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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第4章 ずっと側にはいられない
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【第4章】 星空キャンプ編 15


 15


 昼食の間、春香、マッチ、ランプの三人は黙りこくっていた。

 今日の昼食はいつもの食堂。メニューは焼きそば。ウインナー2本。ごはん。オレンジジュースだった。ごはんはいつも通りだが、めずらしく焼きそばも大盛りにしてもOKだった。子ども達はこぞって皿に限界までのせようとチャレンジし、大いに盛り上がっていた。

 しかし、春香達は3人とも最低限しか盛り付けなかった。食欲がなかったのだ。春香は食べ始めたらお腹がすくかと思ったが、変に緊張して収縮した胃は一向に回復する様子がなく、焼きそばの具のキャベツ一枚を飲み下すのにも時間がかかった。

 何も知らずに呑気に騒いでいる子ども達の群れの中で、春香達三人が座っているテーブルだけが取り残されたように静まりかえっていた。

 いつもならマッチが「焼きそばがおかずってどういうセンスしてんのよ」とメニュー設定についてあれやこれやと怒り出す頃合いだが、そのマッチも物言わずに焼きそばを口に運んでいる。その割にはペースが遅く、皿は半分も減っていなかったが。


 あの後、田代の無線に反応してかけつけたミオンに、私たちは引っ張られるようにして焼き杉の作業場に連れ戻された。私たちと入れ違いになるように、大野ディレクターと杉施設長がフェンスに向かって走って行った。

 作業場に着いた後、ミオンはすずと何やら早口で話していた。そしてトランシーバーに何かしら返答をしながら、どこかに行ってしまった。

 それからしばらく後、施設全体に放送がかかった。施設の各箇所にスピーカーが設置されていたらしい。「リーダーは子ども達を食堂に移動させてください。その後、食堂以外の職員は全員、本部に集合してください。繰り返します。リーダーは・・・・・・」とこんな感じだった。

 春香とマッチはこの件についてミオンに強く口止めされていたが、ランプに出会った瞬間に、ランプを隅に引っ張っていき、なんの迷いもなく事細かく説明した。矢継ぎ早に、お互いに発言を奪い合うかごとくまくし立てたので、さぞ聞き取りにくかっただろうが、ランプは顔色一つ変えずに黙って聞いてくれた。

 そして、全てを聞き終えたランプは静かに言った。

「キャンプはもう、終わりかもね」

 

 春香はほとんど手を付けていない昼食を前に、ついに箸を置いた。

 ランプに早口でまくし立てていたときは、正直、興奮していた。わくわくしていたといっても過言ではない。周りの大人が焦るほどの事態の始まりをその目で目撃したのだ。刺激的だった。

 しかし、ランプの一言で、一気に冷静になった。冷や水をかけられるとはこういうことを言うのだろう。

 そうだ。運営側の大人達がスリルなんて求めるはずがない。野生動物がキャンプ場に侵入したかも知れないのだ。安全が確保されないなら、キャンプがここで中止になる可能性だって十分にある。

 せっかく二人と友達になれたのに。

 まだ、星空観察もしていないのに。

 そう考えると、春香はまるで内臓をわしづかみにされたような、床に転がった状態で腹を蹴り上げられたときに似たような、自分の心と体がバラバラになってしまうような感覚に陥った。


「にわかには、信じがたいわね」

 おもむろに、ランプが口を開いた。信じがたいのが焼きそばと白米がセットであることについてではないことは、聞かなくてもわかった。

「熊が、フェンスを壊してまで入ってこようとするかしら」

 ランプが提示した疑問に、マッチは首をかしげた。

「熊って超、凶暴なんでしょ。人里に降りてきて、人を襲ったりだとか、山の中で人が食べられたりだとか、ニュースでやってるじゃん。」

 ランプも食べかけのまま、箸を置いた。

「ああいう報道のほとんどはヒグマよ。ヒグマの生息地は日本では北海道のみ。ここらへんにいるのは、ツキノワグマのはず」

 マッチは春香を見て、「どう違うの?」と小声で聞いた。春香はなんとも反応しかねた。春香が詳しいのはおおぐま座であって、本物の熊ではないからだ。

 しかし、ランプにはしっかりと知識があったらしく、淡々と説明してくれた。

「気性が全然違うわ。ヒグマは凶暴で好戦的だけど、ツキノワグマはずっと大人しい。人間にも滅多に近寄らないわ。そんな動物が、山沿いの畑や田んぼに来るならまだしも、丈夫なフェンスを突き破ってまで人の領域に入ってこようとするかしら」

 そう言われると、おかしい気もする。

「それに、ツキノワグマは木登りも上手なはず。わざわざ固いフェンスを下から壊さなくても、フェンスぐらい越えようと思えば越えられるんじゃないかしら」

 ふーむ。

 そこまで聞くと確かになにか不自然に思えてくる。だが、ランプの知識を疑う訳ではないが、ランプは所詮、春香と同じ小学6年生だ。きっと知らないことだってたくさんあるはずだ。なので、春香は「そうなのね! じゃあ熊じゃないんだ!」と手放しに喜ぶことは出来なかった。

 しかし、マッチは違った。

「そうなのね! じゃあ熊じゃないんだ! よかったあ」

 別にマッチが短慮なわけではないし、愚かなわけでもないことは春香も知っていた。ただ、マッチのランプへの信頼があまりに揺るぎないのだ。時に危険なほどに。

 だから、春香がランプに問いかけた。

「じゃあ、ランプちゃん。なんで穴が空いてたの?」

「そうね」

 ランプは腕を組んだ。

「新築なんだし、経年劣化は考えられないし・・・・・・ やっぱり、何かが入っては来たんじゃないかしら」

 春香はごくりと唾を飲み込んだ。

 何かが、這入ってきた。

 熊以外の、「何か」が。


「皆さん、前に目線と体を向けましょう!」


 大野ディレクターの野太い声で子ども達が一斉に前を向く。

 前には大野ディレクターと杉施設長が立っていた。隣にはリーダー達が整列している。田代警備員の姿は見えない。

 マイクを握った大野はいつものわざとらしい笑顔は作っていなかった。真剣な表情をしていた。大野は全員が自分に注目していることを確認すると、ゆっくりと話し始めた。

「先ほど、施設のフェンスの一部が破損していることが確認されました」

 食堂がしんと静まりかえった。

「原因はわかりません。警備員の田代さんは野生動物が入り込んだせいではないかと考えています」

 大野はあえて「熊」という表現は避けたようだった。懸命な判断だろう。そうでなくても、子ども達の中には不安な表情を浮かべている子が多くいた。もちろん、春香もその一人だ。

「ですが、私はそうは思いません」

 大野はおもむろにマイクを握り直した。

「穴の空いたフェンスには、動物の毛や血など、つまり、当然つくはずの、動物がやったであろう証拠がなかったからです。一応、田代さんは今、出入り口を完全に封鎖し、車で施設内をパトロールしてくれていますが、今のところ何も見つかっていません。施設内に動物が潜んでいる可能性は低いと思われます」

 食堂中に安堵の空気が流れた。春香も「ふー」と息を吐く。

 良かった。どうやらキャンプは続けられる。星空観察もきっと出来る。

 しかし、次の大野の言葉で、春香は凍り付いた。

「とはいえ、予想外の事態であることには変わりありません。私はこのキャンプの総責任者として、全ての可能性を考えた上で判断をしなければなりません」

 春香は息をのんだ。

 シズカが『おい。うそだろ』と脳内で叫ぶ。

「施設長や職員の方と話し合った結果、皆さんの安全を第一に考え、このキャンプを中止することと、決定しました」

 すっと、深い水の底に落ちていく、そんな感覚に春香は襲われた。


 一気に場が紛糾し、子ども達が次々に立ち上がり、口々に異を唱え、大声で叫び、暴動が起こる・・・・・・ことはなかった。

 食堂はしんと静まりかえっていた、それはそうだ。

 みんな、こわいのだ。

 このキャンプは、一夏の思い出をつくるイベントではあるが、命がけの冒険をするのが目的ではない。それは本来の趣旨とかけ離れている。きっとキャンプという非日常のレジャーは、しっかりと安全が担保された上で、初めて楽しめるものなのだ。

 だから、みんな、ちょっとでも危険があるなら、安全な家に帰りたいのだ。両親が待つ、暖かな場所に。

 だから、この場で、立ち上がって、異を唱えるものなど、いるはずがない。


「ふざけるな」


 春香がそう思った矢先に、一人の少女が立ち上がった。

 このテーブルの子だった。食堂中の視線が一気に集まる。

 マッチではない。マッチもぽかんとその子を見ていた。

 ランプでもない。ランプも目を見開いて彼女を見ていた。

 春香だった。

 春香自身も呆然として自分の行動を見ていた。え、なんで私、立ってるの。

「ふざけるなよ」

 春香の口が無意識に動いた。春香の両手は腰の横で震え、痛いほど握りしめられている。肩が怒りでわなわな震えているのがわかった。

 これは春香の怒りではない。春香は確かにショックを受けた。悲しかった。でも、怒ってなんかいない。だってしょうがないじゃないか。大野だって、責任者として正しい判断をしてくれただけだ。怒ることなんてない。

 しかし、春香の体は勝手に動き出した。そばの椅子を蹴り飛ばし、悲鳴を上げる子どもに一瞥もせず、前へ進む。そして、大野に向かって、叫んだ。

「じゃあ、天体観測はどうなるんだよ!」

 その瞬間、春香は事態に気づいた。

『シズカ! やめて!』

 体が、春香の体が、死んだ姉に乗っ取られていた。

 頭の中で春香に話しかけてくるだけの存在だったシズカが、いまや春香の体の主導権を握っていた。対して、春香は逆に意識の中で叫ぶことしか出来なかった。

「なんのためにここまで来たと思ってんだよ! 流星群を見るためだろうが!」

 大野はぽかんと口を開けていた。その大野に向かって、シズカはずんずんと詰め寄っていく。

『シズカ、だめだよ。その人は悪くない! 止まって!』

 しかし、シズカは止まらなかった。春香が思ってもないことを、食堂のみんなが注視するなかで、次々と叫ぶ。

「ふざけんな! こんな長野くんだりまで、板っきれを焦がすために来たんじゃねえぞ! 田代は何やってんだよ! 熊ぐらい倒すみたいなこと言ってたじゃねえか! 口だけかよ! ああ?」

 聴衆はざわつくこともなかった。あまりの事態に水を打ったように静まりかえっている。そんな中、シズカの声だけが響く。春香の喉から出される、小学生の高い声が響きわたる。

 春香はシズカの中で泣き叫んだ。

『もう、やめて。私はそんなこと思ってない! お願いシズカ! もうやめてよお』

 そんな中、年の功であろう。糾弾されている本人の大野ディレクターがまっさきに持ち直した。子ども向けの笑顔を作り、やさしく語りかける。

「うん。そうだね。残念な気持ちはとってもわかるよ。おじさんだって残念だ。でもね、やっぱり安全が第一だから。きっと君のお父さん、お母さんも・・・・・・」

 シズカは叫んだ。春香の喉から血が出るかと思うくらい。

「その、あいつみたいな、あの男みたいな! 気持ち悪い作り笑顔が、むかつくんだよおおおお!」

 大野の笑顔が固まる。

「ちょと、スピカちゃん。落ち着いて」

 すずが、とっさに大野の前に出る。すずも慌てているのだろう。額に汗が浮かんでいた。

 その背中に春香は見えてしまった。

 あの女だ。

 すずに半分、重なるようにして、こちらを見ているあの女が。フェンスの向こうから春香を睨み続けていたあの女が。すずの背中にしがみつくようにして、じっと春香を見つめていた。

「そうか。お前か。お前のせいか」

 春香はシズカの次の行動に気づき、必死に声にできない声を必死にシズカに向かって叫んだ。

『シズカ! やめてえ!』

 だが、シズカは止まらなかった。痛いほど握りしめていた拳を振り上げ、すずの背中に張り付いた女に向かって突進した。

「お前かあああああ!」

 すずが驚いて目を見開く。女はその肩越しにじっと春香を見つめる。

 シズカ、つまり春香の拳が、すずの肩に向かって繰り出された瞬間、その手首が、がしりと掴まれた。

 ミオンだった。

 次の瞬間、春香の視界は一回転し、春香は意識を失った。





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