【第4章】 星空キャンプ編 20
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風呂上がりの春香は、部屋に戻るなり、ナツと奈緒に連れ出された。
向かった先は宿泊棟の屋上だった。春香達の部屋は3階で、そこからさらにもう一回、階段を登る形なので、高さは4階に相当するのだろう。
どうせ施錠されていると思い込んでいたが、全面がフェンスで覆われているためか、鍵は開いていた。
「大野ディレクターがたばこ吸いに来てたんだよね」
奈緒がさらりと言う。もう、奈緒が大人を一人、尾行していたくらいでは春香も驚かなくなってきていた。
「この高さからだと、全貌がつかめるわね」
ナツはそう言って、フェンスの網目越しに施設を見渡した。
確かに、宿泊棟は敷地のちょうど真ん中に位置するし、施設内で宿泊棟より高い建物はないので、塀に囲まれた青少年自然の里をぐるりと見回すことが出来た。
暗い森のど真ん中にある青少年自然の里は、フェンスに取り付けられた照明で隙間なく照らし出されていた。おそらく、タヌキ一匹が走っていてもすぐに見つかるだろう。施設内を数人でうろついている職員やリーダー達は、パトロールだろうか。
ナツがぼそりとつぶやいた。
「本当に、刑務所みたいになっちゃったわね」
春香は黙って頷く。
私たちを守ってくれているはずの設備や大人達の動きは、結果的に、私たちを完全に閉じ込める形となっていた。
「奈緒。双眼鏡」
ナツが手を出すと、奈緒が「あいあいさー」と双眼鏡を渡す。なんか、探偵とその助手みたいだ。
ナツは双眼鏡で施設中を見回していた。
「あれが、一日目の炊事場ね」
春香もその方向に目をやった。あの女がフェンスの向こうに立っていた場所だ。
「これが、食堂」
ナツが望遠鏡をすぐ真下に向ける。さっきまで3人が白ご飯を掻き込んでいた食堂が宿泊棟のすぐ近くにある。今は片付けが始まっているようで、おばさんの一人が裏口からゴミを出していた。裏口は厨房の中に直接繋がっているらしかった。
「そして、あれが、あんた達が今日、見つけた倉庫ね」
食堂から視線を伸ばすと、確かにあの花火がしまわれた倉庫が見えた。
こう見ると、炊事場と倉庫は食堂を挟むようにして、対極に位置していたらしい。
上から見ると位置関係がよくわかる。
ちなみに、ナツが今、持っている双眼鏡は天体観測のために春香が持ってきたものだ。他にも、星座早見表や方角を知るためのコンパスなども春香のボストンバッグには入っている。
ふと、夜空を見上げてみたが、空はどんよりと曇っていた。湿気の高い生暖かい風が風呂上がりの体を撫でる。
「大丈夫だよ。天気予報では雨は降らないって。それに、明日の夜は快晴だよ」
上を見上げて顔をしかめた春香に、気を遣って奈緒が言った。
「うん。そうだといいね」
ナツはある一カ所をじっと双眼鏡で眺めていた。
そして、すっと双眼鏡を降ろすと、「部屋に戻るわ」と踵を返した。
「作戦会議よ」
「流れ星☆脱獄大作戦」の作戦会議は、3段ベッドで行われた。
言わずもがな、春香達の部屋には2段ベッドしかない。奈緒が3段目を発見したのだ。というか、床である。
1段目の下の隙間、ベッドと床の隙間に、人一人がスポンと入れるぐらいの空間があることに奈緒が気づいたのだ。
「この下の所にハルちゃんが入れば、3人で寝れるよ。そしたら作戦会議も寝転びながら縦にできるじゃん」
面白いアイデアではあったが、春香はそんな埃だらけになりそうな所には、悪いが絶対に入りたくなかった。
ということで、春香がもともと使っていたベッドの2段目、ナツがその下の一段目に引っ越してきて、言い出しっぺの奈緒がその3段目というか、0段目に入り込んだ。新築のおかげで埃一つなかったそうで、奈緒は上機嫌で、布団ごと0段目に引っ越してきた。流石に床は固かったのか、余った敷き布団を使って二枚敷きにしていたが。
「じゃあ、まず、これから解決していかなければいけない議題を整理しましょう」
1段目のナツが言った。ナツはベッドの上に手持ちのノートを広げている。
「まずは、なんたって天体観測よ。春香。天体観測に必要なものはある?」
「うーん。星座早見表も、双眼鏡も、コンパスもあるから、あとは懐中電灯かな。夜も移動するかも知れないし」
「そうね。人数分はほしいわね」
ナツはノートに書き込んだ。
解決課題① 天体観測 懐中電灯
「次は、展望台への道筋。これは地図があるから半分解決ね。よさげなルートを決めないと。春香、コンパスちょうだい」
「うん。天体観測用にもってきた安物だけど」
春香はベッドの四隅の隙間から下の段をのぞき込み、その穴からコンパスを落とした。ナツが受け取る。
解決課題② 展望台へのルート
「逃走箇所はどうするの? まさか出入り口を開けて出るわけにはいかないよね。どこも施錠されてるし、正面のゲートのとこにはいつも田代さんがいる」
解決課題③ 逃走経路
「そうね。それに、さっき見たところ、パトロールがうろついていたわね。ナオちゃん、パトロール状況の情報は集まった?」
ナツが下の段に向かって聞いた。0段目の奈緒が、ナツのベッドの四隅の隙間から顔を覗かせる。
「うん。お風呂の前に、もう一回、杉施設長のところに言って『熊がこわいですー。不安ですー』って嘘泣きしたら、安心させようとして、警備状況を事細かく話してくれたよ」
相変わらず、ちょろいなあ。杉のおじいちゃん・・・・・・
「杉ちゃんによると、一時間に一回、三人一組でリーダーが施設を一周するんだって。ただ、時間ごとに割り振られているだけの感じだから、どの時間にどこから出発で、どっち向きに回るかとかはわかんないって」
奈緒は隙間から声を張った。なんだか、3段ベッドより、全員でテーブルを囲った方が遥かに効率的な気がした。しかし、奈緒が楽しそうなので、まあ、よかろう。
「なるほど。ちょっと不確定要素が多いわね。それならむしろ、私たちのほうがパトロールの動きを見ながら動くしかないわね。例えば、屋上からとかから、一人が大人の動きを見張っていて、逐一、実働部隊に合図を送る形かしら」
そう言ってナツはまたノートに書き込んだ。
解決課題④ パトロール(連絡手段確保?)
0段目の奈緒が叫んだ。
「ねえ! ご飯はどうするの? お腹がへったら戦は出来ぬだよ」
確かにそうだ。少なくとも丸一日は自分たちで飲食を工面しなければいけない。
ナツも真剣な表情で頷いた。
「そうね。水は水筒に水道水を満タンにしていくとして・・・・・・ 食べ物も用意しないと」
解決課題⑤ 食料
2段目の春香。
「じゃあ、明日の出発は、食堂でお昼を食べてからの方がいいね。一食分、心配がへる」
1段目ナツ
「ええ。でも、食べたらすぐに出発するぐらいじゃないと、夜に展望台まで間に合わなくなるわ」
0段目奈緒
「ということは、大人だらけの食堂を、どう抜け出すかだね。杉ちゃん曰く、食事の時間はパトロールもないんだけど、逆に言えば、大人は全員、食堂に集合してるってことだから」
1段目ナツ
「そうね。おとり、誘導、何にせよ、大人達の気を引いて隙をつくる必要があるわ」
解決課題⑥ 誘導作戦
「よし。じゃあこの六つの課題を順番に相談していきましょう。まずは・・・・・・」
そう話し始めたナツを春香は、「ごめん!」と遮った。
「もう一個あった・・・・・・」
春香は下を覗いた。ナツと、ナツの下の隙間から顔を覗かせている奈緒も春香を見る。
忘れていた。完全に忘れていた。
解決課題⑦ 美和子さん
春香が公衆電話の前でテレフォンカードを取り出すと、奈緒が「それ、なんか、いいなあ。ちょっと欲しいかも」と言ってきた。その口調に春香はなんだか嫌な予感がしたので、「とらないでよ」と釘をさす。
「と、友達のものを盗んだりしないよ! 失礼だな!」
奈緒がムキになって叫んだ。だが、隣のナツをチラチラ見ながら必要以上に焦っているのが、なんだか、より怪しかった。それに、奈緒の手癖の悪さは地図の件で発覚している。まあ、その能力がこれから大いに役に立つかもしれないが。
春香は公衆電話にテレフォンカードを入れ、自分の携帯の番号を打ち込もうとし、そこで動きを止めた。
ええと・・・・・・
「え、ハルちゃん、番号また忘れたの」
「ごめん・・・・・・」
自分の携帯の番号をまたしてもど忘れした春香だったが、なんと、奈緒が完全に覚えていた。これまでも何度か思ったが、奈緒は記憶力が並外れている。
番号を押し終わると、呼び出し音が鳴る。春香は深呼吸した。
今回のフェンスが壊れた騒動については保護者に連絡済みのはず。
つまり、美和子さんもキャンプが短縮されたのは知っているはず。それ自体は問題ない。だが、春香が恐れているのは、美和子さんが直接、長野に迎えに来ようとしていた場合だ。
忙しい身とはいえ、美和子さんは即決断、即行動の人だ。もしかしたら、もうすでに高速に乗って長野に向かってきているかも知れない。今日のうちに家に連れ戻されたりなんかしたら、全てが気泡と化す。
もし、迎えに来ようとしているのならば、「いやだ! 明日までいる! みんなと一緒にバスに乗って帰るの!」と泣き落としをしてでも阻止しなければならない。
わずかな物音がして、通話がつながる。
『あら。春香。今日は早かったじゃない』
「え? ああ、うん。昨日はぎりぎりになっちゃったから」
『どう? 何事もない? 楽しんでる?』
ん?
春香は聞き耳を立てているナツと奈緒と3人で顔を見合わせた。
「今日が二泊目だから、春香がたのしみにしてた天体観測は明日ね。よかったわね。明日は、長野は晴れ予報よ」
もしかして、美和子さん、知らない?
おかしい。大野が言っていたはずだ。各班の担当のリーダーから保護者に連絡が行っているはず。
各班の担当のリーダーから・・・・・・
春香達、5班の担当のリーダーは、すず。ゆきおちゃん。
それから、ミオン、改め、岸本あかり。
あの人、仕事に関しては超適当だからなあ。
「美和子さん、今、どこにいるんですか?」
『え? 講演先のホテルだけど? 今日も忙しくて』
なるほど。じゃあ、もし家の電話に留守番メッセージがあっても聞けていないはずだ。第二連絡先として、美和子の携帯番号も運営に提出しているはずだが、きっと、あかりは、そこまではめんどうくさがってしなかったんだろう。
なんにせよ、チャンスだ。
『春香? なんかあったの?』
勘のいい美和子さんが探るような声を出す。
「ううん! 何もないです! 超順調!」
『そう。ところで、ちょっとスタッフの人に聞きたいことがあるんだけど』
「え?」
春香は固まった。
『後で運営さんに電話しようと思ってたんだけどね。今、近くに誰か大人の人いない?』
まずい。運営に電話をされたら、確実に今回の騒動のことが伝わってしまう。そしたら、美和子さんは今からでも長野に向かってくるかもしれない。そしたら、下手すれば今晩中に連れ戻される。
どうしよう。
その時、ぱっと、奈緒が受話器をひったくった。そして、小さく咳払いをするとしゃべり出した。
「どうも。ディレクターの大野です」
後ろのナツが吹き出した。すごいしわがれ声だった。どうやってるんだろう。
「ええ。そうですね。はい。ええ。春香ちゃんはとても良い子にしてますよ」
奈緒は喉を押さえながら器用に低い声を出していた。大野の声に似ているかと言われると微妙だが、少なくとも大人の男の声には聞こえる。電話越しなら問題ないだろう。
すごいな。ナオちゃん。ぱっとこんなこと出来るなんて。きっと練習したんだろうなあ。
いや、なんのために?
奈緒の名演技がしばらく続いた。美和子さんは特に何か大事な用があったわけではなく、春香の様子を客観的に知りたかっただけのようだ。
「はい。帰りの時間は全く予定通りなので。ご安心ください。では、二日後に」
奈緒が極限に低い声で会話を締めくくり、受話器が春香に返ってきた。
『春香。昨日の友達とはなかよくやれてるの』
「う、うん。なんなら、今日はもう一人いますよ。話します?」
『ほんと? ちょっと信じられないわね』
ナツが受話器を受け取る。
「こんばんは。ランプです。娘さんには昨日からお世話になっています」
声を戻した奈緒も後ろから叫ぶ。
「後ろに控えるのは、昨日お話したマッチでーす! 長野は今日も平和でーす!」
個性的な友人の紹介が終わったところで、受話器が戻ってくる。
『楽しそうね。安心したわ。明日の日中の予定は?』
「え? えーと」
言えない。この3人で流れ星☆脱獄大作戦を敢行します、とは。
「いろいろです」
『そっか』と美和子は笑った。
『じゃあ、また明日ね。電話、待ってるわ』
「はい。また明日」
ごめんなさい。美和子さん。明日は、電話をかけられません。
本当に、ごめんなさい。




