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司令官殿と参謀長殿、おまけの臨職な私  作者: 笠岡もこ
―フィオーレの街編―
20/99

受付の騎士様と信用問題、腹を立てる私

「朝食はとった。火は使ってない。お花に水をあげた後に、戸締まりもした」


 街が目覚め始めてから、まだ間もない時刻。お向かいのパン屋パネスの煙突から、バターの香りが街へ広がっている中、私は玄関横の短い廊下の手前で仁王立ちをしていた。

 戸締まり確認は三回目。一人暮らしが初めてなので、火の始末と戸締まりを忘れるのがとても怖いのですよ。

 特に、火の消し忘れ。今朝は、じゅわっと脂を纏うベーコンも、パンの上でぷるんと踊る目玉焼きも食べられなかった。とほ。パンと紅茶だけでも、美味しかったけど。


「お財布もハンカチも入れてある。身だしなみ問題なし、メモ帳に筆記の道具も持った。あ、紹介状も……うん大丈夫。これを忘れたら、もともこもないもんね」


 ガマグチポーチの中身を指差し確認。最悪、紹介状があれば大丈夫なはずだと、心を落ち着かせる。深呼吸。

 よしと身を翻したものの、第二の関門。壁にはめ込まれた全身鏡の前で、もう一度立ち止まってしまった。

 華美すぎず、かといって暗い雰囲気にはなっていないはずだ。自国から持ってきた、お仕事一張羅。立て襟ブラウスの前にあるリボンは、可愛らしさよりもシンプルさが際立っていて、タイに近い。胸下から着るスカートは、若干腰が強調されているが、腰丈の上着が隠してくれる。紺を基調とした、広がりすぎないフレア調の膝丈スカートに黒いタイツは、うん、きっと、無難だよね。


「ステラさんがくださった整髪料のおかげで、髪もきちんと纏まってる」


 地味と表現してしまえば、それまでだ。

 けれど、清潔感はあると思うし、昨日歩き回りながら見かけた女性の服装からも、悪目立ちすることはないと思う。大好きなガマグチポーチは……うん、物珍しげに見られそうだけど、これしか持ってないんだから仕方がない。仕事用に、買うべきなんだろうな。

 昨日、職業斡旋所しょくぎょうあっせんじょから戻りがてら、辻馬車で魔術騎士団の門前まで行き、家までの距離をはかっていたからと言い訳である。

 

「気合充分、到着予定時刻は集合二十分前を目指して出発!」


 施錠よし! 施錠確認のため、あまりにドアをガンガン引っ張りすぎて、ホールに音が響いてしまった。おっお隣さんのご迷惑になってませんように。次からは気をつけよう。昨日もお留守だったし、明日にでもご挨拶に行かなきゃ。それとも、都会ではそういうのしないのかな。移住ガイドブックには『お隣さんと階下へは挨拶必須!』と書いてあったのだけど。


「階下のおばぁ様――エルネさんも素敵な方だったなぁ。お店やってらして、ほとんどいらっしゃらないらしいけど」


 おっと。レンガ造りの階段に、独り言が響いてしまった。気をつけよう。早朝に、そろりそろりと歩く姿も充分怪しいが。睡眠を邪魔されるのって、精神衛生上、とてもよろしくないしね。

 アパートの外に出ると、身体全体が澄んだ空気に包まれた。思い切り伸びをしてみる。流れ込んできた朝もやは少し冷たいけれど、それがまた心地よい。


「パーネさん、おはようございます」

「あら、ヴィッテ。随分と早起きだね。お出掛けかい?」


 からんと、可愛らしい音が耳に届いた。鈴を鳴らした扉から出てきたのは、店主のパーネさんだった。目があうと、持っていたほうきを壁にかけ、傍まで歩んできてくださる。

 パーネさんからは、やっぱり、バターの良い香りが漂う。ついでに、甘い砂糖の匂いも。

 きゅっと、喉が詰まった。

 

「はい。今日だけなんですけど、仕事を紹介して頂いたので。魔術騎士団まで行ってきます」

「へぇ。あそこの騎士様たちなら心配ないさね。けどねぇ。今回の仕事に関して噂も入ってきてるし。あんま深入りするんじゃないよ? ご令嬢方に嫌味言われても、あんたが気に病んで相手にするだけ時間の無駄だからね。ヴィッテは、生真面目そうだしねぇ」


 しかめっ面のパーネさんが、腕を軽く叩いてきた。

 仕事に行く前から不安要素発生! と白目になりそうだったが。あっけらかんと、というか、ストレートに教えてくださるパーネさんの人柄が、あぁ好きだなと思えた。匂わせず、はっきりと忠告して貰えるのが、妙に嬉しい。

 素直に、苦笑を浮かべて頷いた。いえね、本当は苦笑じゃなくてですね。私的には素直に笑ったつもりなんだけど。緊張からの頬の引きつり具合がさ。


「あっ、今朝、薬草のパン頂いたのですけど、美味しかったです。草、って表現したらいけないかもですけど、自然の香りがしました」

「自然の香りか。いいね、それ。薬草って書くと、一部の健康マニアには受けるんだけどさ。一般受けはしなくて。それなら都会の人間が食いつきそうさね」


 噂に聞く機械都市や軍事国家ならともかく。フィオーレくらい花や草木に溢れていたら、食いつくどころか普通の表現だったと思うんだけど。

 でも、まぁ。生粋のフィオーレっ子なパーネさんがおっしゃるなら、そうなんだろう。都会っ子――人の心理とは、奥深い。

 一人、ふむふむと心の中で頷いていると、パーネさんがぽんと掌を打った。そんな音さえ、朝の静けさにはこだます。


「ヴィッテは海の向こうから来たんだっけかね。薬草パンとか、あんまなかったのかい?」

「そう、ですね。パーネさんのお店で、花の都って感じに、花びらを砂糖漬けしたり、練ったパンがあったりするのが、物珍しかったです。私の国では、生の素材というよりも、パン横に、ジャムやジェル状にして使う方が多かったです。似た色の果実の煮つけを混ぜたりすると、可愛いんです」


 おっと。食べ物に関しては、つい語ってしまう。朝食の量を控えた影響もあってか、涎が自重できないよ。昨日は、緊張からほとんど眠れなかったので、薬草のパンが余計美味しく感じられた気がする。それもあって、お腹は満たされているはずなんだけどなぁ。

 想像でも喉が鳴る。って、そうだ。涎をたらしている場合じゃないよ! 今日は徒歩で行く予定なのだ。走ってもいいけど、汗だくでは書類に染みをつくってしまう。


「引きとめて悪かったね。ついつい、ヴィッテの言葉から、新作パンを想像しちゃってねぇ。ところ変わればっていうかさ」

「私の食いしん坊がお役に立てるなら、いつでも! とはいえ、美食家ではないので、主に自分が好きなものしか、語れませんけれど」

「いやね、意外にそこなんだよねぇ。フィオーレは都会だから異国の情報も入ってくるけど、まぁ、なんてか、やっぱ生の声だよねってね。会報や流行よりもさ。おかみを相手にするつもりもないし、しようとも思ってないからさ。どっちかって言わなくとも、そっちが知りたいわけさね」


 都会には都会の難しさがあるという意味なんだろう。他国出身というだけでも、親切に声を掛けて下さる温かい方のお役に立てるなら、いくらでも。自分が持てる全部を使って、好意に報いたいと思う。

 それは、私じゃなくてもいいのかも知れないけれど。でも、今此処にいるのは私なんだもんね。


「どんときてください、です!」

「うん。とりあえず、今日は魔術騎士団にヴィッテを譲るとして。明日の――そうさね、疲れてるだろうから昼過ぎか夕刻に来ておくれ」


 嬉しかった。社交辞令じゃなくって、本当に、私自身じゃなくても私の中にある知識を必要としてもらえるのが。食いしん坊万歳、である。

 パーネさんにありったけの笑顔で頷き、行ってきますと手を振った。



***



「では、紹介状を拝見します」

「はい。よろしくお願いいたします」


 パーネさんとお別れしてからも、充分に時間はあった。

 というのも、昨日は夜近いのもあり、随分と早足で計測していたようだ。小道の景色を堪能し、空の移り変わりを堪能しながら歩いても。集合時間の三十分前に団の建物についてしまったのだ。

 とはいえ。ぎりぎりも失礼だが、早すぎるのもご迷惑をかけるもの。ひとまず、前の広場のベンチに腰掛け、書類を眺めていた。そこで、一人の騎士に声をかけられ、あれよあれよと言う間に、師団の受付にまで引っ張られてきたのだ。


「確かに。いや。最終日に参加される方が、こんなにも早い時間にいらっしゃっているとは思わず。お待たせしてしまいました」

「いえ! 私は、あの。フィオーレの街に慣れていなさすぎてですね。早めにと思い、足を運んだのですが。というか、最終日だけなのもあって、あの、でも、余計なお手間とお気遣い、申し訳ございません」


 騎士様とは、基本的に真面目な気質な方が多いのか。大丈夫ですと訴える私の手元の書類を奪い、ついでに手を引かれ、受付の手続きを行ってくださった。自分が待っていれば良いなんて考えは甘かった! すいません!

 初日ならともかく、最終日だ。要領を掴んでいらっしゃる方なら、無駄に早くいらっしゃることもないのにね。悪目立ち、確定である。


「私はクレメンテと申します」

「本日のみですが、お世話になります。ヴィッテ・アルファ・アクイラエと申します」

「アクイラエ嬢ですね。手続はこれで終わりです。他の方はまだですし、時間までかなりありますが、いかがされますか? 当師団の中を、ご案内致しましょうか。早朝とはいえ、騎士も訓練は行っておりますので、お話し相手も出来るかと」


 いかがされるかと尋ねられても。相手の騎士様も、形式的に聞いてくださっているのはわかっているので、正直、困ってしまう。

 初日から参加しているなら、やるべきこともあるだろう。が、いかんせん、最終日のみの参加だ。一番乗りで部屋に行ったところで、下手に書類に触っては迷惑がかかる。一人でもいらっしゃれば、雑用や前準備のお手伝いも出来るのだけれど、はっきりと他の人はまだいないと告げられてしまっては……。

 うんうんと悩むモノの。クレメンテ様はじっと私を見ていらっしゃるだけだった。状況説明プリーズ。


「あの。書類保管室に赴き、拝見したいのもありますが。整理途中であれば、乱してしまうと思うのです。ですので、他の方がいらっしゃる前に現状を把握していらっしゃる方がいらっしゃれば、お話をお伺いできればと」

「折角の機会でありますし、我ら騎士とはいかがですか?」


 うん? 話が通じていないのだろうか。おーいと、呼びかけたくなった。

 職業斡旋所の所長さんの言葉を思い出す。今回の追加募集は、他のご令嬢が逃げ出したから、再度あったのだ。

 であれば、クレメンテ様がおっしゃっているのは、騎士たちに実用性や利便性について調査しろという意味か?


「なにこれ。もしかしなくても、面接を踏まえた、謎解きなのか」


 書類に面談とはなかった。斡旋所の采配に任されていると、所長さん方が教えてくれた。が、クレメンテ様の謎の台詞に、思わず考え込んでしまう。

 大広間の受付、立派な大理石のカウンターの向こう。爽やかに微笑んでいる騎士を見あげる。が、アストラ様やオクリース様たちより、やや年上に見える騎士は、笑みを崩さない。三十手前の、いや、もっと若いだろうか。綺麗な長い銀髪を肩に流した騎士は、灰色の瞳を細めたままだ。


「書類整理に関してご意見があるようでしたら、お伺いして、指示役せきにんしゃの方にお伝えしますが」


 メモ帳を取り出そうとした私に、大きな笑いが襲い掛かった。ぶっちゃけ、うるさい。アストラ様やオクリース様のそれと違い、耳が痛む。

 朝の静けさも手伝ってか。腹を抱えて、それでも麗しく笑う騎士の姿は、面倒臭くて仕方がない。順立てて説明して欲しいのだけど。なんなの一体。

 うざったさが思いっきり顔に出ていたのだろう。


「すっすまない。ふぅ。事情が事情だけに、試すような真似をしたこと、お詫びしよう」


 クレメンテ様は、呼吸荒くも、謝罪を口にした。

 からかうまではいかなくとも、女としての欲を持ってきたのではないと試されたのだろうか。所長さんの話を思い出し、さもありなんと溜め息が落ちた。

 その一方で、正直、私個人としては腹が立って仕方がない。私が早朝、一番に来団し、広場前で時間を潰していたのさえ、騎士の気を引きたいがゆえの行動だと思われていたなら、勘違いも甚だしい! それなら、あったかいパンの香りとお布団に包まれて、寝坊していた方が断然素敵だ!

 

「別に。私が不快だと腹を痛めるのと、貴方様が安堵されるのは、別次元の問題です。職業斡旋所の方々の分も含めて」

「貴女のプライドを傷つけてしまったのなら、申し訳――」

「私の問題ではありません。私は、仕事を頂いてきた身です。ですので、余計なお気遣いは不要でございます。就労室にご案内願います。そちらで、静かに他の方をお待ちしております」


 あまりにむかついて、とげとげしい声色を発してしまった。やっちまった! と、内心で頭を抱えながらも、腹の虫はおさまらない。

 クレメンテという騎士だって、悪気がないのは重々承知だ。所長さんの愚痴からだって、騎士さんたちが警戒心を抱いたり、試してみたくなる心情がわからないほど、潔癖でもない。

 騎士が笑いをとめ、ぽかんと私を見つめてくる。自尊心が傷つけられた男性とも、私を馬鹿にするのとも違う、視線。


「気分を害されましたか? でしたら、お詫び申し上げます」

「いえ。そう伝わってしまったのなら、失礼致しました。私は、貴団に仕事をしに参った身ですので。分相応の願いを申し出たつもりでしたのですけれど」


 私はともかく。職業斡旋所の所長さんとアルブさんが、女性の就労斡旋しゅうろうあっせんにかける思いは垣間見ていた。だから、私の感情よりも、そちらをないがしろにされたようで……拳があがってしまったのだ。

 事情から、騎士様が構えるのも道理であると理解はしているのだ。けれど。令嬢の斡旋ではなく、あの所長さんからの紹介状を持参した人間に、それを重ねるのかと。


「アクイエラ嬢――いえ、ご無礼を承知で、ヴィッテ嬢とおよびしてよろしいでしょうか。書類室は団の奥にございますので、わたくしに案内させて頂きたく存じます」

「え? 無礼なんて。家名よりも、名前で呼んで頂けるのは、私も嬉しいです。こちらこそ、朝の澄んだ空気にふさわしくない態度、大変失礼致しました。騎士様のご気分を害してしまい――」


 謝罪の言葉は、あっけなく切られてしまった。

 ちょっとお待ちください。何故に、クレメンテ様は膝をついて私の右手を包んでいらっしゃるのか。私の暴言を許してくださったクレメンテ様に、私が膝を折って謝らないといけない立場だと思うんだよね。

 実際、慌てて腰を落としたのだけれど。それはそれは、麗しい手つきで、腰を上げさせられてしまった。


「私のことは、どうぞクレメンテと名でお呼びください」


 アストラ様もだったけど。騎士様って、もしかしなくても、飛んだ思考の方が多いのだろうか。お願いだから、行動の理由を説明して頂きたい。

 ひとまず。余計な口はきかないように気をつけようと、心に誓った。



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