怪奇現象再びとご令嬢方の会話、胸をはる私
「あっ、フォルマもヴィッテも休憩終わっちゃう?」
「トルテ。ううん。まだ休憩時間はあるから、裏庭あたりを散歩して眠気を覚ましておこうかなって」
カウンターに食器を戻し、食堂を出ようとしたところ。元気な声が背中を叩いてきた。トルテも仕事が終わりなのか休憩時間なのだろうか。可愛らしいレースのエプロンは外されている。
シンプルで上品な薄紫色のワンピースが、長身ですらっとしている彼女にとても似合っている。
三人並ぶと、身長が階段みたい。
「裏庭ってあたりが、二人らしい。わたしも今から休憩なんだ。一緒していい?」
「もちろんですわ」
はて。らしいと苦笑されるほど、性格が滲み出ていただろうか。
きょとんと間抜け面になっていたようだ。トルテは、からからと笑い声をたてながら、頬を突っついてきた。結構痛いけど、嫌ではない。
「だってさ。裏庭って強面の老年騎士様ことゾイ様のエリアなの。可愛い花壇がね、あるとこ」
「うん、さっき二人組みの騎士様が、散歩に誘ってくださったんだよね。ただ、フォルマがそっちに行きますけれどって微笑んだら、すごい汗だくになって去っていかれたんだよ。去り際に、騎士には禁断のエリアだって漏らしているの聞こえてきた」
「そそ。ゾイ様は優しくて素敵な渋い方なんだけどさぁ。何度か騎士様たちがあそこをナンパの手段に使用したもんだからね。立入禁止、発令。見て愛でる分には、全然問題ないよ。口下手ながらに、丁寧に花の説明もしてくださるんだよねー」
なるほど。それで男女のペアで近づくのは控えているのか。
それにしても、騎士様も男ですな。
フォルマみたいな美少女は滅多にいないし、縁を作りたい気持ちはわかる。それを上回るゾイ様、かっこいい。トルテだって美人さんだけど、料理長の父様が同じ職場にいるんだから声もかけづらいだろうしね。すでに恋人だっている可能性もある。
おぉぉ。恋バナだ! 話っていっても、私の脳内妄想だが。さすがに出会たばかりで、ずけずけとは尋ねられない。
「それで、裏庭って聞いた途端、一目散に逃げていったんだね。それって下心満載じゃない。危なかったね、フォルマ。帰るまで、私がしっかり守ってあげるから!」
「ヴィッテったら。わたくしの方がひとつ下だけれど……わたくしの方が守ってあげたいくらい」
「大丈夫! 無愛想に思われるのは慣れてるし! まかせてよ。ヴィッテお姉さんって呼んでもいいよ!」
末っ子な私。親友は五人兄弟の長女なのもあり、しっかり者だった。ひとつだけの差とは言え、守ってあげたくなる存在に胸が躍っている。それも可憐な儚さ漂う美少女である。
一歩前から振り返っている二人に、どんと得意げに胸を叩いてみせる。ふふん。って、うん? なんか、今、上から「かっ可愛い」とか震え声が聞こえてきたような。見上げると、二階の窓が開いていた。人影はない。頭を横に倒したのと同時、ぼこんて音と共にわずかな煙が出てきた。
「あら、まぁ。あれはお仕置きコースですわね」
「さっきから思ってたけど、あの方、一体なにしてる訳? ストーカーなの?」
「色々ご事情があるみたいで」
お仕置きコース?! すみません、早速フォルマを盗み見している輩を見逃してしまったからだろうか!
うん? でも、あの方ってことは私じゃないのかな。あわわと動揺して頭を抱えた私をよそに、二人は上を見上げている。
「あれ、騎士様たちが声かけてきた時も、見てる人たちにもすんごいプレッシャーかけてたよね? 仕事、いいのかな」
「うふふ。あの方のことですもの、大丈夫ですわ。ただ、目を盗んでついて来ているのは、別の方に咎められるでしょうけれど」
なんだろう。二人は通じているみたいだ。私は置いてけぼりである。
とっとりあえず、謝っておこう!
「ごごご、ごめんね! 調子に乗りすぎましたです! おおおお仕置きって、なんでございましょうか!」
「あははっ、なにその口調!」
「あら、ごめんなさい。ヴィッテではないの。仕事が終わったら、話せると思うわ。わたくし、身内に年の近いお姉様がいないので、嬉しかったわ」
「本当? ふぅ、よかったぁ」
がたがたと小刻みに震えている私は、かなり奇妙で愉快だったようだ。トルテはお腹を抱えて爆笑、フォルマはきゅっと手を握ってくれた。フォルマの手は小さくて、でも包容力があって、とてもあたたかい。
そのまま「行きましょう」と手を引かれて、足を進める。
「あ、クレメンテ様だ――」
「進路変更しましょう」
フォルマから出た力とは思えないくらい、強く引かれ。クレメンテ様がこちらに気付く前に、壁に潜りこんでいた。
確かに。クレメンテ様は苦手ではないのだけれど、少々口数が多い。言い方が悪いけど、つかまったら休憩時間が終わってしまいそうだもんね。
「とと、今度はご令嬢方?」
「ほんとだー。ってか、すごいねぇ。騎士団の中で付き人にパラソル持たせて、きらきら敷物にクッションでお茶会なんて光景、目にする日がくるなんて思わなかった」
裏庭とは反対方向に来てしまったらしい。
飛び出しそうになった壁に引っ込み、ご令嬢方の様子にぽかんと口を開け放ってしまう。お昼ではなく、アフタヌーンティーに見えるのは私の視覚に問題があるからだろうか。残りの時間に食べられる量とペースには見えないのも引っかかる。
「――れで、よろしいのでしょうか」
ご令嬢の中で、一番大人しそうな女性が、おずおずと口を開いた。風に流されそうな音量だが、横顔からも感情の種類はある程度予想はつく。
うふふ、おほほという笑い声が、彼女の発言によってぴたりと止んだ。かたまった空気に、また発信源の彼女は身を縮める。
「よろしいとは?」
「いえ、あの。フォルマ嬢とヴィ――あの娘お二人だけで仕事をすすめているので。その、よろしいのかと。あの! おかしな意味ではなく……そうです! あの庶民があることないこと告げ口するのではないかという危惧から!」
出た、庶民呼ばわり。あのご令嬢、仕事しましょうよと、ボスことカナリー嬢に遠まわしながらも苦言をていするくらいだから、完全なる悪意はないのだろうけれど。だしにされるのはあまり気分が良いものではないなぁ。
私が溜め息を落とす間にも、ご令嬢方の空気が凍り付いていく。
「経過を報告しておりませんもの。本日の朝までの作業が、あたくしどもでは精一杯だったと申せば、それまでです。いっそこと、先日までいたあの感じの悪い没落男爵家の娘と庶民がと濁しておけばよろしいのよ」
「さっさすがですわ! 思慮が足りておりませんでした。ささ、お茶に戻りましょう。当家の隣の領地にある男爵家のご長男が――」
立ち聞きはよくないのだけれど。どうにも、あちら側にも事情というか……力関係があるらしい。家絡みなんだろうな。発言に偏りを出さないために家名を伏せているはずだが。
各領地から来ているのであっても、あの雰囲気じゃ初日早々に吐かされていても、ちっとも不思議じゃない。
フォルマとトルテ、それに私は顔を見合わせて、似たような溜め息を落とした。
*****
「保存だけが必要な書類は、この束で最後かな」
「えぇ。これは箱に入れて保存でいいのかしら」
「うん。箱の上部と正面に、書類の年代と具体的な種類を書いておけば、必要になった際も探しやすいかな」
よいしょっと、と掛け声を共に大きな箱を持ち上げる。お嬢様らしからぬ様子で一緒に床に座込み、書類を詰めていたフォルマに愛らしく笑われてしまったのはご愛嬌。
今回は指示通りではなく、自分たちで考えての書類整理だ。万が一、使用頻度が高いものが混入していても、探せると思う。念のため、簡単にだが保存のみ必要と判断した分類もリスト化した。後日必要性が判明しても、よほどでない限り問題はないだろう。
「あぁ、疲れましたわ」
「本当。あたくし刺繍は得意ですけれど、はさみなんて物騒な道具を使用するなんて……」
「わたくしは、少し楽しくなってき――いえ、失礼しました! 指が痛くなってまいりました」
おっ。反対側にいるご令嬢グループの一人が、子どもみたいな笑顔ではさみを鳴らした、のだけれど……カナリー様に睨まれ、私に見せつけるようにはさみを振った。昼食の際、おずおずと意見を口にしていたご令嬢だ。
不可抗力ながらも耳にしてしまった後では、なんだか憎めない。かといって、仕事を頼んでも、これ以上の協力は望めないのも事実だ。今の作業は、フォルマから有無を言わせないあの笑顔で提案されて、渋々ながらしているものだ。しかも、本来の休憩時間の倍以上過ぎてから戻ってきた。
「さて。あとは、分類したものをまとめていくんだけど。あんまり細かく分けすぎても、あとあと探しにくくなるから。フォルマが書いてくれた大分類でひとつのファイルに纏めて、中でインデックスをつけていこうか」
「そうね。わたくしのお父様も、探し物が苦手なのにリストを細かく綴りわけしすぎて、結局お母様に見つけてもらってるもの」
私の父様もだ、なんて和やかに笑いあっている向こう岸。ご令嬢方には苛々ムードが漂っている。乱暴に投げられた定規が棚下へ滑り込んでしまった。
が、予想通り、ご令嬢は動かない。はいはい、拾えって意図ですよね。しかも、作業放棄と宣言せんばかりに、はさみや紙をこちらに押してきた。
「いいよ、フォルマ。私が」
「でも」
「棚足の下に滑り込んじゃってるから、フォルマの綺麗な髪に埃がついちゃう」
尚、立ち上がろうとしたフォルマ。先手必勝と、自分の手元にあった定規を片手に駆け足だ。つか、どう手が滑ったら私側後方にくるのか。壁に当たって、棚に潜り込むのも計算のうちだとしたら、凄腕さんだよね。
思わず感心してしまいそうになった。
「んしょっと。うん? なんか、紙の感触?」
「ヴィッテ、どうかした?」
とりあえず、腕だけ突っ込んで左右に定規を振ってみたのだが。目的の硬さではなく、かさっと軽い感触にぶつかった。
しかたがない。汚れ覚悟で床に顔を近づけると。視線の先にあったのは、封筒だった。
「うわっぷ。手紙が潜り込んでたみたい。すんごい埃ついてる。封筒は上質だな。んーあて先は書いてないけど……差出人は、クレメンテ様?」
「なんですって?! 大変、きっとなくされて困っていらっしゃるはずだわ! 至急、お届けにあがらないと!」
目にも留まらない速さ、とはまさにこの現象だろう。すごい。あんなごてごてしたスカートなのに、音もなく近づいてきていたなんて。あのスカート機能性が悪いと思っていたけれど、実はとんでもなく動きやすいのだろうか。
手元から奪われた手紙に、あっけにとられている間にも、わらわらとご令嬢方が手紙を中心に集まっていく。まぁ、埃が払われた手紙は、当然のごとく最終的にはカナリー様に渡ったのだけれど。
「ちっ。封がされてますわね。あぁ、でも落とされた手紙の封が開いていても不思議ではございませんものね」
「さすがに、人の手紙を勝手にあけるのはどうかと思います!」
「ふん。煩いわね! あたくしたちがそのような下劣な行いをするという発想が、庶民なのよ! 無礼な!」
え、いや。今まさに、下劣な行いをしようと、封蝋に手をかけたのは、どこのだれでございましょうか。剥がれないのがわかると、はさみをとって、掲げた手紙を挟もうとしていた。大体の人は、中身を出そうとしている行動だと推測すると思うのだ。
あと、舌打ちしましたよね。舌打ちは下品じゃないんですか。
「わたくしはクレメンテ様の下へ参ります」
「たぐいまれな美貌と万人にお優しいカナリー様が、下級騎士の毒牙にかかっては大変ですもの! あたくしどももお供いたしますわ」
「みなさまのお気持ち、嬉しいですわ。では、ご一緒に」
突っ込みどころ満載の劇を観賞している気分だ。それほど大げさな仕草でお互いを賞賛しあったご令嬢方。カナリー様を先頭に、わいわいと部屋をあとにした。
嵐が去った後には、ぽかんと口を開けっ放しで立ち尽くす私と。そんな私の髪についた埃をせっせと取ってくれているフォルマの二人だけ。
「私、思ったんだけど」
ぽつりと落ちた呟きが、急にがらんとした部屋に響く。
ゴミ箱に埃を捨てていたフォルマは、首を傾げて先を促してくれた。
「どこにいらっしゃるか不明なクレメンテ様を探しまわるより、夕食のお迎えにいらっしゃった際に渡したほうが効率良いんじゃないかなって思っちゃったり、しなかったり。あの埃の被り具合からここ数日の内に紛失したってわけじゃなさそうだし――」
「必死で探されているのだったら、封もありますし、意図の有無は別として見かけたら教えて欲しいとお願いされても、それこそ不思議じゃないものね」
「だよね。緊急性もなさそう。あっても、どちらを優先すべきとクレメンテ様が判断されるのかって考えなかったのかな」
まっいっか。私とフォルマは続きをしよう。
どちらが口に出すのでもなく、書類に手を伸ばす。
朝、フォルマから説明を受けたのによると、横穴は道具を使って開けて良いらしい。そもそも、今回の作業、重要書類は対象外だって教えてもらってるので、うっかり穴を開けてしまう心配がないのは助かる。
「年代順に綴ればよいものを、先に処理してしまう? 綴り紐を通す穴があいているものと、そうでないもの、ばらつきがあるのね」
「だね。単純作業だし、分類閉じていく方が考えながらで時間もかかっちゃうから。穴をあけつつ、一年毎に綴る、で大丈夫かな?」
「わたくしは設立の年からで、ヴィッテは今年から。前からと後ろからで分担ね」
単純に年代別に保管し参照するなら、ファイリングではなく綴り紐で問題ないだろう。ファイリングの方が都合良いといわれても、がばっと抜いて、ざくっと綴じ直せばいいだけだ。
道具箱の中から、千枚通しを取り出しフォルマにも手渡す。戸惑っているフォルマに、先端に開いた穴に紐を入れて通すと、分厚い書類も簡単にいくよと説明すると。なぜか目を輝かせた。
「机の端に穴がある部分をはみ出させて、上から下に――そうそう。で、結ぶ時に、最初から真ん中でするより、片側に偏らせて――うん、きゅってしまる部分見つけたら、そこで結んで。中央に持ってこれば、緩まないんだ」
フォルマは器用に、ちゃちゃっと手際よく紐を結びあげた。しかも、綺麗な手つき。私なんて不器用だから、最初はもたもたしてた上に、紐もたるんじゃってたのに。さすが!
おっと。いそいそと紐に手をかけるフォルマに癒されている場合じゃない。
とにもかくにも、時間がないのだ。これって、延長させてもらえるのかな。ご令嬢方が食事会をしている同じ時間だけでも延びれば、ひとまず形にはなろうだろうに。
そんなことを考えていた私は、怪奇現象の存在などすっかり忘れかけていた。




