【第4章】 星空キャンプ編 27
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夏の夕立が降りしきる森の中の道を、一台の軽トラが進む。ワイパーが忙しそうに行き来し、フロントガラスに溜まった水を押し流すが、絶え間なく降る雨は次々と流れ込み、フロントガラスの上に幾重もの小川を作った。そんな水の流れの隙間を覗くように、運転席のゆきおちゃんは目を細める。
「どこに向かったのでしょうかね」
ゆきおちゃんの言葉に、あかりは昨日の食堂での出来事を思い出す。別人のように激高した春香。
「展望台・・・・・・でしょうね」
「え? あそこまで、自力で? 子ども達だけで?」
あかりはため息をついた。普通は思いつきもしないが、あの3人はやりかねないと思った。
「とりあえず、展望台の方へ向かってくれる?」
「わかりました」
しばらくは一本道だったが、5分ほどで十字路があった。そこを左に曲がれば、展望台に続く道のはずだ。
ゆきおちゃんが左にハンドルを切ったところで、あかりは言った。
「スピードを落として。もしかしたら近くにいるかもしれない。探しながら進みましょう」
軽トラが速度を落とす。
助手席の窓を降ろす。少し雨が入ってくるが、仕方ない。
あかりは木々の間に目をこらしたが、林の中は薄暗くて道からはよく見えない。おまけに雨の影響で、木々の間は漆黒に見えた。林に入って数メートル先のところに人影があろうと、見つけ出すのは至難の業だ。道路沿いに痕跡がないかどうかだけを確認出来ればよしとすることにした。
「もう少し速くしていいわ」
軽トラの速度が上がる。
「速すぎる。見えない。」
「遅いわ。もっと速く。追いつけないでしょ」
ゆきおちゃんが苛立った声を出した。
「マニュアルなんで、難しいんですよ。わがまま言わないでください」
「何よ。使えないわね」
「だったら、ミオンさんが運転すれば良いじゃないですか!」
あかりはふんっと息を漏らした。
「・・・・・・私、免許もってないのよ」
「は? よく、この仕事、通りましたね」
「あんたこそ、ちゃんと免許持ってるの?」
あかりは少しムキになって、ゆきおちゃんが座席の間に置いていた手提げバッグをのぞき込んだ。長財布を見つけ、中を覗く。真面目な顔のゆきおちゃんが貼り付けられた免許証が見つかった。
「・・・・・・ゆきおって、本名なんだ」
ゆきおちゃんが、あかりの行動に驚いて叫ぶ。
「ちょ! 勝手に見ないでください! 何やってるんですか。モラルとかないんですか!」
あかりは物珍しげに免許証を眺めた。実際、あかりは本来は免許を取れる年齢ではないので、純粋に珍しかったのだ。
年齢から見て、大学生だろう。予想通りだ。
裏を見てみると、臓器提供に関する意思表示があった。へえ。こんなのあるんだ。
見ると、ゆきおちゃんは一番上の「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します」に丸を付けていた。自筆署名もしてある。
「へえ。もっと自分のことしか考えてないタイプかと思ってたわ」
ゆきおちゃんはちらりとあかりの持っている免許証を見て、「ほんとに失礼な人ですね」とため息をついた。軽トラの速度を極端に遅くする。
「まあ、自分の死が誰かのためになるのは悪いことではないと思いまして」
「ふうん」
「とはいえ、親族以外では組織適合することはそうそうないそうですが」
「へえ」
そういうものなのか。別にあかりも興味があったわけではないので、生返事になった。
しかし、ゆきおちゃんは急に饒舌になった。まるで小説の話をする時の斉藤ナツのように。天体の話をする時の立花春香のように。
「ええ。大雑把に言うと、HLAに関してなら直系親族は完璧な適合率は2分の1ほど。兄弟姉妹間なら4分の1程度ですが、親族以外なら1000分の1まで確率が下がると言われています。拒否反応が出てしまうんですね。ですが、臓器移植に関しては、最近、医療の進歩がめざましいです。免疫抑制剤も進化していますし、近いうちに親族以外でも・・・・・・」
なんだこいつ。医療ドラマオタクか。
あかりがちょっと引き気味に「詳しいのね」と言うと、 ゆきおちゃんは「ふふん」と笑った。
「こう見えて、医学部ですので」
その言い方が鼻についたので、あかりは免許証と財布を乱暴に戻すと、「いいから! スピード上げて!」とぶっきらぼうに言った。
ゆきおちゃんはまだ話し足りなさそうにしていたが、あかりの態度を見て、医学の話をもう聞いてもらえないと悟ったのだろう。残念そうにため息をついて、軽トラのアクセルを踏み込んだ。
「・・・・・・いっそ展望台で待ち伏せしますか? むやみに森を探し回るより効率的ですよ」
しばらく木々の間を睨み付けながら林道を走ったところで、ゆきおちゃんが言った。あかりも一瞬考える。
確かにそうだ。だが・・・・・・
「いえ、もうしばらく進んだら、私たちも森に入るわ」
「なんでまた」
あかりは次々と視界から消えていく木々を眺めた。
「森は危険だわ。獣だっている。一刻も早く見つけないと」
「そんなの、そうあることじゃありませんよ。あのフェンスの穴だって、熊かどうかあやしいものですし」
「だとしてもよ」
万が一と言うこともある。
ふと、あかりの頭に、妹の姿が浮かんだ。
あかりは視線を落として、通り過ぎていく濡れたアスファルトを見つめた。雨粒が跳ね、割れ目に溜まり、小川になって流れていく。
自分が実家に置き去りにした幼い妹。
身代わりになってでも、自分が助けるべきだった、まだ幼い妹。
「・・・・・・子どもは、大人が守ってあげなくちゃ」
どの口が言うんだと、あかりは自分でも思った。
自分はあの時見捨てたくせに。
自分のことしか考えなかったくせに。
きっと妹は泣いているだろう。自分も連れて行って。自分の側にいてと。
あかりは助手席のドアの窓枠に額を押しつけた。流れ落ちた雨が後頭部に垂れ、耳を濡らす。
だからこそだ。
今度は、今度こそ、私は守らなければならない。
あかりは下唇を噛んで、顔を上げた。
それとほとんど同時だった。
あかりの視線の先。濡れそぼった林の遥か奥で。
花火が打ち上がった。




