【第4章】 星空キャンプ編 19
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かくして、12歳の少女、斉藤ナツ、清水奈緒、立花春香の3名による「流れ星☆脱獄大作戦(奈緒命名)」が始動した。
楽しげに始動した計画であったが、始めに春香に与えられた任務は、謝罪大会であった。
ひたすら、出会う大人、出会う大人全員に頭を下げまくった。
「昼は食堂で暴れてすみませんでした! 反省してます! もうしません!」
これには明確な理由がある。
流れ星☆脱獄大作戦の最たる肝の部分は、「気づかれないこと」である。準備の段階で発覚してしまえば、どうしようもないのだ。そのためには、目立ってはいけない。
しかし、春香は現段階でこれ以上ないほど目立ってしまっている。だから、まずは大人達の警戒を解かなければならない。問題児として睨まれている状態では、動こうにも動けないからだ。
平謝りする春香に、大人達は、基本的に笑顔で許してくれた。尋常でないキレ方だったためにむしろ心配されていたようだった。本当に申し訳ない。
特に、大野ディレクターと、すずには、春香は誠心誠意、全力で謝罪させてもらった。二人も笑って許してくれた。大人だ。
特に大野ディレクターに関しては、ミオンが春香を投げ飛ばしたことについての方に心配していた。加減してもらっており、特に怪我はなく、対応に何の不満も持っていないことを伝えると、大いに安心した様子だった。
しかし、こんなに反省してますと連呼しながら、明日、施設を脱走し、とんでもないご迷惑をかけようとしているのだから、我ながら面の皮が厚い。
宿泊棟中をあらかた探したが、ミオンは見つからなかった。
春香がミオン以外へのほぼ全員への謝罪大会を終えた頃、夕食の時間になり、食堂に移動した。
昨日までは「何時に食堂集合。遅れないようにね」と指示があるだけで、子ども達は思い思いのタイミングで割と自由に移動していた。しかし、夕食からは、安全のためか、子ども達は先に宿泊棟で整列をさせられてから、集団移動する形に変更されていた。
子ども達がぞろぞろ移動するのを、リーダー達が囲んでいる。宿泊棟から食堂まではわずかな道のりだが、その道の両側にリーダーがぞろぞろ立っているのだ。
ひぐらしが鳴く中、夕日に照らされたリーダー達の長い陰が等間隔に延びている様は、なんとも不気味だ。
熊が施設内にいるわずかな可能性を考慮した布陣なのだろうが、なんだか監視されているみたいだ。
自分たちがよからぬことを企んでいるからそう思えるのだろうか。
もともと野外炊事の予定だったせいか、夕食は冷凍食品ばかりでなんともちぐはぐなメニューだった。とはいえ、3人は昼食をほとんど食べていなかったので、ガツガツ食べた。ここにきて、白ごはんのおかわり自由に助けられた。
しかし、やはりおかずも追加でほしくなるものだ。奈緒なんて、おかずを食べ終わった後、とりわけの見本として置かれた、ラップで包まれた展示メニューを物欲しそうにながめ、なんならこれをもらえないかと食堂のおばちゃんに交渉していた。案の定、断られていたが。
食堂を出る頃には日が完全に暮れ、夜になっていた。しかし、驚いたことに、帰り道は人工の光で明るく照らされていた。
昼間は気が付かなかったが、施設を取り囲むフェンスには、数メートルごとにスピーカーだけでなく、大きな照明が取り付けられていたのだ。かなりの光度のようで、先ほど通った通路は、真昼のような明るさになっていた。
再び両脇を固めているリーダー達の陰は、ライトの光でより一層長くなり、化け物の陰が並んでいるようだった。
職員用の浴場の暖簾を、お風呂セットを片手にくぐった春香は、脱衣所のカゴの一つが使用されているのを確認し、ごくりと生唾を飲んだ。予想はしていた。
眼鏡と服を脱ぎ、タオルを手に大浴場に入る。
湯船には、ミオンが背を向けて入っていた。湯気の中、肩越しに春香を振り返り、「よっ」と手を上げる。春香もぺこりと頭を下げる。
体を洗った後に、湯船に入り、ミオンの隣に腰を下ろす。今日もミオンの真似をして、足を伸ばした。
「あの、今日は、食堂で・・・・・・ すみませんでした」
気まずくてミオンを直接見ることができず、湯船におぼろげに映ったミオンの横顔に謝った。
湯船に浮かぶミオンの横顔が、くすりと笑った。
「こっちこそごめんね。思いっきり投げちゃった。痛くなかった?」
「あ、はい。頭はちゃんと支えてくださってましたし」
「そう? よかった。気絶しちゃったから、正直、あせったよ。大野ディレクターにマジギレされた」
「ほんとすみません」
「いいって」
春香は水中で両の手を握りしめた。覚悟を決めて、ミオンの横顔を直接見る。
「あ、あと、あのカメラのこと!」
「ああ、昼間の一眼レフ?」
ミオンもこちらを向いた。目をそらしそうになるのを必死にこらえる。
「か、形見なの、知らずに、なんか変な風に聞いちゃってごめんなさい!」
ミオンは一瞬、ぽかんとしたが、すぐに笑い出した。
「なんだ。そんなの気にしてたの」
ミオンは前を向いて、ぐっと手足を伸ばした。
「あれね。もともと父のなんだ」
ミオンは湯気を眺めるようにちょっとだけ上を向いた。
「私が小さい頃に死んじゃってね。思い出はほとんどないの。まあ、残ってたフィルムに幼い私の写真がたくさん映ってたから、きっとやさしい人だったんだと思う」
春香はミオンの横顔を見て、黙って話を聞いた。
「父が死んだ後、母はすぐ再婚したの」
ミオンは話し続けた。まるで、なんでこんな話をしているんだろうと、自分で不思議がっているかのような表情で。
でも、心のどこかで誰かに聞いてもらえるのを待っていたかのような、そんな顔で。
「それがろくでもない男でね。そりゃもうひどい目にあったわ。母も全然助けてくれないし。しかも、陰湿なやつだったから、学校とかにはばれないように、外面だけはよくしてて、吐き気がした」
春香は、傷だらけのミオンの体を見つめ、それからまた傷一つないミオンの横顔に目線を戻した。
ミオンは明るい口調で話しているが、きっと壮絶な日々だったのだろう。
「ある日、流石にやばいと思ってね。中学卒業のタイミングで、家出したのよ。着の身着のままってやつで、父の一眼レフだけ、大事に持ち出して」
春香はあることに気が付いた。
初めてミオンを見たとき、化粧が少し濃いと感じた。若作りなのか、それとも何か痣でも隠しているのかと思った。しかし、すっぴんのミオンの顔を見て、春香はその理由がわかった。
逆だ。ミオンは若いのだ。
小学生の春香に、年上の年齢が正確にわかるわけではない。でも、ミオンが少なくとも成人していないことはわかった。恐らく、本来は高校生ぐらいだ。
きっと、このキャンプリーダーのバイトにも年齢をごまかして応募したのではないのだろうか。
そう考えると、わざわざ人が来なさそうなこの時間帯に、こっそり一人で入浴しているのも説明がついた。
「せいせいしたわ。もちろん、一人で生きるのは大変だったけど、どうにでもなった」
ミオンは笑った。
昔話であるかのように語っているが、春香に比べてまだ新しい体の傷痕は、今の話がそう昔のことではないことを物語っていた。
そこで、ふっとミオンが笑みを消し、湯船を見つめた。
「・・・・・・妹がね、いるの。とっても可愛い子。このキャンプに来るまで、ずっと忘れてた」
ミオンの瞳が一瞬、揺れた。
「自分のことばっかりで、すっかり忘れてた。まだ、小さいのよ。あんたたちよりもずっと。そんな子を、あの家に、残してきちゃった」
春香は思い出した。シズカのこと。冷たいフローリングの上に姉を残して、一人で部屋を出た、7歳のあの日のことを。
「迎えに行ってあげなきゃ、いけませんね」
気が付けは、春香はそう言っていた。ミオンが驚いた顔で、春香を見る。
「きっと、今すぐには無理なんだと思います。でも、いつか」
私は、シズカを助け出すことができなかった。
ずっと支えてくれていった姉を置いて。自分だけ生き延びた。
どうしようもなかった。
わかってる。きっとミオンもどうしようもなかったのだろう。
昨日、お互いに大変だと言い合った仲ではある。だけど、きっとミオンに春香の苦しみがわからないのと同じように、春香もミオンの苦悩の本当のところはわからない。こんなことを言える権利は誰にもない。わかってる。
でも、それでも。
「ミオンリーダーが、妹さんを、助けてあげないと」
ミオンは泣きそうな顔で春香を見つめた。
「その子には、ミオンリーダーしか、いないんでしょう?」
ミオンは表情をゆがめ、泣き出す寸前の顔になった。でも、目から滴を落とすことはなかった。
ミオンは前をむき、お湯をばしゃばしゃと顔にかける。
「そうね」
顔を上げたミオンは、一度は取り乱した表情をしっかり、きちんと立て直し、最後は深く頷いた。
「必ず、迎えに行くわ」
春香も頷いて、前を向いた。
しばらくの沈黙が二人の間に流れた。でも、決して、嫌な感じではなかった。
「変な話、聞いてもらって悪かったわね。先にあがるわ」
ミオンがばしゃりと立ち上がた。
「ありがとう。スピカ」
ミオンが脱衣所に向かう。
その背中に、春香は叫んだ。
「私、春香って言います! 立花春香!」
ミオンはまた驚いたような顔で振り向き、少し悩んだ表情を見せてから、ふっと微笑んだ。
「ミオンはね、妹の名前なの」
くるりと前を向き、歩き出す。
「私は、あかりよ。岸本あかり」
岸本美音の姉である、当時16歳の彼女はそう言って、肩越しに手を振った。




