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キャンプをしたいだけなのに【2巻発売中】  作者: 夏人
第3章 運命なんてあるものか
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【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ 22


 26


 斧が大仰な風音をたてて、私の頭上を水平に通り過ぎていった。その斧の先をかがんだ状況で見つめる。

 次に、斧は一旦、奈緒の頭上にもちあげられ、垂直に振り落とされた。私は立ち上がると同時に片足を下げ、斜に構えることでそれを避ける。

 からぶったことで、奈緒の重心が大きく揺れる。奈緒は崩れた体勢を力尽くで引き戻し、また斧を振るった。間合いを計算し、バックステップで回避する。

 奈緒が白い息を切らし、驚愕の表情で私を見る。何を驚いているんだ。当たり前だろう。

「ナオちゃん、斧を持つの、今日が初めてでしょ」

 奈緒は答えなかった。肩越しに斧を振りかざし、力任せに振り下ろす。

 私はその大きな動きから、太刀筋を読み、ちょっとかがんで移動することでそれを難なく避けた。

 遅い。酔っ払いのパンチの方がまだ早かった。白鳥の日本刀の剣速とは比べるべくもない。

 斧を持っているのが持ち主のあの老人だったら、こうはいかなかっただろう。ベテランキャンパーのレイジが斧を振るっていたら、きっとこうも簡単には避けられまい。

 だが、今、斧を振り回しているのは、薪割りなんかしたこともないだろう奈緒だ。女性にしては身長がある奈緒は、少なくとも私よりは筋力もあるだろう。しかし、そういう問題ではなかった。道具の性質をまるで理解していない。斧の重心に、完全に体の方が振り回されてしまっている。もしかすると、私の耳を切り裂いた不意打ちも、そもそも踏み込みが足りなかったのかもしれない。

「なっちゃああああん!」

 怒りの声を上げながら斧を振り回し続ける奈緒の全身を、私は眺めた。

 半分生地がなくなった黒いダウンジャケット。焦げた紫のニット帽。そして、急ごしらえで手に取った斧。

 全部借り物だ。全部、奈緒のものじゃない。ここに、奈緒のものなんて、一つもない。

「斧を持つとき、利き手に手袋をしちゃダメよ」

 私は鼻先をかすめていった斧の柄を、スキレットで思いっきり打ち払った。奈緒の両手の手袋からあっけなく斧はすっぽ抜け、近くの雪に刺さった。

「こうなるから」

 奈緒はあわてて斧を拾いにいこうとして、雪に足を取られ、こける。そのまま四つん這いで這うようにして斧にたどり着く。私は追撃もせず、その様子を見ていた。

 斧を手にし、立ち上がって構え直した奈緒は、屈辱に顔を赤く染めていた。

「ナオちゃん。あんた、レイジの動画、ちゃんと見てないでしょ」

 奈緒は、目を見開いた。

「あんた、レイジのどこを好きになったの。顔? ファッション? それとも人気配信者としての肩書き?」

 奈緒は斧を構えたまま、下唇を噛んだ。図星か。

 そこじゃ、ないだろう。

 あんたが見るべきだったのは、あんたが真似すべきだったのは、そんなとこじゃない。私もレイジの動画は数本覗いた程度だが、それでも伝わってきた。

 誰にでもわかりやすくしようと慎重に選んだ言葉。何度も自分で試してみないとわからないような注意点とアドバイス。考え抜かれたサムネ。コメント一つ一つに対する丁寧な返信。

 そういうところに、憧れるべきだったのだ。そういうところを大切にしているレイジを、そのスタンスを、尊敬すべきだったのだ。

「昔からよ。変わってない。あんたは、持ち物だとか、服装だとか、そんな表面的なところにばっかりに目をやって、なんにも本質を見ようとしない。猿まねよ猿まね」

「・・・・・・うるさい」

 奈緒の目が潤んだ。私はその目を睨み付けて続ける。

「あんた自身、自分がなにやってるのかもわかっちゃいないんでしょう? そりゃあ、私ってだれ? みたいな痛いこと言っちゃうわよね」

「だまれええ!」

 奈緒が力任せに斧を振り回す。

「なんにも知らないくせに! なんにもわかってないくせに!」

 奈緒が私の頭上めがけ、渾身の力で斧を振り落とす。


「私が誰なのかなんて、なっちゃんも、知らないくせにい!」


 私が体をずらして避けた斧の刃が、雪に突き刺さる。私はその斧の頭を、片足で踏みつけた。斧が動かなくなり、焦る奈緒の両手に、スキレットを叩き付ける。奈緒が悲鳴を上げる。

「知ってるわよ」 

 思わず斧から手を放した奈緒の向こうずねに、下からすくようにスキレットをぶつける。たまらずかがみ込んだ奈緒の上半身を、足裏で蹴りつけた。奈緒が雪の上に転がる。

「あんたはレイジじゃない」

 起き上がった奈緒の横顔にスキレットを叩き付ける。奈緒は顔を押さえてまた倒れ込む。

「あんたは私でもない」

 うなり声を上げて立ち上がろうとする奈緒の顎を蹴り上げた。もんどり打って三度倒れる。

「あんたは、メイちゃんでもない」

 私は顔を押さえてうめく奈緒の胸ぐらを掴み、力尽くで引き上げた。そしてまっすぐ、目を見る。奈緒の大きく見開かれた瞳を真っ正面から睨み付ける。それが友達ってものだから。


「あんたは! 斉藤ナツの友達! 清水奈緒でしょうがあ!」

 

 奈緒の両目からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「それ以上に、何の肩書きがいるっていうのよ」

 私は、手を放した。奈緒がその場に崩れ落ち、泣き声を上げた。

 止めどなく流れる涙が、頬を伝い、雪に吸い込まれていく。朝日が奈緒の頬を照らし、きらきらと光った。

 奈緒は両手でしきりに顔を拭いながら、まるで小学生の女の子のように、いつまでも泣きじゃくった。

 



 何分たっただろうか。

 奈緒はおもむろに立ち上がった。ふらふらと体をゆらし、ロッジに続く道を歩いて行く。

「ちょっと。どこ行くの」

 奈緒は泣きはらした目で振り向いて、へらりと笑った。

「逃げるんだよ。ケンカに負けたからね」

「はあ? そんなの許すわけ・・・・・・」

 奈緒はくるりとこちらに体を向けた。そうしながらも、器用に後退し、後ろ向きに遠ざかっていく。

「なっちゃん、その足じゃ、追いかけられないでしょ」

 言われて、私は自分の足を見た。やけどがひどい。奈緒の斧を最低限の動きで避けていたのも、余裕綽々なアピールではなく、この足のせいだ。ゆっくりなら歩くことなら出来そうだが、走るのは、厳しい。

 私は、ドサリと雪の上に腰を落とした。

 奈緒が後ろに下がりながら語りかけてきた。

「ねえ。なっちゃん」

「・・・・・・なによ」

「ここで会えたのは、やっぱり運命だと思うよ」

「あんたが仕組んだんでしょ」

「まあ、なっちゃんを呼んだのはそうだけどさ、ここだよ。このキャンプ場」

 私が首をかしげるのを見て、奈緒は残念そうに笑った。

「やっぱ、わすれちゃってるか。地域名で思い出してるかと思ったんだけどな」

 奈緒が遠ざかっていく。

 地域名?

 県内なのに、標高が高く、雪が積もりやすい。田舎。まだ言っても12月なのに、この気温の低さ。

「ほら。喫茶店だよ」

 喫茶店。つまり、カフェ。ロッジに併設している純喫茶。

 気が付かなかった。

 ここ数年で交通の便が急に良くなって、今では1時間ちょっとで着いてしまう。だから、気づかなかった。

 小学生の私たちには、あまりに遠い場所に思えていたから。

「思い出した? そうだよ。ここだよ。ここがあの日の目的地。本物のメイちゃんがいた、私たちのゴール!」

 そっか。たどり着いたんだ。私たちは。十数年かけて。この場所に。


 私たちの旅は、ようやく終わったのだ。


 奈緒はいつの間にか、森の前に立っていた。奈緒が両手を口に添える子供じみたポーズで、声を張る。

「なっちゃーーん。おに、こうたーーい!」

 その森は、一度入ったらすぐに迷ってしまう真っ暗な森だ。管理人の老人ですら冬は入らない、危険な森。入ったら、危ないよナオちゃん。

「いっぷん、かぞえてねーー!」

 奈緒はそう言うと、手を降って、暗い森に入っていった。すぐに姿が消える。

 そっか。知ってるんだ。一度入ったら出られないって。ナオちゃんも。

 私は数えた。60秒。目を閉じて。

 数え終わって、目を開けても、私は動かなかった。

 あの日、私の上着がなくなった、あの日のかくれんぼ。奈緒は私を探しに来なかった。

 だから、私も、探しに行かない。これでおあいこだから。

 ナオちゃんも、きっと、わかってる。


 お別れだね、ナオちゃん。




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― 新着の感想 ―
面白い。久しぶりに小説を読んでいる気がする。
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