【第4章】 星空キャンプ編 3
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子ども一人一人に名札が配られた。リーダーと同じく台紙をビニール製のケースに入れるタイプだ。裏にクリップもついている。さらに、一人一本、マジックも渡される。
「はい。それではみんなにもキャンプネームを決めてもらいます!」
子ども達全員に名札とペンが行き届いたことを確認すると、すずが声を張った。
「この4日間は、名前も変えて、新しい自分になっちゃいましょう!」
子ども達は名札を手にざわついていた。急にニックネームを決めろと言われたのだから当然だ。
「さっき、ミオンがわざと悩む手本をやってくれたわね。ミオンみたいに、何でもいいのよ。好きなキャラの名前でも。友達の名前でも」
すずはさっきの出来事をロールプレイだったと誤魔化す魂胆らしいが、流石に厳しいだろう。当のミオン本人はまたぼーとしてるし。
「無理に新しい名前を考えなくてもいいんだよ」
悩んでいる子ども達を見て、ゆきおちゃんが穏やかに付け加えた。
「もちろん、本名でもいい。それとか、よく呼ばれるあだ名とか。僕の『ゆきおちゃん』は、家族からそう呼ばれてるんだ。恥ずかしいよね。未だにちゃん付けなんて」
そう言って自分で照れ笑いをするゆきおちゃんに場が和む。
その雰囲気の中、一人、また一人と筆を動かし始めた。よさげな名前を思いつかない春香は焦った。どうしよう。
「ねえ、どうする?」
周りから小声で相談する声が聞こえた。見ると、女の子二人がペンを持って相談している。もともと友達同士なのだろうか。学校でも仲がいい子がほとんどいない春香としては、一緒にキャンプに申し込むほどの友達なんて考えられない。ちょっとうらやましい。
『シズカ、どうしよっか』
仕方ないので、死んだ姉に相談する。
『なんでもいいだろ。それこそ、大好きなお姉さま、シズカ、にしろよ』
『それはなんか嫌』
『じゃあ、本名の春香でいいじゃねえか』
『せっかくだったらなんかかっこいい名前にしたい』
『めんどくせえな。じゃあ、星の名はどうだ。シリウスとか、かっこいいだろ』
星の名か。確かにかっこいい。
『でも、シリウスはかっこつけすぎかな。なんかイタいかも』
『そっか。じゃあ、スバル』
『車みたいで嫌』
『レグルス』
『それも車みたい。でも、本名が春香だし、春の星は確かにありかも』
『おっけ。アルクトゥルス』
『言いにくいよ』
春香は、姉が自分の中でため息をついたのがわかった。周りを見ると、ほとんどの子がもう書き終わって名札を胸に付けている。早く決めないと。
『これで最後だ。スピカ』
スピカ。春の星座、おとめ座の中で一番明るい星。本名の春香と響きも似ている。
春香は名札に「スピカ」と書き込み、急いでケースに入れた。
クリップの針を慎重にTシャツの胸の生地に差し込む。焦っているためか、針をクリップに納めるのに時間がかかった。指を針で刺しそうになる。
「急がなくていいよ。ゆっくり、落ち着いて」
見かねたゆきおちゃんに声をかけられた。皆に注目され、恥ずかしくて赤面する。ようやく針がカチリと収まると、春香は勢いよく立ち上がった。
「よし。全員、キャンプネーム決まったわね。この4日間はそれがみんなの名前よ。生まれ変わった気持ちで、いろんなことにどんどん挑戦しようね!」
すずの声はハキハキしていて元気が出る。すずが「みんなでキャンプ楽しもー!」と声を張ると、みんな輝く笑顔で「おー!」とこぶしをあげた。
とはいえ、全員ではなかった。盛り上がってない人間もいた。
まずは相変わらずめんどくさそうな表情のミオン、あと同じく退屈そうな小柄の女の子が一人。そして、慣れないノリに乗り遅れた春香自身の三人だ。
「じゃあ、早速バスに乗って長野県に出発だ!」
周りの子ども達が歓声を上げて移動を始め、春香も急いで荷物を背負うと、列に加わった。
先にオリエンテーションが終わった班がすでにバスに乗り込み始めていた。春香達5班も荷物をトランクルームに預け、合流する。
運転席横のステップを登る際に、すずが指示を出した。
「名札の後ろに、番号が書いてあるでしょ。バスの座席にも番号が振ってあるから、同じ番号の場所にすわってね!」
すずの言葉に、胸に付けた名札を確認する。確かに、裏側に数字が書かれたシールが貼ってあった。42番。
子ども達はがやがやと次々にバスに乗り込む。番号は班ごとに連番になっているようで、各座席にスムーズに子ども達が収まっていった。確かに、この場で席を取り合いになったら大混乱だ。番号で割り振ってしまうのは実に合理的である。
バスの座席は横に四列ずつ並んでおり、真ん中に通路を挟み、二人ずつで座る形だ。長野県までそれなりに長旅だし、窓際がいいなと春香は願ったが、残念ながら42番の席は通路側だった。まあ、くじ引きみたいなものだから、こればっかしは仕方ない。
41番の窓側にはもうすでに女の子が座っていた。すぐに気づく。さっきすずのノリに乗っていなかった、退屈そうな小柄の女の子だ。この子と数時間、隣の席で過ごすことになる。
チラリと名札を見ると、『ランプ』と書かれていた。ランプちゃんか。なんか可愛いな。キャンプっぽい。
どうしよう。話しかけようかな。
春香は姉以外の同世代の子とあまり仲良くしたためしがない。別にそれで困ったことはなかった。話し相手には姉がいるのだから。だから、初対面の子に話しかけたことなどほとんどない。でも、すずの言葉を借りると、せっかく名前も変えたことだし、生まれ変わったつもりで友達作りに挑戦してもいいかもしれない。
よし。やるぞ。私の冒険、一発目だ。
「よ、よろしく!」
勇気を振り絞ってそう叫んで座ろうとしたとき、ぐいっと腕を後ろに引っ張られた。驚いて振り返ると、斜め上にかわいらしい女の子の顔があった。
「スピカちゃん。あなた、42番?」
女の子はにっこり笑って聞いてきた。突然のことに驚きながらも、「うん」と頷く。
「そっかあ。あたし、43番だったんだ。通路挟んだこっち」
彼女は「マッチ」と書かれた名札を片手でひらひらゆらした。もう片方の手は春香の腕をがっしりと掴んでいた。
「そ、そうなんだ」
通路を挟んだ春香のとなりの側の席ということだろうが、だからなんだと言うのだろう。
話が読めない春香は混乱した。マッチは可愛い顔でにこにこしてはいるが、同年代にしては長身のためか、ちょっと迫力があった。
そこで春香は思い当たった。もしかして、通路を挟むといえど席が近いから、仲良くしようと話しかけてくれたのだろうか。
なんてことだ。一気に二人も友達をゲットできるかもしれない。
春香は自分の顔が自然とほころぶのを感じた。このキャンプに来て良かった。
「あたしね、そこに座ってるランプちゃんと友達なんだ。学校一緒で、二人で申し込んだの」
「そ、そうなんだ」
そこで思い出した。さっきキャンプネームを相談していた二人だ。
「だからさ、席、変わってくれない?」
春香の笑顔は凍り付いた。
つまり、仲のいい子と座りたいから、邪魔者は消えろということか。
そうだよね。こんな自分になにもせずに友達ができるなんて、そんなうまい話、あるわけない。
「ね、お願い。席、代わってよ」
「で、でも」
正直、席を代わる自体は別にもういい。しかし、名札の番号の席に座れと指示があったのだ。ルールを初っ端から破ることになる。それが春香は嫌だった。
「大丈夫よ。ばれないって。それに」
マッチはすっと顔を寄せ、耳元でささやいた。
「あたしのパパ、このキャンプの偉い人なんだ。結構上の方の。だからあたしたち、実は抽選もしてないの」
あ、この子、例のお嬢様だ。本当にそういうことだったんだ。
「だからリーダー達も、あたしには何も言ってこないって」
春香は、すーと、自分のテンションが急降下していくのを感じた。
キャンプだ。冒険だ。友達作りだ。千載一遇だと浮かれていた気持ちが一気に地の底に落ちていく。キャンプという響きに神聖なものを感じていたのが馬鹿みたいだ。結局大人の汚いところが見え隠れしてるじゃないか。
もう大人しく頷いておこう。コネ娘に目を付けられたら面倒だし。何も言わずにしたがっておけばいい。
黙って席を譲ろうとしたその時、「ちょっと」と春香の肩とマッチの肩が同時に掴まれた。
「何してるの。早く座りなさい」
見上げると、ミオンだった。相変わらずめんどくさそうな目で春香達を見ていた。
「バスが出発できないでしょうが」
「えっと、あの」としどろもどろになる春香を押しのけるように、マッチがミオンの前に出た。あからさまな作り笑いを顔に貼り付けている。
「ごめんなさーい。席を交換してもらえることになったんです。すぐに座りますねー」
「はあ? 席は交換できないわよ」
ばっさりと言われて、マッチが一瞬、面食らう。しかし、すぐに立ち直った。
「まあ、そう固いこと言わないで。あたしのパパ、ご存じでしょ」
マッチはにっこりと笑う。余裕の笑みだ。これまでの人生でこういうことはよくしてきているのだろう。だが、腕を組んだミオンはことなげもなく言った。
「知らないわ」
マッチの笑顔が固まる。
「開会式あいさつ、聞いてなかったの? 親元を離れて自立するとかどうとか。どっかの社長さんが挨拶で言ってたでしょ。それをする気がない子は来なくていいわ。寂しいならパパの所に今すぐ帰りなさい」
さっき、よそ見をしてすずの話を一切聞いていなかった人間とは思えない発言だったが、マッチへは威力抜群だったようだ。マッチの顔がその名の通り真っ赤に染まった。作り笑顔を完全に剥がしてミオンを睨み付ける。
「その社長が、あたしのパパよ」
おお。社長令嬢だったのか。そりゃあ、偉そうにするわけだ。
「だから?」
ミオンが見下げかねたような表情でマッチを見下ろした。実際は子どもの割に高身長なマッチと、成人女性として平均的な背丈のミオンではそこまで差はなかったが、急にミオンが大きくなった気がした。
「い、いいの? そんな態度で! キャンプが終わったら、クビにしてもらうわよ!」
「いいよ。別に。どうせ短期バイトだし」
あ、やっぱりバイトなんだ。しかも言うんだ。
マッチが言葉に窮して、黙り込んだ。ミオンはため息をついた。
「いい? 偉いのは社長である、あなたのパパ。あんたじゃないの。勘違いすんじゃないわよ」
言い返せないマッチはただ上目遣いにミオンを睨み付ける。対して、ミオンは相変わらずのめんどくさそうな態度で言い放った。
「あんた自身は、何者でもないわ」
うわ。そこまで言っちゃうんだ。
マッチが悔しさから両の拳を握りしめたのがわかった。気丈にミオンを睨み付ける瞳が潤む。
「なに? どうしたの?」
バスの前方からすずが心配そうに向かってきた。バスの通路に突っ立っている3人の顔を交互に見る。
「なにかあった?」
マッチはちらりとすずを見て、一瞬、観念したような表情になったかと思うと、次の瞬間には笑顔になった。
「なんでもないでーす」
そして鼻歌を歌いながら、本来の自分の席である43番の座席にすとんと座った。その流れで隣の男の子に「あたし、マッチ。よろしく!」と自己紹介までしている。男の子はさっきの流れを見ていたのだろう。若干びびっているが、お構いなしだ。すごいなこの子。
「ほら。あなたも座りなさい」
ミオンに促されて、展開について行けずに固まっていた春香は「は、はい!」と42番の席に座る。隣の、マッチのお友達だというランプは興味なさそうに窓の外を見ていた。
すずは心配そうに私たちを見ていたが、もう一台のバスがすでに出発したことに気が付いて、急いで前方に戻っていった。ミオンも何事もなかったようにそれについていく。
『やるじゃねえか。ミオンってやつ』
シズカが頭の中で笑った。対して、春香は笑う気にはなれない。すごくハラハラした。
『キャンプリーダーとしてはすごく心配だよ』
バスが動き出した。駐車場を通って国道に出る。駐車場の出口のところで、保護者が集まり、バスに手を振っていた。ランプ越しにその群れの中から美和子さんを見つけ出す。スーツ姿なのでよく目立っていた。これから仕事なのだろう。またにかっと笑って手を振っていた。見えないだろうと思いつつ、手を小さく振り返す。
『でも、ちょっとすっきりしただろ』
シズカの軽口に少し考える。どうなんだろう。自分たち姉妹とは全く次元の違う幼少期を過ごしただろうお嬢様。何の不自由もなく育ってきたであろう社長令嬢が、調子に乗りすぎてガツンとやられる。その様を見て、自分の溜飲は下がったのだろうか。
まあ、そうね。
春香は一人微笑んだ。
『ちょっとだけね』




