【第4章】 星空キャンプ編 10
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ランプとマッチ、主にマッチは入浴後もはしゃぎ倒すかと思っていたが、そんなこともなく、二人は早々に床についた。というか、ランプがさっさと寝てしまったのだ。
ランプが消灯前に布団に入って、途端にすーすー寝息を立て始めたのを見て、マッチは大いに落胆した様子だった。
上の段同士だから首を伸ばせば見えるのだが、マッチのベッドの上にはトランプやらウノやらがたくさん用意してあった。二人で遊ぶつもりだったのだろうか。二人でウノなんて盛り上がる想像が出来ないが。そもそもカードゲーム類は持ち込み禁止のはずでは。
何にせよ、ランプがいなければ意味がないとでも言うように、マッチも勝手に部屋の電気を全部消して、薄い夏布団にくるまってしまった。ふて寝というやつだ。
春香はというと、美和子さんに電話をかけるまで寝るわけにもいかず、消灯時間まで、読書灯を点けてスタンドバイミーを読むことにした。
正直、小学6年生には難しい文体だった。漢字や言葉も難しいし、そもそもアメリカの文化がわからないから想像しにくい。映画を見ているからだいたい情景は目に浮かぶので、よくわからないところはガンガン読み飛ばして先に進んだ。
小説家を心の中で目指す少年が、地元の友達と死体を見つけるために一夏の冒険をする。
一行で言うと、そんな話になってしまうのだが、登場する少年達のどうしようもない背景ややるせない心情が不意に心に刺さってくる。
特に春香が気になってしまうのがテディという少年だ。耳の形が変わるまでの虐待を受けてまで、父親を愛する少年。その背景にどうしても春香はシズカを重ねてしまった。自暴自棄で乱暴な性格も、なんだかシズカに似ているとも思った。
冒険譚は、クリスという少年がピストルを手に、死体を守り切って終わる。
これがドラえもんだったら、冒険を終えた少年たちは温かい家に帰っていく。それでめでたしめでたしだ。
しかし、この作品では、逃避行とも言える旅を終えた少年達は、それぞれが虐げられる家に戻ることとなる。冒険はあくまで一夏の思い出でしかなく、目を背けていても現実は変わらないのだ。
ふと気が付くと、壁時計の針は22時になろうとするところだった。
春香はテレフォンカードをポケットに入れると、はしごに足をかけた。
その際、マッチがベッドにいないことに気が付いた。くるまっていた夏布団が開かれ、もぬけの殻だ。
いつの間に抜け出したんだろう。トイレかな。
春香もゆっくり音を立てないようにはしごを下りた。ランプは相変わらずスヤスヤと眠っている。起さないように慎重に通路をすりぬけ、扉をそっと開けて廊下に出た。
消灯後だからだろう。廊下の電気も消えていた。一定間隔である緑の非常灯が廊下を薄緑に照らしていた。はっきり言って不気味だ。
あの女が現れたらどうしよう。
電気がついていたときには思いもしなかった最悪の想像に、一気に背筋が寒くなった。
炊事場の時は距離があったし、ランプもいた。しかし、この暗がりの中、たった一人で至近距離で遭遇してしまったら、春香は泣き叫ぶ自信がある。
春香は急いで部屋に戻った。扉を閉め、深呼吸をする。
『がんばれ。春香。ここでちゃんと電話しないと、美和子さんに連れ戻されるぞ』
『・・・・・・そうだね』
『そうなったら、星空観察もなしだ。長野で流星群を見る夢も潰えるぞ』
シズカの鼓舞に、春香は覚悟を決めた。
部屋の壁に備えてある懐中電灯を外し、右手に握りしめた。「非常時以外、使用禁止」と書いてあるが、春香にとっては、今こそ非常時であった。
左手でゆっくり扉を開け、懐中電灯で廊下を照らす。
よし。もし女がいることがわかったら、すぐに引き返そう。そして、本当に心苦しいが、ランプちゃんを起してついてきてもらおう。
春香は後ろ手で扉を閉めると、ゆっくりと緑の廊下を進んだ。
廊下は何の音もしない。各部屋の防音効果が高いのだろうか。それとも、皆、もう寝静まってしまったのだろうか。ランプといい、みんな健康的すぎないか。もっと夜更かししてほしい。
誰かの話し声など聞こえないかと春香は耳をそばだてた。自分以外にも起きている子がいることがわかれば、少しでも心強い気がしたのだ。
しかし、そこで耳に入ってきたのは、話し声ではなかった。
耳を澄まさないと聞こえないような、微かな大きさ。でも確かに聞こえる。話し声でも笑い声でもない。これは。
泣き声だ。
まるで必死に押し殺したかのような泣き声が、暗い廊下に微かに響いていた。
え。怖。引き返そうかな。
あまりの不気味さに心が折れそうになるが、戻ってランプを起すにしても、一応、正体を確かめるぐらいはしておかないといけないだろう。「あそこに幽霊がいるから助けて」と言うのと、「なんか変な音がして怖いから一緒に来て」では感じる緊急度合いが全然違う。
懐中電灯の白い光を頼りに、恐る恐る歩みを進める。なんとなく予感していたことではあるが、進めば進むほどすすり泣きの声は大きくなった。公衆電話はこの角を曲がればすぐなのだが、確信できる。この先に絶対いる。
春香はゆっくり深呼吸をすると、えいやっとひと思いに角を曲がった。
壁に設置された緑色の公衆電話が、非常灯のこれまた緑の光に照らされて、一色に染まっていた。受話器は外れており、コードでぶらぶらとぶら下がっている。わずかに「ツーツー」と音が漏れていた。
そしてそのぶら下がった受話器のすぐ隣に、一人の少女がうずくまっていた。膝を抱えるように体を小さくし、両の手で必死に涙を拭っている。
「・・・・・・マッチちゃん」
思わずつぶやいた春香に、寝間着姿のマッチはびくりと体をすくませた。
春香はまぶしすぎる懐中電灯を消すと、ゆっくりとマッチに近づいた。マッチは取り繕うことも何もせず、春香のことをおびえたように見上げている。
「どうしたの? 大丈夫?」
春香はマッチのすぐそばに膝をついて、マッチの目線に高さを合わせた。単純に上から見下ろされることが、時にどれだけ怖いかを、春香は知っていた。
「ランプちゃん、呼んでこようか?」
何も言わないマッチにそう提案すると、マッチは必死に首を横に振った。
「やだ・・・・・・ ランプちゃんには言わないで・・・・・・ お願い・・・・・・」
今日一日で、春香はマッチのいろいろな面を見た。だが、そのどれとも違った。
まるで、必死に周りを固めていた何かが全て崩れ落ちてしまったかのようだ。長身のはずのマッチがずいぶん小さく見える。
何があったのだろう。
周りを見て、状況を整理する。
受話器が外れているということは、どこかに電話していたのだろう。床にはマッチの財布らしきものも落ちていた。春香とは違い、オーソドックスに現金でかけたらしい。現金は持ち込み禁止とか、お嬢様には関係ないのだろう。
ぶら下がった受話器は揺れている。さっき切ったところに違いない。いや、受話器を置いていないのだから、切ったと言うより、相手に一方的に切られたのだろう。
普通に考えて、親に電話したのだろうか。それでなにかしら怒られたとか? それでこんなに泣くものだろうか。あの勝ち気なマッチがここまで打ちひしがれるものなのだろうか。
見ると、床にはかわいらしいメモ帳も落ちており、なにやら電話番号が殴り書きしてあった。ここにかけたのだろうか。
「お願い。ランプちゃんには言わないで。お願い。スピカちゃん。お願い」
黙っている春香を不安に思ったのだろう。マッチはぼろぼろ涙をこぼしながらも必死に春香に懇願した。
あれだけランプに好かれようと必死だったのだ。こんな姿をランプに見られたくないに違いない。
「大丈夫。誰にも言わないよ。大丈夫」
そう言うと、マッチは安堵したようにまた泣きじゃくり始めた。次から次へと涙がこぼれ、マッチの膝をぬらしていく。
でも、きっと、心の底では、この場にいてほしいのも、春香ではなく実はランプなのだろうと、なんとなく春香にはわかった。
どうすればいいのだろう。こんな時、私はどうしてあげればいいんだろう。
わからなかった。だから春香は姉に尋ねた。こういうとき、姉は正解を知っていることが多かったから。
『シズカ。どうしてあげたらいいかな』
少しの沈黙の後、頭の中に答えが返ってきた。
『春香はこんな時、どうしてほしいんだ』
だから、春香は考えた。
『黙って、ただ、抱きしめてほしいかな』
姉は言った。
『じゃあ、そうしてやれ』
だから、春香はそうした。




