は、アストラ様やオクリース様と並んでも、恥ずかしい思いをさせないようにという気持ちから。

 いや、違うか。私が恥ずかしいって思いたくないのかな。

 どっちだろう。お二人を言い訳にしてるのかな。そもそも、お二人に次回会うとすれば、我が家に料理を食べに来て頂くお礼でだ。目にする人などいない。


「あら。ヴィッテはそのままでもとても可愛いのに。けれど、口紅ひとつで一層華やぎそうだわ。そうだ、今度ぜひわたくしにお化粧をほどこさせて?」

「そっそうかな、そうだと嬉しいけど」


 体をぐいっと近づけて、両頬を掴んできたフォルマ。おぉぉ、美少女の麗しいご尊顔が目の前に! 良い香りもふわりと漂う。けれど、柔らかい口調とは異なり、表情は小悪魔風だ。

 可愛いも華やかになるも、次回会う約束が増えたかもしれないのも、ものすごく幸せ。前者はお世辞だとしても。だが、しかし。お願いしますとは口に出来ず、喜びだけを伝えるのがやっとである。

 すると、フォルマは例の有無を言わせない彫刻のごとく、整った完璧な笑みを浮かべた。


「どうぞよろしくお願いいたしますです」

「えぇ、こちらこそ」

「って、フォルマ! 時間ないんだったよ! 超高速で作業しよう!」


 わかった。本能レベルがやっと理性まであがってきた。

 性別こそ違えど、フォルマが時折浮かべる完璧な笑い方は――我を頷きへ導きし微笑みと呼ぼう――オクリース様に似ているんだ。

 フォルマが向けてくれる大方の笑みは、愛らしかったり優しい苦笑だったりと、表情が豊かで、少女特有のものだ。花が舞うというか。

 静かな微笑みにやんわりと色を浮かべる、せせらぎみたいなオクリース様の物とは、似ても似つかない。

 なんだけど、ねぇ。


「まさか、同じ凶器を持つ方に、連日で出会うとは……」


 幸い。冷や汗混じりの呟きは、ご令嬢方の激しい化粧指示によって掻き消された。ふふっと、楽しげに笑いを零したフォルマには届かなかったようだ。ふぅ。

 さて、気合を入れなおして頑張ろう。手元の書類の束に視線を戻す。かなり分類綺麗にわけられたと思う。隣のフォルマは、リングファイルに収納する分の大分類背表紙を書いてくれている。綺麗な字。


「リングのついたファイルと、間に書類を挟むだけのもの。どっちにしようか。私は前者のが使いやすいんだけど、使用頻度や用途によっては後者が良いと思うんだよね」

「そうすると、わたくしたちだけの判断では難しいわね。どうしましょう。どちらか一方に統一してしまう?」


 ペンを止めたフォルマが、両方のファイルを手に取り掲げて見せた。

 どうしたものか。どちらか一方にした場合、今後、は大げさだが、近いうちに見直しがある可能性は低い。

 今回の募集から人が雇われる可能性はゼロに近いと推測可能だ。ご令嬢方は昼食の際、経過を報告していないと言っていたが、採用に付随しての作業において、それは有り得ないんじゃないかな。


「監視か業務後にチェック入れてるのが普通だよね」


 職業斡旋所しょくぎょうあっせんじょの所長さんたちいわく、人選からして失敗したらしい。というか、何かしらの利害関係が絡んだというニュアンスだった。

 ならば、今回の採用試験自体がなかったことになる可能性は大だ。


「どちらかにして、メモを残そうか……」

「メモ、ですの?」


 フォルマが手近にあった紙と自分のペンを口元にあてて、首を傾げた。ここに騎士様がいなくて良かった。内心の考えとは裏腹に、全力で安堵の息を吐かざるを得ない。

 受け取ったペンを誤魔化し気味に紙に走らせる。おぉ?! すっごい滑りが良いよ、このペン!

 ペンの書き心地はともかく。採用に繋げるのには結果が全てであっても、フォルマと私でこなした作業だって、初日から行っていればもっと早く終わったり、より精密度の高い処理が出来たりだしね。


「あー、うん。特に」

「ヴィッテ、うんじゃないわよね?」


 一人生活が長いと呟きも音になってしまうらしい。

 誤魔化した私を、フォルマが覗き込んできた。

 そもそも。やはり、所長さんたちからの評判からして、魔術騎士団の司令官殿と参謀長殿が野放し、縁故採用をするとは思えない。まぁ、あくまで勝手な想像だけど。


「書庫に保管しておくより、事務方や司令官殿の部屋に保管して、すぐ確認が取れる状況にしておいた方が手間省ける書類があるかなって。っていうか、全員に向けての書類じゃないのも混ざっている気がして」

「本来であれば、司令官殿や参謀長殿が手元においておくべき書類があるんですの?」

「おいておくべきかまでは、私には判断つかないけれど、便利かなっていうのはあるかな。とは言っても、執務室の現状も不明だし。司令官殿はともかく、実際ここを頻繁に使用される騎士様のお話が伺えれば、一番良いんだろうけどね」


 今更願っても仕方がないのだが、作業の占め部分に辿り着くと、尚更考えずにはいられなかった。試験を兼ねているとはいえ、監督役や責任者が一人同席していても良いと思う。能力を見たいにしても、進んで指示をせず確認された事項にのみ答えればいいだけじゃないのかなぁ。

 書類整理を進める節目ごとに抱いていた感想だ。


「まぁ、司令官殿とお会いしたいなんて、庶民風情が」

「ここに来て本性が出ましたのね。あたくしたちの美しさに磨きがかかっていくのに、嫉妬でもしたのですわよ」


 いやいや、なんでそう変換されるのだ。ともかくって明言しましたよね、私。

 面倒臭いなぁ。メモ用紙に添えていた指に力が入ってしまう。疲労がたまってきたせいか、夕刻までは我慢できていた突拍子も無い発言にも、髪を掻きむしりたくなった。

 ふいに目があったのは、作業はさみが楽しくなってきたと言いかけたご令嬢だった。彼女は唯一、書類棚に接近していない窓際にいる。顎までの長い前髪を梳かれながらも、深い翠色の瞳が物言いたげに向けられている、気がした。


「ヴィッテ?」

「ん、ごめん。なんでもない、忘れて?」


 はっと思い直す。まるで初日から作業しているフォルマに嫌味を投げたように捉えられてしまったのでは。

 途端、後悔が押し寄せてきた。同席は無理でも、話だけ伺っていればみたいな意図だったんだ。

 慌てて書類の束に指を走らせる。大方並び替えも終わっているけれど、時間のある限り中身を吟味して並び替えたい。


「ヴィッテ、わたくしに考えを聞かせて? それとも、ヴィッテも騎士様とごえ――いええ、お話する機会が欲しいの?」

「うっ……黙ってたとか、嫌味になってたらごめん。初日から参加してない私が口を挟むのはどうかと思って。あのね。もし、だけど。これがあと数日、ううん、明日まで猶予があれば、話合いは無理でも、こちらから質問事項をまとめて紙面で提出していれば、多少なりとも活かせる情報はもらえたのかなって思っちゃったんだ。ごめんね」


 いくらフォルマが素敵なレディとはいえ、出会って数時間の仲だ。私は人にぐいっと近づきすぎる帰来がある。なので、不信な目を向けられても裏切られたと傷つくほど自覚がないわけではない。

 しかしながら、口下手さゆえに相手に不信感を抱かせたり傷つけたりならば、申し訳なさ過ぎる。


「わたくしこそ……ヴィッテに謝らなければ」

「へ? フォルマが? なんで?」


 いやいや。最初の苦笑と言葉こそ気になれど。フォルマはずっと協力的というか、新参者の私の提案にも耳を貸してくれていた。何を謝ることがあるのだろう。

 静かに見つめ返すつもりが、意図せず唸っていたようだ。フォルマが眉を垂らした。


「いいえ、なんでもないの。残り時間も、あと数十分だわ。頑張りましょう」

「うん!」


 ブラウスの袖をまくって両腕を上げてみせる。暑いのもある。が、上着はとうの昔に脱ぎ捨てている。というと言い方が悪いが、椅子の背もたれにかけてある。

 フォルマの翳りが深まったのは見ないふりをして、金具のリングに書類を通していった。



*****



「失礼いたします。クレメンテです。お嬢様方をお迎えに参りました」

「お待ちしておりましたわ、クレメンテ様!」


 なんてこった。あともう少しという所で、時間切れになってしまった。重いノックが室内に響いた瞬間、がくりと肩が落ちてしまった。と同時に、残酷な時を告げる音が室内に響き渡った。

 窓の外に広がる空は、まだわずかに明るい。昨日もだったけど、どうやらフィオーレは私の故郷よりも日が暮れるのが遅いみたい。


「お嬢様方、準備は――」

「はい、ちょうど今終えたところでございます」

「本日はどなた様のお屋敷にお邪魔させて頂けるのかしら。このような身なりで、失礼かと存じますけれど、とても胸が躍って……」


 入り口からクレメンテ様の声が届くや否や。ご令嬢方が今日始めて見るすばやさで腰をあげた。ちなみにお付の皆さんはもういらっしゃらない。

 とはいえ、自分から駆け寄るのはよろしくないとは思ったのか。腰をあげつつも両手を握って、入室してきたクレメンテ様たち騎士に熱い視線を送った。見事である。


「レディ。先に仕事の報告をお願い出来ますでしょうか」

「それが……最終日のみいらっしゃったヴィッテ、様が食事会を辞退して仕事を全うしたいとおっしゃるのです」


 めちゃくちゃ嫌そうですね、様付け。

 それはともかく。すいっと流し目を向けられた私に視線が集中した。クレメンテ様の後ろの騎士様数人は興味深そう、というか面白い玩具を見る目を向けてくる。クレメンテ様が食事会の主催者なのだろうか。ならば、ちょっと不満げな口元も頷ける。


「クレメンテ様、申しわけございません。無理は承知で、もう少しお時間を頂けますでしょうか。もちろん、食事会は辞退いたしますので」

「ヴィッテ嬢は我ら騎士と言を交わすのに、ためらいがおありで?」


 なんでそうなる。

 すみません、外聞もなんのその。あからさまに頬が引きつってしまった自覚はある。そもそも、それって女性全員が騎士とお近づきになりたい前提じゃないか? 私、フィオーレには馴染みたいとは切に願うが、そこまで不特定多数と関係を築けるほど人間、出来ていない。

 仕事したいというお願いが、騎士と話をしたくないに繋がる理由がわかりません。私には。


「そう、ですね。書庫の使用頻度が高い騎士様はいらっしゃいますか?」

「はい、僕は入団間もない見習騎士ですが、主に書類面を担当させて頂いています、レクトゥスです」


 大柄な騎士様たちの影から出てきたのは、小柄な幼さの残る少年だった。私より年下、十代前半な印象だ。

 先輩騎士に誘われたのだろうか。短い黒い髪にぱっちりとした瞳の少年は、直立不動だ。弟がいたら、こんな感じかな。ほっこりとした、あたたかさが胸にこみ上げてくる。


「もし可能なら、少しでいいのでお時間を頂けますか?」

「え、はい、僕ですか?」


 レクトゥス君はぱくちりと瞬きを繰り返した。はい、と頷くとみるみる間に真っ赤に染まっていく。真っ赤成分の三分の二はふんわりと微笑んだフォルマのせい。罪だよ、フォルマってば。

 だぼつき感のある騎士服をしきりに指先でいじっているレクトゥス君。


「無理でしょうか。出来れば、纏めた書類分類の中で使用頻度だけでも教えて下さると、心残りなく仕事を終えられるのですけど」

「わたくしからもお願い申し上げます」


 周囲の騎士様数名や、部屋の外にちらりと見えた人影はともかく。年若い騎士なら、ご令嬢みたく華やかな女性と触れ合うのは初めてかも知れない。今日の食事会を楽しみにしていた可能性もある。

 ちょっとでも渋られれば、強引に強請る気はない。


「かしこまりました。僕でよろしければ、いくらでも! あの、クレメンテ様、僕――いえ、本日延長勤務をお願いします」

「むっ」

「クレメンテ様」


 躊躇ちゅうちょしたのは、本人ではなくクレメンテ様だった。この中ではクレメンテ様が最上位の騎士と容易く想像出来た。

 少年騎士自身は、顔を輝かせて引き受けてくれた。うん、わかるよ! 若輩ながらに頼られた嬉しさは!

 フォルマの念を押す強い口調を前に、クレメンテ様は額を押さえた。


「許可する。本来ならば、私がヴィッテ嬢の側で相談に乗りたいところですが」


 あのですな。クレメンテ様はいちいち誤解を招く、というか恨みを買うような言い回しはやめて頂きたい。真摯なご好意は嬉しいが、貴族や騎士様特有の社交辞令は返しに迷う。

 姉様ならきっとうまく交わしつつ、ほんのりと思わせぶりな返しが可能なんだろうな。

 いかんです。私は私。よしんば、つくろえたとしてすぐにばれるんだ。意味ない。


「ささ。クレメンテ様、参りましょう。わたくし、クレメンテ様が好まれるヴィヌム、知りたいのです」


 カナリー様はクレメンテ様の腕に絡み、豊満に盛り上がった胸を押し当てた。他のご令嬢も同様に、思い思いの騎士様に絡みながら部屋を去っていく。フォルマとレクトゥス君の三人は、呆然と騒がしさを見送った。


「わたくし、ウィオラケウス司令官とウェルブム参謀長に報告してくるわ」

「え? ご令嬢方の標的、もといご希望だったお二人は食事会に行ってるんじゃないの?」

「まさか。諸事情があって、今回の人選は外部の色が入ったけれど。お二人は公式な執務ならともかく、くだらない食事会に足を運んだりしないわ。ましてや、ヴィッテが――」


 きょとんと、数度、瞼が弾んだ。

 それは、フォルマがにんまりと妖しく、それでいてふっと鼻から空気が抜けるような笑い方だったから。経験から、私自身に向けられたものと違うのはわかるけど。

 隣のレクトゥス君を横目に入れるが、きらきらと輝きを散らしたまま「かしこまりました!」と敬礼をしている。


「あら、わたくしったら。戻るまで休憩していて? ついでに夜食をお願いしてくるわ。それと」


 夜食! 嬉しい! 追加料金を払ってでも、美味しいものにはありつきたい。がまぐち財布にいくらかは入っているはずだ。

 ごくりと鳴った喉を見ていたのかもしれない。フォルマがくすりと、曖昧な笑みを口の端に乗せた。が、ただちにきゅっと口を結ぶ。


「フォルマ? ありがと」

「ううん。戻ったら、わたくし、ヴィッテに謝らないと。わたくしの事情も、ヴィッテを試すような目で見ていたことも」


 たっぷりの時間――この一時間近かったかもしれない後。私はフォルマの謝罪とは別の理由で雄たけびを上げることになる。ちなみに、一度目――ひとり目は絶叫、二人目ともなれば声にならない叫びを。



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