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自覚してしまったら、ときめきを止めるなんて無理だった。
どうにかして石川さんと話す機会が欲しいとか、何とか一緒に食事できないかなとか思ってしまう自分がいる。
おはようございますとかお疲れ様ですとかっていうのじゃない会話が出来れば、それだけで幸せな気持ちになってしまう。
野球を一緒に見に行ったせいなのか、色々野球の話をしてくれる。
今日はどこが勝ったとか、誰がホームランを打ったとか。順位がどうだとか。
そういう石川さんの話に付いていきたくて、ついついスポーツニュースに目を毎日見てしまう。
石川さんの好きなチーム。好きな選手のこと。
会話の端々から伝わってくる情報を漏らさないようにと、一生懸命心に書き留めた。
家に帰ったあと、スポーツニュースを見てそのチームや選手のことを調べる。
勝ったんだなとか、活躍したんだなとか。
それが次の会話に繋がる。
翌日「昨日の試合見ました?」って振れば会話が弾む。
女性社員さんや派遣さんたちはあまり野球には興味ない人が多い。だから野球の事で石川さんと話せるのは、私くらい。
そんな優越感というか、特別なんだっていう思いに嬉しくなる。
女性に興味の無いスポーツの情報に詳しくなると、課長とか偉い中年の社員さんとも会話が弾むようになり、それはそれで仕事がやりやすくなった。
どうやら男性というのはスポーツ好きなものらしい。
老若問わず、会話の糸口が出来たというのは良かったのかもしれない。
どうしても男の人って話しにくくて、でも社員さんの大半は男性だから全く絡まないわけにはいかないし。
そういう意味で、視野が広がったかな。
でも肝心の石川さんとの仲は、あまり広がりを見せない。
何度かあのあとも四人で野球に行ったり出かけたりしたけれど、二人きりで出かけることはない。
毎回用件だけのお誘いで、次こそは二人かもと期待しても、待ち合わせ場所には沙紀ちゃんと信田さんもいる。
何で四人なんだろう。
どうして私なんかを誘ってくれるんだろう。
答えは出ない。けど、心はどんどん石川さんに傾くばかりだ。
目で姿を追い、耳はその声を探す。
今まで誰かを「好き」と思ったことは無かったけれど、今の自分の気持ちが「恋」なんだと思う。
あの人カッコイイよね、とかじゃなくて。
憧れじゃなくて、好き。
じゃあ好きだからどうしたい? って聞かれても困るのだけれど。
ただ単純にちょっとでも一緒にいたいとか話をしたい。
傍にいたい。
「あんま飲んでないじゃん」
飲み会の席でぼーっとしてしまったらしい。
沙紀ちゃんが席を外していたので、話し相手もいなくてぼけっとしてしまったのかも。
自分でも石川さん目当てなの丸わかりかなと思いつつも、自覚する前よりもずっと飲み会に参加する回数が増えた。
だからといってそんなに社交的なほうではないので、話す相手がいつも沙紀ちゃんばかりになってしまう。
「具合悪い?」
石川さんの手がおでこに当てられ、びくっと体が反応してしまう。
だけれど石川さんの様子は何ら変わることがない。
本当に無意識というか無自覚にスキンシップしてくるから困る。嬉しくって。一人舞い上がっちゃって。
「大丈夫ですよ。ちょっと飲みすぎたかも」
「あー。顔赤いもんな。珍しいな桐野ちゃんが飲みすぎるなんて」
お酒弱いから普段は飲む量セーブしてるんだけれど、許容量越えちゃったかな。
おでこに当てられていた手が頭の上に置かれる。
ぽんぽんっと二度軽く叩かれ、ふーっと石川さんが溜息のような息を吐き出す。
「あんま無理すんなよ。具合悪いようだったら送っていくから」
送っていくって。石川さんが?
そんなの嬉しすぎる。帰る方向同じだっけ。
「大丈夫ですよ。気持ち悪くもないですから」
大丈夫って言ってしまう自分のバカバカ。素直に送って下さいって言っちゃえばいいのに。
でも送って貰うなんて、そんなそんな。恋愛レベルの低すぎる私には無理すぎる。家まで送って貰ったらいいの? それとも駅まで?
その線引きもわからないもん。
「あっ。石川さんだー」
戻ってきた沙紀ちゃんが何故かご機嫌な様子で石川さんを指差す。
やっぱり沙紀ちゃんは石川さんのこと好きなんじゃないかな。なんかすっごく嬉しそうな顔してるし。信田さんがちょっと可哀想だけれど。
「石川さーん。沙紀がいない間、桐野ちゃん口説いてたんですか?」
「俺が? 桐野ちゃん? いやいや。なんか具合悪そうだったから声掛けただけ」
そんなあっさり否定しなくても。事実その通りなんですけれど。
「またまたー。向こうから見たらいい雰囲気でしたよ」
「そういうの桐野ちゃんに迷惑掛かるからやめといて」
沙紀ちゃんのノリノリのツッコミに、石川さんがにこやかにストップを出す。
「はーい。ごめんなさーい」
あっさりと謝った沙紀ちゃんの頭を石川さんが撫でる。
それを気持ち良さそうに沙紀ちゃんが受け入れている。兄妹みたいな雰囲気なような気もするし、でもなんかいい雰囲気にも見えるし。
沙紀ちゃんが羨ましい。
私もそんな風に石川さんと仲良くなりたいのに。
どうしても石川さんを前にすると緊張しちゃうし、勝手に顔が赤くなっちゃうし。
こんなんじゃ意識してるのバレバレじゃないのかな。
傍にいるだけでも、胸が痛いくらい鼓動が早くなる。
「そうそう。ここだけの話なんだけれど」
沙紀ちゃんが手招きをして声を潜める。
ついつい三人顔を付き合わせるようにして、沙紀ちゃんの傍に顔を寄せる。
いつもよりも近い距離にいる石川さん。
その横顔に息が掛かりそうで、ますます顔の温度が上がっていく。
「聞きました? 石川さん」
「ん? あの事?」
「聞いてたんだ。残念。じゃあ石川さんはいいです」
何の事かさっぱりわからない私だけが会話から取り残される。
そんな疎外感を感じてる自分がみっともなくて醜くて嫌になる。
「あっそ。じゃあ桐野ちゃん、あんまり具合悪かったら言えよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
立ち上がった石川さんを目で追っていると、くすくすっと沙紀ちゃんが笑う。
その笑みの意味がわからないまま、沙紀ちゃんが耳元に口を寄せる。
「あのね、内緒にしててね。私、信田さんと付き合う事にしたの」
「……え?」
信田さんと沙紀ちゃんが?
「えー!?」
思わず声が大きくなった私に「しー」と沙紀ちゃんが人差し指を立てる。
慌てて周囲を見回すけれど、みんなそれぞれに話に花が咲いているようで注意をひきつけることにはならなかったみたい。
「いつから?」
小声で聞くと、へへっと沙紀ちゃんが笑う。
「昨日。でも内緒にしといてね」
「うん。おめでとう。沙紀ちゃん」
「ありがと」
そっか。沙紀ちゃん信田さんと付き合う事にしたんだ。
石川さんといい雰囲気に思えてたんだけれどな。
沙紀ちゃん人懐っこいタイプだし、石川さんも過剰スキンシップな人だし、だから勘繰りすぎてたのかな。
「どっちから?」
「向こう」
「そっか。良かったね」
うんと言って笑った沙紀ちゃんはすっごく幸せそう。
変に嫉妬しすぎててごめんなさいってその笑顔に心の中で謝った。
「桐野ちゃんと石川さんのおかげだよー。一緒に出かけたりしているうちに仲良くなれたし」
「ううん。私は何もしてないから」
「そんな事無いよー。桐野ちゃんも上手くいくといいね」
「へ? 私?」
間抜けな声を出した私に沙紀ちゃんが飲みかけのグラスを差し出した。
飲みが足りないという事かしら。
「石川さんのこと、好きでしょ?」
一気に顔がかーっと熱くなって、ドキドキで胸が落ち着かなくなる。
潜められた声だったのに、すごく大きな声で宣言されたみたいに感じて。
ここにいる全員に気持ちがバレちゃってるんじゃないかと焦って、思わず周囲を見回してしまう。
肯定も否定もしないで慌てている私に、沙紀ちゃんが笑みを浮かべる。
「上手くいくといいね。桐野ちゃんの事好きっぽいから大丈夫だと思うけれど」
もう一度言った沙紀ちゃんの言葉に頭がパニックを起こしてお酒の許容量を越えて飲んでしまった。
会計が終わり、お店を出たところでフラっとしている私の肘のあたりをぐいっと石川さんが引っ張った。
「あー。石川さん、お疲れ様です」
返答が何かそぐわなかったらしく、はーっと思いっきり溜息を吐かれる。
「送ってく。そんなフラフラしてたら駅にすら辿り着けないだろ。家、どっち?」
「北口からバスなんで、近いし、全然大丈夫ですよぉ」
ふんわりふんわり、頭の中に幸福感のようなものが広がっていく。
石川さんが心配してくれてるんだ。
腕を掴んで支えてくれてるんだ。
「大丈夫じゃないだろ。じゃあ俺桐野ちゃん送ってくわ。じゃあな」
幾つもの「お疲れ様です」を背中に聞きながら歩いていく。
本当に送ってくれるんだ。
天にも昇る気持ちってこういうのを言うのかな。
いつもよりも街のイルミネーションがキラキラしている気がする。
「珍しいな、飲みすぎなんて」
しばらくして歩くペースを落とすと、石川さんの手が離れていく。ゆっくりなら一人で歩く事が出来るけれど、ちょっとだけ淋しい。
「沙紀ちゃんの話を聞いたらおめでたくて飲みすぎちゃいました」
あははっと笑って誤魔化す私に、石川さんが困ったように眉を潜めて笑う。
「桐野ちゃんは優しいね。そうやって人の事を純粋にお祝いしてあげられるんだから」
「石川さんは?」
「……さあな」
何故だろう。その横顔がすごく悲しそうに見える。
それに、これ以上踏み込まないで欲しいようにも思える。
一体何を思っているのだろう。よくわからないけれど、きっと聞いても答えてくれないだろう。
家まで送ると言ってくれた石川さんに固辞し、一人でバスに乗って家に帰った。
帰って化粧も落とさすにベッドにゴロンとしていると携帯がメールの着信を告げる。
--ちゃんと帰れたか?
石川さんの優しさが嬉しかった。だけれど沙紀ちゃんが言うように石川さんが私のことを想っているとは思えない。
だけれど期待する気持ちが加速していく。
好きが止められない。




