【第4章】 星空キャンプ編 13
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キャンプ二日目。
朝食は一日目でも利用した食堂だった。
本日のメニューをご紹介。
厚切りベーコン(一人二枚)
しっかり火の通った固いゆで卵(一人一個)
ぱさぱさとした焼き鮭の切り身(一人一切れ)
味海苔(一人一袋)
味噌汁(一人一杯)
ごはん(おかわり自由)
「スピちゃん。焼き鮭あげる」
「え、いらないよ」
「遠慮しないで。スピちゃん、魚すきでしょ」
「そんなこと一度も言ったことないよ。マッチが嫌いなだけでしょ」
「だって、メニューおかしくない? 和なのか洋なのかどっちかにしなさいよって感じ」
「じゃあ、ベーコンの方をちょうだい。それで和の統一感が出るでしょ」
「はあ? このメニューからベーコンとったら何が残るのよ」
「焼き鮭」
「だから嫌いなんだって!」
「はい。認めたー。マッチの負けー」
「負けとかじゃないし! てか、スピちゃんが好き嫌いは良くないって言うから、嫌々よそったんだよ。責任とりなさいよ」
「いや、食べなかったら一緒じゃん」
そんなことを言い合いながら、春香とマッチがお箸でつまんだ鮭の切り身を押しつけ合っていると、向かいに座っているランプが「ねえ。ちょっといいかしら」と珍しく大きめの声を上げた。
「なに? ランプちゃん」
「どうしたの? ランプちゃん」
同時に振り向いた二人をランプがいぶかしげな目で見る。
「二人、いつのまにそんなに仲良くなったの」
春香とマッチは顔を見合わせた。
マッチがニヤニヤ笑いながら春香の肩を抱き寄せ、ランプを見る。
「えー。初日からスピちゃんとはなかよしだったよー。ねー、スピちゃん」
「う、うん」
ランプはそんな春香とマッチを眉間にしわを寄せて見ていたが、はあっと息をはいて朝食に目を戻した。
「まあ。仲がいいことは、悪いことじゃないわ」
そう言いながらも、ゆで卵をむくランプの動作が心なしか荒かった。冷静沈着なランプらしくない。
もしかして、嫉妬でしょうか。
そんなランプの様子を知ってか知らずか、マッチは上機嫌でベーコンを頬張っていた。
結局、鮭の切り身は残していたが。
「スピカは星が好きなのね。まあ、名前からしてそれはそうか」
ランプはそう言って春香の手元をのぞき込んだ。
午前の活動は「焼き杉アート」だった。
A4サイズぐらいの杉の板を、文字通り火で表面を焼いて黒く焦がす。その上にポスカマーカーで絵や文字を描く工作だ。完成後はチェーンが付けてもらえるので、ドアノブにでもかければ自室の看板にもなる。
今はみんなせっせとA4のコピー用紙にデザインの下書きをしている。春香は黒地の上にならばと、夜空をデザインした。お気に入りの星座をいくつか浮かべる予定だ。
「ランプちゃんは?」
そう聞いて春香はランプのデザインをのぞき込んだ。鉛筆で下書きされた絵は四本足の動物だった。しかし、わかるのはそれだけで、なんの動物なのか見当が付かない。馬と言われれば馬にも見えるし、牛と言われても不思議ではない。これは・・・・・・
「犬?」
「鹿よ。悪かったわね。下手で」
そう言うと、ランプはごしごしと消しゴムで下書きを消し始めてしまった。ちょっと顔が赤い。絵は得意ではないのだろう。でも、消さなくたってもいいのに。なんか悪いことしたなあ。
「ランプちゃん、角を描いたらいいのよ。目印の角がなかったら、そりゃあ犬みたいに見えちゃうよ」
マッチが自分の作品に集中しながらランプにアドバイスをした。
作業場は屋根の下ではあったが、あまり風が通らず、暑かった。集中するマッチの汗がぽたりとコピー用紙に落ちた。マッチは絵が得意なのだろうか。
下書きを消し終わったランプは、「牝鹿にしたいのよ」と再び鹿を描き始めた。
春香は、今度はマッチの絵を覗き、目を丸くした。
うまいなんてもんじゃない。プロのイラストレーターのようだった。
描いてある絵は、テーブルの上に置かれたレトロなランプ、そのそばに無造作に置かれたマッチ箱。そして背景の窓には、一際輝く一つ星。
「できた! あたしと、ランプちゃんと、スピちゃんよ」
完成した下書きをマッチがばっと自慢げに広げる。相当集中したのだろう。顔は汗まみれで、頬や額に髪が張り付いていた。
この3人の友情を表す絵柄に、春香は不意に感動してしまった。鼻声になりそうになるのを必死にこらえて、いつもの声を絞り出す。
「すごいよ。マッチ。プロ、目指せるよ」
マッチは「へへへー」と笑うと、「じゃあ、板、焼いてこよー」とテーブルを立ち上がって杉の板をもらいに行った。スキップしている。昨日とは別人のようだった。
「マッチちゃん、雰囲気変わったね」
春香がそう言うと、ランプは絵を見ながら頷いた。
「あの子、憑依型だから」
「憑依型? また幽霊の話?」
「ちがうちがう。すぐ人の真似をするってこと。仲良くなった人とおんなじ行動をしたり、話し方を真似たりするのよ。私と行動するようになってからは服装だって、真似し始めたわ」
そうなのだろうか。正直、春香からするとランプとマッチは全く違う個性の持ち主に見える。服装も同じ系統ではあるが、マッチの方が若干派手だ。
しかし、もしかしたら、以前はもっとかけ離れた性格の二人だったのかも知れない。
「今は、スピカと仲良くなったから、スピカと話しやすい性格に変化してるんでしょうね。流石にスピカの真似まではしてないようだけど、時間の問題かも」
そんなにころころ自分の性格を変えられるとは。
うらやましいと思いながらも、きっとそれはそれですごく大変なんだろうと春香は漠然と思った。
「スピカ。ありがとうね」
そうランプに唐突に言われて、春香は「へ?」と顔を上げた。ランプはうつむいてせっせと牝鹿の下書きをしながら、言葉を続けた。
「マッチの悩みを、昨夜に聞いてくれたんでしょ。あの子、私には言わないのよ」
春香も自分の下書きに目を戻した。手を動かしながら答える。
「別に。私もたいしたことはしてないよ」
「そう? マッチ、昨日はかなり不安定だったから」
ランプは小さくため息をついた。
「あんなにこのキャンプを楽しみにしてたのに。バスの席が離れたぐらいで不機嫌になって、急に似合わないお嬢様ムーブかましだすし、コミュ力おばけのくせに、スピカにはきつく当たるし、終いには食事中に黙りこくっちゃうし。ずっと心配だったの」
無愛想にしているように見えたが、ランプなりに気にはしていたということか。
きっと、それが行動に表れないのがランプちゃんなんだろうなあ。良くも悪くも。そう思った。
「私も別に、悩みなんか聞いてないよ。マッチちゃんが自分で立ち直ったんだと思う」
ランプは顔をあげなかった。「そう」とつぶやいて、手を動かし続ける。
「でも、あの子のそばにいてくれたんでしょ。礼を言うわ」
ランプは目を上げなかった。きっと、本音を話したり、気を遣ったりするときは人の目を見るのが苦手なのだろう。春香も人付き合いは得意ではないので、気持ちはよくわかった。
「・・・・・・今度、ランプちゃんから、マッチちゃんに話を聞いてあげて。きっと本心では、私より、ランプちゃんに助けてほしいと思ってると思うから」
ランプは「わかったわ」と答え、その後、数分間、二人は無言で作業を続けた。
不意に、ランプが顔を上げた。
「私、こういうの、よくわからないんだけど、あの子が多分、私の初めての友達なんだと思う」
春香も顔を上げた。
「そうなんだ」
「私、あんまり、友達がほしいってタイプじゃないのよ。別にいなくても困らないし」
「わかるよ」
「でも、なんだかんだで今は友達だからさ。あの子もスピカも」
「うん」
ランプはまっすぐ春香を見つめた。
「もし、なにかしら事情があって、私があの子を助けられないとき。そんな時に、あの子が助けを求めてきたら。スピカ。あなたが助けてあげてほしいの」
小学6年生の立場で、何を大げさなと春香は思った。
でも、こういうところが、ランプちゃんなんだろうとも思った。
「わかった。私が助けるね。約束する」
「ありがとう」
ランプと春香は自然に作業に戻った。
春香は夜空に何の星座を入れるべきかと迷い、双子座。それからおおぐま座とこぐま座を選んだ。
「ねえ。どうかしら。鹿に見える?」
ランプが下書きを持ち上げた。それをじっと眺めて、春香は素直に答えた。
「やっぱり犬みたい。首が短いんじゃない?」
ランプはため息をついて、消しゴムに手を伸ばした。
板を焼くのは面白かった。
キャンプらしくたき火でやるのかなと思っていたが、ガスバーナーを使用した。ガスバーナーは学校の理科室にあるタイプではなく、お寿司屋さんが炙り寿司を作る時に使いそうな、カセットボンベに噴射口を取り付けた、スプレータイプのものだった。
担当のリーダーはすずだった。
すずからバーナーを受け取った春香は、すずの指示通りに板に向けた。緊張して銃を構えるような格好になってしまった。その様子が面白かったのか、すずは笑いながら言った。
「よし。じゃあやるわよ。Let’s fire! 」
「え? れっつふぁあ?」
混乱する春香にすずはまた笑う。
「ごめんごめん。ファイヤーって言ったの」
なんだ。「火」のことか。ネイティブすぎて聞き取れなかった。
「よくみんなファイヤーって叫ぶけど、正確には『fire』。ファ・イ・アが近いわね。火を付ける以外にも銃を撃てって意味もあるの。スピカちゃん、ピストルみたいに構えてたから」
明るい茶髪とそばかす、ブラウンの瞳のすずが笑うと、本当にディズニーに出てくるおてんば娘のようだ。
しかし、こっちは必死でやっているのに、そんな風にからかわれるといい気はしない。悪気はないのだろうが、ネイティブな発音アピールもちょっと嫌だった。
春香のそんな心情を察したのだろう。すずはすぐに顔を真面目な表情に戻した。
「じゃあ。気を取り直して。点けてみて」
日本語の指示は安心する。
春香は噴射口の反対側にあるつまみをひねった。しかし、火が出る様子はない。春香はつまみをひねるだけで火が出るのかと思っていたが、シューと音がするだけだった。噴射口からガスが吹き出ているらしい。
「そこで、点火スイッチを押すの」
「え、どれですか」
「側面のやつなんだけど・・・・・・ ごめん。一旦、つまみを戻して」
「あ、はい」
急いでつまみを戻す。シューという音も止まる。
「あんまりガスを出し過ぎてから点火すると、一気に燃焼して危ないの。ガスを出したら素早く点火ボタンを押さないとダメ。ごめんね。先にボタンの場所を確認しておくべきだったわ」
点火ボタンの場所を改めて教えてもらい、再チャレンジ。
つまみをひねって、シューとガスを出す。
「今よ。Fire!」
すずのかけ声に、すかさず側面の点火ボタンをカチリと押し込む。すると、吹き出るガスが瞬時に引火し、噴射口からオレンジと青の炎が吹き出した。春香は思わず肩をすくめる。
「大丈夫。そのまま板に近づけて」
恐る恐る板に近づけてみると、思いの外、射程は短いことがわかった。30センチほどの距離でも板には何の変化も見られない。
「もっと近づけて」
すずに言われて、10センチほどの距離までバーナーを近づけると、途端に板は黒く染まり始めた。すごい火力だ。板の表面が瞬時に焦げていく。春香はまるで黒いスプレーを塗るかのようにバーナーを上下左右にゆっくり移動させた。
「そうそう。上手よ。Excellent!」
すずの指導はミオンほど理路整然とはしていなかったが、褒めて伸ばしてくれる感じが学校の先生のようで安心感があった。
板を全面、黒く染めると、板を持って水場に行く。蛇口がいくつかある水場を、数人のリーダーが監督をしていた。子ども達は水場に群がって、懸命に板をたわしでこすっている。表面のすすを落としているらしい。
「スピカちゃん。ここ、空いてるよ」
どこに入ろうか迷っている春香を、爽やかな声が呼んだ。
眼鏡のイケメンリーダー、ゆきおちゃんだ。
ぺこりと頭を下げて、ゆきおちゃんがトントン叩いている蛇口に向かう。
たわしを受け取り、焦げた板の表面に水道の水をかけながらゴシゴシと磨く。夏の日差しの中、嘘みたいに冷たい水が心地よかった。
「水が黒くならなくなるまで、しっかりこすってね」
「はい」
言われたとおり、春香は必死にたわしを動かした。
しかし、数分後、春香は異変に気が付いた。
リーダー達は皆、忙しそうに動き回っているのに、ゆきおちゃんはいつまでたっても春香のそばを離れようとしなかった。じっと、春香の横顔を見つめている。その視線が気になって仕方がない。
「・・・・・・あの・・・ 何か?」
圧に耐えきれなくなった春香がゆきおちゃんを見返すと、ゆきおちゃんは悪びれもなくにっこり笑った。
「スピカちゃんはどんなデザインにするの?」
「えっと・・・・・・ 星空を、描こうかと・・・・・・」
「ああ。キャンプネームも一等星だもんね。いいよね。『スピカ』は名前と響きも近いし」
ゆきおちゃんは思い出すように目線を上方に上げた。
「確か・・・・・・ 乙女座の持っている小麦の部分の星だよね」
ずいぶん詳しい。春香は意外に思った。
「そうです。スピカは小麦の穂という意味のなので」
「そうだったね。確か、とげとげしたものって意味もあるラテン語で、スパイクの語源にもなったんだったかな」
「そうですそうです!」
そうか。ゆきおちゃんも星が好きで、春香と星空トークをしたかったのか。
春香は安心して、「乙女座と言えば・・・・・・」と話しを広げようとした。
しかし、そこで、「ゆきおちゃーん! こっち来てー!」と何人かの女子に呼ばれてしまった。女子に人気のあるゆきおちゃんと、二人で盛り上がっているのを見て、嫉妬されたのだろう。
「はーい。今行くよ。じゃあ、スピカちゃん、またね」
とゆきおちゃんはこれまた爽やかに去って行った。ソーダのCMとか出れそうだなと春香は思った。
何にせよ、星空仲間が増えたのは喜ばしいことだ。
春香は上機嫌でたわしを動かした。
そこで、なんだか微妙な違和感に気が付いた。
ゆきおちゃんの言葉を思い返してふと思う。『いいよね。名前と響きも近いし』。ゆきおちゃんはそう言った。
ゆきおちゃんは、何で自分の名前が「ハルカ」であることを知っているのだろう。
まあ、一応、班のリーダーの一人だし、管理上、それぐらい知ってても不思議ではない。特に自分はお風呂のこととか配慮してもらってるし。
そう考えると、別に変じゃないか。
板から黒いススが出なくなる頃には、春香の違和感もきれいさっぱり消えていた。




