【第4章】 星空キャンプ編 6
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なんとなく、こういった施設は古びたものだという先入観があったのだが、どうやら建物はどれも新築のようでピカピカだった。敷地内も整備が行き届いている。
「すごくきれいだね」
遊歩道をぞろぞろと歩く群れの中で、春香はつぶやいた。
「そうね。刑務所にしては上等ね」
ランプが返してくれる。
「もともと、すぐ近くに大きなキャンプ場があったんだけど、つい最近こっちに移転したんだって。それに伴って、合宿やらなんやらでも使えるようにたくさん建物が追加で作られたらしいわ」
マッチが補足してくれた。流石は社長令嬢。内部情報に詳しい。他にも知っていることはあるのだろうか。
そう思って、春香が「お父さんに聞いたの?」と尋ねると、マッチはキッと春香を睨み付けた。
春香はひっと肩をすくめる。しまった。バスの一件を踏まえると、確かに嫌みに聞こえてしまってもおかしくない。
おびえる春香の様子を見て、皮肉ではないことはわかったのだろう。マッチは不機嫌そうに答えた。
「事前にリサーチしたのよ。ネットで」
「マッチは調べ物が得意なのよ」
「そ、そうなんだ」
会話一つ一つに気をつかう。人間関係構築スキル0の春香には荷が重かった。
53人の子どもたちは18人のリーダーに大きな食堂に連れて行かれた。食堂ももちろん新設のようで、外観はお洒落なカフェテリアのようだ。お昼を軽く過ぎた時間帯だったので、建物の外まで漂う料理の匂いに否応なしに食欲が刺激される。
すずの指示で入り口付近に班ごとに荷物を並べ、春香達3人は食堂に入った。
「え、もしかしてバイキングじゃない?」
マッチが目を輝かせる。見ると確かに食堂の奥には先に到着した子ども達がビュッフェテーブルらしきものに並び、お盆を持っておかずをトングでよそう姿が見えた。
バイキング。確かに甘美な響きではある。食べたいものを自分で選び、好きなだけ取り放題という仕組みは子どもにとっては夢のシステムである。春香のテンションも否応なく上がった。
しかし、社長令嬢でもバイキングにはテンションが上がるのか。もっと、こう、日頃から美味しいもの食べ放題の毎日を送っているのではないのか。
「あんた、毎日いいもん食ってんじゃないの」
ランプが春香の気持ちを代弁してくれた。
「家族で行くお店は大体コース料理だもん。ホテルの朝食とかでバイキングの時はあるけど、ママがいいっていう健康に良さそうなものしかとっちゃダメだし」
そう答えたマッチは本当にうんざりした表情だった。お嬢様にはお嬢様の苦悩があると言うことか。
『けっ。コース料理食わせてもらっといて文句言ってんじゃねえよコネ娘』
シズカが毒づいたが、春香は無視する。
3人でお盆を持ち、喜び勇んで列に並んだが、春香はなんとなく違和感を感じた。バイキングにしてはテーブルが短い。
「ああ。そういうこと」
ランプがそうつぶやいた段階で、春香もシステムを理解した。ビュッフェテーブルの手前にラップが張られた見本の「一人前」が置かれていたのだ。さきほど取り分けられたのだろう。ラップの箱が横に置いてある。
【この見本の通りにとりましょう。シュウマイは二つ。卵焼きは一つ。ミニトマトは二つとりましょう。ごはんは自分が食べきれる量だけ入れましょう。ごはんのおかわりは自由です】という手書きの添え書きもある。
「・・・・・・バイキングじゃないじゃん」
マッチが吐き捨てるように言った。
「そうね。自分でよそうだけで、量も料理も決まってる形ね」
ランプが慰めるわけでもなく状況を整理する。
二人のかけ合いは、なんだか息が合っていてうらやましい。春香もなにか気の利いたことを言いたくなった。
「あ、あれだね。ある意味、コース料理だね」
マッチが「はあ?」と春香を睨み付けた。
「なに? ケンカ売ってるの?」
やばい。また嫌味みたいにになった。
「マッチ。落ち着きなさい。スピカは天然なのよ」
そういさめられ、マッチは「ふんっ」と鼻をならしてトングを手に取った。すごいな。ランプ。社長令嬢の手綱を完全に握ってる感じだ。
ていうか、私、ランプちゃんに天然だと思われてたんだ。ランプちゃんの方が相当変わってると思うけどなあ。
春香達は指示通りにシュウマイ二つと卵焼き一つ、ミニトマトを二つトングでお皿に取り分けた。いや、マッチだけミニトマトをよそわなかった。嫌いなのだろう。
ご飯と味噌汁もよそい、こぼさないように気を付けながら席に向かう。席は班ごとに決められていた。
「こら。あなた。ちゃんとトマトもとりなさい。このキャンプでは好き嫌いは許されません」
マッチが別の班のリーダーに肩をつかまれて止められた。先頭を歩いていたランプは振り向きもせず、先に行ってしまったが、後ろを歩いていた春香は危うくマッチの背中にお盆をぶつけるところだった。マッチを止めたのはきっちりした感じの女性のリーダーだった。マッチはにっこり笑って振り向いた。
「あたし、ミニトマトアレルギーなんです」
うそつけ。
リーダーもそう思ったのだろう。眉間にしわを寄せた。怒られるぞ。
その女性リーダーに、そばにいた別の年配の男のリーダーがあわてて駆け寄り、耳打ちする。
「・・・・・・ほら。例の社長の・・・・・・」
女性のリーダーの顔色が変わった。それをマッチは見逃さなかった。
「いいんですかー? 子どもに無理にアレルギーの可能性があるものを食べさせて? 何かあったらパパ、なんていうかなあ」
にやにや笑うマッチに女性リーダーは口をつぐむ。すかさず男性リーダーが「じゃあ、仕方ないね。トマトはいいから、席につきなさい」とへらへら笑って言った。
「はーい」とマッチは満足そうにランプの後を追った。春香も慌てて追いかける。マッチの足取りが軽い。「こうでなくては」といった表情だ。なるほど。社長権限ははったりではなかったらしい。効果絶大だ。あの反応を見ると、リーダーにはキャンプメーカーの社員も混じってるのかもしれない。
しかし、そう考えると、ミオンリーダーのやばさがわかるな。本人曰くバイトらしいけど、とはいえあそこまで思いっきり雇い先の娘にいけるものなのか。かっこいいを超えてちょっと心配だ。
班員が全員席に着いたところで、みんなで「いただきます」を唱和する。空腹の春香は真っ先にシュウマイにかぶりついた。可もなく不可もなく、ちょっと冷めた、よくある味のシュウマイだった。
「ふん。安物って感じ。どうせ冷凍ね。お粗末な味だわ。」
さっきのことで自信を回復させたのか、隣に座っているマッチがどや顔で、あからさまなお嬢様ムーブを始めた。なんか、ここまで来ると可愛いな。
「そう? 私の家でもよく出るわよ」
ランプがぼそりとつぶやいた。それを聞いて、マッチは目に見えて狼狽した。
「え? あ、そうなの? ええと、で、でも確かに、冷凍って便利だよね。時短だし。そう考えると、確かにこれはこれで美味しいね! あたし、わりと好きかも!」
春香は卵焼きにかぶりつきながら、二人の関係性について考えた。初めはお嬢様と腰巾着といったよくあるコンビなのかと思ったが、どうやら上下関係は逆らしい。いや、上下関係というよりかは、マッチがランプにぞっこんという感じだ。対してランプはそれほどのようだ。なんか不思議な関係だなあ。
「それでは皆さん、前に目線と体を向けましょう!」
春香があらかたおかずを食べ終えた頃合いで、野太い声がマイクを通して食堂に響いた。食堂の四隅にスピーカーが設置されているのだろう。ちょっとうるさいぐらいだった。子ども達は素直に体を前方に向ける。食堂の奥には先ほどのビュッフェテーブルがあり、その奥には食器を返却するのであろうカウンターがあり、さらにその奥は厨房になっている。いつの間に並んだのか、ビュッフェテーブルの前にずらりとインストラクターとリーダー達が並んでいる。マイクを持っている恰幅の良い中年男性が前に出た。
「こんにちは。今回のキャンプのディレクターをする大野です。まあ、つまりね、講師の人やリーダーたちの隊長です。みんな、おじさんのことは大野ディレクターって呼んでね」
つまるところ、今回の企画の責任者と言うことか。大野さんは一通りの挨拶を終えるとにっこりと笑った。明るく優しそうな笑顔ではあった。
『なんか、あれだな。子ども向けに用意しましたって感じの笑顔だな』
『シズカ。そういうことばっかり言わないで』
次に前に出てきたのは綺麗な白髪の老人だった。細身でしゃんと背筋が伸びているので一見そう年老いてはいないように見えたが、マイクを通す声はしわがれていて、結構な歳を召されているのがわかる。
「みなさん。青少年自然の里にようこそ。施設長の杉です。スタッフ一同、みなさんに会えるのを心待ちにしていました」
杉施設長は目を細めて春香達を見回した。孫を見るおじいちゃんと言った目線だった。春香は祖父と会ったことがないが、多分こんな感じなのだろう。
「綺麗な施設で驚いたでしょう。なんたって、今年の春にオープンした所なのです。青少年自然の里は、ついこの間までここよりもうすこしだけ山奥にあったんです。その頃はテントを張る広場と、ハイキングコースぐらいしかなかったんですよ。でも、ここに移すにあたって、私たち大人は考えたんです。今、子ども達が自然とふれあう機会が本当に減っている。せっかくなら、子ども達がもっと安心して、自然体験が出来る施設にしようとね。多くの人たちが頑張ってくれたおかげで、この食堂が出来て、今日、みんなが野外活動をする炊事場が出来て、みんなが泊まる宿泊棟が出来たんです。他にも、体育館やグランドもあるんですよ」
マッチのリサーチの通りだ。すごいなマッチ。
「というわけで、どの施設もピカピカです。新築ですから。ラッキーですよ。だから、みんなには、綺麗に、大切に使ってほしいのです。それぞれの施設にちゃんとルールがありますから、施設の代表の人たちに説明してもらいましょう」
杉施設長はそう言うと、ぞろぞろとおじさんおばさんが前に出てきた。順にマイクを受け取って説明を始める。まずは割烹着を着たおばさんが食堂の使い方について。次に作業着を着たおじさんが宿泊棟の使い方について。清掃係の人が施設内のゴミの捨て方について。
延々と説明が続くものだから、子ども達も退屈してきたのが伝わってきた。
ちらりと周りを伺うと、大きなあくびをしている人物が目に付いた。ミオンリーダーである。眉間にしわを寄せたすずリーダーに肘で小突かれている。ほんと大丈夫だろうか。
最後に、マイクはさっきフェンスを開けてくれた中年の警備員さんにわたった。警備員らしい長袖のカッターシャツと青いネクタイ。派手なカフスボタン。薄茶色のサングラスをかけているので一見強面だ。だが、彼はマイクを持つとにかっと笑った。
「やあ、こどもたち! この施設をフェンスでぐるりと囲って守ってる、田代保安官だぜ!」
音程は低いのに、妙に響く大声だった。よそ見をし始めていた子ども達がびくりと反応し、一気に前に注目が戻った。
「おっちゃんの仕事は、変なやつが勝手に施設に入ってこないか見張ることだ。さあ、おっちゃんの一番の敵はなんだと思う?」
一見悪ぶってるのに子煩悩というタイプなのだろうか。なんにせよ、子どもには人気だ。いきなりのクイズに場が盛り上がり、何人かの子どもが「不審者!」「お化け!」などと思い思いに叫んだ。
「おうおう。不審者は確かにそうだな。大丈夫だ。入ってくる車も出て行く車もおっちゃんは全部チェックするからな。もし変な野郎が入ってきたらおっちゃんがやっつけてやる。お化け? お化けなんかいねえよ!」
豪快な物言いに、子どもたちはクスクスと笑った。それを見て、田代警備員はにやりと笑った。
「みんな、ここらへんで一番怖いのは、そんなんじゃねえぞ」
子ども達の中で「?」マークが広がる。そんな中、ランプがぼそりと言った。
「野生動物」
それを聞いて、即座にマッチは手をあげて叫んだ。
「はいはいはい! 動物です! 野生動物!」
「お! やるな。お嬢ちゃん! そうだ。動物だ。かわいいうさぎちゃんなんかとは訳が違うぜ。鹿、イノシシ、それから、熊だ」
納得の空気が子どもの間で流れる。春香も言われてみれば当然だなと思った。あのフェンスは明らかに動物避けだろうし。
「おっちゃんはなあ、人の顔と名前を覚えるのがすげえ苦手なんだ。坊や達なんてみんなおんなじ顔に見えるぜ。なあ、杉ディレクター?」
田代が笑顔で話を振ると、ディレクターは苦笑いした。
「私は大野ですよ」
「いけねえ! 間違えた!」
大げさにおどけた姿に、子ども達がケラケラと笑い声を上げる。
「でもな、そんなおっちゃんでも、動物の見分けはつくぞ。おっかねえ角を持ってるのが鹿だ。でっかい牙を持ってるのがイノシシ。そして、もふもふの毛の中に牙とかぎ爪を隠し持ってるのが、そう。熊だ」
田代は両手を顔の前で構え、かぎ爪を表現した。女性がやれば可愛いネコちゃんポーズだが、中年男性がやるとなんとも言えなかった。
「野生動物には人間は素手じゃ絶対にかなわねえ。だから、絶対にケンカすんじゃねえぞ」
田代警備員がネコちゃんポーズのままでそう言うと、子どもたちはどっと笑った。
「だが、まあ、施設全体がフェンスで囲まれてるからまず大丈夫だ。とはいえ、二日目以降に泊まるキャンプサイトは森のすぐ近くだ。もしかしたらみんなのテントを狙ってフェンスを壊して入ってこようとかするやつがいるかもしれねえ。そしたらキャンプはすぐ中止だ」
それを聞いて、子どもたちは一気に静まりかえった。話が現実味を増したのだろう。そこですかさず田代はまた、にかっと笑った。
「でも大丈夫だ! そんときは、おっちゃんがやっつけてやるからな!」
そう言って、田代は力こぶを作るように腕をムキッとやった。手首のちょっと派手なカフスボタンがキラリと光る。子どもたちはまた笑った。




