ご令嬢の事情とフォルマの言葉、苦笑いの私
「人員補充で参りましたヴィッテです。家業の貿易商を手伝っていました。最終日のみの参加ですが、精一杯動きますのでどうぞよろしくお願いします」
と、まぁ。典型的な挨拶をしたものの。耳を傾けて下さっているお嬢様方は、ほとんどいない。というか、フォルマ以外いなかった。
ましてや、お嬢様たちの自己紹介なんて存在しない。うん、察してた。年上の彼女たちが部屋に入ってきてからの様子からね。いくら愚鈍な私でも、肌にびんびん感じる。
どのご令嬢も、実に動きにくそうな服装である。びらびらとしたレース袖は、さっきから書類に掠っては山を揺らしている。巻きつけられた髪には、追撃といわんばかりの髪飾り。重いよね。うん、間違いなく、重さしか感じない作りだ。
「えと。自分で仕事を見つけようとは思いますが。ご指示などあれば、その、お願いします」
「ふーん。じゃあ、肩でも揉んでもらおうからしら。あはっ」
「やだ。あたくしの肌に、痣が出来そう。庶民の力なんて」
仕事に対する反応が返ってくる気配はなかったので、大人しく椅子に腰掛けた。馬鹿力は否定出来ない。力自慢なヴィッテである。
隣のフォルマは、目が合った私に苦いとも申し訳なさとも取れる笑みを向けてきた。耳元に、端整な顔が寄せられる。思わず、くすぐったさに肩を竦めてしまった。
「ごめんなさい、ヴィッテ。こういう状況なの」
「これじゃ、進まないわけだね」
机に重ねられている書類たちに、二人して溜め息が落ちた。
他の方々がいらっしゃる前にフォルマがしてくれた状況説明。それは、三日間の作業内容だったのだが。驚愕のあまり「うえぇ?」などという奇声をあげてしまったのを思い出してしまった。
これで賃金が支払われるって、庶民的には怒り心頭だよ。ただ働きには出来ないのわかるけどさぁ。
「書類量が多いのはあるけれど、まさか綴りを解いて並べただけなんてね」
「わたくしだけでも作業に集中していたら、違ったのでしょうけれど。あまり一人で仕事を進めると、睨まれてしまって。情けない話ですわ」
頬を押さえて目を伏せたフォルマ。仕草だけじゃなくて、ほぅと漏れる息も洗練されているなんて、すごいなぁ。
って、見とれている場合ではない。
しょんぼりとしてしまったフォルマの腕を、ちょいちょいと突っつく。
「ううん。五人中四人があんな感じじゃ、やりにくいよね。私、神経は図太い方なんだ。だから、一緒に頑張ろう!」
「ヴィッテ……ありがとう」
正直なところ。ご令嬢方が入室してくる前のフォルマは、毅然としていた。仕事内容だけじゃなくて、魔術騎士団の説明もしてくれている口振りからだけでも、彼女が聡明な女性なのは、伝わってきたのだ。
なので、そんなフォルマなら、この空気の中でも充分職務をまっとうする芯の強さはあると感じられたんだよね。しかしながら、眼前の彼女は劇的に異なるのだ。
とはいえ、事情は人それぞれだ。確かに、最年少であるフォルマにとって、部屋に充満する空気はよろしくないものだろう。
「図太いって豪語してもね、フォルマがいてくれるから、言えることなんだけどさ」
「わたくしも頑張るわ。二人なら良い案も浮かびますわよね」
へへっと笑いあっていると、机の反対側にまとまっているお嬢さん方に、睨まれてしまった。
うん、大丈夫だ。姉様の方が鋭くて恐ろしい目つきだったし、姉様は実力伴った優秀な人だったから私にいらつくのもしょうがなくて、足手まといになるから手を出すなと言う忠告も、さもありなんと思ってた。
しかしながら、目の前で交わされているのは、騎士団のだれが爵位持ちだとか顔が良いとかだ。しょもない話題に興じている女性たちの視線なんて、へでもない。そもそも、彼女たちは次回の採用に繋げようと考えていないのだろう。この機を出会いに繋げたいだけで。生活直結、収入源確保の神経舐めんなよ。
「あたくしの一番推しは、ウェントス――クレメンテ様でしてよ。ランチの際も、ずっと美しい微笑みを浮かべてくださっていたの! あれは、絶対あたくしに気がありましてよ? ゆくゆくは、辺境伯爵であらせられる父君の跡を継がれるので、フィオーレから離れるのだけが難点ですわね」
「あら、そこから繋げていかれるのが、カナリー様の腕の見せ所ではなくって? 私はやはりウェルブム参謀長かしら。あのクールな目つきを情熱に変化させるのが楽しそう! とても綺麗な微笑みを浮かべる方ですもの。なんといっても、宰相ウェルブム公爵家の跡継ぎでいらしてよ!」
クレメンテさん、大変だなぁ。家名ぶっ飛ばしてすみません。
いや、もてているのだから、悪い気分にはならないか。しかし、想いが通い合う前から将来の心配なんて、さすがご令嬢。嫌味ではなくて、家の繁栄を考えて人を好き――かは不明だけれど、結婚しないといけないんだもんね。
ひとまず、フォルマに整理すべき書類で、どの様な種類があるのかを書き出してもらっている。それを覗き、私も紙にペンを走らせる。単純に時系列で綴ってよさそうなもの、内容から索引可能にすべきもの。多岐に渡りそうなモノの分類はどうしようかなど考えているのだが。
令嬢の声は大きすぎて、嫌でも会話が耳に入ってくる。
「思い切った方をあげますのね。でしたら、わたくしはウィオラケウス司令官かしら! だって、あのお年で現王の信頼厚く、この魔術騎士団の初代司令官にご就任、実家の侯爵の末でありながら、ご自身も伯爵の爵位を王から賜っていらっしゃるんだもの。普段は、ふんわりとしていらっしゃるのに、剣を凭れると、それはもう……しばらく、調子が優れないとお聞きしておりますもの、わたくしが慰めてさしあげたい」
「みなさま、最終日に本音がもれてきましたわね。本日の食事会、とても楽しみですわ」
四日目にも関わらず、ネタがつきないというのもすごい。恋する、まではいかなくとも、憧れを語る女性は可愛いと思うのだ。ただし……ここが職場でなければの話だ。
ぼんやりと会話を聞き流していると、ペンが置かれた音がやけに大きく響いた。決して乱暴に置かれたのではなく、心地よく思えたがゆえ。
「ヴィッテの言う通り、報告書や資料、それに事例を魔法や剣術などの分類に書き出してみたわ。走り書きだけれど、どう?」
「ありがとう、すごく見やすい! 走り書きなんて思えないくらい、わかりやすいよ」
「そんな。今回は収支――経理関連の書類がないから、助かったわ」
フォルマはちょっとだけ照れくさそうに謙遜してみせた。本当にお世辞抜きで現状が伝わってくるメモだ。あの書類の束を眺めていただけとは思えない。意図があっての見聞だろう。
加えて。お願いしていた、使用頻度の優劣のマークもつけてくれている。あくまで予想になるがと、フォルマは口にしていたのに。騎士団の仕事をあまり把握していない私でも、頷ける。
ますますもって、フォルマが何者なのか謎は深まっていく。
「じゃあ、ひとまずフォルマが書き出してくれた事項に分類して、その中で年代の古い順にわけようか。魔術騎士団は創立から数年らしいから、年代に関してはあまり時間かからなそうで、ありがたいね」
「えぇ。わたくしも聞いただけの話だけれど。先の大きな戦で功績をあげたウィオラケウス司令官とウェルブム参謀長殿が王に認められて、設立されたらしいの。お二人とも爵位持ちのお家柄ですし、その頃、学院の教育方針として魔術と剣術、両方をおさめることを推進し始めていて。諸々の事情で、ご苦労なさったみたい」
フォルマの生い立ちを勘ぐっている場合ではない。協力してくれる、というと上から目線になってしまうのだが。この状況で、一緒に取り組んでくれるのだ。フォルマが、鋭い視点の持ち主というだけで、私には充分だ。
それに、直感だが……フォルマは好きだなと思えるんだよね。内側に何を秘めていても。
自国の仕打ちでもなお、私が疑心暗鬼にならずにいられるのは、間違いなく、フィオーレに来てから出会った方々のおかげだ。特に、拾ってくださったアストラ様や屋敷の皆さん、それにオクリース様の。
「へぇ。そのあたりはなんとなくだけど、想像出来るかも。でも、街では雑用騎士団、なんて呼ばれてるけど、親しみもたれているみたいだね。雑用とは称されてるけど、身近に感じてもらって、頼りがいもあるっぽい」
「それ、わたくしも耳にしましたわ。だから、余計に色々な感情を、様々なところから向けられるのね。今でこそ、長く騎士や魔術師の任に就かれている方々が集まっているけれど、当初は本当に学院を卒業したばかりの方や戦場でウィオラケウス司令官を慕っていた方ばかりで」
「あぁ。だから、がむしゃらにやってこられて、落ち着いた今、書類がってなったのかな」
書類を一枚手に取り、思わず苦い顔になってしまった。
それは、書類に対してではない。むしろ、報告書なり資料なり、指南書はすこぶる丁寧に記述されている。素人の私が読んでも、ぐいっと引き込まれる。報告書ひとつとっても、単なる過程の記述ではなく、解決ポイントから相手の反応まで、次回に新人が動きやすいようなものだ。
ただ、それを管理する人員も書類整理に時間をまわす余裕もなかったのだろう。
「ヴィッテは、そういう風に考える――そんな風に、微笑むことが出来るのね」
「違ったかな。父の仕事に携わっていた方がね、独立して何年か後に、書類管理のお手伝いに赴いたきかいがあったの。もちろん、元関係者とはいっても、経営状況に直結する数字が書かれたもの以外でね。似てるなって」
書類一枚の向こうに、騎士様たちの苦労と懸命さがある。その書類を手にとって読んでいる。それがすごく嬉しい。だれかの一生懸命に、自分が一瞬でも関われているのだ。そして、事務側として役に立てるかも知れない。と言うより、役に立ちたいと思える。
あんまりな笑顔だったのだろう。フォルマが机に両手と頬をついて覗き込んできた。可愛いのですけど。私の目の前に、妖精さんがいる!! だれか!
「ほら! 仕事しよ! あと、この付箋に年代や分類を書いて、どっちが見てもわかるようにしようね」
「あら、珍しいもの持ってるのね。ここにも、いくつかあったはずだわ」
どっちがっていう言葉に、敏感に反応したお嬢様方。いやいや、そんな言葉一つで眉を潜めて嫌味を口にするくらいなら、一緒に仕事しましょうよ。
令嬢っぽいフォルマにはまだ遠慮があるのか。棚の引き出しを開けるためにフォルマが背を向けたのを確認してから、私に唾を吐きかける勢いで「庶民臭で息苦しいですわ」とふぁさーっとした扇を揺らし、「まったく。不快極まりないですこと」と舌打ちをかましてくださった。
「わぉ」
と、しか返しようがない。さらにがんつけられることを承知していても。
大体、庶民臭ってなんだ。庶民臭って。笑いそうになった私は悪くないと思う。石鹸の香りという意味か? そもそも、この紙の香り漂う書庫の空気を満喫できる空間に、香り元の花が不明になるくらい混ざっている。私の国では、ほのかな香りが好まれていた。フィオーレの街自体、花で満ちているのだから、わざわざきつい匂いを刷り込まなくてもいいのに。
「ヴィッテ? ひとまず、これで足りるかしら。少し埃をかぶってはいるけれど、問題ないとは思うの」
「うん、ありがとう。はぁ。フォルマって良い匂い。ふわって髪からね、癒し成分飛んでそう」
はっ! しまった!
あまりに机を挟んだ向こうの世界から流れてくる香りが苦しくて。フォルマの動きに合わせて優しく弾ける、ほんのり甘いけど安らぐ匂いを吸い込んでしまった!
折角出来た友人に変態認定されたくない。焦って両手を振る姿は、果てしなく逆効果だろう。少なくとも、ここに騎士様がいらっしゃったら、怪しい奴めと両腕を捕まれて、どなどなされ兼ねない。いや、待て私。なんだ。どなどなって。
「わたくしをよく知ってくれている香師が精製してくれたものなの。嬉しい」
「通りで。フォルマの雰囲気ともあっているし、何より馴染んでる感じ」
「今度、ヴィッテのもお願いしてみるわ。だから、ぜひわたくしの実家にも遊びにきて?」
嬉しかった。私には社交界のやり取りも、仕事上の駆け引きもわからない。けれど、フォルマの微笑みはただただ幸せだった。生きていく先への希望がある気がしたから。
それはたぶん。すこぶる勝手な希望なのだ。私の考えをフォルマに押し付けるつもりは、毛頭ない。
でもね。全ての関係に絶望し、何もかも無くしたと“思っていた“私には、すごく重要なのだ。だから、この仕事を終えたら、何かが変わる気がする。あくまでも、願望に違い予感だけれど。それでも良いと思う。実際、生活自体に変化がなくとも、私の中では、何かではなく、確実に変わるものがあるから。
「うん。約束! そのためにも、今日は汗だくで頑張るんだから。この状況だと、処理整理だって言っても、かなり体力と集中力を使うんだ」
声高に発した言葉は、やはり、お嬢様方の頬を引きつかせた。でも、全然苦じゃない。フォルマが、「うん!」と可愛らしく笑いかけてくれたから。
つか、フォルマ! これまでの口調とかけ離れた言葉と笑顔は反則だよ!
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