【第4章】 星空キャンプ編 2
2
こどもキャンプ当日の集合場所はこれまた大きな市民ホールの玄関前だった。
大きな駐車場に次々と車が駐車され、大荷物を抱えて降りてきた子供とその親がぞろぞろと玄関前に集結してくる。
春香も例にもれず、大きなボストンバックを抱えてアスファルトの上に降り立った。美和子さんとともに玄関前の広場に並ぶ。
「さあ、みなさん。待ちに待ったキャンプの始まりです。この4日間は、親元を離れ、ゲームやインターネットとも離れ、初めて出会う友人やリーダーとともに自然の中で生活するのです」
キャンプギアメーカー社長の直々の挨拶がマイクを通して夏の朝の空気に響く。早朝6時だと言うのに、日はすでに上り、周りの街路樹からはクマゼミの鳴き声が聞こえ始めていた。
「みなさんにとってこれほど長くお家の方と離れるのは初めての経験ではないでしょうか。これはみなさんの自立心を育てるまたとない機会となります。この大冒険の後には、みなさん全員がきっと大きな成長を遂げていることでしょう」
春香は退屈な挨拶を要所のみ耳で拾いながら、後ろを振り返った。駐車場の隅には大型バス2台が駐車していた。これで長野県に向かうのだろう。
「市内から集まった友達53人、そして18人のリーダー。全員で協力して、成長できる夏にしましょう」
社長がそう締めくくり、まばらな拍手が起こった。
『ん? 53人? なんか増えてねえか』
シズカが脳内で疑問をつぶやく。確かに。説明会の時は、子供は50人だった。リーダーも15人から18人に増えている。
『おかしいね。募集要項にも抽選で50人って書いてたのに』
『ああ、あれだ。金持ちのお嬢様かなんかがコネで入ってきたんじゃないか』
そんなのありえない…… わけでもないのか。
『ふざけやがって。こっちはハラハラドキドキで抽選かいくぐってきたってのによ』
『まだそうときまったわけじゃないよ』
「春香。あんた、ポケットに携帯入れてない?」
美和子さんに小声で話しかけられ、春香は我に返った。言われてみると、いつもの癖で携帯電話をズボンのポケットに入れていることに気が付いた。
「社長さんのお話聞いてなかったの。それは持ち込み禁止よ。電子機器とは離れるんですって」
「ごめんなさい。いつもの癖で」
春香はポケットから取り出した携帯を美和子さんに渡した。美和子さんは春香の携帯をポケットにしまうと、バッグから財布を取り出した。
「代わりに、これ。渡しとくわ」
携帯と交換するかのように、一枚の薄いカードが差し出される。
「なんですか。これ」
受け取ったカードを春香はまじまじと見つめた。妙にペラペラのカードだった。
「うわ。今時の子は知らんのか。テレホンカードよ」
「へえ。これが」
いわゆる、公衆電話に差し込んだら、小銭なしでも電話ができる先払いチケットのようなものだ。おそらく多分。実物を見るのは初めてだ。春香にとってはドラえもんの再放送でしか見たことがない骨董品だった。
「こんなの、使えるんですか」
「使えるわよ。運営に問い合わせたら、一泊目と二泊目の施設には公衆電話があるらしいから。このキャンプ、現金も携帯電話も子供は持ち込み禁止。でも、テレホンカードなら合法でしょ」
「流石は弁護士先生ですね。ルールの穴をつくのがうまいです」
「悪徳弁護士みたいに言うな」
つまり、何かあったときはこれで連絡しろというわけか。美和子さんなりの親心というやつだろう。そう納得した春香だったが、美和子さんの発言はその斜め上を行った。
「そのカードで、毎晩21時までに連絡をよこしなさい」
「はい?」
美和子さんこそ社長さんのお話を聞いていなかったのだろうか。親元を離れて子供だけでがんばるのに意味があるのに、毎晩電話をしていたら台無しじゃないか。自立心など育とうはずもない。
「このキャンプに春香の参加を許可するぎりぎりのラインよ。別に長電話をする必要はないわ。無事なことが分かればいいの」
「ええ…… でも、周りの子にも恥ずかしいし……」
「今、約束が出来ないのであれば、このままあんたを連れて帰るわよ。直前だろうが何だろうが、保護者の同意なしで参加はできないからね」
春香は黙り込んだ。
シズカがすかさず脳内で文句を言う。
『せっかく大冒険の幕開けでテンション爆上がりだったのによ。水を差されるとはこのことだな。ふざけんな』
春香も、正直なところ同感ではある。
美和子さんは過保護である。それは否定できない。春香が小学校に行くのも、帰るのも、美和子が車で送迎する。たいした距離ではないので歩いて行くと言っても、絶対に許可してくれない。美和子さんがどうしても忙しい日は、美和子さんの秘書のような人が迎えに来てくれる。それぐらいの徹底ぶりなのだ。 正直うんざりだ。
だが、美和子さんが純粋に春香の身を心配してくれているのだということも春香はわかっていた。
『いいじゃんシズカ。電話一本ぐらい』
春香は頭の中で荒ぶるシズカをなだめた。
春香はちらりと美和子さんの顔を見上げた。美和子さんは口をへの字に曲げて、腰に手を置いていた。仁王立ちだ。このモードに入った美和子さんは意地でも考えを変えない。春香が拒否したらすぐさま車に引きずっていくだろう。
春香はため息を吐くと、テレホンカードをボストンバックのポケットに突っ込んだ。
「時間通りにかけられるかは、わかりませんよ。消灯が21時ですし、そこから部屋を抜け出すことになるでしょうから」
「わかった。じゃあ22時までで」
「もう一声お願いします」
「22時半。これで決まり。22時30分を1分でもすぎたらそっちに車で向かうからね」
それは本当にいろいろぶち壊しだから勘弁してほしい。
「お子さんの皆さんは集合してくださーい」
運営の人が声を張った。いよいよバスに乗り込むのだろう。
「よし。じゃあ、いってらっしゃい」
笑顔を作る美和子さん。対して春香は、ペコリと頭を下げた。
「はい。行ってきます。美和子さん。送っていただきありがとうございました」
その私の態度を見て、美和子さんは一瞬寂しそうな目をしたが、すぐにニカッと笑った。
「うん。気を付けてね」
すぐさまバスに乗り込むのだと思いきや、子供たちはあらかじめ決まっていた10人程度の5つの班に割り振られ、広場のあちこちに集合させられた。春香の班は5班だ。
5班のメンバーは広場の端の木陰に集められ、半円になって座らされた。前には3人のリーダーが並ぶ。事前説明会の時と同じ、おそろいのオレンジTシャツを身に着けている若い男女。女性二人。男性一人。
「こんにちは! 5班のみんな! みんなと一緒に冒険するリーダーは私たち3人よ」
勝気な表情の女性が挨拶を始めた。薄茶髪を後ろでひっつめており、ディズニーに出てきそうなそばかすが似合う美女だった。鼻の形や綺麗なブラウンの瞳の色から判断するに、きっとハーフかクォーターなのだろう。引き締まった体をしており、立ち居振る舞いと相まって頼りがいがある。
「私のキャンプネームは『すず』よ。よろしく!」
彼女はそう言って、胸に付けた名札をつまんでひらひらとさせた。クリアケースの中にはさまれた台紙に、マジックで「すず」とひらがなで書かれている。
近くの女子の一人が「かっこいいね」とつぶやくのが聞こえた。確かに。まさに頼れるキャンプのリーダーという感じだ。西洋的な外観も相まって、海外映画に出てくるガールスカウトの人のようだ。
「僕は『ゆきおちゃん』です。よろしくね」
次に名乗ったのは眼鏡の青年だった。彼の優しい笑顔に、周りの女の子たちの空気が微かに揺れるのを感じた。色白の顔は整っていて、確かにイケメンだ。でも、春香から見ると、細身なせいでちょっと頼りなく感じた。
さて、あと一人。
最後の一人である女のリーダーに、子供たちの視線が自動的に集まる。
しかし、その女性は声を出さなかった。それどころか、手をジーンズに突っ込んで、明後日の方向を見ていた。春香は一目でわかった。
あ、退屈してる。この人。
「ちょ、ちょっと。あなたの番よ」
すずが背中越しに手を伸ばして、女性の肩を叩く。
「え、なに?」
女性が振り向いた。使い込まれたようなちょっとくたびれたキャップを被った彼女の顔がこちらを向く。
ボブぐらいの髪を両側に下ろしており、ひっつめ頭のすずとは対照的に、よく横顔が見えない。顔はすずとはタイプの違う端正な美人のようだ。キャップの唾から切れ長の瞳が覗いていた。
あと、少しだけメイクが濃いような気がした。これまた化粧っ気のない、すずと並んでいるからかもしれないが。悪目立ちしている感じではないが、ちょっとだけ厚塗りな感じだ。なんとなく、何かをメイクの下に隠しているような印象を受けた。若作りだろうか。もしかしたら、顔に痣や傷でもあるのかもしれないとも春香は思った。まあ、小学生の春香には化粧のことはよくわからないが。
「自己紹介よ。キャンプネーム。名札も付けて」
すずに言われて、彼女は「ああ」とジーンズのポケットから名札を取り出し、そこで動きを止めた。
春香は首を伸ばして、彼女の手元を覗き見た。名札の台紙に何も書かれていない。白紙だ。
すずが目を剥いた。
「あなた、もしかして、キャンプネームまだかんがえてないの?」
そんなことある? リーダーなのに?
『まじかよ。やる気なさすぎだろあの女』
シズカもたまらず脳内で突っ込みを入れてきた。
『うん。どうやら、この人、追加で配備された人だね』
春香も頭の中で返答する。子供の人数が増えたせいで急遽募集された人員なのだろうが、だとしても、もう少しやる気のある人を呼べなかったのだろうか。
周りの子どもたちがざわめき始めた。当たり前だ。まだバスにも乗っていないのに、運営側の意識の低さが露呈しているのだから。
「えーと。私の、名前はね……」
キャップの女性もさすがに焦り始めたらしい。今、ここでキャンプネームを決めちゃおうとしている。しかし、焦ったときには思考がまとまらないものだ。
「えーと、えーとねえ」
たまらず、すずが小声で助け舟を出した。
「なんでもいいのよ。好きなキャラとか、友達の名前とか」
そう言われて、彼女ははっと思いついたように叫んだ。
「じゃあ、ミオンで!」




