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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 31


 31


 PM 6時


 田代警備員は、青少年自然の里の敷地を大股で歩きながら、頬が緩むのを抑えきれなかった。

 それはこの仕事を無事に終えられると確信したからで、更に言えば、このときに至るまでに、数多くの苦難があったからなおさら達成感がひとしおなのである。

 思えば、ここ数日、全く思い通りにいかない事ばかりだった。


 そもそもは簡単な仕事のはずだった。

 元大臣の隠し子を誘拐する。それだけだ。

 もちろん、白昼堂々仕掛けられればそれが一番楽だった。しかし、そうもいかない理由があった。その子の義理の母親、立花美和子が世間に知名度のある人間だったのだ。派手に動くことは依頼主にも固く禁じられていた。しかも、こちらの動きをなんとなく察したのだろう。美和子は娘をかたくなに一人にせず、警戒を常に緩めなかった。

 ただ、そんな鉄の女も隙を見せた。肝心の娘の手綱を完全には握れていなかったのである。

娘は美和子に内緒でとあるキャンプイベントに申し込んだ。しかも、なんだかんだで美和子はそのキャンプに娘を参加させることにしたのである。娘のお願いを無下にできなかったのであろう。これは致命的なミスだった。このことから、美和子ですら、事の重大さを正確には理解していなかったことがわかる。「きっとそこまでしてこないだろう」という楽観的な考えが透けて見えた。

 美和子と娘にとって、不運なことが二つあった。一つは、キャンプを企画したその企業は、元大臣の息が容易にかかる企業の一つだったのである。娘が参加するという情報はすぐに元大臣に伝わった。

 もう一つは、元大臣は「そこまでする」男だったのである。

 ここに来て、田代に依頼が来た。キャンプにスタッフとして潜り込み、騒ぎを起して娘を誘拐しろとのことだった。どう考えても楽な仕事だ。しかも、提示された報酬の額が半端ではなかった。少しドジって自分に嫌疑がかかっても、楽々と高飛び出来るほどの、それでいて海外で生涯遊べるほどの額だった。

 それだけ、元大臣が焦っているのを田代は感じた。何度か元大臣からの仕事を引き受けたことのある田代からして、これは悪いことだとは思わなかった。

 焦っている人間はいい。正常な判断も、合理的な判断も出来なくなって、思いついたり目についたりした選択肢にすぐに飛びつく。そういう相手とは仕事がしやすい。

 田代はプロボクサーを辞めざるを得なくなって以来、裏の世界の住人になった。それ以来、そういう焦っている人間を見つけ、より焦らせ、焦らし、ひょいと選択肢を与えることで意のままに操って利益を吸い上げてきた。時には得意の暴力も惜しみなく使った。

 だが、時代は変わり、田代のやり方も通用しなくなってきた。潮時かな。そんな風に考え始めていた。そんな時にこの仕事の依頼だ。最高の引退試合が舞い込んできたと思った。一も二もなく田代は依頼を引き受けた。

 田代は手元で一番頭のキレる二人の部下とともに、このキャンプに潜り込んだ。潜り込むポストは元大臣が用意してくれた。

 また、いざという時に罪をなすりつける用の臨時バイトも雇った。それが岸本あかりという女である。

 女は、夜の街を放浪する家出娘で、グレーで危なげな仕事をして日々の生活費を稼いでいた。しかもキャンプが趣味という。いざという時に味方をする家族もいないようだし、田代には好都合だった。

その女に田代の息のかかったコマを使ってバイトを紹介した。急ぎで人材を探しているから、破格のギャラなんだと説明され、女は何も知らないままにころっとだまされ、年齢を偽って応募してきた。田代はいざ事が大きくなったときにその女に全ての罪をなすりつけるつもりでいた。

 無論、キャンプを主催する企業側はこの計画を知らない。いつもの忖度で、いくつかのプログラムの変更と、健康診断の追加と、数人の働き口を用意しただけだ。それ以上は知らないし、知ろうともしない。それが賢い大人というやつだ。

 ここまでお膳立てされれば、楽勝だ。田代はそう思った。


 田代に与えられた条件は一つ。不自然でないこと。

 つまり、明らかに何者かに誘拐された状況だと思われなければ良いのだ。

 そこで、田代は熊を使うことにした。

 もちろん、熊を飼慣らすというわけではない。田代は曲芸師ではない。

 熊の存在を使うことにしたのだ。具体的には、こっそりフェンスにペンチで穴を開け、その周りに用意しておいた熊の毛なんかをこびりつけておく。これでキャンプは即刻中止になり、施設は子どもをいち早く迎えに来ようとする親でごった返すだろう。

 田代はあらかじめ、前もってその前日には春香をさらっておき、依頼主に届けておいて、後は知らんふりをする予定だった。

 後日になって、無論、美和子は大騒ぎするだろうが、こっちは混乱による手続きのミスだと平謝りするだけでいい。

 後は勝手に周りが想像してくれる。熊に食われただとか、自分で森に出て、遭難したのだとか。捜索隊を組むなり、なんなり好きにすればいい。


 しかし、キャンプが始まると、田代にとって予想外の出来事が続いた。

 まず、部屋のことである。

 本当は、春香は人数の関係がどうとかで一人部屋になる予定だった。

 そこに、企業の社長が直前になって娘とその友達がコネで割り込んできた。当然、余っていた春香の部屋に割り当てられた。あまりに直前だったために、元大臣の圧力を借りることも出来なかった。

 これで寝室での誘拐は難しくなった。


 次に、前情報が微妙に違った。

 ターゲットの立花春香という娘は、精神疾患を患い、友達などできるはずがない孤独な少女だと報告書にあった。

 しかし、実際は行きのバスの段階でもう友人を作り、常に行動を共にするようになった。目撃者を作らないことが要のこの計画において、これでは行動がとりにくいことこの上なかった。しかもその友人には社長の娘も入っていた。これではどうしようもない。


 次に、春香が確実に一人になる時間が潰された。

 春香は幼い頃の虐待の傷痕を気にしているため、入浴は個別でとることになっていた。その時間は完全に一人になる絶好の時間のはずだった。

 それがぶち壊された。あろうことか田代が用意した臨時バイトによってである。

 なんとその女が職員のルールを全てガン無視し、規定の時間外に入浴を始めたのだ。そして春香を一緒に風呂に入り始めた。この時間に誘拐することも出来なくなった。

 こうして、田代は一日目に春香を誘拐することが出来なかった。


 極めつけは二日目のフェンスの工作である。

 田代がフェンスに穴を開け終わり、用意した熊の毛を取りに行こうとしたタイミングで、あろうことかルールを破ってぶらついていた女の子がふたり、その場に出くわしたのだ。しかもそれはターゲットの春香とコネ娘のようだったが、だれにせよ現場を見られたのが問題である。田代はごまかすために、ろくに二人の顔も見ずに、その場で無線機で連絡を取らざるを得なかった。

 そして間の悪いことに例の臨時バイトの女が最初に駆けつけ、手持ちの一眼レフでフェンスの穴の写真を撮り始めた。それにより、隙を見て後から毛をつける事も出来なくなった。

 結果、なぜ出来たのかもわからない単なる穴では、そこまで大きな騒ぎにはならなかった。田代の必死の説得で、なんとかキャンプの短縮には成功したが、田代の期待したようなパニック状態にはならなかった。

 しかし、これでなんとか準備は整ったと田代は安堵した。部下に美和子への連絡を止めさせたので、美和子が迎えに来ることはない。あとは明日中のどこかのタイミングで部下に春香を連れ出させ、眠らせて、依頼主に届ければ良いのだ。

 しかも、部下に聞くところによると、春香は星空観察をしたいがあまり、食堂で大暴れしたらしい。実に都合が良い。ここに来て精神の病が良い方に作用してくれるとは。これで、春香がいなくなっても、「勝手に施設を抜け出して、森を通って展望台に向かい、遭難したのだろう」と周りは想像してくれるだろう。なんなら、部下にそれっぽい目撃情報を言わせてもいい。ようやく事態が好転してきた。なんとかなりそうだ。そう田代は胸をなで下ろした。

 しかし、事態は田代の予想のはるか上を行った。


 まさか、本当に脱走するとは。それも、3人一緒に。


 田代にとって幸運だったのが、その脱走事件の報告を、部下のところで止められたことだ。これで全スタッフに通達などされていれば計画は水の泡になるところだった。

 楽勝な仕事だと高をくくっていたが、冷静に考えればここまで進んだ計画の失敗は、田代の死を意味していた。元大臣はそういう男だ。

 春香が見つからなければ自分は死ぬ。春香が先に死んでいても自分は死ぬ。

 いつの間には田代はそんなぎりぎりの状況に追い詰められていた。


 だから、目的の子ども3人と脱走事件を唯一知っているリーダーをまとめて確保出来た今、田代は極度の緊張の反動で有頂天になっていた。

 予想外に、処理しなければいけない人数が増えたが、さらってしまえればどうにでもなる。施設が完全に無人になるまで、とりあえず全員一カ所に閉じ込めておいたが、とりあえず春香を連れ出して眠らせよう。


 この後のビジョンも固まり、気分が高まった田代は鼻歌を歌いながら倉庫に鍵を差し込んだ。カチャリと開錠し、ゆっくりとドアを開く。

 5人の人間の目が一斉に田代を睨み付けた。皆、両手を後ろ手で縛られた状態で床に座っている。

 田代は拍子抜けした。

 なんだ。てっきり一気に襲いかかってくるのかと思ったのに。

 そうされても、田代は楽々と全員をのす自信があった。むしろ得意の拳を振るう機会がなくて少し残念でもあった。

 まあいい。楽に越したことはないのだから。

「立花春香。立て」

 田代が低い声で言うと、おずおずと眼鏡の少女が立ち上がった。胸に手書きの「スピカ」の名札をつけているのがなんだかもの悲しかった。

 田代はため息をついた。田代も人間である。幼い子どもが非人道的な扱いを受けるのを見て喜びを感じる訳ではない。同情もする。

 しかし、仕事は仕事だ。田代は良心を仕事に持ち込んだりしない。

「こっちに来い」

 少女はゆっくりと田代の方に近づいてきた。思ったより従順であり、田代は逆に警戒した。周りの4人も田代を睨み付けるだけで何も言ってこない。

「止まれ」

 少女が止まる。

「後ろの奴らにお別れでも言え。もう会えねえだろうからな」

 床の4人の気配が変わった。

「どういう意味!」とあかりだかミオンだか言う女が叫んだ。

 なるほど。もしかしてこいつら、単に元大臣がこいつに会いたいだけだとか思ってんのか。おめでたい奴らだ。

 だが、少女はわかっていたらしい。顔色一つ変えずに、後ろを振り向いた。

そして、言った。

「シズカ。助けに来て。待ってるから」

 その首筋に、田代は用意してきた注射針を差し込んだ。一気に薬を押し込むと、数秒で少女の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。コネ娘が悲鳴を上げる。

「うるせえなあ。寝ただけだ。死んでねえよ。まだな」

 これで丸一日は目を覚まさないはずだ。注射を刺した場所も薬の量も適当なので、もしかしたら後々副作用があるかもしれないが、それは田代には関係のないことだ。

「じゃあな。もうちょっと大人しくしとけ」

 田代は少女を肩に担ぐと、ドアをバタンと閉めた。ガチャリと鍵をかけると、また口笛を吹きながら、歩き出した。

 日はとっくに沈んでいた。

 




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