【第3章】 雪中キャンプ編 斉藤ナツ 10
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クラスの風向きが変わったのは、6年生の冬休みが明けてからだった。
6年生の夏休みから二学期にかけての記憶はなぜかあまりない。全ての出来事が、霧がかったようになっている。夏休み中にも奈緒と何かしらで会っていたような感じもしないではないが、うっすらとしか思い出せない。奈緒と一緒に山の中を走り回ったような謎の記憶があるが、当時住んでいた町には山も林もなかったから、きっと夢の記憶か、他の出来事がごっちゃになっているんだと思う。
何にせよ、私が鮮明に覚えているのは、3学期が始まった1月以降のことだ。
その頃には私の手持ちの小物はあらかた盗まれていた。どうせどれもホームセンターで買った安物なので、そこまで愛着もなく、問題なかった。筆箱ごといかれた時は流石に殺意がわいたが、おかげで祖母に「筆箱ごと川に落とした」と言うことで一式同じものを新調することが出来た。どれもワゴンで大量に売られていた安物だから、同じ種類のものはすぐ見つかった。
それに対し、奈緒の手持ちの文房具はどれもピカピカでかわいらしかった。小まめに新品を買い与えられていたのだろう。育ちの差というやつだ。別にうらやましいとも思わなかったが、なんと、そう思ったのは奈緒の方だったらしく、ある日、本を読んでいた私の席に、私と同じ種類の安っぽい筆箱を持ってやってきた。
「見て! なっちゃんと同じ筆箱!」
「・・・・・・どうしたの。清水家、没落したの」
「そんな。フランス貴族じゃないんだから。なっちゃんとおそろいにしたかったんだよ」
「そんなことある?」
おどろくべき逆転現象である。奈緒が私に対して変な信仰心を燃やしているのはわかってはいたが、ここまでとは。
服装も変化していた。これまで奈緒はひらひらのスカートにふんわりした上着を合わせていたのに、私に合わせてジーンズをはくようになった。ちなみに、私のジーンズはこれまた安売りセールで買ったサイズの合わないのをすそを折って無理矢理はいているようなものだったのに対し、奈緒のジーンズは有名ブランドの上等なものだった。この差はいかんともしがたい。しかし、それでも奈緒は満足げだった。
私はあきれた。これだけ一緒にいれば、私がこういう格好や物を持つのは、単に金がないだけだということはわかるだろうに。相手がこだわっていないところを真似してなんになるというのだ。仮に奈緒が真似すべき点があるとするならば、「持ち物にこだわらない」というスタイルだろう。奈緒がしているのはその逆だ。外側だけ真似て、本質を理解していない。こういうのを猿まねというのだろう。
だが、本人がそうしたいのなら別に言うことはない。私は「よかったね」と言いながら、教室を見回した。
おかしい。
一学期や二学期は、奈緒が服装や持ち物を変えようものなら、クラスの女子が取り囲んだものだった。
嫌われ者の私と仲良くなってからも、奈緒は相変わらずクラスの人気者ではあったのだ。奈緒が新しいヘアピンを付けてくれば、それがクラスの女子で流行出す。奈緒は今で言うところインフルエンサー的立場だった。今回であれば、安物の筆箱はともかく、ジーンズがクラスの女子のトレンドになっても不思議ではない。
しかし、冬休みが終わってからというもの、女子も男子も奈緒に近寄ってこない。遠巻きに何やらひそひそと小声で噂話をしているようだった。
「ナオちゃん、あんたなんかやらかした?」
私の席に筆箱を並べて嬉しそうに撫でていた奈緒がピクリと動きを止める。そしてすぐに笑顔で「別にー」とうそぶいた。
何かあったとしたら、冬休みだろう。クラスメイトと大喧嘩でもしたのだろうか。だが、それにしては違和感がある。クラスメイトからの敵意の視線は私も慣れているが、今、奈緒に向けられている視線は敵意や警戒のそれではない。もっと、相手を軽んじるような、言うなれば、
嘲笑?
「なっちゃんの上着、かっこいいなあ。大人っぽい」
今度は上着か。
「それもホームセンターで売ってるの?」
私は自分の上着を見た。所々すり切れた、ちょっと大きめの皮のジャケット。家で見つけた上着の中で一番温かいのがこれだったのだ。
「これは母の若い頃のらしいから、売ってないわよ」
「ちぇっ。残念」
「ナオちゃんはもっといいのを腐るほど持っているでしょうが」
私は奈緒のふわふわの薄ピンクの上着を見た。良い生地を使っていそうだ。
「どれも可愛い系ばっかりなんだもん」
「お母さんの趣味?」
奈緒が一瞬黙った。そして、ぼそりと言う。
「私、お母さんいないんだ」
私はぎょっとして奈緒の顔を見た。まずい。失言だったか。いや、待て。じゃあ、あの参観日に来ていた美女は?
その私の焦った顔を見た奈緒がにやっとする。
「冗談だよー」
私はため息をついた。「あんたねえ・・・・・・」と言おうとしたその小言を、
「放課後、かくれんぼするひとー!」
という大声で遮られた。見ると、大柄なクラスの女子が手をあげてかくれんぼ仲間を集めていた。
あの子誰だったか。たしか奈緒の取り巻きの一人だったのではないだろうか。名前が思い出せない。もうトリマキさんでいいや。よろしくトリマキさん。
トリマキさんの周りにクラスの男女が集まる。やれやれ。6年生にもなってかくれんぼとは。そう思って奈緒を見ると、奈緒はトリマキさんの上げた手をじっと見ていた。
「・・・・・・やりたいの?」
「え、あ、うん・・・・・・」
そういえば、奈緒はかくれんぼが大得意だった。私と仲良くなり、クラスメイトと距離を置いた後も、放課後かくれんぼだけはよく企画して、メンバーを集めていた。何度誘われても、私は参加しなかったが。
「じゃあ、行ってきなよ」
しかし、奈緒は動かなかった。私はそこで気が付いた。これまで、かくれんぼは奈緒の独壇場で、いつもああやって企画をもちかけるのは奈緒の特権だった。それがどうしたことかトリマキさんに主導権をとられている。
クラスの空気の違和感を確かめたくなった。
「じゃあ、私も参加しようかな」
「え? ほんと? やった!」
奈緒はぱっと笑顔になり、私の手を掴むと、「はいはーい。あたし達もやりまーす」とトリマキさん達の所に引っ張っていった。
いつもなら、奈緒が入ると聞いたら、女子は歓声を上げる。しかし、今回はちがった。一瞬、教室が沈黙した。
なんだこの空気? どうした? 私のせいか?
しかし、クラスメイトは私を見ていなかった。なんとも生ぬるい表情で奈緒を見ていた。流石に奈緒も感じたのだろう。ごくりと唾を飲む音が聞こえた。
「いいよ。入りなよ」
トリマキさんが偉そうに言う。その一言で空気が弛緩した。
「放課後すぐ、運動場集合ね」というトリマキさんの言葉でみんな席に戻る。奈緒は「楽しみだね」と笑いながらも上着の裾をぎゅっと握りしめていた。
放課後、十人弱で行われたかくれんぼは退屈なものだった。
参加者は下駄箱前に荷物を置き、運動場の真ん中に集合する。そこでオニを決め、運動場の中心にしゃがみ込んだ子が目をつむって一分数えればゲームスタートだ。
学校の運動場なんて隠れられる場所は限られている。良い隠れ場所は争奪戦だ。そんな中、私は小さな隙間などを見つけるのが得意なので、我ながら良い場所に隠れることが出来たと思う。奈緒もかくれんぼガチ勢なだけあって、毎回そこがあったかといいたくなるほど、意外な場所に隠れていた。
しかし、私たち二人は捜してもらえなかった。
オニに見つかった子は、そのままオニの仲間になっていくルールなので、どこに隠れても大体すぐに見つかってしまうのだが、クラスメイトは私たちを見つけようとはしなかった。私たち二人以外を全員見つけると、トリマキさんが、「じゃあ、次のオニ決めるよー」とゲームをリセットしてしまう。そのたびに私たち二人はあわてて運動場の中心に戻るのだが、その頃には次のオニが決まってカウントダウンが始まってしまうのだ。
なるほど。小学生のイジメとはなかなか陰湿なんだな。
うさぎ小屋と体育倉庫の間の隙間にすっぽり収まっていた私は、腕を組んでふんふんと頷いた。先ほどもオニの一人と明らかに目が合ったが、あからさまに無視されてしまった。かくれんぼの概念を揺るがす行為だ。
「はーい。リセットするよー」
そろそろ暗くなり始めた頃だった。何度目かの無為な時間を過ごした後に、またトリマキさんのリセットコールが聞こえた。「もういっそのこと、ランニングと割り切るか」と運動場に走って行くと、珍しくまだ次のオニが決まっていなかった。
「奈緒ちゃんさあ、まだオニしてないよね。やらせたげる。オニやるのすきだもんね」
トリマキさんが奈緒に言う。「あ、うん」と奈緒が頷いたのを見て、「じゃあ、一分ね!」とトリマキさんが叫び、みんながちりぢりに走り出す。やれやれと思いながら、私はまたウサギ小屋に向かった。今回はオニが奈緒なのでさっさと見つけてくれるだろう。そう思って安心して隙間に挟まった。
しかし、来ない。
全く、奈緒が来ない。
この隠れ場所は奈緒も知っているだろうに。何してるんだ。
日が沈み、どんどん辺りは暗くなってきた。寒い。私は上着をランドセルと一緒に靴箱に置いてきたことを深く後悔した。今日は日中、日差しがかなり強かったので油断したのだ。
いつまでたっても奈緒が探しに来ないので、私は遂にしびれを切らして、運動場の真ん中に向かって歩き出した。奈緒がぽつんと運動場の中心に座っている。虚空を見つめ、だまって自分の肩に掛かった髪をなでている。
「なにしてんの」
「みんな、帰っちゃったみたい」
私は下駄箱の方に目をこらした。
私と、奈緒のランドセルだけが転がっている。
どうやら、奈緒が一分数えている間に、私以外の全員が荷物を取って帰ったようだ。対したチームワークだよ。まったく。
「ナオちゃん、私たちも帰ろう。これ以上遅くなったら、私はともかく、あんたは親が心配するでしょ」
「うん。探しに行かなくて、ごめんね」
「気にすんな」
二人で下駄箱に戻り、そこで私は舌打ちした。
やられた。上着がない。
私は無言でランドセルを背負った。奈緒も背負う。奈緒もセーターしか着ていなかった。奈緒のふわふわ上着もとられたのだろう。
二人で、無言のまま校門をくぐる。
あの上着は、私の母のものだった。らしい。
私の母はもの心つく前に私を置いて家を出て行った。らしい。
母の写真は残っていない。母の持ち物もほとんど父が捨ててしまった。らしい。
押し入れの奥から出てきたあの上着は、私に残された、母との唯一のつながりだった。
らしい。
家に着くまで、本当に寒かった。




